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白紙の恋 七章

 早朝、カーテンから射す日差しが目に入り目覚める。


 まだ仕事までは時間があったので少し散歩しようと外に出た。

 

 十分ぐらい歩いて帰ってきたら、楓ちゃんが出勤してきたところだった。


「おはよう、楓ちゃん」


「おはようございます。開さん、どうしたんですか?朝早く歩いているなんて珍しいですね」


「なんか早く目が覚めちゃってね」


 ぼさぼさの頭をさり気なく整えながら楓ちゃんに近づいていく。


「そうなんですか。そうだ!今日は女将さんのケーキよろしくお願いしますね」


「ああ、大丈夫だよ」


 楓ちゃんは疑いの眼差しで僕を見てくる。


「な、何?そんな信用できないの?」


「ま、今回は開さんを信用してあげますよ」


「なんか偉そうだな」


 わざと不満そうな表情をしてみせる。


「ごめんなさい。冗談ですよ。信頼していますから」


 楓ちゃんは笑いながら肩を叩いてくる。


「なんかな~」


 楓ちゃんのおかげで気分が軽くなった。


「さあ!今日もがんばるぞ~」


 両手を大きく開きながら楓ちゃんは背伸びをする。


「よし!気合入れていくか」


 僕も背伸びをして気合を入れた。


 二人で背伸びをした後、楓ちゃんと別れ部屋に戻る。


 今日は事故のことが気になってあまり眠れてなくて辛かったが、特にいつもと変わりなく仕事を終えることが出来た。


 部屋に戻り、望さんにバレないように旅館を出る。


 僕は旅館の車に乗りケーキ屋を目指す。

 

 二十分後、目的のケーキ屋に着いた。


 僕は店に入り予約していたケーキを受け取る。


 店を出ようと振り返った瞬間、小さい男の子が目に入った。


 その子はキョロキョロしている。


 たぶん、横断歩道の向こう側にいる母親の元に早く行きたいのだろう。


 我慢できず、その子供は信号を無視して渡ろうと進み出た。


 子供が出たと同時にクラクションが聞こえる。


 びっくりした子供はしりもちをついて泣きじゃくった。


 信号が青になり駆け寄った母親が子供を抱く。

 

 その一連の出来事を見ていた僕は思わず固まってしまった。


 そして唾を飲み込んだ瞬間、今まで閉ざされていた記憶が津波のように流れ込んでくる。

 

 たった数秒なのにまるで何年も時間が止まっていたかのように感じた。


 背中には尋常じゃない汗が出ている。


「お客様大丈夫ですか?」


 明らかに様子が変な僕に店員が声を掛けてきた。


「ええ大丈夫です。すいません」


 必死に動揺を隠しながら店を出る。


 自分の脳裏に突如出てきた記憶。


 それが心臓を激しく締め付ける。


 背中に一気に噴出す汗を感じながら車に乗り込む。


 十分ぐらいたっても全く動けない。


 完全に止まっていた思考が前触れもなく鳴った携帯電話によって動き出す。


 慌てて通話ボタンを押し電話に出る。


「もしもし?」


「お疲れ様です。開さんケーキ買えました?」


 電話口から楓ちゃんの元気な声が聞こえた。


「お疲れ様。大丈夫だよ、今から戻るから」


「よかった。それじゃあ気をつけて帰ってきてくださいね」


「ああ、わかったよ。それじゃ後で」


 少し間をあけて電話を切る。


 電話を置き、まだ激しく心臓が鼓動していたが、我慢して車を出す。

 

 無心で運転をしていたら気づいたときには旅館に着いていた。


「開さん!こっちから入ってください。女将に見つかったら台無しですから」


 玄関から入ろうとしたら楓ちゃんに声を掛けられる。


「ごめん。間違えちゃった」


 様子がおかしいと思われないように普段より軽いノリで謝った。


「急いでください。時間ないですよ」


「ああ、わかった」


 僕たちは急いで従業員口から控え室へ入っていく。


 中に入るとパーティー仕様に内装が変えられていた。


「おう!開。ご苦労だったな。冷蔵庫に入れといてくれ」


 気のせいか文太さんがいつもより活気があうように感じる。


「わかりました」


 僕は言われたとおりケーキを冷蔵庫に入れた。


「ごめんね、開君。仕事で疲れているのに」


 申し訳なさそうに愛さんが寄ってきた。


「気にしないでください。愛さんや女将さんにはお世話になっていますから」


「ありがとう。じゃあ今日は開君たちに甘えるわ」


 いつもなら愛しい笑顔も、今は目を背けたくてたまらない。


「開さん!ちょっと手伝ってください」


 楓ちゃんの呼ぶ声に安堵しながら答える。


「わかった。すぐ行くから」


 僕は愛さんから逃げるように離れた。


「開さん。愛さんと何かありました?」


 思わず楓ちゃんを見て固まってしまう。


「いいや、何にもないよ」

 

