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見えない翼  作者: 桑名 銀天
第二部 革命編

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ChapitreⅧ-B:彼らという歯車

誰一人知るものもない人混みの中をかき分けていく時ほど、強く孤独を感じる時はない。


ゲーテ

 屋敷の前から延びる大通りを降りるのは二人にとって初めてではない。ただし今回は以前と大きく違う点がある。不安が一つ解消されたことと、雪が降っていることだ。


 雪道には反乱軍に踏み荒らされた跡があり、その上に雪が降り積もって痕跡を消そうとしているかのようだった。その足跡の数に反して今や通りにはほとんど人影がない。そこに何かないか探すようにアークは、家々を、脇道を、そして後ろを度々きょろきょろしていた。


 先程まであんなに激しい事件が起こっていたのに、ここは穏やかなものだ、と彼は思う。自分がその渦中にいたことさえ忘れてしまいそうな程に。


 そして彼は隣を歩くスピカの名を呟くように呼んだ。


「何?」


「血の匂いって、死体って……あんなに気分の悪くなるものなんだな」


「うん……加担することを決めた時から覚悟してはいたけど、実際目の前にしてみると怖いね」


「あいつらはそういうのに慣れてたのかな。全く平気そうだったけど」


「慣れていたというより、自分に近しい人の死か、憎んでいた人の死だったからじゃないかな。そういったものが感覚を麻痺させていたんだと思う。私たちには他人の死体でしかないから気持ち悪いだけだった。多分そういうこと」


「……確かに、死んで欲しい人や大切な人の死体を目の前にして気持ち悪くなってなんかいられないもんな。それにしても意外にあっさりと終わったのが不思議だよ。反乱軍は村長を殺したらすぐに退却したみたいだし、キャンサーも敵討ちする気配はないし」


「撤退は最初から『クーデター』の方針だったから。成し遂げたかったのはあくまでラザルとその息子リゲルを倒すこと。そうすれば自ずと支配体制や掟も変わる、そう考えたのね」


「スピカ、その『クーデター』っていうのは?」


「反乱軍の名前だよ。私がその目的を聞いた時に、あなたたちはクーデターをやろうとしてるんですねって言ったら、リーダーがこの言葉が気に入ったからって」


 するとアークは額に手を当て、


「それは意味が違うぞ。レボリューションとクーデターは似て非なる別物だ」


「え、そうなの?」


「確かに軍事力に訴えるのもクーデターではあるし、原義は『国家への一撃』だ。だけど基本的に被支配者層が支配者層を攻撃してひっくり返すのが革命、支配者層間の権力移動がクーデター、というように区別されてる。今回の場合武器を手に取ったのは民間人だったし、むしろ『蜂起』とでも言うべきだったんじゃない?」


「……でも誰も困らないでしょ? 『この世界』で意味が間違って伝わっても」


「……まあな」


 こういう互いが互いを認識するための単語を交わすやりとりは、二人をより安心させていた。


「でもスピカ、どうして反乱軍なんかに?」


「それがね……」と彼女は、この村に来てから取引をするまでのいきさつを語って聞かせた。


「結局、私が先に見つけちゃったんだけどね。ほら、いつだったか護衛をたくさん付けてこの通りを歩いたことがあったでしょ? あの時にね」


 彼女の言葉に幸助が驚いたのは自明の理だろう。


「そうか……実はあの視察は、この村にいる君を見つけるためでもあったんだ。結局無駄に終わったと思っていたけど、そうでもなかったのか」


「どうして私がここにいるって……ああそうか、あの人しかいないね」


「そう。あいつが教えてくれた」


 しばらくして彼らは、ある二階建ての家の前で立ち止まった。スピカがその家に入ろうとして、扉に手をかける直前で立ち止まる。


「どうした?」とアーク。


 スピカは彼のそばに行き、小声で言う。


「この宿を経営してる家族はみんな反乱軍に荷担してるの。君が一緒だとまずいかもしれない」


「でも、俺が偽者だって噂はもう……」


「ちょっと待って」


 すると彼女は突然、その隣にある一回り小さな建物の扉を少しだけ開けた。あっ、と声を漏らしてからアークを手招きしたので、肩や髪に積もった雪を払ってから、二人でそこに入った。青年はそこの雰囲気で、ここが酒場だということをすぐに看破した。


