9 ◆鬼ごっこ◆開始
真央は3階にある3年A組の教室に入った。机の下を確認し、掃除用具入れに手を伸ばした。そこで、中から荒い息が聞こえた。
真央は一瞬躊躇ったが、開けた。すると、中にはカッターを持った荒木が現れた。真央は1歩下がったが、勇気を出して手を伸ばした。
「何してるの?一緒に行こう。さっき逃げないって言ったじゃない」
すると、いきなり荒木は自分の腕にカッターを近づけた。
「逃げるんじゃない。死ぬんだ」
「死ぬなんて、逃げることと一緒だよ」
真央は必死に反発し、荒木の腕に触ろうとした。
「触るな!」
驚いて、手を引っこめた。
「何なんだよ。俺がどうしようとお前には関係ないだろ」
「関係あるよ!」
真央は叫ぶように言った。
「だって、クラスメイトじゃん。関係ないなんて言わないでよ」
真央は再び手を差し出した。
「勝手な事言うな!」
その時、差し出した右手に激痛が走った。見ると、カッターで切られていた。血がぽたぽたと流れ落ちる。
だが、痛さを我慢して、左手でもう1度手を差し出す。
「戻ろう」
出来るだけ笑顔で声を掛ける。
「目障りなんだよ」
その直後、荒木が突進してきた。真央は悲鳴を上げ、間一髪で交わした。
「もう止めなよ!」
「うっせーよ!」
再び突進してきた。真央は逃げようとしたが、少し遅れてしまった。乱暴に肩を掴まれ、壁に叩きつけられる。
その瞬間、登校中に痴漢された記憶が蘇った。途端に、恐怖で体が思うように動かなくなった。
「どうした、怖くなったか」
ナイフの先が真央の首に触れた。ひんやりとした感覚が更に恐怖を増していく。
「口先だけ偉いこと言いやがって」
恐怖で立っているのも精いっぱいだった。呼吸が乱れて苦しくなる。
「何やってんだよ!」
突然、斗真が乱暴にドアを開け、荒木に殴りかかって行った。荒木は油断していたのか、かわすことが出来ず、床に倒れ込んだ。真央はその場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
斗真に顔を覗かれ、真央は小さく頷いた。だが、荒木が再び立ち上がり、斗真にカッターを持って襲いかかろうとしていた。
「斗真!」
その時、飯田が荒木に飛びかかった。飯田は荒木からカッターを取り上げ、遠くに放り投げた。
「・・・ありがとう」
斗真は若干ふてくされながら言った。
「別に」
飯田は荒木をうつ伏せにし、手を後ろで組ませた。
「ありがとう。2人とも」
真央は少し遅れて礼を言った。
「お前、血が出てるじゃないか」
斗真は慌ててポケットからハンカチをだし、傷口に当てた。
「ごめんな。俺たちがちゃんとお前の事見てなかったから」
飯田が呟くように言った。
「全然大丈夫だから」
小さく笑い、立ち上がった。
「みんなの所に行こう。心配かけてると思うから」
だが、足が震えて歩けなかった。
「蓮井?」
飯田が困ったように声を掛ける。
「怖かったんだろ」
斗真に抱きしめられた。
「うん。すごく怖かった」
自然と涙が出てきた。苦しみと、安心感の混ざった涙だった。
「ごめん。俺たちの責任だ。守ってやるって言ったのに・・・」
そう言って、強く抱きしめられた。
「卑怯だぞ」
荒木が震えた声で言った。
「何がだ」
飯田が押さえつけながら問う。
「自分らだけ正義でいるつもりなのか」
「黙れ!」
斗真が突然怒った。真央は驚いて、肩がはねた。
「人の気持ちも知らないで勝手な事やって。それで何の得になる?死にたいなら死ねばいいじゃないか。俺らを巻き込むのは止めてくれ」
そう吐き捨てて、斗真は真央を連れて教室を出た。後から飯田もついてきた。
「大丈夫かな」
