5 相談
飯田を学校に着いてすぐ屋上へ呼び出したのには、昨日の話の事があってだ。
「俺は結構攻めたぞ。いつもの俺と違ってたから、びっくりしてたけどな」
斗真は屋上のフェンスに身をあずけた。
「そうか。じゃあ、俺も攻めてみようかな」
飯田は悪戯っぽく笑った。斗真は顔を顰めた。飯田は何をすのか、想像がつかない。
「変な事すんなよ」
「ばーか。するわけねーだろ」
薄く笑い、飯田はこう言った。
「蓮井は俺のものだ。お前に渡せない」
斗真は小さく舌打ちした。何故、急に蓮井に恋愛感情を抱いたんだ、こいつは。
斗真の心の声が聞こえたのか、飯田は斗真に1歩近づいた。
「俺さ、藤山と一緒にお前と蓮井の事ラブラブとか言ってたけど、内心お前の事ずるいなって思ってた。俺は、蓮井の事なら何でも知ってると思う」
嘘吐け。そこまで言うんだったら、昨日、もう少し慰めてやったらどうなんだ。
「あとさ、俺たちこうやって気まずくなるの止めない?蓮井たちが気づくだろ。いつもと違うって。特に藤山。あいつ、勘が鋭いからな」
それから、飯田は斗真の肩を2、3度叩き、こう言った。
「これからどうなるのか、楽しみだな」
飯田は踵を返し、屋上を出て行った。
「お前に蓮井の何がわかる」
呟き、地面に座り込んだ。そして、頭を抱える。
今朝から頭痛が激しい。それに、どこか嫌な予感がする。今まで味わったことが無いような、胸のざわつき。さすがの斗真でも、はっきりと予測することは出来なかった。だが、これから何かが起こる。それだけははっきり分かる。
立ち上がり、背伸びをした。少しでも気を晴らすためにだ。
屋上から出ようとして扉を開けると、そこには飯田がいた。
「一緒に戻らないと、不審に思われる」
「・・・そうだな」
斗真は飯田と目を合わせずに、先に歩き出した。
授業が終わり、瞳子が真央の元にやって来た。
「これからどこか行かない?ほら、斗真と飯田も混ぜて。男がいたら安全でしょ」
真央は唸った。この前の事もあるので、正直あまり長い間外を出歩きたくない。でも、人が多ければ安全だろう。
「うん、いいね。2人も誘おうか」
真央は斗真を、瞳子は飯田を誘った。
「これから、大丈夫そう?」
鞄を提げて帰る準備をしていた斗真に声を掛けた。
「え、うん」
斗真は首を傾げる。そういえば、自分から斗真を誘ったことは今まで無かった。
思い出してから、恥ずかしくなった。
「あ、あのね、瞳子が飯田を誘ってるんだけど・・・」
途端に、斗真の顔が一瞬歪んだ。何か悪いことを言っただろうか。
「飯田、オッケーだって」
瞳子から声がかかり、真央は鞄を提げた。
瞳子が飯田と共に2人の元へ向かってきた。飯田の顔も雲っている。
そんな2人を放っておき、真央は瞳子に話しかけた。
「ねえ、どこに行く?」
「そうねぇ・・・」
瞳子は携帯で何か操作をしている。慣れた手つきだ。
「あ、何か面白そうな映画やってるわよ」
「どれどれ」
真央は瞳子の携帯を覗き込んだ。恋愛ものだ。
瞳子は後ろについている2人に訊いた。
「ねえ、映画館行かない?」
「映画?」
飯田が飛びつくように瞳子の携帯を見る。その間、斗真は置いてけぼりだ。
「斗真は?」
どうやら、飯田は了解したらしい。瞳子が斗真を見る。
「みんなが行くんだったら行く」
何故か斗真が真央を見た。反射的に目を逸らしてしまい、後から申し訳なさがこみ上げた。
「じゃあ決まりー」
瞳子は真央の腕を取り、走って靴箱に向かった。
真央は走りながら後ろの男2人を見た。
―――いつもと雰囲気が違う―――
微かな疑問を持ちながらも、真央は瞳子にされるがまま、映画館へ向かった。
チケットを買い、上映時間5分前まで館内のテーブルで待つ事にした。
「座席、どうする?一応、4人で横1列だけど」
瞳子が4枚のチケットをテーブルに並べた。
