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4 アルノルド、危機一髪

 

 

 

 真夜中を過ぎ、盛り場の店々からもようやく灯りが消え、辻馬車もそろそろ店仕舞いという時刻。

 中央駅からスヴァット川方面へと幾らか道をくだった先、かつて町外れだったこの辺りには、年季の入った低層住宅がみつしりと建ち並んでいる。路傍に立つガス灯の数が少ないせいもあって、周囲一帯は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 その中の、旧城壁を利用した古くて堅牢な建物の前に、アルノルドは立っていた。

 門扉の表札には、『ディアナ救護院』と記されている。ここが、カタリナが足繁く通っているという、親無し児を保護し養育するための施設だ。


 アルノルドは、ごくりと唾を呑み込んだ。

 警備隊の北四番詰所には、ヴェー宛てに、合流できない旨と、捜査をよろしく頼むと記した手紙をことづけた。あとは、自分にできることをやるまでだ。

 通用門を見つけ、アルノルドは敷地内へと足を踏み入れた。狭い前庭をぐるりと見回してから、どこか施錠されていない入り口が無いか、寝静まった母屋に近づいていく。


「動くな」


 後頭部に押しつけられた銃口の感触よりも、一切の気配が感じられなかったことに驚いて、アルノルドは大きく息を呑んだ。額に、背中に、冷や汗がどんどんふき出してくるのを自覚しながら、両手をそっと掲げる。


「アルノルド・サガフィだな」


 思ったよりも若い、男の声だった。


「シルキャの森で撃ってきたのは、お前か」

「質問しているのはこちらだ」


 答えないということは、恐らく「是」ということなのだろう。口の中に溢れ出してきた唾を何度も嚥下しながら、アルノルドは静かに口を開いた。


「そうだ、と言ったら、殺すのか」


 背後の男は、返事の代わりに銃を強く押しつけてきた。


「そのまま、ゆっくり前に進め」


 一歩、二歩。その次の一歩で反撃を試みようとした瞬間、アルノルドの耳元を不吉な囁きが震わせた。


「余計な真似をすれば、『お友達』が先にあの世に行くことになる」

「どういうことだ」

「言葉通りの意味だ」


 この男が何をするつもりなのかは分からないが、これ以上、他人を巻き込むわけにはいかない。アルノルドは、唇をきつく噛みしめた。


 


 


 裏口と思しき扉から建物の中に入らされたアルノルドは、真っ暗闇の中、地下室へと(いざな)われた。

 男の指示に従って、奥のほうの扉をあければ、ランプの灯がアルノルドを出迎える。

 部屋の中には、二つの人影。一つは、夕刻大通りで見た栗色の髪の才媛。そしてもう一つは……。


「ヴェー! どうしてこんなところに?」


 親愛なる警備隊分隊副長は、椅子に座った状態で手足を拘束されていた。森で別れた時のままの服装で、シャツのあちこちが酷く汚れているのが、ランプの頼りなげな光でも見て取れる。

 驚くアルノルドの背中から、銃口の感触が消えた。だが、ヴェーの頭に拳銃が突きつけられている以上、抵抗はできない。アルノルドは、(ほぞ)を噛む思いで、両手を後ろ手に縛られるがままに任せた。


「面目ない、油断した。森で狙われていたのは、お前じゃなくて俺だったんだ」

「どういうことだ?」


 アルノルドの問いを遮るように、カタリナが口を開いた。


「セリノ、ご苦労さま。隣で待っててくれる?」


 まるで、小鳥のように可憐な声だった。

 セリノ、と呼ばれた深茶の髪の青年は、アルノルドの両足をも括ったのち、全てのいましめを何度も確認して、それでもまだ心配そうに眉をひそめる。


「お嬢様お一人で大丈夫ですか?」

「何かあったら呼ぶもの」


 忠実なしもべが扉の向こうに消えるのを見送ってから、カタリナは改めてアルノルドのほうへ向きなおった。数刻前に劇場前で見た時と同じ、人々を魅了してやまない優雅な笑みを口元に浮かべる。


「どこに招待状を出せばよいか分からなくて、困っていたのよ。そちらから来ていただけて嬉しいわ」


 そうして、彼女はすぐそばの机に拳銃を置くと、スカートの裾を少し持ち上げて、恭しくお辞儀をした。


「改めて、初めまして。私はカタリナ・エクウェ。以後お見知りおきを」


 


