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第四話

 翌日土曜日の午後は、「恋するアンドロイド」の購入者限定イベントだった。限定といっても会場は遊園地で、ミニライブと、1000人のファンとの握手会が予定されていた。

 だけど開始10分前になっても、控室では私とマネージャーの押し問答が続いていた。

「ダメよことり。今日はやめなさい」

 めったに私に強く言うことのないマネージャーが、仁王立ちで行く手をふさいでいた。

「行かせてください」

 物ともせずに私は言い返した。レトロな赤のAラインワンピースに、髪に飾った水玉のリボン。そんな愛らしい衣装にもかかわらず、私の唇はかたく結ばれていた。ヘアメイクさんとスタイリストさんが、隣でおろおろと顔を見合わせている。

「あなたねえ、午前中の取材だって、やっとのことだったじゃない。その体調じゃイベントは無理よ。中止にしましょう」

「薬を飲んだから大丈夫です。体調管理ができなかった以上、苦しくてもそれは私の責任です。クオリティは絶対落としません」

 私たちが言い合う様子を、真山さんのカメラがじっと収めていた。

 真山さんは昨日のことを何も触れなかった。それどころか、表情を隠すように、ずっとカメラを担いでいた。

 昨日感じた懐かしい空気が嘘のようだった。きっと、私の勘違いだったのかもしれない。急に倒れたうえ、彼の親切を断ってかたくなな態度をとった私を、不可解に思ったのかもしれない。だとしたら哀しい。でも、仕方ない。私はひとりで闘わなければならない。

「悔しいのはわかるけど、ここで無理してどうするの。来週は武道館なのよ」

「行かせてください。お願いします」

「言うことを聞いて、ことり」

「聞けません」

 私とマネージャーはにらみ合ったまま、微動だにしなかった。

 彼女が指摘したとおり、体調がいいとはとても言えなかった。だが承知していたことだ。私は一歩も退く気はない。

 沈黙に耐えかねたようにマネージャーが大きなため息をついた。

「体調管理できなかったのは、私の責任でもあるわ。謝る。でもイベントは中止します。あなたのためよ」

「私のためなんかじゃありません!!!」

 感情が噴出した。

「休みたいとか、ラクになりたいなんて私は思ってません。それよりも、お金を出してわざわざ来てくれたお客様に申し訳ないんです。中止にしたら、これまで積み上げてきたものが台無しになる。夢を見せるのがアイドルの仕事なのに、自分から壊すようなことはできません」

 溢れ出たものは止まらなかった。私は我を忘れて叫んでいた。

「だって、一回でも裏切れば、お客さんは離れていきます。歌って踊れないなら、アイドルをやってる意味なんてない。ステージに立つ人間にしか、この気持ちはわからない。このままじゃ、私はみんなの夢を壊してしまう。みんな、水原ことりに失望してしまう」

 部屋にいる誰もが固唾を飲んで私を見ていた。水原ことりは今までずっと優等生のアイドルだったのに。仕事以外では表情を崩すことなんてなかったのに。

 ステージに立てばわかる。客席に集まる人たちの存在が、どれだけ有り難いことか。夢を共有し続けられるのがどれだけ素晴らしいことか。そして、彼らがどれだけ移り気かということも。

「……あなたの言い分はわかったわ」

 ややあって、マネージャーが口を開いた。

「でも、今日のイベントは中止よ」

 そう言い残すがはやいか、マネージャーは部屋を出ていった。私は追いかける気力もなく、ふらりと崩れ落ちた。キャスター付きの椅子が私を受け止め、きぃと軋んだ音を立てた。

 誰も私に声をかけず、触れもしなかった。私は放心したまま、控室のドアの向こう、ステージから聞こえてくる音を聞いていた。

『ご来場の皆様にお知らせです。本日は水原ことり急病のため、誠に遺憾ながら、イベントを中止とさせていただきます……』

 ざわめき。そして、あちこちからのブーイング。

終わった。

 私はファンの人たちを裏切ってしまった。2年間、ずっと完璧でい続けたのに。愛されない要素を排除し続けてきたのに。

 相田莉子が失敗した理由は、アイドルになれたことで満足してしまったことだった。

アイドルとして働くということに現実味が持てずに、いつまでもオーディションに受かったばかりのような気持ちだった。今ならわかる。あれはプロのアイドルではなく、アイドルオタクの少女が間違って舞台にあがらせてもらっただけだ。だから誰かの真似をすることしかできなくて、同じことを繰り返すことしか能がなかった。

 目の前の仕事をこなしても、だんだん先細りしていくばかりだったけど、売れない事実を直視するのが怖かった。気づかないふりをしながら、私は自分のなかのアイドル像にしがみついていた。