真央は不安を口にした。
「お前は感情移入しすぎなんだよ。優しすぎるのもダメなんだぞ」
飯田がさらりと言い、若干驚いた。
「私、優しいのかなぁ」
「優しすぎるんだって」
斗真と飯田の声が重なった。
「そ、そうなんだ」
真央は照れ隠しのため、俯いた。
「これからは、行動するときは絶対誰かと一緒に行動する事。藤山でもいいけど、なるべく俺か飯田と居
ろ」
「・・・斗真も優しいんだね」
斗真は照れたのか、少し顔を赤くした。
「照れてるの?」
冷かすと、少々強めな口調で「約束、絶対守れよ」と言って、先に行ってしまった。
「あいつ、意外と照れ屋なんだな」
飯田が面白そうに笑いながら、真央の隣に寄ってきた。
「結構可愛いところあるんだ」
真央も微笑んだ。
「あのさ」
飯田が突然足を止めた。
「何?」
真央も足を止める。飯田は少しおどおどしていた。こんな飯田を見たのは初めてだった。すると、突然飯田が真央の体を包んだ。
「俺の言いたいこと、分かるか」
真央は戸惑った。これは、慰めてくれているのだろうか。恋愛経験が無い真央は、こういう場合、どういう対応をすればいいのか分からないのだ。
「慰めてくれてるの?」
そう言うと、飯田は強く抱きしめた。
「違うよ」
じゃあ・・・
「好きだ」
「・・・え?」
突然の事に、戸惑いが隠せなかった。
「俺さ、お前と斗真がいちゃいちゃしてるの見てると、羨ましくなるんだよ。今まで藤山とお前たちの事冷かしてたけど、あれは本心じゃないんだ」
心臓が大きく鼓動を打っていた。そのせいで、傷口からの出血が多く感じる。
「急がなくていいから、返事を聞かせてくれ」
そう言って、飯田は真央から体を離した。
「行こうか」
真央は無言でうなずき、飯田と少し距離を取って後をついて行った。
「真央~心配したんだよ」
音楽室に入って早々、瞳子が飛びついてきた。
「ごめんね」
真央は小さく微笑んだ。
「うわっ!血出てるじゃない。岡部、手当てしてあげて」
岡部直人は医者の息子だ。でも、これくらいなら瞳子でも出来るのではないかと思いながらも、岡部に切られた方の腕を見せた。
「結構深く入っちゃってるね。かるく1センチ入ってる」
真央は顔を顰めた。
「跡、残っちゃうかな」
「大丈夫だよ。今の治療は技術が進歩してるからね。よく見ないと分からない程度には治ると思うよ」
元の肌には戻らないには変わりはない。真央は小さくため息を吐いた。
音楽担当の先生は、用心深いので、音楽室に応急手当のセットを置いている。それを使って、岡部は手当してくれた。
「はい。お大事にね」
「ありがと」
真央は頭を下げ、瞳子の元へ向かった。
「飯田から聞いたわ。あんた、ちょっとは危機感持ちなさいよ」
「だって、放っておけなかったから」
「あんたのそういう所がいいのか悪いのか・・・」
瞳子は腕を組み、真央をじろじろ見た。
「大丈夫だったか」
背後から声がかかり、驚いて振り返った。
「斗真か」
「斗真かって、何でそんな言い方されなきゃならないんだよ」
真央は謝った直後、音楽室にあるテレビの画面に先ほど見た人物が映った。
「始まって早々、仲間割れか?荒木とかいう男子生徒、さっきトイレで見つけたぞ。手首切って自殺してた。ほんと、バカだな。これからだって時に」
それを聞き、目の前が真っ暗になった。それと共に、罪悪感が募った。
―――あの時、一緒に連れて行けばよかったんだ―――
この考えが何度も渦巻く。
「あ~あ。空気悪くなっちゃった。まあ、これから犠牲になる人も大勢いる訳だし。段々、他人犠牲にして自分1人が生き残る。人間ってのはそういうものだ」
犯人はひとしきり笑ったところで、言葉を続けた。
