ChapitreⅩⅥ:どの地位が真の権威か?
喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。
ローマ人への手紙
「お前は一体何を考えているんだ」
と紫色の髪の男が怒鳴った。目の前にいるシリウスは、それを何でもないかのようにあしらう。
「何って、結果が全てを語っているとは思わない?」
ここは屋敷二階の小会議室である。テルが使用を申し出、話し相手にシリウスとシオン、そこにマチルドが邪魔しないことを条件に割り込んできた。
「語っていないからこうして問い詰めているんだろうが。何故お前はあの偽者を村長にしようとして、しかも成功したんだ」
「アークに投票した人に聞いてみれば分かるわ。あの子達は彼に入れたんじゃない、私に入れたのよ」
「何だと……?」
「彼は村長になることを嫌がるわ。だからお飾りの村長になって貰って、私が事実上の村長になる。そういう計画だったのよ。それを話したら、みんな面白いように賛成してくれた」
何なんだこの女は! テルはそう心の中で愚痴を吐きつつ奥歯を強く噛んだ。そういう手段があるとは想像だにしなかっただけに、テルにとってもこの策による投票結果は予想外を超える予想外だった。眼中にない敵に勝利を持って行かれたのである。それに、シリウスにそんなに短期間で味方を集めるだけの手腕があったことの方がもっと驚くべきことである。そのことについて尋ねると彼女は、そこがテルとの一番の違いだと言い切った。
「確かにテルは武芸の腕前では誰にも敵わない。でもそれは、上司として信頼されているかどうかとは別の話なの」
つまり、テルが武力で兵団をまとめようとしていた一方で、シリウスは徳による部下との信頼づくりを築いていたのである。現に、ピースを筆頭にシリウスに心酔する者もいるし、彼女のことを心配する兵士は少なくなかった。
「協力者には、他の二人には極力ばれないように広めてって言ってあったの。だから私が直接説得しなくても、数はどんどん増えていった。テルに投票するはずだった兵士や女中は大体私に流れたはず」
「その勢いで市街地のセラトナ勢も懐柔したっていうのか」
「そうよ。一番上のテルと違って私は市街地任務もあるから顔は知られてるの。そこからは話術ね」
「恐ろしいまでのカリスマ性ね」
思わずマチルドが口走った。
「カリス……何ですか?」
「そういう才能があるって意味よ。それにしても、欲しいものが一気に手に入るのが怖いって言ってた時とは大違いの大胆さよね」
「マチルドさんと、私を支えてくれる仲間のお陰で気づいたんです。二度と来ないかもしれないこの機会を逸したら絶対後悔するって」
「アークを苦しめることが分かっていたのにか?」
「彼は優しいから、きっと分かってくれる。ね、シオン?」
「いえ、アーク様は故郷に帰られることをお望みですので、そこは私には分かりません」
「そうよ問題はそこなのよ!」とマチルドは声を荒らげる。「私がアーク君とスピカちゃんを故郷まで送り届けるって契約したのに、これじゃ反故になっちゃうじゃない」
「行商人は集落の内政には干渉しないのでは?」
「確かにそうだけど。でもこれは本人が同意した売買契約なのよ。二人まとめてって話だから片割れだけで出る訳にもいかない」
「だからといって村長を村からは出せません」
話は平行線になった。これ以上の進展や解決法は望めそうにない。
「マチルド、邪魔するなって約束はどうした」
「あらごめんなさい」
「でもなシリウス、人形同然の村長を置いてお前が一人ですべての仕事をこなすなんて荒業が、いつまでも続くと思うのか?」
「やってみなきゃ分からないでしょ」
「いいや、そう長くは続かない」
少なくとも、村長にされるアークには全てを決定する権利が託されることになる。彼がその権利を使わないはずはないとテルは予測しているのだ。
「いえ、長続きさせてみせる」
「どうやらこれ以上の議論は無駄だな」
彼らの夜はそんな風に過ぎていった。一方スピカはセラトナに誘拐されてマーテルの酒場で敗因の反省会を行い、アークはアリアやポーラと共に、テルとシオンの帰りを待ちながら今後のことについて話していた。
翌朝からの動きは早かった。何しろ、女中や兵士の多くがシリウスを支持していたのである。彼女の晴れ舞台のためともなれば、誰もが死んだバッタを見つけた働き蟻のように動き回る。もう一人の主役の声など、まるで耳を貸さずに。
