ChapitreⅨ-A:村で最高の地位
至上の処世術は、妥協することなく適応することである。
ジンメル
急ぎの用があるのに寄り道をさせられたのだから、お茶でも飲まないかと座らされても落ち着いて雑談に花を咲かせられるはずもない。出涸らしのお茶に全く手をつけず、目の前を飛び交う言葉を話半分で聞き、何かを言われても「はい」か「いいえ」でしか答えない……今のシオンがそれだった。
「そうなのかい。こんなちっちゃいのに専属の女中として働いてるとは、頑張り屋さんだね」
自分のことを話していると気付いても、彼女は聞いているのかいないのか分からない返事をするだけだ。セラトナともその友人であろう金髪の女性とも決して目を合わせることなく、女中はただただ主人が今無事でいるかどうかばかり考えていた。
「せっかくだからあんたにも何か良い案があったら聞かせて欲しいね」
「おいおいセラ、あたしはそういうのまるでダメだって知ってて言ってんのかい?」
「……だよなあ」
「仲間の中には頭の良いのが何人かいるだろ? それにいざとなりゃマーテルだっているんだし」
「そうだな。それに今ならもう一人行商人がいるから知恵を借りるのも悪くない。でも、出来る限り身内だけでやりたいんだ。その思いはテルたちも同じらしいから」
「あのっ!」
震える甲高い声が、談笑を切った。
「リゲル様を迎えるのが遅くなっては、テルさんが怒ります。それに私たちが屋敷を出た目的を忘れたのですか? アリア様直々のご命令なんです、もう少し責任を感じて下さい!」
その目には涙さえ浮かんでいた。ちょっとだけならと軽い気持ちだったセラトナも、さすがにもう少しくらい良いじゃないかとは言えなかった。彼女は今、戦いの真っ只中にいるのだから。
「なんだ、ちゃんと大声出せるんじゃないか……さすがにのんびりしすぎたね。それじゃあ、急いで彼を迎えに行こうか」
「当然です!」
女性に別れを告げて、二人は飛び出すようにまだ雪の降り続く目抜き通りに再び躍り出た。こっちだ、と案内をする女傑の背中を追いかける女中の足取りは、どこか危なげだ。そもそも多くの布を使いゆったりしたシオンの服装は、動き回ることに適していないのである。もちろん、雪に足を取られ、両手に抱えたリゲルの外套のせいでバランスが取りづらいからというのもあろうが。
だからセラトナが背負ってやろうかと提案したのも無理からぬことだ。もちろんすぐに棄却された。仕方なくマーテルの酒場までの道のりを、シオンの歩調に合わせて下る他はなかったのだった。
「そういえば、リゲル様の居場所に見当が付いているとのことでしたが、どちらに?」
「この居住区には、旅を終えた行商人が構えている店がいくつかあるのは知ってるよな?」
「いいえ……行商人さんにそういう終わり方があるなんて初めて聞きました」
「そうかい。ああいう連中は、最終的にはどこかに腰を据えるものなんだよ。商人の拠点集落で落ち着くのもいるそうだけど……スピカとリゲルがいるのはその一人が経営している酒場だ。スピカが寝泊まりしてるところのすぐ隣だし、間違いない」
「……何故スピカさんはリゲル様を連れてそんなところへ行かれたのでしょう?」
「それが、私にも分からないんだ」
「彼女は反乱軍の一員で、あなたはそこの指揮官なのですよね。彼女が下っ端ならともかく、分からないということはないでしょう?」
「確かに参謀に任命はしたけど、知り合ってから七日と経ってないからね。それほど勝手を知った関係ではないんだよ」
「重役をそんな急に決めたんですか?」
「そうだよ。私が評価するのはその能力と信用出来るか否かだからね。実際スピカは色々と気がつくから、参謀として十二分に活躍してくれた。あの子はこの村に友達を捜しに来たんだって言っていたよ。戦いに協力して貰う代わりに私達は友人を捜すことを手伝う、そういう取引だったって訳さ」
「彼女は外人なのですか?」
「スピカも鳥なんだから問題ないだろう?」
「それで、友達を『捜し』に来たそうですけど、友達になってくれる人を『探し』に、という意味では」
「誰がそんな目的で他の集落に行くんだ?」
「それもそうですね」
「もしかしたらその尋ね人がリゲルだったりしてね。いやいや、そんなことがあるはずない」
ハハハ、と頭領は笑い飛ばしたが、リゲルの事情を知っている女中にはそれが冗談に思えなかった。
(空から降って来たというリゲル様と、友達を捜しに来たというスピカさん。この二人がゾディアークに現れたのはほぼ同時。単なる偶然? でも、リゲル様は確かに帰るべき場所があると仰っていましたから、彼女が同郷の友人であるのも考えられない話ではありません。でも何故この村に?)
