戦場でただ一人
「――――ッ!!」
喜多見総司は息をのんだ。彼の過ごしてきた日常にはほど遠い非日常がそこにはあったからだ。
上体を起こした総司の目の前には、血なまぐさい戦場が広がっていた。大地には皮鎧を着た死体が敷き詰められている。。その付近には血とともに、人体の一部と打ち捨てられた剣と盾と弓矢が散らばっている。
これは夢だ。
そう思えたらどれだけ楽だろうか。しかし、嗅いだことのない死臭と、地面に落ちた人を殺すための武器が無理やりこれが現実だと囁きかける。
そして不可解なことに気が付いた。ドラゴンのような大きな爬虫類らしき生き物が横たわっていたのだ。翼の生え際には鞍がつけられており人為的に
そしてもう一つ不自然なことは、総司の周りに立っている生き物がいないことだ。総司を中心に、周囲の人や獣の分別無く生き物すべてが倒れているのだ。。
倒れていない、円の外にいたであろう兵士風の男たちがこちらを見ている。誰一人として目を離したりはしない。まるで化物がそこにいるかのように。
総司はできるだけ周りの兵士風の男たちを刺激しないようゆっくり立とうとするが、
「立ち上がったぞ!警戒を怠るな!」
他の兵士よりも高級そうな鎧を纏った兵士が叫ぶ。その表情には敵意や恐怖が色濃く見えたような気がした。
(なんでこっち見てんの?ていうかここどこ?どうなってんだよこの状況!!)
このよくわからない状況に対する疑問により焦燥感に駆られ心の内で悪態をつく。
とにかくこの状況から抜け出したい。その一心で逃げる経路を探すが、周辺には装いが違う兵士たちが総司を取り囲む形になっている。
どうにもならないだろう状況の中で、むしろ冷静になった自分がいた。諦めからきたものだろうと総司は自分の心の変化を適当に結論付け、冷静になった頭で考えを回した。兵士たちを避けて通るのは難しい。
そう思い、考えを変える。
自分が避けて通るのではなく相手に避けられるようにすればいいと。
総司は堂々と周囲を見渡す。幸い、立っている兵士との距離はそう近くない。少し動いてもすぐに飛んでこないだろう、そんな楽観的なことを考える。自身の考えに矛盾があることを総司は自覚している。転がってる弓矢の残骸を見れば兵士の中には弓を扱う者がおり、飛び道具があることは明らかだ。そうじゃなくても剣で切りにかかられる可能性だってある。
したがって、今、総司が生き残るために必要な要素はたった一つ。自分がおそらく周りを取り囲むようにいる兵士に対して、未知の存在となっていることである。さらに付け加えるなら、総司が恐れられているかもしれないということだ。先ほどの戦士長風の兵士の警戒具合がその証拠となっている。
結果、総司は賭けに勝った。抜け出せそうな穴を見つけたのだ。人の流れの穴が。総司はゆっくりとその穴に向けて歩み始める。その穴とは、総司が周りを見渡した時に最も恐怖の色が濃かった兵士たちのいるところである。要は、敵が怯んでいる間に逃げる作戦である。
作戦とも言えない考えしか浮かばなかった自分に呆れながらも、それ以外の考えを思いつかない時点で選択肢はなかった。あとは実行するのみ、と総司は歩みを続けながら決意を固めた。
そして兵士の持っている剣が届くほどの距離まで差し掛かり、歩みを止めた。
「そこをどいてくれ」
元々声は高くないし身長も高い方なので威圧感には自信がある。目つきも鋭いと大学の友人からのお墨付きももらっている。そんな前向きか後ろ向きかわからないことを考えながら、相手の反応を漏らさず受け取るために、表情には出さず全神経を集中させる。
「あ、あっ」
声をかけた兵士は倒れるように地べたに座り、足掻くように後方へ下がる。他の兵士たちも道をあけるべく後ろへ下がる。道を譲った兵士たちの行動を見て、自身の判断が正しいと確信した。
(しかし、なんでこんなに怖がってるんだ?)
