白紙の恋 四章
七月下旬。
外は真夏と嫌でも感じるほどになっている。
「開さん!ちゃんと荷物持ちました?」
浴衣姿の楓ちゃんが声を掛けてきた。
「ああ大丈夫だよ。愛さんは?」
「もう少しで来ると思いますよ。あ!愛さん早く~」
楓ちゃんが声を掛けた先に目線を向ける。
僕は思わず見とれてしまった。
「どうかした?」
浴衣姿の愛さんが顔を覗き込みながら聞いてくる。
何というか、いつもの和服とは違う美しさがあって見とれてしまった。
「開さんって、本当にわかりやすいな」
意味深な笑みを浮かべた楓ちゃんが、僕の脇腹を軽く肘で突いてくる。
「何が?」
「わかっているくせに」
「何よ、二人とも」
「別に何でもないですよ。ねえ開さん」
「ええ。気にしないでください」
「変なの。まあいいわ、行きましょう」
今日は三人で花火大会を観に行くことになっている。
ただ遊びだけでなく、自治会の付き合いも兼ねてだが。
そんな楓ちゃんにからかわれながらも花火大会の会場に着いた。
「うわ~。今年も人多いな。開さん!愛さんを離したら駄目ですよ」
「ああ。気をつけるよ」
「ちょっと楓ちゃんたら。私だって立派な大人だからね」
「そういうことじゃないのに。ねえ開さん」
「どういう意味よ?今日は何か変よ」
「まあまあ細かいことは気にしないで。あ!二人ともごめんなさい。友達がいたので私は別行動で。では失礼します」
楓ちゃんはあっという間に友達の下へ駆け寄っていった。
「あ!コラ楓ちゃん!もうあの子ったら」
愛さんは呆れ顔で腕組みをしている。
「ふ~。ごめんね、開君。二人だけど我慢して」
「い、いえ我慢なんて。じゃあ徳さんの所に行きましょうか」
僕は内心嬉しかったが、言葉を慌てて取り繕って誤魔化す。
「そうね。行きましょうか」
二人の間に微妙な気まずい空気が流れてしまう。
とにかく、花火大会の実行委員がいるテントに僕たちは向かった。
テントに着くと、徳さんはうちはで自分を扇いでいた。
「おお~来たか二人とも。あれ?楓ちゃんは来てないのか?」
「いえ一緒に来たけど、友達と楽しむからって行っちゃったの。挨拶もしないでごめんなさいね」
「いやいや気にするな。だが、あの楓ちゃんも気が利くようになったか。よかったな、開君」
徳さんは愉快そうな顔をしている。
「おじさんまで何を言っているの。からかったら開君が気まずいじゃない」
愛さんが父親にすねた子供のような表情をしながら言う。
「別にからかっちゃいないよ。開君にいいことがあったから言っただけだ」
「ったく。まあいいわ。開君、行きましょう。じゃあね、おじさん」
「おう二人とも楽しんできな」
徳さんはうちわを振って僕たちを見送る。
「ごめんね、開君。おじさんまで変なこと言っちゃって」
「いいえ。愛さんだったら大歓迎ですよ」
僕がそう言うと、愛さんはゲラゲラ笑いだした。
「ごめんね。開君って、恥ずかしいこと平気で言えるなって思ったから」
「そうですか?普通に思っただけですけど」
「そうだろうけど、遠まわしに告白されているみたい」
言われて急に恥ずかしくなってきた。
「そう言われると、何か馬鹿ですね僕」
「でも、そういう所が開君らしいかな」
「じゃ、じゃあ、は、花火観に行きましょうか」
誰が見てもわかるぐらい慌ててしまう。
「そうね。行きましょう」
花火が見えやすい位置まで歩き、少し距離を開けて座る。
愛さんは、さっきのやり取りなど気にしないという風に口を開く。
「これは楓ちゃんに聞いた話だけど、この花火大会は縁結びで有名だって」
「そうなんですか?」
僕は恥ずかしくて知らないふりをした。
「ええ。でも、今年は私でごめんなさいね」
「いえ。実は愛さん……」
ドド~ン!僕の言葉を遮って盛大な花火が綺麗に夜空を飾っている。
「綺麗だわ。不思議な感じがする。初めてのようだし、すごく懐かしい感じもする」
「本当にすごく綺麗ですね」
しばらく僕たちは黙って花火を眺めていた。
ふと横を見る。
暗闇の中照らされる顔はとても美しくて、ついついじっと見つめてしまう。
視線に気づいた彼女がこちらを見る。
「どうかした?」
僕は気づいた。
今まで記憶がないことを理由にして、気づかないふりをしていた気持ちに。
それは愛さんを知れば知るほど、いや初めて会ったときから好きだという想い。
自分がわからないのに好きになっていく。
そんな不安もあって今まで隠してきた気持ち。
だけど、この想いは言えない。
「いや、本当に花火が綺麗だったので」
「ならよかった。私もだけど、開君も記憶がなくて大変だと思うから。今日ぐらいは楽しんでほしくて」
「ええ、辛いことなんて忘れてしまいます。そうだ!全部忘れているんでした」
二人してふきだして笑い出す。
「も~開君ったら。冗談にならないわよ」
「ごめんなさい。でも、今日は本当に楽しいです」
「私も。何だかんだ言って必死だったから。記憶がないことがこんなにも辛いとは考えてなかった。だから少し休憩したかったの」
僕も同感だった。
記憶がなくても自分は自分と思っていたが、そんな優しいものではなかった。
仕事を失ったこともそうだが、家族との温かみを感じられても、実際の記憶がないことですごく遠くに感じてしまう孤独。
記憶を失ったことで、歩んできた日々がどんなに辛くても、何より大切だということを学んだ。
「僕とで大丈夫でしたか?」
「うん。むしろ開君でよかった」
二人とも自然と笑顔になる。
僕たちはしばらく花火を眺めた。
最後の花火が打ちあがり、周りが帰りだしても愛さんは動こうとしなかった。
僕が思い切って切り出すと、愛さんは寂しそうに腰を上げる。
「何かあっという間に終わっちゃったね」
「そうですね。でも、今日は本当に来られてよかったです」
「うん。私もよかった。ただ花火観ただけなのに、気持ちが軽くなった気がする」
「僕もそうです。何か吹っ切れた感じです」
今は言えないけれど、自分を取り戻したときに愛さんに想いを伝えよう。
花火を一緒に観ただけなのに不思議だ。
愛さんへの気持ちが一気にはっきりとしたものになった気がする。
「開君もならよかった。それじゃあ帰ろうか」
「はい。帰りましょう」
そう言うと、僕は自然と手を握っていた。
愛さんは軽くびっくりしたが、すぐに笑顔になった。
「はぐれるとまずいですから」
僕は言い訳しながら握る力を少し強める。
直接言葉で伝えてはいないが、お互いに気持ちが通いあった気がして、気づけば僕も笑っていた。
それから二人とも黙ったままで旅館に戻った。
旅館に着くとすっと愛さんが手を離す。
「今日はいろいろありがとう。本当に楽しかった」
「僕も楽しかったです。それじゃ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
互いに言葉を交わすと、少し間をあけて愛さんが歩き出す。
愛さんは一度恥ずかしそうに振り返りながら手を振る。
僕も振り返すが、すぐに姿は見えなくなってしまう。
僕はじっと空白の場所を見つめたまま立っていた。
しばらくして、古い壁掛け時計の音が鳴り意識がしっかりとなる。
部屋に戻り、横になって一日を思い出した。
ついつい笑顔になりながら眠りに落ちていく。