3 悲劇
その日は無事に授業が終わり、放課後、席替えとなった。
「じゃあ、書いてくぞ」
先生が黒板に座席を書き、その中にクラスメイト1人1人の名前を書いていく。席替えについては、予め、あみだくじをしている。
瞳子、飯田が隣同士になり、左の列の前から2番目だ。
真央はといえば・・・
「えぇ!!」
衝撃のあまり、席を立ってしまった。一気に注目が集まる。
「うるさい。俺の隣がそんなに嫌か」
発したのは斗真だ。真央は斗真の隣になったのだ。
「あの、嫌とかじゃなくて・・・」
そこで、クラスではお調子者と言われている飯田が口を挟んだ。
「いいじゃん。2人とも、心の中では嬉しいとか思ってるんだろ」
あーもうあのバカ。変な誤解招かないでよ。
「とにかく、移動だ、移動」
先生が両手をパンと叩き、生徒を立たせ、移動させた。真央も渋々指定された席に向かう。
「よろしく」
斗真が冷たく言う。
「よろしく」
真央は小さく頭を下げた。
「ってか、何でよりにもよって1番後ろなのよ!こっち見るな!」
最後の言葉は飯田と瞳子に向けてだ。
「お似合いさん」
瞳子が声を出さずに、口だけで真央に伝える。真央は瞳子に舌を出した。
「じゃあ、解散」
先生が告げ、皆鞄を持って教室を出て行く。
「じゃあ、また明日。気を付けて帰れよ」
最後の言葉はいつもかけられるので、あまり気にしていない。
「はーい。じゃあ、明日」
真央は瞳子と共に教室を出た。
瞳子とは半分までしか一緒に帰れないので、1人になった途端、寂しくなった。
最近運動をしていなかったので、走って帰った。
「ただいま」
おかえり、と返事が返ってきたので、ひとまず安心する。
リビングに向かい、母親の彩恵顔を見て顔をほころばす。
「お兄ちゃんはまだ帰ってないの?」
兄の雅紀は大学3年だ。うるさいが、優しい。
「そろそろ帰って来ると思うわよ」
兄も21歳なので、成人の対象だ。兄もいつ不幸に遭遇するか分からない。
「そっか。じゃあ、夕飯できたら呼んでね」
それだけ言い残し、真央は2階に上がり、自分の部屋に入った。そのままベッドに寝転び、鞄から携帯を出す。
「メールしなくちゃ」
斗真から、家に帰ったら必ず連絡しろと言われている。
真央は簡潔に文をまとめた。
『無事帰ったよ。斗真は?』
返信ボタンを押し、携帯を握ったまま目を瞑った。
そのまま深い眠りに就いた。
「真央、起きろ!」
いきなり頭上から雅紀の怒声が聞こえ、飛び上がった。
「女の子の部屋に勝手に入ってくるな!」
「お前の場合は一応だ」
「どいつもこいつも・・・」
1日に2度も女の子であることを否定され、怒りと自分の哀れさに言葉を失くした。
「夕飯、出来たって」
先ほどの声と打って変わり、優しい声になった。
「はぁい。あ、先降りてて」
雅紀に部屋を出て行ってもらい、真央は携帯の新着メールを開いた。斗真からの返信だ。
『そうか、良かった。俺も何事もなく帰ったぞ』
内心ほっとした。毎日これの繰り返しだと心臓に悪い。
携帯をベッドの上に置き、1階に降りた。
リビングに入ると、父親がもう帰ってきていた。
「あれ?お父さん早かったね」
真央が食卓のいつもの定位置に座る。
「ああ。今日は早く仕事が終わったんだ」
目の前にいる父は、新聞を広げながら答えた。
「さあ、食べよ」
母が父の隣に座り、雅紀が真央の隣に座る。
「いただきます」
しばらく無言の状態が続いた。堪えかねて真央が話題を出す。
「今日ね、教室に銃弾が撃ち込まれたんだよ」
途端に、父親の箸が止まった。
「真央、大丈夫なのか?怪我は無かったのか!?」
心配してくれるのは嬉しいが、声が大きい。体育会系の父は、混乱すると声が大きくなる癖がある。
「うん、全然。斗真の活躍でみんな無事だよ」
安心したのか、父の箸がまた動き出した。
「その斗真って男、すげーな」
横にいる雅紀が口にご飯を詰め込んだまま言う。
「きったないなぁ。ちゃんと飲み込んでから喋ってよ」
その言葉でみんなが爆笑する。普通に突っ込んだつもりなのだが、とりあえずウケて良かった。