考えれば考えるほど謎が浮かんでくるが、彼女には解決するだけの手段がない。予知夢という特殊能力は未来にしか効果がなく過去を知ることは出来ないので、そちらに頼ることも不可能だった。
「シオン、何をそんなにぼうっとしてるんだ?」
「いえ、何でもありません」
「リゲルを心配する暇があるならきびきび歩きな」
「はい」
「それにしてもあの偽者、よく似てたよ。一体あの男、どこの村から誘拐してきたんだ?」
「えっと……?」
「冗談だよ。何を真顔になって考えてんのさ。大方村長のことだから、村の男を全て把握してるんだ。その中の一番似ている男を影武者に育てていた、そんなところだろう? 大きい村だから、そういうのがいたって別におかしくはない」
「え、ええ。そんなところだとは思います。私はただの召使いなので詳しくは知りません」
「リゲル専属の女中でも?」
「たとえそうでも、ただの召使いですから」
「ま、本人に聞けば一発だ」
「なりません!」
そんな風に雑談をしながらやっとの思いで酒場に辿り着いたら、シオンは自ら前に出てドアを叩く役を買って出た。
結局幸助は少女らには逆らえず、スピカが左腕を、シオンが右腕を絡め取っていて、さながら処刑場へ連行される囚人のようだった。ちなみに彼の前にはセラトナ、後ろにはマチルドがいる。
「なあ、歩きにくくないか?」
左右のどちらにともなくアークが言った。文字通りの両手に花状態ではあるのだが、その二輪の花が怒っていては喜ぶに喜べない。目の前を歩く敵か味方か分からない褐色の背中が助けてくれるはずもなく、結局彼は流されるしかなかった。
「別に平気、靴が良いから」
近づきすぎて歩きにくくないか、という意味での問いを弾き飛ばしてそんな風に答えるスピカ。ちなみに屋敷を出る時青年に渡されたマフラーは酒場を出る前に持ち主の元に戻っていた。
「大丈夫です。アーク様こそ、平気ですか?」
対して、問いかけに正確に答えて気遣いも見せたシオンの方が可愛げがある。
「俺は歩きづらい」
殆ど密着している上に、身長が低い少女二人が彼の両腕を下に引っ張るように掴んでいる。ごく当然の現象と言えた。
「あんたら、じゃれ合ってる暇があったらちゃきちゃき歩きな。こっちは野望が果たされるかどうかって瀬戸際にいるんだから」
先行するセラトナが止まって振り返り、少し怒った様子でそう言った。
「道草喰ってた人の台詞じゃありませんね」とシオンが呟いたが、誰にも聞こえなかった。
「その野望っていうのは、自らが村長の椅子に座ることですか?」とアークが尋ねる。
「当たり前じゃないか」
「だったら敵である俺を待たないで先に行けばいいじゃないですか」
するとセラトナは器用に後ろ向きに歩きながら、
「そういう訳にもいかないんだ。その子と一緒に君を連れてくるのは、村長代理、ご夫人のご命令だからね。このくらいの仕事もこなせないで、村長になれると思うのか? それに、アリア様とかいうそのご夫人が言うには、村長の決めたことだからまだリゲ……君に継承権がある。正式にそれを破棄させるために何やら儀礼が必要とのことだし、後継者を誰かに任ずる必要があるんだと」
「律儀ですね……そういえば反乱軍は今朝、テルと共謀する話し合いをしていたみたいですが、一体何を話したんです?」
「そこにいる行商人から言伝を受けたんだ、『祭りの日の夜明けに、櫓の前で待て』とね。それでテルと交渉し、門を開けて兵団を抑えて、攻めやすくすることを約束してくれた、って訳。実際に乗り込んだのはその少し後だったがね。いくつもの梯子を使って門を乗り越える、スピカの作戦を破棄することにはなったけど、そのおかげでより効率的に心配もなく進んだのは確かだ」
「その時テルは、あなたが村長を殺すことを条件に加えなかった。だから実際にあんなことになった訳ですが……その取引にはテルに何のメリットがあるか気付かなかったんですか?」