 僕は慌てて否定する。


「そうですか?ならいいですけど。何か開さんの様子がおかしい気がして」


 楓ちゃんの顔は、本気で心配してくれているように見えた。


「ありがとう。大丈夫だから心配しないで」


「わかりました。でも辛いことは何でも言ってくださいね。これでも相談相手ぐらいにはなれますから」


 そう言うと、楓ちゃんは胸を軽く握った拳で叩く。


「おう頼もしいね」


「これでも旅館の仕事では先輩ですから」


「失礼しました先輩」


 二人同時に笑い出す。


 楓ちゃんにはいつも助けられている。


 この愛くるしい笑顔が、僕の心を和ませるのだ。


 三十分後、準備が整った。


「よ~し、これで大丈夫だな。おい!誰か女将を呼んで来てくれ」


 文太さんは皆に聞こえるように言った。


「私が行くわ」


 愛さんは、着物を纏めていた紐を解きながら答える。


「頼みます若女将」


「ええ。行ってきます」


 愛さんが出ると一瞬部屋が静まった。


「じゃあ皆、クラッカー持って待機だ」


 文太さんは用意していたクラッカーを全員に配っていく。


 僕たちは気配を消して愛さんたちを待つ。


 飲む息の音すら聞こえるぐらい静かになっている部屋に、二人の足音が近づいてくる。


「何なの?まだ仕事が残っているんだけど」


「ごめん母さん。すぐだから付きあってよ」


 部屋の前での会話が聞こえたかと思ったらドアがゆっくりと開いた。


 その瞬間、一斉にクラッカーの音が響く。


「きゃっ!え、何?」


 いつものしっかりとした姿とは全く違う女性らしい女将さんがそこにいた。


「誕生日おめでとうございます!」


 元気な楓ちゃんの声に続き皆が祝福の言葉を口にする。


「も~勘弁してよね。増えて喜ぶような歳じゃないわよ。文太さんまで張り切って、ほんと勘弁してよ」


 いろいろ言っているが、女将さんは何気に嬉しそうだ。


 それから二時間ほど盛り上がり、会は終わった。


「開君。ちょっといいかな」


 後片付けをしていると、女将さんに声を掛けられたので、手を止めふり返る。


「はい。何ですか?」


「ちょっといいかな」


「わかりました」


 女将さんは、文太さんに一言伝えて僕を裏庭まで連れて行った。


「掛けて」


 そう言って僕を座らせると、女将さんも座る。


「愛と何かあった?」


「え?」


 女将にまで見抜かれたので驚いてしまった。


「いえ、何となく感じたのよね。あの子は普通だけど、開君があの子を見る目がいつもと違う気がしたの」


「それは……。すみません。今は言えないです」

 

 言えない。


 言うとしたら愛さんに最初にいわないと。


「そう。変なこと聞いてごめんなさい」


「すみません……」


「わかったわ。これ以上は聞かないから。でも、自分一人で抱え込まないでね。あなたは春風の家族だから」


 立ち上がりながら言った女将さんの顔はとても優しい笑顔だった。


 それが余計に僕を心苦しくさせる。


「ありがとうございます。言えるときは言います」


「うん。いつでも甘えて来なさい」


 一人残された僕の頬に、冷たい夜風が当たる。

 

 愛さんや女将さん、旅館の皆に申し訳ない気持ちで一杯だ。


 打ち明ける勇気もなく、ここを去るのも寂しい。


 自分勝手過ぎて嫌になる。


 本当に卑怯者だ。


 愛さんを想うなら今すぐ出て行かないといけないのに。


「開さん。こんな所で何しているんですか?皆帰っちゃいましたよ」


 楓ちゃんが珍しくほろ酔いで声を掛けてきた。


「ああ、ごめん。ちょっと風に当たりたくて」


「するい!私も」


 足元がふらつきながら隣に座る。


「あ~。気持ちいい~」


 楓ちゃんは腕を両側に広げ風を気持ちよさそうに感じている。


「開さん!帰ってきてから変ですよ!」


 楓ちゃんはいきなり絡んできた。


「何が?いつも通りだよ」


 必死に平静を装う。


「嘘ですね。私はいつも開さん見ているからわかります」


 さっきとは違い真剣な顔つきにドキっとしてしまった。


「……。楓ちゃんには嘘はつけないな。でも、ごめん。これは自分で解決しないといけないから」


 僕の言葉を聞き、楓ちゃんの顔はすごく寂しそうになる。


「ふ~んだ。せっかく心配してあげているのに。開さんなんて知らない!一人で悩んでいればいいよ~だ」


 子供っぽい悪態をつきながら去っていく姿に、楓ちゃんなりの優しさを感じられた。


 ここの人たちは本当にいい人たちばかりだ。


 僕には勿体無い。


 本当に勿体無い人たちだ……。


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