その後、何事もなく1夜を過ごした。
鳴り続ける目覚まし時計を手探りで探し、叩きつけるように止めた。
「さむぅ」
ベッドから出たくない。ずっとこのままでいたい。でも、学校に行きたい。
「真央、さっさと起きろ!遅刻するぞ!」
昨日と同じく、1階からでもはっきり聞こえる怒声が真央の体を起動させた。
ゆっくり起き上がり、布団を出てからは冷えている階段を駆け降り、リビングに向かった。
「今日はバスで行くのか?」
雅紀に問われ、真央は口に詰め込んでいた物を呑みこみ、答えた。
「今日は徒歩。バスが出ない日だから」
そして、再びご飯を口に詰め込む。
「気を付けて行けよ。一応、18歳未満は危害を加えてはいけないっていう法律はあるけど、守らない奴らもたくさんいるからな。しかも、お前女だし」
「やっと女って言ってくれたね」
真央は雅紀の言葉を聞き流し、席を立った。
「じゃあ、行ってきます!」
ホームルームが始まるまであと30分近くあるが、家から学校まで20分はかかる。真央の足で走ると10分程度で着くが。
「はーい、気を付けてね!」
「行ってらっしゃい!」
母と雅紀の声を背に受け、真央は家を飛び出した。
真央は家の近くの公園でストレッチした。ここから10分近く全力で走り続けるためだ。
1分程軽く体を慣らし、ベンチに置いてあった鞄を手に取った。
「よっしゃ。走るか!」
真央は自慢の足で走り出した。
半分を過ぎたところで、道が3つに分かれていた。普段なら、真ん中の道を通るのだが、なるべく早く学校に着きたいので、左の細い道を選んだ。曲がり角がたくさんあるが、真央は真っ直ぐ突っ走った。
しかし、突然、正面に30代前半ほどの男性が現れた。真央の視力は2.0なので、かなり距離があっても顔ははっきり捉えることが出来る。男性はジャージを着ているので、ランニング中かと思ったが、走ってくる真央を見構えたまま動かない。
やがて、男性の前に辿りつき、真央は軽く息を切らしながら声を出した。
「あの、そこ通りたいんですけど」
そのまま横を通り抜けようとしたが、よけようとした側に男が立ちはだかる。
「ちょっと遊ばない?」
「・・・は?」
訳が分からず、真央は立ち尽くす。
その間に、男性は真央に近づき、真央の体を触り始めた。
「いやっ」
真央は必死に抵抗するが、さすがの真央でも男の力には抗えない。
「やめて!!」
必死に叫ぶが、周りには誰もいない。
その間に真央の制服が段々剥がれていく。
「もうっ!」
怒りにまかせて男を突き飛ばし、鞄を持って急いでその場を去ろうとするが、すぐに腕を掴まれる。
それからも手加減なく真央を振り回し、抵抗する力も無くなった。
斗真は、佐原に朝食を作ってもらい、余裕をもって家を出た。
「何か嫌な予感するなぁ」
朝起きた時から、胸の奥がざわつくような感じがしている。
「蓮井、大丈夫かな・・・」
無意識に、この言葉が出てきた。
ようやく男性が立ち去り、真央はその場に崩れ落ちた。
涙が止まらない。こんな経験をしたことが無いので、頭の整理がつかない。とにかく、学校に行かなければという思いが、真央を立ち上がらせた。
「もう・・・間に合わないよ・・・」
ボタンを引きちぎられ、ボロボロになったワイシャツをブレザーで隠し、鞄を持ってゆっくりと歩きだした。
正門近くになって、ホームルームが始まるチャイムが聞こえた。
もう、走る気力など無い。ただ泣きながら足を動かしているだけだ。
校門に入り、少し歩いたところで誰かの手が真央の肩に置かれた。
「いやっ」
先ほどの記憶がよみがえり、悲鳴を上げる。
「俺だよ」
顔を上げると、斗真だった。
「どうしたんだよ。何で泣いてる?」
優しい声で真央に問いかける。安心して、真央はまた涙が溢れた。思わず斗真に身をゆだねる。
「歩いてたら、急に男の人が出てきて・・・」
「分かった。事情は理解できた」
ボロボロのワイシャツで真央に何が起こったのか分かったのだろう。斗真は真央の頭を優しく撫でた。