 そこには一人の先客がいたが、経営者含めた彼ら四人は全員互いを知る間柄だった。リゲルがアークになったことと、彼がマーテルを知らないことだけを除いて。必要な挨拶はそれだけだった。


「どうやら……本当に偽者のようだな」


 とマーテルが言うと、アークは何故かと尋ねた。


「大事な村長の一人息子をそんな防寒の不十分な格好で外に出させるはずがない」


「マーテルの格好もずいぶん寒そうだけど?」とマチルドが茶々を入れる。


「私の体は特別だから」と律儀に対応してからアークに向き直り、「君が護衛もなしに一人で歩いてここまで来たのが、偽者である何よりの証拠だ」


「全くですよ。天から地へ真っ逆さまだ。まあ、女性に囲まれているぶんには悪い気はしませんがね。俺も男なんで」


 この言葉に、マチルドがいたずらっぽく笑って見せた。にやにやと笑いながら、「女性、ねえ?」


「何か気に障りました?」


「いいえ、そうじゃないの。スピカちゃんは違うだろうけど、私とマーテルは女性って形容されても、反応に困るのよ」


「えっと……?」「はい?」


 反応に困ったのはスピカとアークも同じだった。


「ね、マーテル?」


 と、行商人は確認を取るように視線を送った。


「構わないよ、別段隠すことでもないし」とマーテルが返す。「それに良い交換条件になったじゃないか。二人の正体を根掘り葉掘り訊くつもりだったんだろう? だったら私たちも二人に隠し事はなしだ」


 根掘り葉掘り、という言葉にスピカとアークは若干の怯えの色を見せたが、好奇心の塊と化したマチルドはそんな二人など全く気にするでもなく、一人で納得していた。そしてどういう言い回しをすればより面白くなるかしら、と呟いてから、


「結論から言うとね、マーテルは実は男で、私も実は女じゃないのよ。驚いた?」


 二人の若者は、揃って呆然と「は?」と声を上げた。言われた言葉は分かるのに、言葉の意味の理解が追いつかない。それは、二人がこの世界に来てから何度となく囚われた感覚だった。


 マチルドとマーテル、この両者はどこからどう見ても女性そのものだ。幸助はマチルドを、美奈はマーテルをそうだと疑わなかったがために、その像が崩れたことにより混乱を引き起こしていた。


「はあ……マチルド、最初からこうなることを狙ってたな? つまらないシナリオだ」


 その親友は答えず、マーテルは続ける。


「ほら二人とも、立ってないで奥のテーブルに座りなよ。私は裏で飲み物用意してくるから」


 そして暖炉のすぐそばにある円卓に三人は座った。アークから見て左にスピカ、正面にマチルド、右にマーテルのための空席という並び。頭の混乱を落ち着ける暇もなく、マチルドは話し始めた。


「ところでアーク君、魔女伝承のことは知ってる?」


「ええ。確か、大昔に滅ぼされた魔女が、男が生まれにくくなるように世界に呪いをかけたって話ですよね」


「よく調べたじゃない」


「調べたって言うか、聞き出したって言うか……俺がリゲルだった時に、お見合いをした女の子の中に詳しい子がいまして」


「そんなことが……」とスピカが驚きながら言う。


「まあね。結局その中からは誰も選ばなかったんだけど。でも、スピカは知ってるの?」


「うん、マーテルさんが教えてくれた」


「そう。知ってるなら話は早いわね。とはいえ、話はそれと関係ないところから始まるんだけど」とマチルドは言う。「今この世界ではね、この集落みたいに鳥とか龍とか猫とか、同じ体の特徴を持った人々が集まって暮らしているんだけれど、それは大昔から変わらない習慣らしいの」


 機敏な幸助と美奈は、マチルドの言葉の中にある違和感を察知した。しかし黙って聞き続ける。


「その頃の物流はと言えば、村の特産を隣の集落に運ぶ、という程度のもの。それでも困ることはなかったそうよ。昔は平和だったし集落を越えての結婚も普通に行われていたって聞くわ」