 結局、すべてを自覚したのは最後の契約が切れてからだ。放りだされてようやく、自分の置かれた状況に気づいた。芸能界は竜宮城みたいな場所で、そこにいるあいだは、時間の感覚や常識がわからなくなる。相田莉子のような売れないアイドルでも、ちやほやしてくれる人たちがいた。でもいざ現実世界に戻ってみると、私はただの無職のアラサー女だった。資格も技能もなく、まともな学歴も社歴もなく、結婚も出産も親の介護も、社会的に認められる要素は何ひとつ持っていなかった。私は何者でもなかった。

 だから水原ことりに生まれ変わったとき、相田莉子時代に失敗してきたことを、すべて取り戻そうと心に決めた。水原ことりは、可愛くて、勤勉で、謙虚で、性格がよくて、プロ意識の高い少女でなければだめだった。歌とダンスの練習を欠かさず、イメージを損なうような行動は一切せず、地道な地方巡業も笑顔でこなして、スタッフやメディア関係者の名前はすべて暗記した。そうすると、あっという間に人気が出た。

 辛くはなかった。もう一度死んでいるようなものだから、死体には何度鞭打ったって構わない。満員のステージ、名の知れたスタッフとの仕事、ファンからの手紙、鳴り響く拍手……。ずっと見たくて、でも見られなかった光景に、私は震えた。売れれば売れるほど私は謙虚になって、ますます無心に働いた。まるで、奉仕することを至上の喜びとインプットされたアンドロイドみたいに。


 スイッチが切れた機械人形のように、私は椅子に座り続けていた。戻ってきたマネージャーが申し訳なさそうに何か言いかけたけど、なんの意味も持たなかった。

 真山さんは斜め後方から私を映し続けている。昨日、少しでも真山さんに期待した自分を改めてバカだと思った。この孤独を、誰かに理解されるわけがない。彼はあくまで職業としてアイドルを撮っているのだ。熱心な撮影も、自然体の言葉も、そのためだ。アイドルに興味のあったかつての彼はいない。すっかり大人になって、仕事をまっとうしている。“水原ことりの知られざる素顔”を撮るためにここにいるだけだ。ねえ、ドキュメンタリー向きのネタが撮れてよかったでしょう?

 そのとき、ステージのほうから、何かが聞こえてきた。

 理解するのに数秒かかった。そんな、まさか。

 ゆっくりと頭をあげる。マネージャーが外を気にしている。私は立ち上がり、導かれるように音のするほうへ歩いていく。誰も止めなかった。控室を出て、ステージに続く廊下を渡る。分厚いカーテンの向こうに、野外ステージがある。震える手でカーテンをめくった。

♪アンドロイド なのに恋してるの 

♪アンドロイド だけど夢見てるの

 見渡す限り会場いっぱいのお客さんたちが、「恋するアンドロイド」を合唱していた。男の人も、女の人も、大人も、子どもも。

 ステージの端に現れた私に拍手が起きたけど、歌はサビの最後まで続けられた。

♪この気持ちどうすればいい? 

♪スイッチはまだ切らないでね

 立ち尽くしていた。呆然として、何も考えられない。指先の感覚がなくなり、がくがくと足が震える。体調のせいではなかった。信じがたい光景に、身体がついていかない。

 歌が終わると、大きな拍手とともに、次々と声が飛んできた。

「ことりちゃん、大丈夫ー?」

「無理しないでー」

「ことりー! からだを大事にしてー!」

 スタッフがあわててマイクを持って走ってくる。支えられるようにして、なんとかマイクを受け取る。

 口を開くと、会場が一気にしんとした。でもうまく言葉が出てこない。

「あ……」

 もう一度、目の前の光景を見渡す。ファンの人たちのやさしい顔、顔、顔。

 信じられない。

「ありがとうございます……」

 我ながら驚くほど声がかすれていた。

「今日は集まっていただき、ありがとうございます。せっかく来てくれたのに、私の体調不良のせいでご迷惑をかけて、本当に申し訳ありません」

 いいよー! という声が次々にあがった。

「ちゃんと休んで、万全の体調にします。こんな私のために、すごく申し訳なくて、でも嬉しくて、なんて言ったらいいか……。本当に、本当に、ありがとうございます。こんなに愛していただいて、私は、幸せ者です」

 それ以上は言えなかった。スタッフに両脇から抱きかかえられて、ひきずられるように退出した。声援はシャワーのように背中に降り注いでいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] この第4話を読んで心が震えました。 この後、最終話を読ませていただきますね。
2024/03/30 16:30 退会済み
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