「攻め込む、ということだったからてっきり殺すことを前提としていると思ったんだ。言われてみれば確かにそうだな……」
「大した男だよ、全く」
「テルさんは英雄としての武勲ばかり語り継がれていますけど、実際知将でもあるんです」とシオンが語った。「ラザル様が彼に助言をお求めになることも度々あったくらいです」
直近の出来事は、リゲルが面会謝絶を要求したその朝だった。シオンも交え三人で話した、あの時だ。
「手強い相手だな」
「でも、敵が強ければ強いほど……」というアークの言葉を、セラトナは「倒し甲斐がある、か。燃えてくるよ」と続けた。
「そうですよね」と付け加えた彼は実は真逆のことを考えていた。すなわち、『敵が強ければ強いほど自分が負けやすくなる』ということだった。
(シリウスがどんな手を使って俺を村長にするつもりかは知らないが、相手が完全無欠の英雄と、村人全員の期待を背負う女傑との三つ巴なんだろ? 俺が勝てる要因がどこにある?)
多くのこういうケースではどうにかして勝つための戦略を見いだすものだが、負けることがそもそもの目的である、彼は何もする必要がなかった。
しかしそこには障害がある。彼の右手を掴んでいる緑髪の少女と、その姉である。少なくともこの二人は、敵に対抗するための行動を要求するに違いない。かといってその思いを敢えて無下にするのもそれはそれで心苦しく、彼は彼で既に心は決まっているのに、板挟みを感じざるを得なかった。
「なあシオン、お前シリウスのためって言うけど、本当は全部分かってるんだろ?」
「はい。アーク様は必ず村長になります」
「嘘を吐いて俺を諦めさせようっていう魂胆か?」
「嘘でも本当でも、結局は同じことです」
「同じ、ねえ」
疑いの目を向けているアークに、スピカは一体何のことを話しているのかと尋ねた。
「シオンは必ず当たる予知夢を見る能力を持ってるんだ。だから俺の知らないうちに俺の考えを知っていたりして……恐ろしい子だよ」
「必ず? 絶対?」
「はい、外れることはありません。今日ラザル様が亡くなられることも、三日前には知っていました」
「ふうん。それでアークが村長になる、って?」
「はい」
スピカにも、シオンが嘘でも本当でも同じと言った理由が分かった気がした。この予言者がアークの勝利を夢に見ていてもなくても、別の支配者がいるこの村の夢を見ていない限り、彼女が取る行動は変わらないのである。
「でも絶対に私がそんなことさせない。用が済んだら私たちは帰るべき場所に帰るから」
たとえどんな未来があっても、一寸先が闇でも、スピカのなすべきこともまた変わらないのだ。
「なりません、このお方は私たちに必要な殿方なのですから!」
「アーク君、君って罪な男だね。私が言うのも変だけど、女の子泣かせたら許さないよ」
「マチルドさん、中立的立場を貫くっていう行商人が助けてくれるなんて思いはしませんが、からかうだけならお引き取り願います」
「なんてことはないわ。本当のことじゃない。君がどっちを取るのか、興味があるだけ」
「なおさらたちが悪い」
しかしマチルドが言うことも尤もで、かつてアークがシオンに言った「誰も悲しまない結末なんてない」という一言に代表される。彼に本来なら無関係だった多くの人々が悲しむことなど、見えない世界の話だから気にすることさえない。しかし不本意ながらも深く関わり、事情を知ってしまったことでそうも行かなくなってしまった。むろん、彼女らのために自分自身と自分の世界を犠牲にするなど言語道断。帰ったら会うべき人がいる。呼ぶべき名前もある。進むべき道は決まっているのに、彼の手首には、方向を変えさせようとする茨が絡みついている。細い植物、振り解くことは容易い。だがその呪縛から逃れるためには、痛みを覚悟しなければならなかった。しかもその有刺植物は、幸助が守るべきと考えている「女性」にカテゴライズされている。
(どうしたら良い? やっぱり、誰かを傷つけなければ俺の未来はないのか?)