「君たちには、これから鬼ごっこをしてもらう。クラス内で、鬼5人を作ってくれ。終わったら合図してくれ。あ、それと携帯電話は回収しておく」
「おい!警察に連絡した奴、いないのかよ」
大地が怒鳴った。
「いない。この校舎には所々に監視カメラが設置されている。我々は見ていたが、携帯を使っていた奴は1人もいなかった」
「その手があったか。そこまで頭が回らなかった」
斗真は頭を抱えた。
「まあ、そんな無様な行動をする奴はすぐにこちらで処刑するがな。じゃあ、学級委員は回収してくれ」
その後、慶子と赤田がクラス1人1人に声を掛けて行った。
真央も仕方なく慶子に携帯をあずけた。
クラス全員分の携帯がピアノの上に置かれた。
「よし、もう持っている奴はいないな。じゃあ、鬼を決めてくれ」
そこで、映像が途切れた。
「みんな、鬼決めるわよ」
慶子が呼びかけた。
「ってかさ、何でお前はさっきからそんなに冷静でいられるんだ?クラスメイトが1人死んだんだぞ」
飯田が慶子に鋭い眼差しを向ける。
「どうでもいいじゃない。あんな気の弱い男の事なんて」
「どうでもいいわけない」
思わず、斗真と声が重なった。
「お前、人の命を何だと思ってるんだ」
「慶子、言い過ぎだよ。さっきの言葉、訂正して」
慶子は少々苛立った様子で呟くように言った。
「そうね。一応、クラスメイトだから学級委員としてさっきの言葉は良くなかったわ」
そう言って、黙り込んでしまった。慶子は、自分の思い通りにならないと、人と言葉を交わさなくなる性格だった。
「あいつ、あんな性格だったっけ」
斗真が真央の肘を突きながら訊いた。
「いや、普段はあんな言い方しないんだけどな・・・」
「早く鬼決めようぜ」
ここで声を発したのが大地だ。
「空気読めよ・・・」
飯田が呟いた。
「そうね。どうやって決める?5人って言ってたよね」
慶子はまるで人が変わったように楽しそうに言った。
「あみだくじとかどう?」
赤田が少々控えめな声で発言した。
「いいわね。やりましょう」
慶子は傍にあった真っ白な用紙とペンを手に取り、34本分線を書き、適当に横線を書き入れていった。
そして、そのうち5本の線の下に丸を書いた。
「はい。順番に名前書いて行って」
それを合図に、続々と人が並んだ。真央、斗真、瞳子、飯田は最後の方に並んだ。
「慶子は何であんなに興奮してるのかしら」
瞳子が真央の横で呟いた。
「あいつがこの事件の計画者だったりして」
飯田のその1言で、他3人が黙り込んだ。
「・・・何だよ」
自分の発言の重大性が分かっていないのか、飯田は顔を顰めている。
「お前、軽くとんでもないこと言うな」
斗真は飯田を冷ややかな目で見た。
「俺、そんないけないこと言った?」
飯田は自分の顔を指さし、真央たちの顔を見るが、みんな無視した。
「あたし、彼氏と別れたから」
「・・・え?ごめん、もう1回言って」
本当ははっきり聞こえていた。でも、聞き間違いであることを願う。
「だからー、彼氏と別れたって言ってるの」
「またまた~嘘吐いちゃって」
「嘘じゃないって」
瞳子のこのきつい口調は、どうやら事実だったらしい。
「どうして、急に」
「別に好きな人が出来たから」
「はぁ?」
瞳子のこういう自信が真央には理解できない。まあ、瞳子は美人だから、男はすぐに釣れそうだが。
「で、その人に告白したの?」
「したよ。カップル成立~」
瞳子は満面の笑みでピースをした。
「凄いね・・・」
「でしょ~。でも、元彼とディープキスしちゃったからな」
「・・・あんた、そういうのはサラッと言うのもじゃないよ」
瞳子はこういう経験を何度も体験しているのだろう。