「悪かった。俺が甘く見てた」
斗真は真央の頭から手を放し、真央の目の高さまでしゃがんだ。
「これから徒歩の登校日は、俺がお前を迎えに行く。俺と一緒に登校するように」
命令口調だが、心配してくれている。
涙が止まらなかった。
「落ち着くまで、傍にいるから」
そう告げて、真央は校舎の陰に連れて行かれた。
大分混乱していた頭が整理できた。涙もすでに止まっている。
「大丈夫か」
「うん。ありがと」
斗真は頷き、立ち上がった。
「ほら、行くぞ。もう授業始まってる」
真央も立ち上がり、2人で急いで教室へ向かった。
「遅れてすみません」
2人揃って頭を下げる。1時間目は社会担当の国分先生が2人に目を向ける。
「何故遅れたのですか」
国分は、あまり怒る姿を生徒に見せない男性教師なので、その言葉に威圧感は無い。だが、この質問にどう答えれば・・・
「すみません。ちょっと蓮井の用事があって。それに付き合ってました」
曖昧な斗真の返答に、国分は不審そうな表情をする。
「その用事というのは?」
真央はブレザーの襟を強く握った。嫌な記憶がよみがえる。
「言わなきゃいけませんか」
そんな真央を見て、斗真は国分にまるで脅迫しているような口調で迫った。
「い、いや別に。でも、遅刻に変わりはないからね」
そう言って名簿にチェックを付ける。
「席に座りなさい。他の皆さんは授業を再開します」
真央と斗真はもう1度頭を下げ、席に向かった。
席に向かう途中、瞳子と目が合った。
「休み時間に、ゆっくり話しましょ」
小声でそう言われた。真央は頷くしかなかった。
授業が終わり、真央は瞳子にトイレへ連れて行かれた。
「あんた、まさか」
瞳子は大体察しがついているらしい。真央は瞳子にすがりついた。
「私、痴漢されて・・・」
「痴漢って言っても、あんたそれは酷すぎよ。ワイシャツ破れてるじゃない」
瞳子は真央の足を見る。
「それに、足も痣だらけだし」
「嘘っ!」
真央は自分の足を見た。確かに、痣が数か所できている。
「振り回されたときにやっちゃったのかなぁ」
「振り回すって、あんた男にピザ回しみたいにされたの!?」
「違う!制服掴んで壁とか床に叩きつけられたの」
真央は頭を抱え、うずくまった。
「もう、最悪・・・」
瞳子も、真央の隣にしゃがむ。
「あんた、自分で思ってないかもしれないけど、美人なんだからね。スタイル良いし、顔も整ってる。少しは自覚しなさいよ」
最後に、このあたしが言うんだから、大したものよと付け加えた。
「そうなの?」
瞳子の言う通り、真央は自分がかわいいだなんて、1度も思ったことが無かった。運動しか取り柄が無いと思い込んでいた。
「それなのにモテないって、やっぱり運動しかできないバカだからかな」
バッサリ切られ、真央は撃沈した。このショック状態でいう事じゃないだろ、普通。
「もう、冗談よ。ほんと純粋なんだから」
瞳子は笑いながら真央の腕を持ちながら立った。
「ほら、教室戻るわよ」
笑い続けている瞳子に、真央は一括入れた。
「笑い過ぎよ!この悪魔野郎!」
瞳子と共に出て行く真央を、斗真は心配していた。
「斗真、蓮井に何かあったのか」
飯田が真央の席に座る。異性の席に躊躇いも無く座る所が、飯田らしい。
「痴漢に遭った」
「マジかよっ!」
飯田の反応が過敏だった。
「聞き出したのか?」
「そんなことはしねーよ。見たら大体予想はついた」
さらっと答えた斗真に、飯田は何度も頷く。
「何だよ」
「お前はそれだけ蓮井の事を見てたって事だな。いつもと雰囲気が違うなって分かったんだろ?」
「ち、違う!泣いてたからどうしたのかなぁって」
飯田は顔を歪ませた。
「蓮井、泣いてたのか」
その表情で、思ったことを率直に述べた。
「お前、蓮井の事好きなのか?」
飯田の動きが一瞬止まった。まさか・・・
「さあ、どうだろうな。お前がとろとろしてると、俺が先に取っちゃうかもな」
思っても見ない返事が返ってきた。
そこで、真央と瞳子が帰ってきた。
「あれぇ、喧嘩でもした?」