「集落を越えて、って例えば、龍の父と鳥の母が結婚するなんてことが普通に?」


 青年が尋ね、旅商はもちろんと返した。二人の異邦人の常識で言えば気になるのが、


「それ、血が混じったりはしないんですか?」


 するとマチルドは、スピカの言った意味が理解出来ない、とでも言いたげな顔をした。直後、不敵に笑いながら、


「ああ、そう。そんなこと考えるんだ。ふうん。違う種族の夫婦に生まれる子は、母親の性質をかなり強く受け継ぐの。だから今リゲ……アーク君が言った例だと子どもは鳥ね。そんなだから、よそに行くのはほとんどの場合男だったのよ」


 その時、マーテルがお盆に四つのカップを乗せて戻ってきた。それぞれの前に一つずつ置き、着席してから言う。


「全部聞いてたから、そのまま続けてくれて構わないよ」


「何となくですけど、話の筋が見えてきました」


「あら、やっぱり賢いアーク様。言ってみて」


「俺に『様』は必要ないです。その環境下に、男が少なくなる『呪い』が起こったんですね」


「ご明察。そのせいで男を村の外に出すまいと考える酋長が増えたのね。多くの集落が排他的になって、結果物流や交流が根絶してしまったの。


そんな中、同族との間でしか子どもが出来ない、そういう特殊な種族があって、彼らはこう考えた。婿取り嫁取りに関与できない自分たちなら、集落の交流を受け持てるのではないか。そこで始まったのが、私たちがやっている行商人という文化って訳」


 こんな話を聞かされた二人は、やはり言われたことを理解しながら、その内容は腑に落ちきってはいなかった。二人は頭を整理するための時間を要求し、商人と軽い問答をしてようやく落ち着く。


 そうしてから今度はマーテルが語り始める。


「私達一族は体の構造が他とは違うようでね。私達の性別は男でも女でもない、第三の性、としか定義できない奇妙な代物なんだよ。昔は呼び名があったらしいけど。そしてここからが本題で……私達一族の中にも、男と女の別があるんだ」


「大人になると男女差が現れてくるのは他と同じね」とマチルドが付け足した。そしてわざとらしく服の上からでも分かる胸元の膨らみを強調する。


「ちなみに私たち一族には呪いの影響がなかったの。不思議よね?」


「……なるほど。マチルドさんが厳密には女でない、というのはとりあえず分かりました」と落ち着いた様子でアークが言った。しかしその納得は言葉だけの、うわべに過ぎない。真に理解するためには実際にその姿を見せてもらうのが一番ではあろうが、そんな不躾なことを頼めるはずもない。


「つまりマーテルさんは女装しているんですね。何故ですか?」


「考えてもみなよ。たとえ本物の男ではないと知っていても、見た目が男の行商人が来たら村人はどういう目で見ると思う?」


「……村の女をたぶらかしに来たと思うでしょうね。本人にそんな意図はなくても」


「そう。若い頃の私はそんなことも知らないでいたから、結構きつい目で見られたよ。だから身も心も女に偽るしかなかったんだ。名前まで変えてね。上手く溶け込めていると思うよ。


元行商人だってことは知られているし、私が男だと明かしてももはや無意味だろうね。気付いているのも思った以上に多いかも知れないが」


「これは余談なんだけど」とマチルド。「ごくまれに、見た目と中身の性別が食い違うこともあるそうなの。会ったことないから詳しくは知らないけれどね」


 そして、ふう、と大きく息を吐いて、「さあ、次はあなたたちの番よ?」


 対してアークトゥルスは一息ついてから、挑み掛かるような目つきでマチルドに尋ねた。


「その前に率直に訊きますけど、マチルドさん、あなたもしかして俺とスピカの正体を知っているんじゃないですか? もしそうならば何故ですか?」


「そうよ。より正確に言えば察しがついている、という段階ね。でも何故そう思うの?」


「いくつか片鱗を見せてくれましたよ。マチルドさん、何度か屋敷を訪れてますし、俺がこの村に来てからの顛末を話しましたよね。あまりに奇妙な登場の仕方、ここに来る以前の俺のことは一切語らない、だというのにあなたは全てを理解したような顔で聞いていました。


 それから今も、魔女伝承について『よく調べた』、『今この世界では』と……確かにそう言いました。つまりあなたは」


 そこでアークは言葉を止めた。これは言ってはならないことなのではないか――そんな気がしたのだった。しかし禁じられているのは本名を明かすことだけなのだから、問題はないと判断した。


