ChapitreⅠ-B:霊峰の森
そうして懼れた。全く、どんな事でも起こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受け取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
中島敦『山月記』
彼女が目を覚ましたのは、霧の深い森の中だった。彼女は両の腕を枕に、うつぶせに横たわっていた。顔を僅かに横に向け、虚ろな意識でその景色を見た。鬱蒼と茂る木々の隙間から注がれる木漏れ日が、霧の中にいくつもの光の筋を作り出している。その幻想的な光景に思わず見とれてしまった。夢の中にいるような、そんな錯覚があった。
そんな彼女の頬に、一陣の凛とした風が吹き付けた。その冷たさに、本能が命の危険を訴えたからだろう、眠気が一気に吹き飛ばされる。やや重たげな上半身を起こし、立ち上がって服に付いた土埃を払う。そこで、自分の体が厚手の服でくるまれていることに気がついた。寒さを感じるのは顔だけだった。
「コート、マフラー、手袋……それにブーツまで?」
彼女はいつの間にか、十分すぎると言ってもいいくらいの防寒具を身に纏っていた。コートは太って見えるくらいに厚手で、マフラーは口元が隠れるくらいに何重にも巻かれている。特徴的なのは、それらの装備が全て真っ白で、アクセントにピンクやブルーの模様が付いていることだった。
(誰のものかは知らないけれど、なかなか素敵かも)と心の中でひとりごちた。
改めて自分が置かれている状況を確認してみる。吐く息が白い。どの方向を見ても木ばかりの、深い森の中。わずかに地面に傾斜がついているのが分かった。霧が深くて視界が悪いせいもあるが、少なくとも見える範囲に人工物は存在しない。原生林の中に投げ込まれたようだ。
が、それにしてはややおかしな点がある。
「……どうして私こんな服着てるんだろう?」
と呟いた。美奈にとっては何故ここにいるのか、ということよりもむしろ何故この服装なのか、の方が不思議だった。
着替えた覚えはない。つまり誰かに着させられた、ということである(それ自体も問題ではあるのだが)。その何者かが、美奈をこの寒い場所で凍え死なないようにする為に着せたのであろう事は想像に難くない。
だが、その心遣いと森の中に放置することとは少々矛盾する。誰かは分からないが、自分にこんな事をした何者かの意図が、彼女には全く理解できなかった。鳥肌が立ったのは恐らく寒さのせいだけではない。
いや、よくよく考えてみるとその何者かに心当たりがある。幸助をどこかへと連れ去っていった張本人、あの黒い服を着た謎の女性だ。とはいえ、一番肝心なその意図は分からないままだった。
「どこからかひょっこり現れてくれるはずもないものね……」
「呼んだかしら?」
悲嘆に暮れて独り言を呟いたところに、突如背後から声をかけられた。声の主は彼女が探し求めていた女性その人だった。「噂をすれば影が差す」ってまさにこの事ね、と美奈は心の中で呟いた。
「……図ったようなタイミングで現れますね」声のした方へと振り向きながら言う。その声はこの空気のように冷ややかだった。
「そうよ、あなたが目を覚ますまで待っていたんだもの」
大きすぎる黒いマントに身を包んだその女性は木の陰からぬっと現れた。ゆらゆらと美奈の方へと近づいて行くが、無音だった。足音を全く立てずに移動しているのだ。幽霊のような、音のない世界のような、そんな不気味さを伴って動いていた。
「それ、どういう意味ですか」
「本来あなたを連れてくる予定はなかったのよ。だから、その予想外の事態に対処する為にずっと付きっきりでいなければならなかったという訳。まさか、ここにいる理由が分からない訳じゃないでしょう?」
生物らしくないその動きとは裏腹に、その声や口調は紛れもなく血の通う少女のそれだった。とはいえ鍔の広い帽子に隠されてその素顔は見えず、確信するには至らない。