「この村って男社会じゃなかったのか?」
リゲルの部屋で無理矢理に着付けをさせられながら、アークはシオンに愚痴をこぼした。珍しいことに、シオンの他にもう一人手伝いがいた。
「そうはおっしゃいましても、これはそういう決まりですので」
つまり最優先は村の掟で、村長の決定はその下にあるということだ。婚礼の儀をとりやめにしろといくら訴えたところで、誰も耳を貸さない。ということは、たとえ誰が村長になろうとも、村の仕組みを変えることは出来ないのではないか、アークはそんな事を考えていた。なら、掟を変えて脱出するという作戦は使えないかも知れない。それに、もし掟に村長は男しかなれないとあるのにセラトナが当選していた場合、一体どうなっていたのだろうか。
「って、おい何だこの趣味の悪い服」
「趣味が悪いとは何ですかアーク様。これは黄金に輝いていたという霊鳥様の翼をイメージしたそれは立派で権威ある衣装なのですよ」
そしてシオンは背伸びをして主人の頭に王冠を載せ、バランスを調整する。
「はい、完成です」
姿見がないので全体像は見えないが、妙にキラキラした婚礼の衣装は、悪い意味で目立つばかりだった。無駄に布地も多く、服を着ているというより服に着られているような感じだ。ひらひらした飾りも邪魔でしかない。神様ならともかく、凡人には見た目が痛いだけだ。
大広間で再会したマチルドとスピカは、彼のその姿を見て笑いをこらえていた。
「今まで何度か結婚式は見てきたけど、これは傑作だわ! どんな村よりも一番派手!」
「似合わない! ほんっと似合わない!」
「そんなの俺が一番良く分かってる」
「カメラあったら良かったのに」
「カメラって何?」
「私達の世界にある、景色をそのままの形で絵に出来る機械です」
彼らの携帯電話は服の内側で眠っているが既に電池が切れている。
「へえ、そんなものがねえ。ま、月に行けたって言うんだからそのくらい出来て当然よね」
(アポロのことも聞いてるんだ)とスピカが思い、
(マチルドさんとかつて出会った少年は少なくとも六十年代以降の生まれか?)とアークは考えた。
「あれから随分時間が経ってるけど、太陽には行けたの?」
「近づいたら死にます」
「何の話をされているのですか?」
「……シオン、お前いつからそこに?」
「何をおっしゃいます、最初からですよ」
「今聞いたことは忘れろ」
「忘れるも何も、似合わないというところ以外は私には全く理解できませんでした」
「なら良い。それも含めて全部忘れろ」
「はい」
本当に素直な子だ、と三人は思った。しかしその性格は、人に従うことを押し付けられ、予知夢で見てはいけないものまで見てしまう辛さを押し殺しているが故のものだということを知っているのは、アーク一人だけだった。
そうしていると、部屋の一画から黄色い声が上がった。純白と紅を基調とした優雅なドレス。光り方は自己主張が強い新郎のそれとは違い、控えめで繊細。赤い部分は光こそないが力強さを思わせる色合いだ。ただでさえ美しいシリウスの瑠璃色の髪は、銀色のティアラでより強調されていた。
「あっちのほうが見栄えするよね」
「スピカもああいうの着たい?」
「私はむしろ白無垢かな」
「似合いそうだな」
重そうな服を引きずって、シリウスがアークに近づいていく。アークは新婦の顔を見た途端、目が離せなくなった。そうだと言われなければ彼女だと判別できない程の化粧ときらびやかな装い。まるで別人のようだった。
「シリウス、なのか?」
思わず彼は呟いていた。
「何言ってるの?」
シリウスは呆然とするアークの手を取って、屋敷の外へと歩いて行く。その後姿は金と銀、あるいは金と赤という対照的な姿だった。それに桜色の正装をしたシオンと、空色の服装をしたもう一人の女中が付き従う。
「マチルドさん、金と銀ってこの世界でも重要なんですか?」とスピカが尋ねた。
「それはもう貴重な代物よ。男と女、太陽と月、昼と夜、そういう象徴として使われる集落は決して珍しくないわ。ここはそれに太陽を象徴する金あるいは橙と赤を合わせるって意味合いもありそうね」
シリウスのドレスに入った赤い布地にはそういう意味があったのかとスピカは納得した。
「でも何故太陽なんでしょう?」
「霊鳥様が太陽の使いだからだ」
突如話しかけられて、スピカは飛び上がる思いがした。高鳴る心臓を抑えて声の主へ目を向ける。
「来てたんですね、テルさん」
