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白紙の恋 六章

 琴美と約束した土曜日。


僕は駅前の喫茶店に来ていた。

 

 約束の時間より三十分程送れて琴美はやって来た。


「ごめん。仕事が長引いて」


 旅館に来ていたときと違い、スーツ姿の彼女は凛々しく見えた。


「いや大丈夫。休みでどうせ暇だから」


「そうか。あ、すいません。私もアイスコーヒーお願いします」


 琴美の前にカランと音をたてながらグラスが置かれる。


 琴美はグラスを手に持ち、二口ほど飲むとテーブルに置いた。


「さあ、何から話そうか」


 明るく努めているが、琴美は気が重そうな表情をしている。


「まず、私たちが付き合っていたのが高校一年から大学卒業までの七年間。


 あなたは大学に通ってなかったけど」


「俺たちは高校からの知り合い?」


「いえ。開とは小学生からの幼馴染なの。でも中学のときに開が引越しして、それで少し距離が出来たんだけど、高校で同じクラスになったのをきっかけに付き合いだしたの」


「そうなのか。それで別れた理由は何だったのかな?」


「それは……ある事故が原因なの」


「事故?」


「うん。あれは三年前。開が運送の仕事中のことよ」


 僕は詰まった喉を潤すため飲み物を口に含む。


 琴美は少し間を取ってから話を始めた。


「開が運転している前に男性が飛び出してきたの。その男性は道路に飛び出した女の子を助けようとしたみたい」


「もしかして轢いたのか?」


 琴美は少し間を置いて言葉を出した。


「うん。女の子は軽傷だったけど、男性は亡くなったわ」


「そうか……」


 重い沈黙が二人を包む。


「それで、男性には婚約者がいて。開は謝りに行ったけど、葬儀場に入れなくて。それで自分は罪から逃げた卑怯者だって責めて」


「俺が人を殺したのか」


 自分がやった事実に言葉を失う。


「私も就職したばかりで忙しくて。ずっと気まずい状態が続いて。それで、二年前の夏頃に別れたの」


「わかった。ありがとう話してくれて」


「あと、言いづらいんだけど」


「何?」


 琴美は話していいのか迷っている様子だ。


「あのね。私もこの前は気づかなかったんだけど。家に帰って事故の記事をネットで調べたの」


「それで?」


 僕は容赦ないマスコミのように問う。


「男性には婚約者がいるって言ったでしょ。その婚約者が若女将の新田愛さんなの」


「え?」


「だから……開が轢いた男性はあの人の婚約者で、旅館の支配人だった杉田剛さんよ」


 琴美の口から聞いた言葉は表現できない衝撃だった。僕は嵐にでも飲まれたように頭が混乱していた。


「開、大丈夫?」


「ああ。大丈夫」


 返事をした瞬間、前に見た喪服姿の愛さんがはっきりと映像に浮かんだ。


「すまないけど、このことは俺から話すから黙っていてくれないか?」


「わかった」


「じゃあ。今日はありがとう」


 僕は伝票をむしり取るように掴み、逃げるように店を出た。


 まさか、自分と愛さんがそんな過去でつながっていたなんて。


 それも最愛の人を奪っている最低な人間。


 決して逃げられない真実が僕の胸を串刺しにする。


 僕は旅館の前で呆然と立っている。


 琴美から話を聞いて、どんな顔をして愛さんに会ったらいいかわからないでいた。


「開君?どうしたの?ボーっとして」


 噂をすればではないが、一番顔を合わせたくない人が後ろに立っている。


「いや何となく……」


「そう。でも、元気ない気がするけど」


「そうですか?気のせいですよ」


 そうは言ったものの、誰が見ても一目瞭然のから元気だ。


「嘘はよくないな~」


 愛さんはそう言うと、僕の目の前に顔を近づけ変顔をしてきた。


 僕はつい噴出してしまう。


「よし!笑ったね」


 愛さんにペーズを持っていかれてしまった。


 今は笑ってくれているけど、記憶が戻ったらどうなるだろう?


 きっと憎まれるよな。


 当たり前だ。


 愛さんにとって大事な人を僕は奪っているから。


 このまま旅館にいたらいけない。


 これ以上愛さんに傷を増やすわけには……。


「何しているの!ここがあなたの家でしょ」


 愛さんは満面の笑顔で手招きしている。


 僕は鉛のように重く感じながら歩みを進めた。


「本当にどうしたの?今日はおかしいわよ」


「ええ……。琴美と会って来たんですけど、いろいろ昔のことを聞いて疲れたんだと思います」


「そう。あまり記憶に関して進展はなかったの?」


「それは……」


 僕は言葉に詰まってしまった。


 とても愛さんに事実を言う勇気はない。


 はっきりと思い出しているなら謝罪に対して気持ちが入るが、今の僕は否定したい気持ちの方が強いのだ。


 明らかに様子が変なことに気づき、愛さんは質問をやめてくれた。


「いろいろあるだろうけど、気をあまり落とさないで」


 本当に心配そうな顔で愛さんは言ってくる。


「はい。ありがとうございます」


「うん。じゃあ今日はゆっくり休みなさい」


「じゃあ、お休みなさい」


「お休み」


 僕たちは別れを交わすと、お互い部屋に戻っていった。




 愛さんと別れて自分の部屋にいた僕は、これからのことを考え込んでいた。


 どうするか?辞めるにしてもちゃんと愛さんに言うべきだよな。


 全く思考がまとまらず髪を掻き毟る。


 思い出したくないけど、思い出さないことには先に進めない。


 ただ、進んだとしても結果は最悪なものしか浮かばない。


 愛さんに対しての気持ちがあるからこそ言わないと。


 言ったときに目の前にある顔を見るのが恐い。


 失望、嫌悪、軽蔑、様々な負のものが織り交ざった感情があの美しい顔をどんなものにするだろう。

 

 そんな思考の迷路に迷っていたら、いつの間にか空は薄暗くなっていた。

 

 僕は立ち上がり部屋の電気を点ける。


 また座って考え事をしようとしたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。


「はい」


「開、ちょっといいか?」


 いつもながらの渋い感じで文太さんが声を掛けてきた。


「はい。少し待ってください」


 まずい物が部屋に落ちていないか確認してドアを開ける。


「おう。休みに悪いな」


 文田さんが片手を顔の前にやりながら部屋に入ってきた。


 僕は、文太さんに座布団を差し出し自分も座る。


「いやな、明日ちょっと行って欲しい場所があるんだ」


「え?別にかまわないですけど、どこですか?」


「おう。明日は女将の誕生日なんだ。だからケーキを買ってきて皆で祝おうとなってな。それを買いに行ってほしい」


「そうだったんですか。それなら喜んで行きますよ」


「すまないな。そういうことで頼むわ」


 文太さんはそう言いながら立ち上がる。


「わかりました」


「じゃあな」


「お疲れ様です」


 挨拶を交わすと、文太さんは静かにドアを閉めた。


 僕は一息つきながらベッドに横たわる。


 完全にどうしていいかわからなくなっていた。


 記憶がない状態だから事故のこともちゃんと説明できないし。


 でも、このままというわけにも。僕はどうしたらいいのだろう?

 

 文太さんがいなくなってから一時間ぐらい考えた末、もう少しだけこのまま働くことにした。

 

 やっぱり、記憶が戻って自分で整理できてから話すべきだと思ったから。


 どうしても思い出せないときは事実だけでも伝えて辞めよう。


 自分でもはっきりしない結論に引っ掛かっていたが、今は流れに任せることにして眠りについた。


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