「……ええ、分かってます」彼女がここにいる理由――それは彼女が『彼』を助けたいと望んだからだ。「幸助はどこ?」
「さあ? でも、この世界のどこかにいるのは確かよ。そう遠くにはいないはずだから、探してみなさい」
突き放した物言いに、美奈は顔をしかめた。情報をくれたことに対する感謝の言葉はなく、ぶっきらぼうに言う。
「そうですか。それなら自力で見つけ出します。意地悪なあなた」
踵を返して女性に背を向け、足元の草を踏みつけながら歩き出した。と、数歩進んだところで彼女は立ち止まった。
「ところでこの服はあなたが?」
するとトリックスターは数秒の間を置いてから答えた。
「ええ、そうよ」
「厚着をさせてくれたのは感謝しますけれど、いきなり他人の服を脱がすのはどうかと思いますよ」
「いいえ、脱がしては……いいえ、ややこしくなりそうだからやめておくわ」
歯切れの悪い物言いだったが美奈はそれ以上追及しなかった。彼女が再び歩き出すと、その後ろを女性が音もなく付き従っていく。
「それよりも、言わなければならない事があるから聞いてちょうだい」
「何ですか?」美奈は言った。足を止めず、振り向く事もなく。
「まずこの世界の事だけど、あなた達がいたあの世界とは隔たれた次元にある世界なの。パラレルワールド、って言った方があなた達には分かり易いのかしら? つまり、歩くとか泳ぐとか飛ぶとか、物理的な方法では辿り着けない場所にこの世界はあるの」
「……何ですかそれ? そんな夢物語みたいな話を信じろって言うんですか?」
「あなたが今ここにいる現実を見ても夢物語を疑うの? 珍しい人……まあいいか。嘘だと思うなら実際に走り回ってみなさい。言葉は通じるけれど、知っている土地には絶対に辿り着けないから。二つの世界を行き来できるのは、行き来させることが出来るのは私だけ。だから彼と一緒に帰りたければ私の言うことを聞いて」
美奈への親切心からかけている女性の言葉は、幸助に会いたいという焦るような思いでいっぱいの美奈の心にその重大さを感じさせることはできなかった。
「それよりも、幸助は本当にこの近くにいるんですか?」彼女は語尾を強調して言った。疑念が強いことの証拠だった。
「疑り深いのね。さっき言ったでしょう、近くにいるって……もっと情報が欲しいの? この先にある、山頂の集落にいるわ。それは間違いないから、会おうとすれば会える。邪魔をするつもりもない……信じなさいよ」
疑いたくなる事ばかりであり、不幸の少女はその色を隠すこともせずに視線を女性にぶつけた。がしかし、疑ってばかりでは何も生み出さないので、とりあえずは信用した方がいいのかな、と美奈は自分をなだめた。
「幸助を誘拐したから悪い人かと思いましたけど、案外そうでもないみたいですね。それとも、男の人に対して何か恨みがあるだけですか?」
女性は美奈の背後で僅かに動揺を見せ、僅かに押し黙った。質問には答えず、淡々と続ける。
「それで、一つだけ守って欲しい事があるの。それを破ると、あなたはもう二度と元の世界には帰れなくなるわ」
すると美奈は何かを見透かしたように「へえ」と言った。
「何?」
「二つの世界を行き来させられるのは自分だけだって言ってましたけど、自分以外のものが原因で出来なくなることもあるんですね、って」
僅かな、奇妙な沈黙。しかしそれは足音と風の音に消される。
「……ええそうよ。それと、もう一つ」
女性は美奈の耳元で何事かを囁いた。すると不意に映像を一時停止したかのようにぴたっと足が止まり、みるみるうちに表情が変わる。血の気が引いていくのを彼女は感じた。
「どうしてそれを……」
美奈は怯えながら振り返った。その顔は恐怖に引きつっており、色は蒼白だった。
「彼には知られたくないでしょう?」
「……それで、私が守らなければならない事って何ですか」
その先の言葉の恐ろしさを予感して、美奈はつばを飲み込んだ。欽二が幸助の失踪を婉曲的に告げようとした、あの時の緊張感に似ていた。
「本名を明かさないこと」