「来てるも何も俺はこういう時にはいなきゃいけないことになってる。もっとも、警備の仕事は俺が指揮するまでもないようだが……それとあの衣装は、二人合わせて太陽と霊鳥様を意味するようになっている。二人で一つになり、全てを導く太陽のように君臨する、そういう意味だ」
「つまりあれは次期村長になることが約束された者だけが着られる衣装ってことなんですね」
「その通りだ。もちろん、婚礼の儀を行うのも村長の息子だけだと決まっている」
主役の二人が広間から出て行くと、その取り巻きも合わせて出て行く。部屋が急に静まり返った。残されたのはスピカとマチルド、テルとポーラ、それにセラトナとベガだった。それに、後始末の女中が二人残って掃除をしている。
「ベガさんも来てたんですね」
「まあねぇ。あの偽リゲルが本当に偽者なのか確かめたかったからセラトナに頼み込んだのよ」
「それで、どうでした?」
「顔つきや髪の色なんかは紛れも無く本人ねぇ。でもさっきの歩いてる時の嫌そうな顔! 本物だったらもっと嬉しそうにするはずよ。あんな美人が妻になるんだからね。それはそうと、私は投票してないからよく知らないけど、どうして偽リゲルに票が集まったのかしらねぇ」
「それを今から話すつもりだったんだ」とテルが言うと六人は執務室へと場所を移し、テルと商人の口からシリウスの目的と票を得た方法が語られた。
「アークを名前だけの村長にして実権を握るためだってことですか!? そんな、村長になりたくないっていう感情まで利用するなんて」
スピカが叫ぶように言った。これは傀儡政権でも政略結婚による乗っ取りでもない。常軌を逸した卑劣な立場の利用だった。
「まあ落ち着いてスピカちゃん。これはあくまでシリウスさんの考えにすぎないわ。この作戦には重大な欠点があるの。気づいてるでしょ?」
少女は一呼吸置いて、その意図に行き着いた。
「彼が何もしないという前提で成り立つことですね。あくまで彼を村長という立場に置く以上は、彼にも相応の権限がある」
「ええ。そこを突くの。もっとも、今の彼にそんなことを考える余裕なんてないでしょうけど」
「でしょうね……」
幸助がシリウスに対して何か特別な感情を抱いているのは明らかだった。それは憎悪でも恋愛感情でもないようだ。では一体何なのだろう。
「今後の変化にもよると思うけど、立場的に、何の妨害も受けずにアークと接触できるのは私一人になるわね。私達の作戦にとって不利に働かなければ良いのだけど」
「マチルド、妨害ってどういうことだ」
「あの村長夫人がそこに気づかないと思う? 本人が知らなくても取り巻きの誰かが言って、何かと邪魔をしに来てもおかしくはない」
「なるほど、村長夫人の命令なら、たとえ兵団のトップだろうと逆らえないからな。村長と、掟の範囲外の行商人以外は」
「そういうことね。村長が何か言えばまた変わるかも知れないけど、それをさせないようにするくらい、やりかねないわ」
「それでスピカ、私達は結局どうしたら良いんだ」
セラトナが訊いた。
「今の段階で出来るのは、投票のやり直しを訴えることです。間違っても暴力で解決しようなんて思わないで下さい」
「訴えるってどうやって?」
「余所者が村長になるなんておかしいって広めて回るのが良いと思います。仲間の中にはシリウスさんに説得されて票を入れた人もいると思います。そういう人を呼び戻して下さい。セラトナさんなら出来るはずです。何なら、村長は夫人に酷い扱いを受けているって噂を流しましょうか。とにかく、彼女に不利な状況を作るのが最優先です」
「そういうのは得意だ」
「あとはアークがどう動くか、よね。こっちの動きを伝えられると良いんだけど.」
「結婚式から村長の就任式までの時間で接触できる。急の事だからな、準備にも時間がかかる。それまでに方針を決めておこう」
金の服を着た男と銀の衣装をまとう女が、屋敷から続く石畳の道を歩いていた。
「ほらアーク、結婚式なんだから笑って」
「笑えるかこの状況が。それよりお前は一体何をしたんだ。何故俺を村長にしたんだ」
シリウスは新郎の顔をじっと見ているのに、アークはただ前方を睨んでいた。
「村の女の子達に、私を村長にさせてって頼んだの。それだけであの結果」
「お前が村長に?」
「君は村長になりたくないし、なれるだけの技量もない。だったら、その仕事は全部私が肩代わりしてあげる。そういう話よ」
「なるほど。だったら俺はもういらないな。本物のリゲルが死んだのを隠してたように、俺がいなくなっても隠し通していれば、それでお前の理想は叶うだろう」