 カタリナの完璧な挨拶に対し、アルノルドは反射的に礼を返しそうになった。が、両手両足を縛られたこの状態で余計な身動きをとれば、即、転倒してしまうだろう。おさまりの悪い心地を誤魔化すようにして、アルノルドは本題を切り出した。


「エクウェ辺境伯の不正の証拠は、ここにあるんだな」


 カタリナは、手を口元にやると、あら、と目を見開いた。


「馬鹿の域に達する石頭、って伺っていましたけど、どうして、あなたのほうがずっと賢いじゃない」


 にっこり微笑むカタリナの傍らで、ヴェーが歯ぎしりせんばかりの表情を浮かべる。


「アンタが一番の黒幕だと知っていたら、俺にだって分かったさ」


 そんな些末なことに噛みついている余裕があるのなら、何か打開策を考えてくれ。アルノルドがそう胸の内でぼやいていると、カタリナがぼそりと呟いた。


「不正、なんかじゃないわ。当然の権利よ」


 音調を少し落とした声で、カタリナは話し始めた。


「あなたがたは、石炭をどうやって採るかご存じ? まさか、噴泉のように石炭が湧いて出てくるなんて思ってやいないでしょうね。採れば採るほど、竪坑は深く、採炭にかかる費用は増えていく。湧き水や落盤に悩まされ、放棄せざるを得なくなった坑が幾つあるか、あなたがたはご存じなのかしら?」


 穏やかな声音とは裏腹に、カタリナのこぶしが固く握りしめられた。


「汽車は勿論、オーブンも暖炉もガス灯さえも、石炭がなければ使えないわ。そればかりか、鉄を作るにも、延ばすにも、石炭は要る。色んな機械を作ることができるのも、それらを動かすことができるのも、全て炭鉱業のおかげなの。この国は、いえ、世界は、私達の肩にかかっているのよ。もっと、もっと、石炭を掘らなければならない。だから――」


 ランプの光を映して、カタリナの碧の瞳が煌めく。


「――だから、お金が必要なのよ」


 一切悪びれることなく、カタリナはきっぱりと言い切った。

 なるほど、彼女達には、彼女達なりの言い分があるのだろう。一概に断罪することはできないのかもしれない。

 だが、しかし。

 今は、そういった社会的な問題を議論している場合ではない。アルノルドは静かにカタリナに問いかけた。


「それで、我々をこんな目に遭わせて、お前達は何をするつもりなんだ」

「あなたがテレンスで、余計な紳士ぶりを披露なさらなければ、あなたがたの命を奪う必要もなかったのですけれど」


 頬に手を添え、残念だわ、と小首をかしげながら、カタリナは恐ろしい言葉を吐き出していく。


「救護院に隠れていた窃盗犯が、自分を逮捕しにやってきた警備隊員を返り討ちにしたものの、逃げ切れずに自害。といったところかしら」


 俺が余計なことをしようがするまいが、ヴェーが先に殺されるんじゃないか、と、アルノルドは内心で文句を言った。森での一件も、目的は同じだったのだろう。

 くそったれ、と吐き捨てるヴェーに、カタリナが、さも意外そうに眉を上げた。


「あら、そもそもあなたが悪いのよ。アルノルド・サガフィを逃がしさえしなければ、死ぬのは彼だけで済んだはずだったのに」

「だーかーらー、俺はともかく、アルを殺せば、殿下が悲しむぞ!」


 その瞬間、カタリナが勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あなたも聞いていたでしょう? 殿下が、窃盗犯がアルノルド・サガフィかもしれない、とお聞きになったのちに、なんと仰ったか。庇うどころか、『捕まえよ』と仰ったのよ。違って?」


 ヴェーが唇を噛んだ。


「東の空に雲が立ちこむのを見ては、ラスパスの天気を心配なさり、内務省の方を見かけられるたびに、東部の動向をお尋ねになり……。気高く美しい我が君が、こんなにも心を砕いておられるにもかかわらず、当人は一年もの間、一通の便りすらよこさない。その報いを受ける時がきたのよ、『ルノ』!」