そんな苦悩をよそに、一行はオフィユカスの門前の広場に到着した。何故かそこには人々が集まっている。鉄の門扉は既に開いているのに敷地内に入り込むでもなく、ただ何かを待っているかのようだ。
「セラトナさん!」
群衆の中から一人の若い女性が出て来て、首魁に駆け寄った。何か押し問答をした後、アーク以下三名の顔を見て怪訝そうな顔を見せた。
「もめてるな……まあ何言ってるのかは大体想像が付くけどさ」
とアークはスピカに囁いた。
「ちょっと違うような気がする。確かに君がここにいることにも驚いてるんだろうけど、さっき通った時にあの人達はいなかったし、今屋敷の方を見てたから、中にいるはずのセラトナさんがここにいることに驚いてるんだと思う」
と少女がコメントした。酒場でマーテルが推測した通りならば『クーデター』の構成員は頭領の指示で待機していたのだろうし、二人が屋敷を飛び出す直前に見た光景の中には、セラトナ以外はオフィユカス関係者しかいなかった。
「なるほど、指揮官が心配で様子を見に来たら、何故か俺を連れて背後から登場、と。そりゃ不思議がるはずだ。聞きたいことも山ほどあるんだろうし、長引きそうだ。とりあえず話が付くまでは動かないで、任せておくべきかね……」
そもそも、両の腕を固定されているこの青年は動きたくても自分の意志だけでは動けないのだが。この場をセラトナだけが通るなら簡単だろうが、偽者のリゲルだった彼をみすみす見逃す反乱軍でもないから、話し合いはもつれそうだ、と思ったところで女頭領が合図した。そして一行が門をくぐった後、同行者の数が四人も増えていた。
一行が屋敷の大広間に入ると、まだ血の香りが残っているものの、床はきれいに掃除され死体も別の場所に移動されたらしく、出て行った時より状況は改善されているようだった。それでもアークもスピカも戻りたくない場所であることに変わりはない。召使い達が彼らに向ける視線も含めて。
少女らの拘束から解かれた青年の許にすぐさま駆け寄ってきたのは、彼を最も必要とする人物、正妻に選ばれたシリウスだった。彼女はアークの帰還を心から喜んだが、彼は彼で決して目を合わせようともしない。
「シリウスさん」とスピカが彼女に話しかけた。
「何かしら」
「彼から話は聞きました。彼が死ぬかというところを、不思議な力で助けて下さったそうですね。本当にありがとうございました。もう何とお礼をしたらいいか」
そう言って白髪の少女は頭を深々と下げた。ところが感謝されたシリウスは最初何のことか分からずにいた。そこでスピカの頭とアークの横顔とを交互に眺めると、それが彼との最初の出会いのことを指しているのだと分かった。
「どう致しまして、と言うより、私はそれが人助けだとも思わないでやったことですから。お礼なら結構ですよ。リゲル様には、やっていただかなければならない仕事が山ほどあるのですから」
「え? それってどういう――」
「あら、戻られたのですね」良く通るその声に、会話は自然と中断させられた。上から下まで暖色の格好をした女性、ラザルの正妻だったアリアである。彼女の前に、セラトナが仰々しい動作で跪いた。
「はい、アリア様。少々遅ればせながら、アークトゥルス様、いえリゲル様の護衛、完遂致しました」
「ご苦労でした。シオン、慣れないことをして疲れていませんか?」
「いえ、平気です。お気遣い感謝します」
「さて……」
裾をずりずりと引きずりながらアリアは、俯くアークの目の前に立った。
「掟のためにまともに会話することさえ叶いませんでしたが、私が誰だか分かりますね?」
「そうですね、何度か顔を見たのに声も名前も知らなかったのですが……アリア様」
「では私があなたを連れ戻させた理由は?」
「形式上はまだ俺に継承権があり、別の人に渡すためにも儀式が必要とか」
「はい、その通りです」
「その件なら全部ベテルギウスに一任します。俺のことはもう放っておいて下さいよ」
彼はそれで全てに決着をつけるつもりでいた。誰かに引き留められはするだろうが、それを振り切ってマチルドの庇護下に入れば安全だと踏んでいた。