「まあ、真央と斗真は隣同士、間違いなしね」
はい、とチケットを渡され、真央は戸惑った。
「ちょっとぉ。瞳子は?」
「あたしは、1番端でいいわ。2人の邪魔したくないし。じゃあ、飯田は真央の隣ね」
「あいよ」
斗真は無言で瞳子からチケットをもらい、飯田も受け取る。
「じゃあ、あたしポップコーン買ってくるから」
「あ、私も行く」
真央は瞳子と一緒にポップコーンを2つ買いに行った。2人で1つだ。
「あんたは斗真と分けなさい」
ポップコーンを1つ提げた真央に、瞳子はニヤ付きながら言う。
「はぁい。瞳子は飯田と分けるのね」
ちょっと気が引けるけど、と瞳子が呟いたのは聞こえなかったことにしよう。
飯田は、顔は綺麗な顔立ちをしているが、斗真には勝てない。それに、性格もうるさいから、モテないのだろう。
上映時間5分前になり、チケットに記されている席に座った。真央たちは前から11列目の中央に座った。席順は瞳子、飯田、真央、斗真の順だ。
「いい席とれたな」
飯田がポップコーンを食べながら言う。
「うん」
「俺、寝ちゃうかもなぁ」
斗真はもうすでに眠気が襲ってきているらしい。
「ダメだよ。何かあったらすぐに逃げられないよ」
この世の中だ。映画館にも犯罪者は侵入してくるかもしれない。
「大丈夫だよ。こういう所みたいに、人が集まる施設はSPがいる。この館内にも大体5,6人くらいはいたと思うよ。法律があった頃のSPは、総理大臣とかVIPの人しか就かなかったけど、今は一般市民が集う場所には全箇所配置されているんだ」
「へぇ。そうなんだ」
斗真はこんな所まで知り尽くしている。少しばかり、心が揺れた。
「あ、始まるよ」
瞳子がみんなに伝えた直後、上映開始の合図が鳴った。
映画も中盤に入り、主人公のおどおどした高校生の男の子と、しっかりした清楚な女の子が付き合い始め、デートをしている場面に入った。普通にありそうな物語なので、つまらないなと思ってみていた。斗真はすでに寝息を立てている。斗真のこの安心感からすれば、危険な事が起こらないと悟ることが出来た。
と、ふいに左にいる飯田の手が真央の手を掴んだ。そして、指と指の間に手を絡めてきた。こんなことをされたのは初めてだった。しかも、普段こんな行動をしそうにない、お調子者の飯田だ。真央は映画どころではなくなった。動揺を隠しきれず、右にいる斗真を見る。起きてくれる気配もないので、斗真の腕を突く。すると、斗真は真央が突いた手を掴み、自分の方へ引き寄せた。起きているのかと思ったが、斗真は寝息を立てたままだ。
真央の手は両方塞がり、身動きが取れない状態になった。
―――何なのよ、2人とも―――
声を出すわけにもいかず、真央は残り1時間程続きそうな映画が終わるのを待った。
映画が終わり、館内が明るくなった途端、飯田の手が離れた。瞳子に見られないようにするためだろう。だが、斗真の手は離れなかった。
「ちょ、斗真!起きろ!」
真央は斗真の肩をばんばん叩き、無理やり絡んでいた手を離した。
「あ、ごめん」
斗真は欠伸をしながら真央に謝った。
「べ、別に謝らなくても・・・」
「あれまぁ。恋愛映画中に手ぇ繋いでたとは・・・これはノンフィクションで楽しめるわね」
真央はチラッと飯田を窺った。飯田は仏頂面で腕を組んでいる。その意味がよく分からず、真央は首を傾げた。
「さあ、帰るわよ。これからは3人で楽しんできなさい」
「・・・へ?」
瞳子の言葉の意味が理解できず、間抜けな声になる。
「あんたホント察しが悪いわね。だからぁ、あたし、これから彼氏とデートが入ってるの。マナーモードにする前に、メールが来てた」
「早く言ってよぉ」
真央は脱力した。これから瞳子がいない空気が想像できない。
「じゃ、楽しんできてね」
瞳子は3人に手を振り、走って帰って行った。
