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白紙の恋 九章

 旅館を去って一ヶ月、僕は自宅から近い工場で働いていた。

 

 突然自宅へ帰った僕に、母も妹も驚きこそすれ問い詰めは一切しなかった。


 むしろ優しく接してくれる。


 そのおかげか、事故以外の記憶も少しずつ思い出していた。


「お兄ちゃん、明日ちゃんと付き合ってよね」


 風呂上り頭を拭いている僕に恵が言ってくる。


「ああ大丈夫だよ。あれだろ、買い物に付き合えばいいんだろ?」


「何その面倒くさいなっていう顔は!ダメですな~、かわいい妹の頼みを笑顔で受け入れられない兄は」


 恵はふくれ面で文句を言ってきた。


「ごめん、ごめん。ちゃんと付き合うから許せよ」


「仕方ないな~。恵様は心が広いから許してあげるか」


 相変わらず偉そうな妹だ。


「それはどうもありがとうございます」


「わかればよろしい」


 いろいろあったけど、こういうやり取りをしていると安らげる。


 こんな自分でも、温かく接してくれる家族がいることで助けられていた。


 次の日曜日、約束通り恵と買い物に来ていた。


「お兄ちゃん、これとこれだったらどっちがいいと思う?」


 恵は色違いのワンピースを手に聞いてくる。


「う~ん、そうだな。これがいいと思うけど」


 僕は薄い水色の方を指差した。


「やっぱりこれだよね!さすがお兄ちゃん、わかっているわ~」


 大体の場合、僕に聞いてくるとき恵は答えを決めているときが多い。


「疲れたから少し休んでくる」


 僕は久しぶりの人ごみのせいか体がだるくなってしまっていた。


「大丈夫?一緒に行こうか?」


 普段は小生意気なことばかり言っているが、何だかんだ心配してくれる。


「いや、大丈夫だ」


 僕は軽い頭痛を感じながら近くのベンチに腰を掛けた。


 十分ぐらいだろうか、意識が心地良い眠りへ落ちようとしたとき、誰かに呼ばれ一気に現実へ戻される。


 まだ虚ろな目を擦りながら視線を上に向けていくと、会ってはいけない顔があった。


「愛さん……」


「開君」


 僕を見つめる目は涙で少し潤んでいる。


「会いたかった」


 愛さんの声がすごく弱々しく聞こえた。


 僕は黙って俯いてしまう。


 愛さんも黙ったまま僕の隣にゆっくりと座った。


 五分ぐらいお互いに無言が続く。先に口を開いたのは愛さんだった。


「辛かった。開君がいなくなったことを母さんに聞いて、何も考えられなくなった。しばらくは同じことばかり考えていたわ。どうしていなくなったの?って。それで気づいたの。開君がいつのまにか大きくなっていたのか」


 僕は涙声の言葉を黙って聞いていた。というか何も口に出来ないでいた。


「だから戻って来て欲しい。何か事情があるなら教えて欲しいの。私で力になれるなら何でもするから」


 愛さんが言う一つ一つの言葉が、例えようがないくらいに僕を苦しめる。


「すいません。あそこには二度と戻れません。それに戻る資格もありませんから」


「資格はあるわよ。ずっと頑張ってきたじゃない。お願い戻ってきて」


「本当にすいません。これで失礼します」


 愛さんを見ないようにすっと立ち上がる。


 呼び止める声が聞こえたが、決して振り返ることはなかった。


 いや振り返れなかったのだ。


 あの何よりも愛しい顔を見れば決意が揺らいでしまうし、その顔を僕が犯した罪によって醜くすることは何よりも苦しいから。


 だけど、愛さんは僕を逃がしてはくれなかった。


 彼女の手はしっかりと僕の手首を掴み離そうとはしない。


 その力の強さから気持ちが伝わってくる。


「ごめんなさい。辛いかもしれないけど、その答えじゃ納得出来ない」


 その瞳に捉えられた僕は観念し、さっき座っていたベンチに戻った。


 僕の隣で説明を待つ顔を見て逃げたくなったが、勇気を振り絞り言葉を音にしていく。


「実は……最近記憶が少し戻ったんです」


「え!よかったじゃない」


 全然良くないと思ったが、顔に出さないように続ける。


「それが……」


 それから僕は事故の事を記憶と琴美から聞いた事実を合わせて説明した。


 説明を聞き終えた顔は、絶望という言葉が張り付いたような顔をしていた。


「そんな……開君が彼を?嘘よね?」


 必死に否定しようとする姿を見て余計辛くなる。


「すみません。本当なんです。だから、愛さんの側にいることは出来ません」


「う、嘘よ……」


 予想していなかった事実に感情があふれ出し、愛さんは泣き崩れてしまう。


 隣で何も出来ない自分が情けなくなっていく。


 しばらくして泣き止んだ愛さんは、呼吸を整えながら口を開いた。


「ごめんなさい。混乱して何も言えない。たぶん、あなたを許すことも出来ないと思う」


「それが当たり前だと思います。だから気にしないでください。二度とあなたの前には現れませんから」


 本当は許してもらえたらどんなに楽だろうと思った。


 けれど、そんな自分勝手な思いは口に出せるわけがない。


 考えるだけでも最低なのに。


「それじゃ失礼します」


 これ以上はどんな言葉を並べても許しを請うようにしか思えなかったから、僕は一言を残してその場を離れた。


 今度は呼び止める声すら耳には入ってこない。


 僕は、トイレで顔を何度も洗ってから恵の元へ戻った。


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