「そいつは困る」
しかし踵を返そうとした彼を引き留めたのはセラトナだった。彼女の背後には反乱軍の構成員が四人無言で棒立ちしている。
「俺がいなくなることを望んでいるんじゃ?」
「だからといってテルに全部押しつけて逃げられたら私たちの行動の意味がないんだ。せめて、次の村長が決定するまではここにいて貰わないと、みんな困るんだよ」
「……どうしても俺じゃないとダメなんですか」
その視線の先にいるのはアリア。
「曲がりなりにもあなたは『リゲル』です。次の村長が決まるまでの間は、前の長が決めた法に則りますから、選出された後任者があなたを追放するよう指示すれば、それで解決です」
「じゃあ早く決めて下さいよ」
「問題はその決め方なのです」
ちょうどその時、最後の村長候補、テルとその婚約者ポーラが広間に現れた。そのポーラの提案で、会議を立ち話でするのは良くないと、広間の小さな雛壇の奥と繋がる執務室で続きが行われることになった。村長の仕事机は半円形になっていて、その弧に沿うように候補者とその関係者が並んで椅子に着いた。中央の議長席にはアリアがおり、彼女から見て左側からシリウス、リゲル、シオン、スピカ、セラトナ、ポーラ、ベテルギウスと並んでいる。
「夫もリゲル様も亡くなられた以上は、この場は村長代理として私が仕切ります。さてこの場で何を話し合うか、ですが、各々自分の正当な理由があるのは周知の事実ですから、この場で主張し合って私が判断を下す、ということは致しません。そんなことをしたって、誰もが納得する結果にはならないでしょうから。私が要求するのは、どんな結果になっても三者とも受け入れられる方法なのです」
「例えば、三人で殴り合って最後まで立っていた者が勝者、とかそういうのですか?」と、アークが冗談交じりに言った。
「はい、その類のものですが、それは村長を決めるのに最も適さない手段です」
「ならそれは最後の手段ということで」
言うまでもなくこれは幸助の敗北を決定させる方法である。やむを得ないという状況を作り出すためには助言はするべきではないと判断し彼は終始口出しをしない方針を取ることにした。
「ところでポーラ、あなたがさっき言っていた方法を突き詰めていくのはどうでしょう」
「あれ、ですか……」
その瞬間、横の扉が叩かれて若い女が入ってきた。
「アリア様、一つご相談が……これは、大事な会議中でありましたか、申し訳ありません」
「いえ、良いのです。そちらの方を放置しておいた私の方こそ……」
アリアは立ち上がって、候補者達と今入ってきた女性とを代わる代わる見た。
「アリア様、こちらは構いませんからラザル様の葬儀を優先させて下さい」
「しかしシオン、村長代理として、こちらを無視するわけにも参りません」
一度に二つの仕事を抱えててんてこ舞いになっている夫人の姿を見ながらアークは、ここからどういう展開を見せるか想像していた。第一に、アリアが会議を優先して残るか、第二に、彼女が去った状況下でここにいる七人だけで不毛な話を続けるか。第三に、この場を一挙に解決してしまう神の見えざる手が現れるか。しかし最後の可能性はないように思われた。今までも、そしてこれからも、状況を解決するために頼れるのは自分だけだからだ。
「俺としても、村長決めよりも葬儀を先に行うように申し上げました」とテル。「ここは我々でどうにか致しますから、アリア様はどうぞそちらへ」
その言葉が文字通りアリアの背中を押した。会議が羅針盤を失ったことで、着席者は互いに顔を見合わせた。幸助だけは腕を組んで目を閉じていたが。沈黙を破ったのは、何故かセラトナだった。
「さあスピカ、君の出番だ」
「え、ええ?」
驚いたのは少女だけではない。さすがにアークは無視出来なかった。何しろ彼女は快刀乱麻を断つ役割を一番担いやすい。だが彼女もまたアークが村長にならないことを望んでいるので、悪化することだけはなかろうと思われた。
「あの、さっきアリアさんが言っていましたが」スピカはおっかなびっくりといった様子でポーラの方を見ながら言った。「一体何を言ったのですか?」