「あんたもとことん楽しんできなさい」
少々恨みが混ざった声で呟き、真央は2人に向き直った。
「これから、どうする?」
本当は、家に帰りたい。
「俺の家、来るか?」
「え?今、何て?」
本当は聞き取れた。だが、嘘であってほしい。
「だから、俺の家に来るか?」
飯田は何の躊躇いもなく言った。
「お前、それはいくらなんでも」
「あの、その前に一旦外に出よう。SPからのきつい視線が・・・」
真央の発言で、とりあえず外に出ることになった。
「さっきの話に戻りますけど、飯田の家に行くなんて・・・ねえ」
真央は斗真に助け船を頼む。
「そうだよ。俺にはお前が何をするか予測できる」
飯田はため息を吐き、手を左右に振った。
「俺は変な事はしないよ」
「怪しい・・・」
斗真と重なった。
「もう、大丈夫だって。行くあてもないんだから。家の中だったら安心感出るでしょ」
そう言って、強引に2人の手を取る。
抗ったが、結局飯田の家に行くことになった。
「へぇ、豪華だね」
飯田の家は、閑静な住宅街の中の一軒家だった。外壁は白く、他の家とは少し雰囲気が違った。
家には物音が無いので、誰もいないと悟った。飯田はそのまま自分の部屋に2人を招待した。
「座ってて。飲み物持ってくるから」
「あ、気使わなくていいよ」
すかさず止めるが、飯田はいいから、と言って部屋を出て行った。
「あ~。ここに来たって、することないのにね」
真央は部屋を見渡しながら言った。
部屋は片づいていて、勉強机、ベッド、カーペットと教科書や本が収納されている本棚しかなかった。正直、真央の部屋より綺麗だ。
「
そうだよな。それより、親の許可なしに無断で入っていいのか・・・」
「確かに」
そこへ、飯田が帰ってきた。
「ごめん。お茶しかなかった」
「あ、いいよ。全然大丈夫」
真央はお椀に乗ったお茶が入ったコップを2つ取り、1つを斗真に渡した。
「サンキュー」
「ごめんな。何もないけど」
飯田はお椀をベッドに置き、2人に向き直った。
「これから何するよ」
「恋愛トークでもしちゃいますか」
「えっ!」
思わず開いた口を手で塞ぐ。
「何だよ」
2人に迫られ、身を縮めた。
「いえ、何でも・・・」
正直、この段階で恋愛トークはきつい。好きな人がいる訳でもないが、こういうのは女子同士でやる方が盛り上がるし、気を遣わなくてもいい。
「じゃあ、飯田からな」
斗真が飯田に振る。
「じゃあ、俺から。俺は・・・」
チラッと真央を見て、顔を伏せた。そして、こう言った。
「やっぱり、止めない?」
その発言で息を吐いた。良かった・・・
「そうだな。こういうのは同性でやったほうが楽しいし」
「賛成」
真央は控えめに声を出した。
「あのさ、蓮井の両親って元気なのか?」
突然飯田に問われ、言葉に詰まる。
「え、うん。元気だよ」
「そっか」
悲しそうな顔を見て、真央は動揺した。
―――もしかして、飯田の両親・・・
「俺の母さん、鬱病なんだ」
「え」
真央は首を傾げた。斗真もさり気なく姿勢を正した。
「ほら、こんな世の中だろ?周りの人が次々と死んでいく。それに怯えちゃって。家から1歩も出ない」
真央は思わず俯いた。
「それで、父さんも仕事が忙しくてなかなか家に帰ってこれないし、姉ちゃんも結婚してて県外に住んでるから会う時間が作れないんだ。だから、この家は俺と母さんしか住んでいないのと一緒だ」
それでさ、と言葉をつなげた。
「蓮井にお願いしたいことがあるんだけど」
「私に?」
飯田は頷き、真央の目を真っ直ぐ見た。
「母さんと話してくれないか?ほら、女性同士だったら母さんも話しやすいだろうし」
「でも、私そんないいこと言えないよ」
「いいんだ。お前の言葉にはトゲが無い。ありのままの言葉を伝えてくれ」
真央は飯田から目を逸らした。自分に、こんな大役がこなせるだろうか。下手したら、もっとひどい方向へ行ってしまうかもしれない。