「真央はどうなの?」
瞬時的に、飯田の顔が浮かんだ。恋愛経験の豊富な瞳子に相談してみようと思った。
「ねえ、私の話聞いてくれる?」
「おっ、どうした?あたしが的確なアドバイスしてあげる」
真央は辺りを見渡し、斗真、飯田からなるべく距離を置いた。
「あのね。さっき荒木探して帰るときに、飯田に告白されたの」
「え、マジ!」
「うん。それでね、私こういう経験したことないから、どうすればいいのか分からなくて」
瞳子は少し考え、こう言った。
「あんたは好きな人いるの?気になってる人とか」
瞳子はチラッと斗真を見た。真央も斗真を見る。
「分からない」
そう答えると、瞳子はため息を吐いた。
「あんた、斗真とはどうなってるの?」
「どうって、まあ普通に楽しくやってるよ」
「じゃあ、飯田とはどうなの?」
飯田の話になると、あまり思い出が浮かばない。
「一緒に居て楽しいって思った人と付き合った方が、あたしは良いと思うけどな」
―――一緒に居て楽しいと思った人――――
斗真と飯田で比べたら、斗真の方が楽しい思い出が多かった。
「私、斗真の事好きなのかな」
無意識でこの言葉を口にしていた。はっとなり、慌てて口をふさぐ。
「じゃあ、飯田は断りなさい」
「・・・そうした方がいいのかもしれないね」
何となく、スッキリした気分になった。
そして、真央、瞳子の順番も済み、慶子が結果を伝えた。
「鬼は、赤田、斉木、大山、飯田、私に決まりよ」
そう告げた後、再びテレビ画面に例の人物が映った。
「よし、決まりだな。これから、諸君には鬼ごっこをしてもらう。まあ、ただの鬼ごっこじゃ面白くないから、捕まった人は―――死んでもらう」
「ちょっと待てよ!」
飯田が身を乗り出した。
「それ、おかしくねーか?何でこんな所で死ななきゃいけないんだ。ってか、お前の目的は何なんだよ」
「我々の目的は1つだ」
一瞬にして静寂が訪れた。
「この腐った時代を、我々が変えてやるのさ。いずれ、革命が起きるさ」
「今までの日本で革命が成功した例はあったか」
斗真の問いに、画面の奥の人物は一瞬動揺を見せた。
「だから、我々が成功させてやるのさ」
「お前たちの革命は絶対に成功しない。俺たちが食い止めてみせる」
「そうか。随分と強気だね、君は。やれるものならやってみろ。まあ、無理だと思うがね。すでに、犠牲者は1人出ている事だし」
斗真は、この1言で弱点を突かれたように、黙り込んだ。
「ルールの説明をしよう」
クラスメイトみんなが画面に視線を向ける。
「鬼となった5人は、必ず1人は捕まえる事。そして、直ちに制裁を加える事。もし、捕まえることが出来なかった場合、そいつはこちらで処理する。まあ、どちらにしても命懸けってところだ」
急に、傍にいた飯田の様子がおかしくなった。手が震え、呼吸が荒くなっている。
「飯田、大丈夫?」
心配になり、声を掛けた。
「俺、仲間殺す事なんて出来ないよ」
飯田がこんなに弱気になっている所を初めて見た。異変に気が付いたのか、斗真、瞳子も駆け寄った。
「俺、どうしたらいいんだよ」
「落ち着け、飯田」
「落ち着けるわけねーだろ、お前は逃げるだけだからそんなことが言えんだよ」
飯田は斗真を睨んだ。
「制限時間は2時間だ。本当は1時間にしようと思っていたが、さすがにクラスメイトを簡単に殺す決断は出来ないだろうから、その決断の時間として1時間プラスにした。有難いと思え」
そこで、一拍置き、
「鬼以外は今から逃げろ。鬼は5分後に捜索開始だ。よし、ゲームスタートだ」
その後、鬼になった生徒以外は音楽室の外へ飛び出して行った。真央も、瞳子、斗真と共に外に出た。