予想以上の相手のリアクションに戸惑いながら開く道を歩むことを止めない。開いていく道は軍隊の整列のように規則正しいものではなく、総司が先に進むたびに、まるで今にも噛みつきそうな猛獣からはなれるように、道が開かれる。
攻撃されたときのために、全速力で逃げる算段をたて、周りに細心の注意を払っていたが、その全てが杞憂に終わった。無事、軍隊らしき集団から抜け出すことができたのだ。その先には平原と、さらに先には森と丘があった。小学生の時に行った林間学校の風景に似ていて懐かしい気持ちになる。普段であれば座ってのんびりしたい光景が広がっていたが、今はそんな余裕は無い。せめて身を隠せる森までは、後ろにいる兵士たちを刺激しないため、このまま歩いていくのが最良だろう。
歩みを止めた足を再度動かそうとした。だが、その行為は後ろからの飛来物が妨げた。後頭部にかすかな風を感じたのだ。反射的に振り返ると、道をあけた兵士の1人に弓を持ってまま呆然としているがいた。 確認のため後頭部を撫でるが特に負傷はない。
「えーっと、なるほど?」
(あいつが俺に向かって矢を放ったけど当たらなかったのね、なるほどなるほど)
「.....」
総司は全速力で逃げた。
攻撃された以上は悠長に歩いての移動は無意味だ。なりふり構わず大地を駆ける。
「...え?...はや!?」
地面を一蹴りしただけで総司が味わったことがない速さを味わう。2・3キロ先にあった森が、気付いた頃には目と鼻の先まで迫っていた。
明らかにおかしい。そんな思いが総司の頭の中を。森の中に入りながら後ろを振り返る。先ほどの兵団は追いかけてくる気配はない。一安心し安堵のため息をしながらも森の奥へ進んでいく。
「状況確認とかしねーとだろうけど....休みてぇ。」
普段、考えてることは口に出さない総司には珍しく、言葉が勝手に溢れていた。非日常による混乱とストレスによって心が乱れている証拠だ。
「おお!」
森を歩いて数十分後、今まで見たこともないような綺麗な泉を見つけ、感嘆のため息をつく。水鏡という言葉をそのまま表したような光景が広がっている。とても静かなところだ。水面は殆ど水平を保っていて揺らすのはそよ風のみであった。戦場の空気を拭うため泉で顔を洗おうと水面に顔を近づける。その時、水面に映る自分の姿に総司は驚愕した。
仮面を着けていたのだ。この地に落ちてから今まで素顔だと誤認するほど違和感がなかったので、この白一色の仮面の存在を認められなかった。さらに不可解な点はその仮面に穴が空いていないことだ。顎先から額まで顔をすっぽり隠している。なぜこんなものを着けて前が見えていたのだろうか、息苦しく感じなかったのだろうかと疑問に思うが、すぐに頭の片隅に追いやった。
「...うん、俺の顔だ。」
もしかしたら顔が変わっているのではないかという不安があった総司は、仮面を取りがその不安は杞憂に終わって安堵感に包まれる。戦場のど真ん中で起き上がってから自分の体にいくつかの違和感を覚えていた総司は、体中を確認した。
なぜ気づかなかったのだろう。穴に落ちる前に着ていたスーツのジャケットが黒のロングコートに変わっていた。腕には光を吸い込む黒い腕甲、脚にも同じく黒一色の鎧を纏っていた。それらは仮面と同じく、体の一部であるかのように違和感がなかったため、今までわからなかった。しかし総司自身、気づくのを恐れたため目を背けていたのかもしれない。そんなことを考えながら自身の確認を続ける。
ロングコートの下はTシャツにスラックスと以前と変わっていない。ネクタイはなかったが。
次に身体能力の確認だ。先ほどの尋常でない速さやここまできたのに全く身体的な疲労感が感じられない違和感に向き合うためだ。
総司は試しにその場で少し力を入れて跳んでみる。
「..おお!!」
泉近くにあった背の高い木のほぼ頂上の太い枝に飛び乗ることができた。
(でもこれ降りんのどうしよう)
下を除けば先ほどいた泉の畔は遠く、通常であれば木の幹にしがみついてゆっくり降りるところを、総司は...
しがみついて降りることにした。
(安全第一だよねー)
ゆっくり降りていく中で考えをまとめていく。
(つまり、変わったのは外見だけじゃなくて中身もだと、なるほどなるほど、それであの状況は完全に日本じゃないどこかで、戦争してるってことは近隣には国同士が二つかそれ以上あるってことか?)
ズルッ
「あ」
そんなことを考えていたので注意が散漫になっていたのだろう。総司は足を滑らせ頭から真っ逆さまに落ちていった。まだ地面から距離があったため大けがか最悪の場合死んでもおかしくない。
(やばい、死ぬ!!)
落ちることが多いなと状況に合わないことを考えながら恐怖で目をつぶる。
そして総司の背中が地面にぶつかる。
(あれ、痛くない?)
ゆっくりと目をあけた総司は目にした。そこの闇があることを。そしてその闇が自分の纏っているものであると。その闇は総司が着ているロングコートからにじみ出ていた。正確にいうとそのコート自体がまるで生き物のように蠢いていたのである。
しかし動いたのは一瞬ですぐにまたただのロングコートの形に戻る。普段だったらこの状況に恐怖を抱いていたかもしれない。動くはずがないと思っていたものがひとりでに動いたのだ。得体の知れない不可思議さは感じたが不思議と恐怖は薄かった。
「なんなんだこれ...」
総司はそのロングコート(?)を脱ぎ注意深く観察した。表面は黒一色で高級感のある良い肌触りであり質の良さがにじみ出ている。
まるで生きているみたいだ、そんな考えが先ほどから頭の中を駆け巡る。いつもであれば馬鹿らしいと一蹴できたが先ほどのひとりでに蠢くさまを見てしまった総司にはそうとしか考えられない。
そのようなことを考えているとに総司の頬を撫でるように闇が触れる。まるで総司の思っていることが読めるように。そしてその考えに肯定するように。
(やっぱり)
「お前はなんなんだ?」
好奇心から尋ねてみる。
その闇は自身を変形させ、ご丁寧にふりがな付きで名前を表した。
明闇
「へぇ」
予想以上に意思疎通が円滑に進むことに感嘆の声をあげる。
「明闇か。まるで...」
まるで厨二病みたいな名前だという言葉を止めた総司は一つのことに気が付いた。そして再び水面で自分の姿を確認する。穴が全く開いていない白の仮面、光沢のある黒い腕甲、そして最後に、蠢くロングコート。
総司はあまりの羞恥に青筋を浮かべながら頭を抱える。この姿形、存在を総司は知っている。なぜならばそれは彼が中学二年の、今思い返せば悶え苦しむような黒歴史時代に思い描いた、いわゆる「僕の考えた最強のキャラ」そのものになっていた。