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 真っ白いシャツに袖を通す。タイを結び、ベストのボタンを止めてジャケットを羽織る。鏡をのぞけば淡い金髪を瞳より濃い緑のリボンでまとめた中性的な紳士がたたずんでいる。帽子を被ればこれで完成だ。

 伯爵令嬢ビビアン・フレイベルグは鏡に向かってにこりと笑いかける。微笑み返すのはタレ目の軽薄そうな青年、もとい双子の弟そっくりに変装した自分。できばえに満足して、最終確認にかばんを開ける。大事な大事な書簡入れはきちんと入っていた。そっとその縁をなぞれば、自然とビビアンのほほが緩む。


「いけない、もうこんな時間か」


 朝は短い。準備を終えたビビアンは部屋を飛び出した。


 馬車は街外れの我が家から慣れた道を行く。一軒のお屋敷の前で止まると、それじゃああとでと帰って行った。ドアを鳴らせば慣れたもので従者がいつもの部屋の前まで案内してくれる。


「坊っちゃん、フレイベルグ伯爵子息様がいらっしゃいました」

「入ってもらえ」


 うやうやしく扉が開かれ、どうぞごゆっくりと従者は下がる。

 部屋のなかは本で埋め尽くされていた。壁一面の本棚から溢れた本が床を征服し、かろうじて部屋の主が行き来する道とソファーだけが侵略を免れている。部屋の主といえば、こちらを振り返りもせずに一心不乱になにか書き綴っていた。


「やあ、エーリヒ。朝から熱心だね」

「朝はロウソクが必要ないからな」


丸められた背中を眺める。ピンとはねた黒髪は、朝日に照らされてなお深い色をしていた。子供のころからちっとも変わらない。ビビアンがぼんやりと一つにまとめた髪をもてあそんでいると、不機嫌そうな声がかかる。


「おい、あれをよこせ」

「ごめんごめん、はい」


 皮の書簡入れを手渡せば、エーリヒはすでにビビアンへの興味を失ったらしく書簡に目を通している。ビビアンはソファーに座り、その辺りにある本のうち目新しいものをいくつか拾い上げた。天体の運行について。惑星の軌道計算新式。証明の悪魔。なかなかに面白そうだな、とうきうきしながら紙とペンを取り出して本の世界へと入っていった。




 ビビアンとエーリヒの付き合いは5つの歳までさかのぼる。ビビアンと双子の弟はいつもべったりで、それを心配したらしい父から紹介されたのが始まりだ。父の友人の息子で同い年だと紹介されて、双子で声をそろえてあいさつしたのを覚えている。


「はじめまして、どうぞよろしく」

「はじめまして、どうぞよろしく」

「……はじめまして、エーリヒだ」


 彼は初対面からこちらに興味をみせなかった。ビビアンと弟は物珍しさもあって、すぐにエーリヒを気に入った。なにせ双子を見ても驚かないし騒がないしあれこれ聞いてこない相手なんて初めて出会ったのだから。


「かおがおなじってだけだろ」


 すまし顔でつれないことをいう幼馴染をときに家に招待し、ときに遊びに行きと大歓迎した。

 関係が少し変わったのはビビアンが幼少女学院に入ってからだ。いわく、未婚の男性と二人きりなどもっての他、嫁ぐなら30すぎて落ちついた男性のところへ。貴族の令嬢としての常識とやらを寄宿舎で叩き込まれて弟にすら会えない日々が続いた。

 エーリヒは遠い街、彼の父の領地にある学院に入ったため会う機会などほとんどなく。ただ、長期休みに王都まで帰ってきていると聞くばかりだった。


 ふとしたいたずらを思い付いたのはほとんど偶然だった。長期休みで久しぶりに会った弟におそろいの服が着れないと愚痴をもらした際に、彼が服を貸してくれたのだ。まだ第二次成長期を迎えてなかったビビアンに弟の服はぴったりと似合った。


「おそろいだね」

「うん、おそろいだあ」

「ねえ、これ着たまま出かけてみたい!」


 そうしてちょうどよく王都に帰ってきていた幼馴染に白羽の矢が刺さる。


「あの、フレイベルグ伯爵家のものです」


 彼の家の従者に告げれば思惑通り弟と間違えられて初めてエーリヒの部屋まで案内された。

 今ほど本の侵食が進んでいなかった部屋に、ビビアンは一瞬で虜になった。女は賢くなってはいけないと取り上げられる本がここには無造作に並べられている。エーリヒは幼少期と変わらず双子に興味がないようだった。なんて、なんて都合のいい。ほほが薔薇色に染まる。


「すごい! ずっとここにいたい!」

「うるさくするならでていけ!」

「あ、ごめん」


 それ以来ビビアンは男装してエーリヒの部屋に通うようになる。幼少女学院の頃は長期休みに。エーリヒが幼少学院を卒業して留学している間はほぼ無理矢理彼の許可をとって。飛び級で卒業して帰ってきた際には弟の休みにあわせて。弟と結託してビビアンがビビアンだと家の外のものに気付かれないよう注意を払ってきた。

 今は、弟の通う高等学院の先生とエーリヒの書簡を運ぶ役目がある。年齢制限で大学に入れない分、外からの知識に飢えているエーリヒはこの書簡が届くのを楽しみにしているようだった。彼の表情は変わらないのだけど、その辺は長い付き合いでなんとなく分かる。


 書簡を渡したときに、夜明け前の冬の海みたいなアイスグレーの瞳が少し開くところを、ビビアンは好ましいと思っている。切れ長で冷たい印象をあたえがちな目がこのときばかりは子供みたいに輝くのだ。


「ふふっ」

「なんだ気持ち悪い」


 幼馴染は年々口が悪くなる。

 まあそういうわけで、書簡を届けるのは弟でなくビビアンの役目だ。胸を潰す矯正下着も肩に入れられたパットもすっぴんだってちっとも嫌ではない。令嬢としては慎ましすぎる胸のサイズだって幸運に思っている。

 誰にも言えない内緒のはなしだけれども。




 カリカリとペンが走り、ぺらりと本がめくられる密やかな音が心地よい。部屋中を古い紙の匂いが満たしている。持ち込んだ紙の束には書名著者名から始まり要点疑問点考察が次々に埋められていきどんどん黒くなっていく。


「おい」

「ん? もうそんな時間か」


 声をかけられて昼近くになっていたことを知る。ようやく振り返ったエーリヒは手元とサイドテーブルに積まれた本を見てひとつ頷いた。


「それ3冊持っていっていいぞ」

「これ私物なのか」

「ああ。取り寄せたやつだから図書館にあるかどうか怪しいだろう」

「ありがたく借りるよ。書簡は?」


 すっと書簡入れが差し出される。確かに、と受け取って鞄のなかにいれる。本を手早くベルトでまとめて帽子を被る。


「それじゃあ、また」

「頼んだぞドミニク」


 双子の弟の名を呼ぶエーリヒに手を振って答える。

 帰りの馬車のなか、ビビアンはひとり考える。幼年女学院を卒業し、家で家庭教師から令嬢にふさわしい教育を受け、社交界デビューも果たした。エーリヒと弟は舞踏会や夜会を避けているから外で接触しないはずだ。なにせ弟とは共犯者なわけだし、誰かにばれることもそうそうないだろう。

 けれども自由になる時期なんてあとわずかだ。家の、弟のためにも結婚相手を探さなければいけない。


 さて、果たしていつまでわたしはドミニクでいられるのだろう。ビビアンはあごに手を添えて小首をかしげた。


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