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番外編:星のアラザン

 婚約が決まってから、ドミニクの休日はビビアンにとってまた待ち遠しいものとなった。

 ドミニクが書簡を届けるのをめんどくさがったのだ。どうにもあの本で埋まった部屋でじっと待つというのは耐え難く、手元が刺繍針を求めてさまようそうだ。エーリヒもドミニクがやかましいのに辟易したらしい。そうして間隔を決め、フレイベルグ家のタウンハウスで書簡のやり取りをするようになった。

 婚約者になったものの、いまだ自由にエーリヒに会えないビビアンにとってこの日だけは面倒な決まりをすり抜けて彼に会える。まったく、親や男兄弟または親戚と一緒でないと会えないなんて不自由な決まりだ。まあそのおかげでビビアンは最愛の婚約者と可愛らしい弟と一緒に勉強ができるのだけど。

 よかったことはもう一つある。エーリヒはフレイベルグ家に来ると夕方まで滞在してくれる。


「勉強ならどこでもできるし、ビビアンは帝国の勉強中だろう。先達がいた方がはかどる」


 滞在するだけでなくてビビアンの指導もしてくれる。これは実に嬉しい誤算だった。

 さて、フレイベルグ家の客間で二人は勉強、ドミニクは刺繍にせいをだしていると、張り切るのは家令をはじめとしたメイドや使用人たちだ。お嬢様とその未来の夫、将来の伯爵様こと坊ちゃまが集まっていらっしゃる。これは邪魔にならない程度に全力でもてなさねば、と。双子の手前いつもと変りないように努めているが、客間はいつも以上に気合を入れて掃除され料理人も昼食やお茶菓子のバリエーションを広げつつある。

 いつも家にいるビビアンは使用人たちの並々ならぬ熱意に気付かないふりをしながら、今日のお茶菓子はなんだろうと楽しみにしていた。


「失礼します、お茶菓子をお持ちいたしました」

「うん、ごくろう。すぐ机を開けるよ」


 慣れたもので机の上から紙の束と本の山、カラフルな刺繍糸が次々とおろされていく。そこに並べられたのはカットされたケーキ。生クリームで飾られ、薔薇の花まで作ってある。パトリシアが見たら喜びそうだ。きらきらと輝く小さな丸も点々と行儀よく並んでいた。


「アラザンだ、嬉しいなあ」

「ビビは昔からアラザン好きだよね」

「……アラザン?」

「あれエーリヒは嫌い? 食べた気がしないって好かない奴もいるけど嫌いなんて珍しいね」

「そうなのエーリヒ?」


 あらこれは嫁いだらアラザンが見られなくなるのかもしれない。ビビアンはちょっとばかり危機感を覚えてエーリヒをのぞき込む。確かに眉根を寄せた彼からはアラザンに対する敵愾心のようなものを感じる。


「食べられる」

「いやそれ好きじゃないって言っているようなものじゃない」

「無理に食べなくても大丈夫だぞエーリヒ、代わりにわたしが頂くから」

「いや食べる」


 双子は顔を見合わせて、ことりと小首をかしげる。


「さてはその反応、お前ら覚えてないな」


 地を這うような声に双子はぱちりと瞬きする。エーリヒがなにかに怒っている。なにに怒っているのかは分からない。こういうときは素直に下手にでておこう。アイコンタクトひとつとってエーリヒの苦々しい話を聞きに回った。


「ええと、わたしたちなにかしただろうか、エーリヒ」

「ちょっとおれたちよく覚えてないので教えていただけますでしょうか、エーリヒ」

「いいだろう。あれは、いくつのときだったか。丁度今日のようにこの家に来ていてな」


 曰く、双子にちょっかいをかけられ続けたエーリヒは昼飯のあと不覚にも眠ってしまったらしい。だれも起こさないから思いのほか熟睡していた、とは本人の弁だ。そうしてその日、お茶菓子としてアラザンの乗ったカップケーキが出されたらしい。


「アラザン嫌われる要素なくない?」

「俺はカップケーキがでてきても眠ったままでな。起きたら頭の上から笑い声がする。なんだ、なにかおかしいのかと頭を触ってみたらべたりと手にアラザンが付いたんだ」

「おや?」

「メイドにすごい勢いで頭を下げられてな、訳が分からないまま鏡を見せられたら頭にアラザンがのっかってたんだ。一つどころじゃなかった。このままじゃ帰らせられないというのでおとなしく洗われて、客室に帰ってきた俺をみてお前らなんと言ったと思う?」

「えー」

「いや、さっぱり」

「残念、って言ったんだよこの鳥頭ども!」


 エーリヒとアラザン、というか幼い双子との確執は分かった。それ以来エーリヒはアラザンを見ると警戒してしまうらしい。話はここで終わり、とばかりにエーリヒはお茶を飲み始める。

 そんなことしたかな、したかもな。声に出さずにビビアンは小首をかしげドミニクは頷いた。そうしてエーリヒの怒りが静まっているうちに、とケーキに手を伸ばす。生クリームの下は甘さを控えたパウンドケーキだった。

 エーリヒの頭にアラザンか、ビビアンはそっと彼を覗き見る。甘すぎるのかアラザンを引きずっているのか眉間のしわは取れないままだ。あの午後の陽光も吸収する真っ黒な髪に、アラザン。なんだろう。かすかに引っかかる。目を閉じて小さなエーリヒを思い描く。あの真っ黒な髪にきらきらと輝く……。


「あ!」

「ビビ、なにびっくりさせないでよ」

「はしたないぞ」

「いや、思い出したよアラザン。カップケーキから一個ずつおろして髪に乗せた、うんわたしの仕業だ」

「じゃあおれ冤罪?」

「いや面白がって真似してた」

「だめかー」


 アラザンをすくい見たくもないといった感じで次々作業のように口にしていたエーリヒはものすごく嫌そうな顔をする。ドミニクをちらっと見た後、まっすぐにビビアンに視線を戻した。


「なにか申し開きはあるか」

「うん。君の髪は真っ黒でとても素敵だろう?だからアラザンを乗っけたら夜空みたいできっと綺麗だろうなって思ったんだよ」


 エーリヒが頭を抱えた。ビビアンは続けていう。子供のころから夜の空が一番きれいで好きだったんだ、と。ますますエーリヒの頭が低くなる。ドミニクはああなるほど、と頷いていてた。


「エーリヒ? どうしたんだい」

「ドミニク。お前らの、いやお前の姉の息をするように口説くところどうにかならないのか」

「いや……おれもどうにかしてほしいと思ってるんだけど。ビビ自覚がなくて」

「尚更たちが悪いだろう」

「やっぱ帝国行きやめない? なんか女の子ひっかけて帰って来そうで怖いんだけど。前科あるし」

「なんだお前たち。わたしの子供のころのかわいらしい思い出からどうして勉強を奪う話になるんだ」

「そうじゃないんだよビビ」

「ああ、そうじゃない。ビビアン」


 男二人が遠い目をするなか、今度はビビアンがほほを膨らめる番だった。

 余談ではあるが、エーリヒとアラザンの仲は修復されたらしい。フレイベルグ家でアラザンがでるたびに、少し複雑そうな、でもそんなに嫌いではないといった顔でアラザンを食べるエーリヒが目撃されている。主にビビアンとドミニクに。

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