しかし彼女の予想に反し、守るべき約束というのは実に単純明快なものだった。
「……それだけ?」
拍子抜けで、思わず目を丸くしてしまう。
「そうよ。簡単でしょう? そんなに怯えることもないわ」
美奈はほっと安堵の溜め息をついた。ただ自分の名前を偽って過ごすだけなら、そう難しいことではないだろう。
「それじゃあ、頑張ってね」
女性は軽く笑うと音を立てずに美奈の脇を走り抜け、ふっとその気配を消し去った。美奈が振り向いたその瞬間、
「え……」
そこには誰もいなかった。得体の知れない存在がいなくなったのだから恐怖の感情が消えたはずだが、しかし彼女の中にはまた新たな恐怖が芽生え始めていた。
その名は孤独。
ようやく彼女は、自分が樹海の中にいることの意味をを再認識した。出口の見えない迷路に迷い込んだようで、底知れぬ恐ろしさが襲いかかる。何しろ頼るよすがが存在しないのだ。美奈の感覚でつい十数分前までそばにいた仲間が今はいない。
幸助を見つけるためという目的からすれば、菜摘と欽二が一緒でしかるべきだろう。だが不幸にも彼女は一人で彼を捜さなければならない。彼女が寂しがりやでなくても、せめて菜摘がいてくれたら――と叶わぬ願いを口に出したのも無理もない事だろう。
また、この薄暗さと寒さも彼女の不安を煽っている。木漏れ日の向きは若干傾いていたが、これが朝陽だったら良いと思った。明るい内に歩くのと暗くなって歩くのとでは、同じ場所を歩くのでも全然違うからだ。
もし今が夕刻で、森を抜けられずに夜になったら、と思うと震えずにはいられなかった。そんな彼女の怯えをあざ笑うかのように、冷たい風が森を駆け抜ける。
「……怖がってちゃダメだ、幸助が助けてくれるなんて思ってちゃダメだ、菜摘ちゃんが引っ張ってくれるなんて思ってちゃダメだ……私が、私が助けなきゃいけないんだから」
そう自分を鼓舞し、女性の言っていたように山頂を、斜面の上を目指して歩き始めた。温かいマフラーとコートに感謝しながら。
*
彼女は、歩きながら勉強したことから銅像にもなった少年のように、森の中を歩きながら思考を巡らせていた。そうでもしなければ手持ち無沙汰だったのだ。歩きながらだと頭が良く回るから、というのもあるだろう。
まず浮かんできたのは、幸助を探しにきたはずなのに、本名を名乗れないのでは会っても自分が美奈本人だと証明することができない、というじれったさだった。しかも、もし幸助も本名を名乗らなかったとしたら、なおさら互いの証明が難しくなるのである。
「もしそうなら、幸助に会えても『幸助』って呼べないし……そうでなくても、結局私が名前を呼ばれても返事をしちゃいけないんだから……つまり」
仮に幸助に会えて、彼が美奈の正体を確信したとしても、彼女は美奈である事を否定しなければならず、幸助も自分の確信を否定せざるを得ない。
逆でも同じ事が言える状況で再会してしまったなら、進むことも戻ることもできない、出口のない迷路に迷い込んでしまう。そうなってしまったら、禁忌を破らない限りずっと他人のままになってしまいかねない危険性もある。彼女は溜め息を吐き、がっくりと肩を落とした。
おもむろに、コートのポケットに手を突っ込んでみた。右の方に何か硬い物が入っている。まさかと思って取り出すと、彼女の予想通り、それは携帯電話だった。ボタンを適当に押してみるがディスプレイは黒いまま反応がない。電源ボタンをいくら長押ししても変化は見られなかった
それを見た瞬間に生まれた若干の期待の反動から、彼女は再び溜め息を吐いた。「文明の利器も電気がなければ……」がらくた同然のそれを元の場所に戻した。
どれ程の時間歩いていたかは分からないが、未だに彼女を取り囲む景色は変化していなかった。
「ああ、そうだ、名前」
ふと、その事が思い出された。本名ではないなら何でもいいのだろうが、いきなり決めろと言われても決められる物でもない。悩んでいる折、不意に頭上から声がした。
「ねぇちょいと、そこの迷子の小鳥さん!」