「それでごまかせるのはせいぜい一年。いないってことがバレたら私の命が危ない」
「じゃあ諦めろ」
「ならせめて私の夢を叶えるまでそばにいてよ」
「っ――!」
またその話を持ち出すのか、とアークは額に手を当てた。龍と鳥の血が流れるシリウスが、戦争を止める鍵になるという夢。それを実行するには地位が必要だった。きっかけとなったのは幸助の存在だった。その話は、アークにとって無関係ではいられないのである。
やがて二人の前には木の上り坂が現れた。霊鳥祭の時に使った演台である。その先端にはアリアが立っていた。二人は相変わらず手を握ったまま、その坂をゆっくりと登っていく。立ち止まるとアリアが、
「お集まりの皆様、この度の誠に喜ばしい婚礼の儀へのご参列、心より感謝致します」
アークの心中とは真逆で、空は二人を祝福するかのように晴れ渡っていた。今すぐ青天の霹靂でも落ちて中止になればいいのにと彼は思った。下を見ていると注がれる視線の数に耐えられないことは分かりきっている。なので彼はずっと空を流れる雲を眺めて、アリアが読み上げる祝詞を聞き流していた。
「新婦シリウス。あなたは、アークトゥルスを夫とし、正妻として尽くし、支え、敬い愛することを、我らが霊鳥の名の下に誓いますか」
「誓います」
やっぱりこういうのはあるのかとアークは焦った。もしこの場で誓うと宣言したら、ますますこの村を離れるのが難しくなる。かと言って逃げ出したり、誓わないと言ったりしたら、それこそどうなるか分からない。
「新郎アークトゥルス。あなたは、シリウスを正妻とし、一人の男性として彼女を良き伴侶とし、敬愛することを我らが霊鳥の名の下に誓いますか」
シリウスに対する言葉と違っていることに気づく余裕もなく、彼はその場から立ち去ろうとした。だが、足が動かなかった。嘘だろ、と口がぱくぱくと動くだけだった。
まずい、これはまずい。空気の冷たさに反して、彼は汗が止まらなかった。手足がしびれ、感覚がなくなっていた。深い水に落ちたかのように聴覚も薄れ、聞こえるのは自分の脈の音だけ。腹の底から不快なものが沸き上がってくる感覚もある。眼の焦点は合わなくなっており、目の前に何があるのかさえ分からない。彼は程なく、その場に崩れ落ちた。
『ちょっと情けないんじゃないの、この程度のことで気を失うなんて』
「うるさい、お前に何が分かる」
黒い崖の上で、幸助はあぐらをかいていた。感覚は既にはっきりしている。ここが夢の中だからだ。
『でもそのお陰で面白いものが見られたから、よしとしましょう。もう少しだけ付き合って貰うわ』
「面白いものって何だ。お前は人のトラウマを抉るのが趣味なのか」
『似たようなものね。掘り起こして抉るのもそうだけど植え付けるのも趣味よ』
「素晴らしい限りだな」
『趣味というより仕事だけどね』
「仕事だって?」
『そうよ。あなた達をこの世界に送り込んで、元の世界に戻すところまでが私の仕事』
「そりゃ一体――」
『残念、そろそろお目覚めのようね』
彼が目を覚ましたのはベッドの中だった。多くの人に囲まれている。彼は一瞬、あの時に戻ったのかと勘違いした。
「良かった、気がついた!」
少女の声がして、彼は手を握られた。
「み、な……」
彼はおぼろげな意識の中でそう呟いた。
「アーク、私が分かる?」
温かい手を握り返しつつ、絞り出すように彼は少女の名を呼んだ。
「スピ、カ――」
「体は何ともない?」
「ちょっとだるいかな」
「何があったの?」
「分からない。あの場所に立ったら急に意識が遠のいたんだ」
「そう」
「それより状況は? というか今はいつだ?」
「倒れてから少ししか経ってないよ。儀式は無事終わったってさ」
「無事、か」
それは少なくとも彼にとっては良い意味の言葉ではなかった。
「じゃあこれから就任式か?」
「体調のことを考えて明日に延期するって」
「なら良かった」
「アーク様、お水はいかがですか?」
「ありがとう、貰うよ」
体を起こし、水を一息に飲み干してから、彼はあることに気づいた。
「服が戻ってる」
「脱がさないと運べなかったのです」
「シリウスは?」
「姉さんなら別の場所に待機しています」
彼女が自ら離れたのか誰かが指示したのかは定かではないが、ここにいないのが幸いだった。
「じゃあアーク君、体調が戻ったら、明日以降のことで話があるの」
マチルドはそう言ってベッドに腰掛けた。