「蓮井、やれ」
斗真に命令口調で言われ、体がはねた。
「え、でも・・・」
「ぐずぐずすんな」
斗真のきつい言葉を聞いたのは久しぶりだった。これ以上身を引いてもらちが明かないと思い、真央は立ち上がった。
「分かった。お母さんはどこ?」
飯田は微笑み、真央の腕を掴んで階段を下りて行った。斗真は部屋に残っていた。
飯田の母親はソファーに腰かけ、テレビもつけずにボーっとしていた。
「母さん、俺の友達の蓮井真央。ちょっと一緒に話してもらえるかな」
返事は無い。飯田はそのまま真央を母親の元へ連れて行く。
「じゃあ、よろしくな。緊張しないでいいから」
そう言い残して、飯田はその場を去った。
緊張しないでって言われても無理だろこの状況で!私は心理カウンセラーでもないし、人の相談に乗ることはあっても、役に立つことを伝えられてるかどうかは別問題だし。
心の中でぼやきながら、真央は思い切って声を掛けた。
「初めまして。飯田くんの友達の蓮井真央です」
飯田の母親は、顔を上げ、真央を見たがまたすぐに目を伏せた。
「あの、お名前を伺ってもよろしいですか」
「・・・知代子」
初めて声を聞いた。か細いが、女性らしい綺麗な声をしている。
「知代子さん・・・」
これから先の言葉が思い浮かばず、間が開いた。真央なりに必死に言葉を探り、これが出た。
「今の世の中、どう思いますか」
この問題のせいで彼女が鬱病になってしまったのはさっき知った事だ。だが、この話題から始めないと先に進めない気がした。
しばらくして、返答が来た。
「狂ってる・・・」
知代子は顔を手で覆った。
「そうですよね。私の両親生きてるんですけど、もう生きるのに精一杯みたいで。私、親に接するのにちょっと気を遣っちゃうんですよ。負担掛けちゃうだろうなって」
真央は顔が見えない知代子を見つめた。
「家族って、本当は言いたいこと言いあって、喧嘩して、それから笑って。時には感動を共有したり。そういう関係だと思うんですよ。でも、この世の中になってから、本当の家族っていうものが無くなった気がするんです。みんなが気を遣いあって。悩みや不安を1人で抱え込むようになっちゃったんですよね」
そこで、知代子が少し顔を上げた。真央は続けて話す。
「大人になってない私たちも、大人たちと同じように悩みを抱えているんです。たった1つ、未成年には危害を加えてはいけないという法律がありますが、そんなのは存在しないのと同じです。子どもだって、いつ犯罪に巻き込まれるか分からない。だから、家族と一緒に居れる時間を大切にしたいって思っています。後で後悔しないように」
知代子が顔を覆っていた手を下におろした。そして、真央に顔を向けた。
「話、聞いてもらってもいい?」
今にも泣きそうな声だった。
「ええ」
知代子は膝を抱えて話し始めた。
「なあ」
斗真は部屋に戻ってきた飯田に少しきつめの視線を向けた。
「何」
飯田も負けじと睨み返してくる。
「何故蓮井にあんなことをさせた?別にいけないことではない。人のためになる事だ。でも、家族の問題は家族で解決するものじゃないのか」
飯田は大きく息を吐き、ベッドに腰かけた。
「俺だって努力したよ。母さんのために。でも、日に日に悪くなっていくんだ」
さすがの斗真も、口をつぐんだ。
「自殺しようとしていた日もあった。俺と母さん、家族の信頼性を失ったみたい。家族って何だろうって1日中考えてた日もあった」
「蓮井なら」
斗真は飯田に視線を送った。先ほどとは違う、優しい目で。
「あいつなら、お前の期待に応えてくれる」
飯田は小さく笑い、ベッドに寝転がった。
「そうだよな」
斗真は問題が解決するまで静かに待っていることにした。
今回は少し長かったですかね。
皆さん、目のマッサージを。