女性のそれだがやや低めの声。良く通る、澄んだ声だった。
「迷子……小鳥……?」
それが自分の事だろうとは理解できたが、しかし何故小鳥なのだろう? 彼女は訳が分からないまま声の主を捜すべく、辺りをきょろきょろと見回す。だが、それらしき姿は見当たらない。
「どこにいるんですか?」
すると親切なその女性は、木から飛び降りて美奈の前に姿を見せた。とは言っても近くはなく、距離にして三十歩ばかりのところに彼女は降り立った。遠目からでも木の幹に紛れる濃い茶色の外套を着ていることだけは分かった。
美奈がその女性に近づくと、女性の像がはっきりしてくる。彼女の年齢は二十代後半くらい、くすんだ茶色の髪にベージュのふくらんだトーク帽を被っており、籠を背負っていた。
「あら、小鳥さんは失礼だったかしらねぇ。ごめんなさいねぇ、ずいぶんと若く見えたものだから……って」
その女性は視線を、美奈の体を嘗めるように上へ下へとやった。それから驚きと喜びが半分ずつ混ざり合ったような表情で、
「珍しいわねぇ、そんな真っ白な髪! ねぇ、背中も見せて頂戴……あら、羽も純白?」
女性は美奈の横に回り込み、目をキラキラさせて絶賛した。
「え?」
木の上から降りてきたこの女性は確かに今少女を見て「真っ白な髪」と言い、背中を見て「純白の羽」と言った。そんな馬鹿な事……と半信半疑で美奈は前髪を引っ張ると、確かに曇りのない真っ白な髪になっていた。
続いて自分の背中に目をやる。するとどうだろう、そこには確かに、白い大きな羽が付いていた。その一対の羽はちょうど両の肩胛骨の当たりから生えているようだった。
デフォルメした天使の羽を思わせる、シンプルで曲線的な形。大きさは、右手いっぱいに伸ばした時指先で右の翼の先端が触れる程だ。触ってみると、弾力の少ないゴムのような柔らかさがあった。それと同時に背中側から触られている感覚が伝わってくる。
自分の体の一部なのだと思うと少々寒気がしたが、自分で動かそうとしても出来なかった。
(何これ何これ何なのこれ!?)
美奈は訳が分からずに自問自答を繰り返す。
「ねぇあなた、そんな目立つなりしてる割に見ない顔だけど……もしかして私達の村の出身じゃないの? どこから来たの?」
「えっと……うんと遠くから来たんです」
自分で言ってから、とっさの受け答えだったとは言えもっとマシな答え方があっただろうに、と美奈は思った。
「へえそうなの。遠くからこんな僻地までねぇ。ところで、そんな珍しい羽してるんだからきっと珍しい能力持ってるのよね? 是非ともうちに来て見せてくれないかしら。みんな歓迎してくれるわ、いい人たちだからねぇ」
「えっと……?」
美奈はこの女性の言葉に危機感すら抱き始めた。女性だからということで多少は安心していたが、話をすればするほど訳が分からなくなる。
突然投げ出されたこの森、変化した自分の体、などの不可思議な現象が彼女を混乱させる。その困惑から無意識のうちに、美奈は女性から一歩ずつ下がっていく。それに気付いた女性は美奈に近づいて手を取った。
「どうしたの、逃げることないじゃないねぇ」
すると美奈はその手を振り払って、彼女が今まで見せたこともないような激しい剣幕で叫ぶ。
「一体何なんですか!」
すると女性は先程までの態度を改め、しゅんとなり、
「ああごめんなさいねぇ。私、ここで知らない人に会うの初めてで興奮してしまったみたい。名前も名乗らずに失礼だったわねぇ。私はベガっていうの。それで、小鳥さんのお名前は?」
声には出さず「うっ」と呻き、答えに詰まった。考えている暇はない。ふっと口をついて出た名前は、
「私の名前は――スピカです」
「いい響きじゃない。よろしくねぇ、スピカ」
ラジオ番組に投稿する時に使っていたペンネームを咄嗟に答えていい響きと言われて少しばかり気分をよくした美奈改めスピカだったが、ベガが差し伸べた手を握る気にはなれなかった。呼び捨てにされたから、というのも若干はあるが、とにかくこの人には近づかないほうが良いと本能的な部分が訴えかけているのだった。