「別に、どうということはありません。村長に仕える女中と兵士とで、誰が相応しいか決めさせるという、机上の空論を言っただけです。たった七人の話し合いでさえ結論は出しにくいのに、何十人何百人で意見を出し合っても、ただぶつかり合うだけで、時間と体力の無駄です」
「なるほど、より多くの意見を反映させたい、と」
これに反論したのは、ポーラの理論だと圧倒的な不利を強いられるセラトナだった。
「それだと、屋敷の外にいる住民の意見なんか無視しても構わないって言ってるみたいじゃないか。数を増やしすぎると収拾が付かなくなると言いたいのは分かるが、少なくとも民衆の意見を取り入れない決め方は許さないよ」
「仰る通りで。かと言って、あなただけに有利な状況も、歓迎出来た話ではありません」
この二人が睨み合うのを横目に、スピカは最初からほぼ会話に参加していない陣営、青年とその両隣の女を見た。アークは腕を組んで目を閉じ、シリウスから肩を揺さぶられている。シオンはただ見ているだけ。そんな三者三様の心理の食い違いを理解しているスピカには、その様子がどこか滑稽だった。
「ポーラ、もうよせ」とテル。「第三者がいないとそれこそ時間と体力の浪費だ。俺達だけで判断をしようなんてこと、それ自体が無茶なんだよ」
「では、アリア様が戻られるのを、待ちますか」
そんな折りだった。先程アークがあり得ないと想像した、第三の展開が繰り広げられたのは。
「待ったかしら?」
そんな『女性の言葉』とともに、大広間と繋がる扉が開けられたのである。そして誰もが声の主の登場に驚かなかった。何故なら『彼女』は全員とほぼ顔見知りで、なおかつこういう場所に首を突っ込みたがる、そういう性格の持ち主であるからだ。
「困っているんでしょう? 部外者が口出しするなと言いたくなるのも分かるけれど。でも、商人という立場の言葉は、今のあなたたちにはきっと重要性を持つはずよ」
「マチルドさん、あなたって人は本当に」とアークが呟くように言う。「いえ、何でもありません。さあ、真ん中にどうぞ」
彼にとって不測の事態ではあったが、少なくとも悲嘆すべき変化ではなかった。この闖入者の思惑はアークおよびスピカと全く同じ、彼らにしてみれば味方が増えたも同然なのである。
つい先日までラザルが、先ほどまでアリアが座っていた椅子にマチルドが腰を据えると、まずは七人を見渡した。それから聞かれたわけでもないのに、
「商人は訪れた村への過干渉はしないのが鉄則だけれど、頼まれちゃったんだからしょうがないわ。許してちょうだいね」
と語った。七人にはどうでも良いことだった。うち二人は頼まれたという話が嘘だと見抜いたし、残りの五人は中立的な仕切り役が現れれば誰でも構わなかったのだから。
「それで、話はどこまで進んだの?」
マチルドはそう問いかけたが、実際は殆ど進んでいないのであり、誰もがどう答えたものか戸惑っていた。
「ざっくり言いますと」切り出したのはスピカ。「全く。敢えて言うなら、三人とも正当な理由があるので、本人の話し合いよりも他の人々の判断で決めた方が良いのではないか、という方向が決まったくらいでしょうか。でもその第三者についても、色々と問題がありまして……」
「あら、意外と平和的な方法なのね。その案を出したのはスピカちゃん?」
「いえ」と言いつつ視線でポーラを指す。
「言い出したのは私、ですが……実現の難しい空論ですよ。意見を反映させる人数を増やせば増やすほど、まとめられなくなるだけです」
「そんなこともないわ。大人数でも公平に決める手段があるのよ。デモクラシーってやつね」
民主主義、の言葉の意味が分からない五人を無視してマチルドは続ける。
「独裁政権だったこの集落では誰も思いもしなかったんでしょうけど、世の中には『投票』っていう素晴らしい技術を持った社会が存在するのよ」
これもやはり、この世界においては違和感のある単語だった。そのやり方をたどたどしく語るマチルドをアークとスピカが冷や冷やしながら聞いていたのは、言うまでもないことだろう。




