白紙の恋 三章
家を出て、住み込みを始めて早くも三ヶ月が経っていた。
僕は仕事にも慣れ、皆とも仲良くなれていた。
「お~い。すまないがこっちも手伝ってくれ開君」
「はい。今いきます」
今日は、花火大会の準備を手伝いに来ていた。
「悪い開君。今年は人手が足りなくて困っていたんだ」
「気にしないでください。徳さん」
この人は徳さん。
旅館がある地域の自治会長だ。
「頼りがいがあるよ」
「ありがとうございます」
「ところで、仕事は慣れたかい?」
「まあ何とか。ちょっときついときもありますけど」
「なら良かった。いろいろ大変だろうが、望ちゃんたちを助けてやってくれ」
徳さんは、望さんと幼馴染で兄弟のように育ったらしい。
「いや、僕が助けてもらっているので。だから恩は返したいです」
「まあ気負いせずにやりなさい」
「はい。自分なりにやっていきます」
この地域で行われる花火大会には伝説があるらしい。
よくある恋人どうしの話。
昔から、花火大会のときに告白をすると、強い絆で結ばれるというもの。
と言っても僕には関係ないけれども。
「開くん~。お昼にしましょう」
振り向くと、愛さんが弁当を持って手を振っている。
「は~い。ちょっと待っていてください」
このやり取りだと恋人同士みたいだ。
だけど、愛さんには忘れられない人がいるから脈はないかな。
実は、二年前まで愛さんには恋人がいた。
彼は旅館で支配人を任されていて、公私共にパートナーになるはずだった。
だが、取引の帰りに交通事故に遭い帰らぬ人となってしまったのである。
記憶の件といい、神様は愛さんにひどすぎる。
「お疲れ様。どう調子は?」
愛さんは、水筒に入ったお茶を渡しながら聞いてくる。
「だいぶ慣れてきました」
乾いた喉に冷たいお茶が気持ちいい。
「ここの花火大会、本当に綺麗らしいから楽しみにしときなさい」
楽しそうに言っているけど、愛さんはとても悲しそうだった。
記憶はないけど、亡くなった彼を考えているのだろう。
しかし、愛さんからの答えは意外なものだった。
「何だか最近ね、記憶がなくなって安心している私がいるの」
「安心ですか?」
「ええ。お医者様が言っていたでしょ。私にもあなたにも辛い過去があるって」
「確かに。それが原因とも言っていましたよね」
「そう。だからってわけでもないけど。ないならないで、白紙のページみたいでいいじゃないかって。母さんたちのことが思い出せないのは残念だけど」
「愛さんが言いたいことわかる気がします。僕も、辛いものなら目を向けなくてもいいかなって。それに、記憶はなくても家族といると落ち着けましたから。ただ逃げているだけかもしれないけど」
「別に逃げてもいじゃない。自分の人生なんだから。立ち向かえるようになったら向かっていけばいいのよ」
「そうですね。何か気持ちが軽くなりました」
「よ~し、いい子だ」
愛さんは僕の頭を強く撫でる。
「ちょっと愛さん!痛いですって」
「ごめん、ごめん」
愛さんは必死に笑いを堪えている。
「不思議だわ。開君といると、昔から弟がいるみたい」
「僕も、愛さんをずっと知っている気がします」
本当に昔から知っている気がした。
前に見た喪服姿の彼女を思い出す。
あれは気のせいじゃないのか?
「どうしたの?難しい顔して」
「いえ、何でもないです」
「ならいいけど。じゃあ行くわね。怪我だけは気をつけさないよ」
「わかりました。愛さんも気をつけて帰ってください」
「ええ。じゃあね」
愛さんは、一度だけこちらに手を振って帰っていった。
その笑顔は本当に綺麗で見とれてしまう。
「な~にニヤニヤしているんだ?愛ちゃんに惚れたか?」
いつの間にか徳さんが後ろに立っていた。
「おお!何ですか徳さん。びっくりしたじゃないですか」
「ほ~。声を掛けたのが聞こえないほど愛ちゃんに夢中だったか」
「いや、そうじゃなくて」
「冗談だよ。まあ、愛ちゃんもまんざらじゃなさそうだけどな」
「徳さん!」
「ははは。あ~、面白い」
徳さんは、子供がいたずらを成功させたような笑顔をしている。
「全く~勘弁してくださいよ」
僕は気を取り直して作業に戻った。