 カタリナは、そう高らかに言い放つとともに、両手を大きく振り広げた。


「そう、殿下はあなたよりも、この私を選んでくださった!」


 歓喜の声が、ランプの光とともに部屋の空気を揺らす。

 アルノルドは深く溜め息をついた。


「何故、どちらか一方だけを選んでいただかなければならないんだ?」


 刹那、カタリナがたじろぐのが、アルノルドには分かった。


「殿下が貴女に求めておられたものは、私に求めておられたものとは違うはずだ」

「うるさい、うるさい! セリノ、来て!」


 カタリナが叫ぶと同時に、部屋の扉が開いた。

 戸口に現れたのは、さっきの青年よりも華奢な影。軽い靴音とともに、胡桃色の上着の裾をひるがえして、一人の少女が部屋の中に入ってきた。


「ど、どうして……」


 カタリナが、限界まで目を見開き、一歩あとずさる。

 アルノルドは、大きく息を吸うと、静かに言葉を吐き出した。

「殿下が、私を捕まえろ、と仰ったのは、私のことを信用なさっているからだ。()()()()()()?」

 少女の口元に、悪戯っぽい笑みが浮かび上がった。


「ルノが盗人ならば、定めし私は大盗賊団の頭領といったところか」


 肩にかかる赤い髪が、ランプの光を受けてきらきらと波打つ。名工が筆を入れたかのような柳眉に、ガラス細工もかくやの双眸、整った鼻筋に完璧な唇。だが、この人形のようなかんばせは、彼女の本質を表してはいない。

 勝気な眼差しで剣をふるう戦乙女、カラント王国次期国王、ロニア・ウルス・カラントは、威風堂々たる態度でカタリナと対峙した。


「相手はあの、アルノルド・サガフィだ。どうせ、調べさえすればすぐに身の潔白は明らかになるだろう。だから、まずは捕まえよ、と申したのだ」


 ロニーの言葉が終わりきらないうちに、カタリナが、机の拳銃に飛びついた。


「よせ!」

「やめろ!」


 アルノルドが、ヴェーが、口ぐちに叫ぶ中、カタリナは泣き顔とも笑い顔ともつかない表情を浮かべると、銃口を自らの頭に押しつける。

 撃鉄の降りる音()()が、部屋の空気を揺らした。


 


「先に確保した男が、それは空砲だと言っていた」


 ロニーが静かに言った。「『お嬢様は、誰も傷つけてはおられません。そして、これからも、傷つけることはありません』と、な」

 カタリナが、嗚咽とともにその場に崩れ落ちる。


「カタリナ、あなたのこと、本当の姉のように思っていた」


 かち色の制服を着た警備隊員達が、雪崩を打ったように部屋の中に入ってくる。

 入り乱れる靴音に交じって、カタリナの泣き声がいつまでも響いていた。


 


 


 


「石炭の価格については、大蔵卿を中心に専門の委員会を設置することになるそうだ。供給量と消費量を一度しっかり調査し、国全体で採炭方法について考え直す必要があるだろうな」


 翌々日、ヴェーとともに王宮に呼び出されたアルノルドは、ロニーに中庭に新しく作ったという運動場を見せびらかされた。どうせこのあと手合わせを求められるのだろうな、と、半ば諦めながら、今回の件についての大雑把な顛末を拝聴する。

 ロニーの話が一通り終わったところで、ヴェーが不思議そうにアルノルドを振り返った。


「そういや、アル、お前はどうして彼女が黒幕だと分かったんだ?」


 救護院の地下室で、心底悔しそうに歯ぎしりをしていたヴェーを思い出し、アルノルドは思わず口の()を上げた。


「あれだけ聡明で多才な人間ならば、父親の不正に気づかないわけがないだろう? なのに父親を諌めようとしていない、ということは、協力者なのではないか、と考えた。それも、かなり主要な位置の」


 ヴェーは、しばし呆然とアルノルドを見つめたかと思えば、やがてがくりと肩を落とした。


「ああ……、よもや石頭野郎に固定観念を指摘されるとは思わなかった……。そうだよ、所詮は女だしな、って甘く見てたさ、コノヤロウ……」

「それを私の目の前で言うか」


 ロニーが、暗い瞳で両手を腰に当てる。

 ヴェーは慌てたふうもなく、「だって、なあ」とアルノルドを見やった。そう、ロニーの身分を知るまで彼女の性別を勘違いしていたのは、アルノルドだけではなかったのだ。

 ロニーの機嫌が本当に斜めに傾く前に、と、アルノルドは慌ててヴェーの台詞のあとを続けた。


「殿下だからこそ、ですよ」

「全く、調子のいい奴らめ」


 きらり、と光ったロニーの視線の意味に気づいて、二人は顔を見合わせて溜め息をついた。


 