「それで、スピカはどうしてこんな人の寄りつかない森の中に来たの? どこかの村から逃げてきたのかしら? それとも」
「友達を探しに来たんです」
その表現は間違ってはいないのだが、この場は嘘でも恋人と言っておいた方がまだ説得力があったかも知れないとスピカは思った。
「そうなの。でも、この辺りで人のいるところって言ったら一つしかないわよ」
「この近くにある集落にいるって聞いたんです。だとすれば」
「ええ、私達の村ねぇ。そもそもこの森に入るとしたら用事はそれしかないもの。おいで、案内してあげる。それにしても私に会うなんて、本当に幸運ねぇ」
「どういう意味ですか?」
何気なくかけた問いに、ベガは不審そうな顔をした。
「あの……?」
「いいえ、中には『知らない人を見たら泥棒と思え』って考えの人もいるからね。他の人だったら、村に近寄るなって追っ払ったかも知れないもの。世話好きでお客に対して抵抗のない私だったからこそ心配なく村に入れるし、村の中で友達を探すのもそうそう難しくはないわ」
「そういうことですか……」
納得した風は装うものの、このあたりの治安の悪さを象徴しているようで、スピカには安心できなかった。
「それじゃ案内するわ。私たち鳥人の集落『ゾディアーク』にね。付いてらっしゃい」
(ちょうじん?)
『読んで字の如く、鳥の特徴を持った人々のことよ。彼らは自分たちのことをそう呼んでいるわ』
ベガの声とは別に、耳元で囁くような声が聞こえた。声の主は間違いない、あの黒い服の女性だった。全身の毛が逆立つ思いがしてスピカはその場に立ち竦み、それから振り返った。当然ながらそこにあるのは閑散とした森だけだった。
「どうかしたの、スピカ」
「いいえ、何でもありません。ちょっと寒気がして。この辺り、結構寒いですね」
「まあ、標高が高いしねぇ。もうすぐ雪が降り始めるし、そうなるとますます裾野との行き来が難しくなっちゃうもの」
「雪、ですか」
幸助と二人で町に雪が降っているところを眺められたらいいな、と余計なことを考えてしまう。
「そう。だからそれまでに友達を見つけないとねぇ」
「あの……道案内だけではなくて探すのも手伝って下さるんですか? なんか悪いです」
「何言ってるのスピカ。困っている人を助けるのが人情ってものでしょう。それに、もうすぐ雪が降るからって言ったじゃない。連れ戻すつもりなら急いだ方が良いわよ。それとも、やっぱりおばさんのお節介だったのかしら?」
スピカは首をぶんぶん振って否定した。
「とんでもない! ありがとうございます。それにベガさん、おばさんと言うには若すぎますよ」
「ありがとう。ほら、いつまでもこうしていると日が暮れるよ」
『この先にある集落は鳥たちの村だけど、この世界には鳥人の他に色々な種類の……ああ、これは必要のない情報だったわね』
またあの声が聞こえた。独善的な解説で、前振りもなく現れ突然去っていくので薄気味が悪い。一度脅かされてしまえば二度目以降の効果が薄れるので、今度は怯えたりはしなかった。
鳥、と言われてふと背中の羽のことを思い出した。前を歩くベガの背中にもやはり薄茶色の一対の翼がある。ただ、この羽で本当に飛べるのかという疑問が残る。
「ところでベガさん、その籠は何ですか?」
出会った時から気になってはいた。大きな(おそらく竹で編んだと見える)籠を背負っているが、その中は軽そうだった。
「ああ、これ? 木の実を取るつもりだったんだけど……また今度にするわ。木の実以上の収穫があったからねぇ」
「収穫、ですか」
「ええ、そうねぇ。ほら、見えてきたでしょ。あれが私達の村」
ベガが指さす先を見た。最初に目に入ったのは白い壁だった。ただ、国境としての壁というにはあまりに低すぎるように思われる。
あの中に幸助がいるんだと思うと美奈の心は躍った。だが、この違和感だらけの世界に対する不安も拭い切れてはいない。これが悪夢である可能性は、最初から彼女の選択肢には入っていなかった。