「そうですね、シリウスの策を破らなければなりませんし」
「あら、もう聞いたの?」
「本人の口から、俺の仕事を全部肩代わりするって。俺が村長になれないしなりたくもないことを分かっていてこういうことをするなんて」
「それを実現させる実力も大したものね」
「まったくです。じゃ、ちょっと休みます」
「ええ、じゃあ失礼するわ」
この時になって彼は初めて、この場にテルやセラトナらもいたことに気がついた。彼はスピカにだけこの場に残るよう言いつけ、彼女とシオン以外全員を部屋から追い出した。
「どしたの、私だけにって」
スピカはベッドに深く腰掛けた。
「今後のことを考えたら、村長をやめてここから出て行くのはそう簡単じゃないと思う」
アークはそう切り出した。
「だからどう足掻いたって、俺が村長になるシナリオは変わらない。でもそうなると、スピカの立場はどうなる? そりゃマチルドさんの荷物って扱いにこそなるけど、ここの市民になるよな」
「まあそうだよね。行商人のおまけってことで見逃して貰えるとも思えないもんね」
「そこで考えたんだ。スピカを愛人にすれば、問題なくそばにいられるんじゃないかって」
「え?」
「いやだからここだと一夫多妻制ありだって」
「えええええ!?」
少女は顔を真っ赤にして口元を押さえていた。
「ダメか?」
「ううん、ダメじゃない、けど」
彼女の顔がだんだんと下を向いていく。耳まで赤く染まっていた。
「けど?」
「そういう大人の関係はまだ早いっていうか」
「話聞いてる?」
「聞いてるよ」
「七日くらいかけてようやく会えたのに、また離れ離れって訳にはいかないだろ? 村長の第二夫人になれば、いつだって会えるんだ。悪い話じゃないと思うんだけど。こういうベッドで毎日眠れるし」
「ああ、そういう話? ならもっと早く言ってよ」
「最初からそう言ってた気がするんだけど。いいな、それで」
「うん」
「じゃあシオン、手続き頼む。俺はもう一眠りするから」
「かしこまりました。ではスピカさん、こちらへ」
その夜、マチルドとベガはマーテルの酒場にいた。投票結果はこの一日で村中に広まっており、ここに限らずとも、話題はそのことで持ちきりだった。ただし、評価は真っ二つに分かれている。シリウスが勝ったことを喜ぶ彼女の支持者と、部外者を村長にした彼らを非難する者だ。そこかしこで、これで良いだの良くないだのと論争が巻き起こっている。
「まずいことになったとは思っていたけど、こんなところにまで及んでいるとは思いもしなかったわ」
テーブルを挟んで平行線の言い合いをしている中年の女性を見ながら、マチルドが呟いた。
「こんな風にみんな喧嘩してる光景を見るのはここに店を開いて以来初めてだよ。その新しい決め方に問題があったんじゃないのかってさえ思うね」
「そんなはずはないわ。デモクラシーは文明の最先端をゆく発明だもの、その方法に問題はないはず。あるとしたら結果の方よ」
「文明の最先端?」
「そうよ、文明が恐ろしく進んでるスピカの村でも使われてる方法らしいの」
「なるほど、あの子の村のやり方なのか」
そう言って酒場の主人は自分のために用意したお茶に口をつけた。
「へえ。スピカは何も言ってなかったけど、どんな風に文明が進んでるんですか?」
ベガが興味深そうに言う。
「例えば、巨大な鉄の鳥が空を飛ぶ!」
「サイコキネシス?」
「そのまま月まで飛ぶ!」
「あの月に? 冗談でしょう?」
「どんなに遠く離れても会話が出来る!」
「必要なんですかそれ? 商人さん、いくら私達が村から出たことがないっていっても、それが嘘だってことくらい分かりますよ。本当に見たことあるんですか?」
「ないわ。私も、その村から来たっていう人に聞いただけだしね」
「その村から来た人? まさかスピカの故郷って行商人の集落なの?」
「これ以上は話せないわ。それにしても随分と知りたがりなのね。昔会った子にそっくり」
「そういうのじゃないんです。私の家が宿屋なので、商人さんと話をするのが好きなだけなんです」
「あら、そうなの」
「魔女伝承のことを調べてるっていう人の話は本当に面白かったですね。さよならも言えずに突然いなくなっちゃいましたけど」
「それ、何年前の話?」
「六年くらい前だったと思います」
「金髪じゃなかった? その人」
「それはもう星の光のようにきれいな金髪でした」
「間違いないわ、それ、生え変わる前の私」
「……え?」