瞳子が2人を窺う。
「別に」
斗真が素っ気なく答える。
「蓮井、大丈夫か?」
飯田が真央に問うた。
「うん、大丈夫だよ。気にしないで」
真央はそう言うが、内心では不安でいっぱいだろう。そんなことは俺がよく分かっている。正直、飯田には負けたくない。
「じゃあ藤山、座るか」
瞳子はオッケーと返し、2人一緒に席へ向かった。
「蓮井」
斗真は隣に座った真央をまっすぐ見つめた。
「何?」
真央も斗真を見る。
「・・・今日は、一緒に帰ろう」
突然の言葉に、真央は首を傾げる。
「ほら、制服とか買わなきゃまずいだろ。付き合うからさ」
「あ、そか。ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って、少し笑った。いつもなら、もっと笑ってくれるのに。
「おう」
斗真は、少しぎこちなく笑った。
今日の授業が終わり、真央は瞳子の元へ向かった。
「ごめん。今日、斗真と帰るね」
「あらそう。楽しんでね~」
瞳子はそう言って、飯田に飛びついた。
「あたしは、飯田と帰るから。本当は彼氏と帰る予定だったんだけど、飯田が可愛そうだからねぇ」
「えっ!藤山、彼氏いるのか?」
瞳子は1つ年上の先輩と付き合っている。まあ、この顔だからいろんな人にモテる訳で。
「ええ。当ったり前じゃない」
瞳子は鼻を鳴らし、飯田を見下ろした。
「俺も彼女欲しいなぁ」
飯田の言葉に、斗真が動揺したのは気のせいだろうか。
じゃあね、と瞳子が真央に手を振り、2人は教室を出て行った。
2人が見えなくなり、真央は斗真の元へ向かった。
「帰ろうか」
真央はバックを持った。
「そうだな」
真央と斗真も、教室を出た。
無言のままで、学校に1番近い制服を売っている店に入った。
「いらっしゃい」
おばちゃんが出迎えてくれ、2人揃って軽く頭を下げた。
「お前、どのサイズ着てるんだ?」
何種類もある女子高校生用のワイシャツを、斗真は不思議そうな目で見ている。
「私は9号」
9号という数字にあまりぱっと来なかったらしく、斗真は曖昧にそうか、と答えた。
「あった」
笈川高校指定の、女子のワイシャツを見つけた。その中から9号を見つけ、真央はレジに持っていった。
「待て」
斗真は真央を引き留めた。
「俺が払う」
そう言われ、真央はすぐに首を振った。
「ダメだよ。制服って高いんだよ。それに、ボロボロになったのは斗真のせいじゃないし」
「いや、俺の責任だ。少しは甘えろ」
斗真は真央からワイシャツを取り上げ、レジに持っていった。
会計を済ませ、斗真は真央にそれを渡した。
「ありがとう。ごめんね」
「謝ることない」
さっさと店を出て行く斗真の後を、真央は必死に追った。
「ねえ、怒ってる?」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。
すると、斗真はこちらに向き直った。
「怒ってるよ。お前の体を触った奴に、だ」
それに、と付け足した。
「いつものお前じゃないから、何か変な感じがするんだよ。今日、お前思いっきり笑ってないだろ」
真央は俯いた。確かに、今日は心から楽しめることが出来そうにない。涙腺が緩んでいく。
「俺は、いつものお前が好きだ。今日のお前は好きじゃない」
堪えかねて涙を零した。目の前に、斗真が来て、真央を抱きしめた。
「バカ。泣くんじゃねーよ」
そう言って、強く抱きしめた。
「今日の私は嫌いなんでしょ。離してよ」
真央にはこれを言うのが精いっぱいだった。
何でいつもは冷たいのに今日は優しいのよ―――
「離さない」
ダメだ。涙が止まらない。嗚咽が漏れる。
「俺、本当はお前の事が嫌いで冷たくしてるわけじゃないんだ。一緒に居るのが楽しくてつい、きつい言葉になってしまうんだ」
もう何も言わないで。余計に涙が出てくるじゃん。
真央の心の声を聞いたのか、それから斗真は抱きしめたまま、何も言わなかった。
あれまぁ・・・急に恋愛感情が芽生えてきちゃいましたね。
これから、どうなるんでしょうね・・・