 


 剣術の練習を終えた三人が、木陰のベンチで休憩をとっていると、ロニーが事も無げに口を開いた。


「ところで、ルノ」

「何でしょうか」

「去年も言った近衛師団の件なんだが……、やはり来年まで待たねばならんのか」


 その言葉を聞き、アルノルドの胸は一気に熱くなった。

 ロニーが、この自分を必要としているということ。折角の御心を突っぱねたばかりか一年もの間不義理を重ねたアルノルドを、待っていてくれたということに、彼は天にも昇る心地だった。

 とは言え、真の「王の騎士」となるためにも、ここで道を曲げるわけにはいかない。苦渋の思いで、アルノルドは(こうべ)を垂れた。


「はい、あと一年、責任を果たすことをお許しいただければ」

「許すも許さないも、どうせ誰が何を言おうと聞く耳を持たぬくせにな」


 こんな投げやりな口調で話すロニーを見るのは、アルノルドには初めてのことだった。やはりこの年頃にとっての一年間は、とても長いものなのだな、と、しみじみと感じ入る。

 と、ヴェーが何を思い出したのか、いきなり「そうだ」と両手を打った。


「殿下、こいつが一年間音沙汰なしだったの、親父さんへのあてつけだったんですよ」


 側面からの奇襲攻撃に、アルノルドは一瞬言葉を失った。


「ほら、こいつ、ずっと王都から出たことなかったでしょう? 『遠い異郷でいつまでもつか分からんが、困ったことがあれば連絡するといい』なんて、いつになく親父さんに優しい言葉をかけられて、それで、意地でも連絡するもんか、って……」

「ヴェー、なぜ知っている?」


 喘ぐように息をつくアルノルドに、爽やかな笑顔で応えるヴェー。


「サガフィ侯から直接聞いた」

「ということは、侯爵に、帰ってくるな、と言っていただくと、ルノは帰ってくるということか」


 ロニーまでもが、すっかり上機嫌で身を乗り出してくる。

 アルノルドは思わず天を仰いだ。


「『どうせあやつは、融通のきかない杓子定規な人間ですからな。申し訳ありませんが、殿下には、あやつが納得するまで寛大なお心で見守っていただければ……』こんな感じかな。どうだ、アル、すぐにでも帰ってきたくなったんじゃないか?」

「じゃあ、ちょっと侯爵を呼んでこようか」


 そう言うなり、ロニーが軽やかにベンチから立ち上がる。


「ロニー!」


 夢中で叫んで、それからアルノルドはハッと口に手を当てた。あんなに「殿下」呼びを練習してきたというのに、こんなところでうっかり口を滑らせてしまうとは、なんたる不覚、と。

 ちらりとヴェーのほうを見やれば、これ以上はないというほど見事なニヤニヤ笑いが、目に飛び込んできた。どうせ、情勢の変化に対応しきれていない石頭、とでも思っているに違いない。

 場を仕切り直すべく、アルノルドは咳払いをした。そうして、恭しくロニーの御前にひざまずいた。


「一年間更なる研鑽を積んで、ロニア殿下に相応しい臣となって帰って参りますので、どうかそれまでお待ちいただけますか」


 さやさやと頭上の木の葉が揺れ、芝生の上を波が走っていく。中庭を吹き渡る春の風に、先刻の手合わせで身体に籠もっていた熱が、あっという間にはらわれていった。


(おもて)を上げよ」


 木漏れ日に照らされ、ロニーの白磁の頬がほんのり赤みを増して見える。


「全く、調子のいい奴め」


 苦笑とともにそう呟いてから、ロニーは「分かった」と鷹揚に頷いた。


「お心遣い、痛み入ります」

「いいや、これは配慮ではない、敬意だ」


 昔から変わらぬあの勝気な瞳が、正面から真っ直ぐにアルノルドを射抜く。

 やはり、この方には敵わない。アルノルドは心からそう思うと、今ひとたび主君の前に膝を折った。

 

 

 

    〈 完 〉


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