「あなたはこことは別にもう一つ世界があることを知っている、そして俺達がそこから来たことを見抜いている。違いますか?」


 二人しかいなかった時のことはともかく、今この場でマチルドが言ったことは十分な証拠力を持っていた。マーテルはその洞察力に驚いたが、一番驚かされたのは女性の(ような)商人だった。


「別に君達に隠してもしょうがないものね。ええ、その通り。大したものだわ」


 青年に畏怖のようなものを感じて、背もたれのないその椅子に座り直して姿勢を整えた。マーテルが用意したお茶を一口飲んで気を落ち着かせる。


「俺と同じ状況にある人間は他にもいて、マチルドさんはその人に会ったことがありますね? でなければ、もう一つ世界があるなんて思いつくはずがありません」


 それに――自分だけでなくスピカも同じ境遇にあることから『被害者』が他にも複数いる可能性がある、と彼は付け加えた。


「まったく驚かされるね。そう、他に何人か会っているわ。私はここに魔女の呪いが関わっていると推測してるんだけど、二人とも心当たりはない?」


 問われるまでもなかった。幸助も美奈も、この世界に来る直前、そして来てからも何度か遭遇した謎の少女が魔女だったのだと言われれば、そこにもはや否定するだけの要素はない。


「確かに」と答えたのはスピカ。「あの恐ろしい雰囲気と人を喰ったような話し方は魔女だと言って差し支えないと思います。でもそれが呪いとどういう繋がりが?」


「分からないわ。私はそれを調べるために旅をしているようなものだから。とはいえ難航気味で……知らない人も話そうとしない人も多いし。魔女本人に会わない限りは無理かも知れない。


私が今まで会ってきた男の子はみんな例外なく『黒い服の女の子に連れて来られた』って言うし、ここに誰かの意志が絡んでいるのは間違いないの。その『誰か』と『不可思議な現象』は、『魔法使いの一族』を仲立ちにすると上手く結びつく。


この仮定の下に考えていくと、まだ魔女の生き残りがこの世界のどこかにいるということになるんだけど……長い間姿をくらましているのに、私なんかに見つけられるはずはないものね」


「あの、マチルドさん、今『会ってきた男の子はみんな』って言いましたよね?」とスピカ。


「ええ。別の世界から来たのはみんな男だった。直接会っただけじゃなく、それらしき人が現れた話をあちこちで聞いたけど、例外なく若い男が一人だけ」


「じゃあ私が選ばれたのはたまたま?」と少女は首をかしげる。


 しかし誰もその問いに答えを出せない。分かるのは、一度に二人が同じ場所にいること、そこに女性がいること、の二点が特異なことだけだ。


「何か事情があることだけは確かだろうけど……何か思いつく?」マチルドはそう言いながら、言葉の最後で視線をアークに送った。


「考えようにも分からないことが多すぎます。偶然か、男に限る必要がなくなったか……いや、男が生まれにくくなる呪いと関係があるなら、限定することにも何かしら意味がありそうですけどね」


 そして彼はそういえば、と考え込む。


「俺が連れてこられた時は、別に男だからどうこうとかは言われなかった……別に大した命令もなかったんですよ。ただこの集落で生きろとね」


 もちろん、本名を名乗るなと言われたことは言えなかった。その禁令自体は大したことではない。が、内容を話すとこの場をこじれさせるだけなのだ。スピカもアークも互いに偽名を使っていることを見抜いており、もはやそれを話題にする理由はなかった。


「それは私も同じでした。敢えて言うなら、この世界に彼がいるから探しなさいってくらい」


 スピカに続けて、マーテルが言う。


「ところでスピカちゃん、確認しておきたいんだけど、探していた友達っていうのが彼?」


「はい、そうですけど」


「その割には、いつか話した彼の特徴と食い違うみたいだけどね。例えば――」


「その話はもう良いですから!」


 スピカは慌てて話を遮った。友人は眼鏡をかけた長身の青年だとか、髪が黒いとか伝えはしたが、それらの特徴からはアークトゥルスが尋ね人だとは断定できない。何より彼の本名を言ってしまっており、それが出ることだけは絶対に阻止しなければならなかった。それ以上言わないで、と少女はマーテルの目を見て無言で訴えた。


「まあ、記憶なんて曖昧なものだしね」


 男だと明かされた酒場の主人はそう言いながら、アークの顔をじろじろと眺めた。彼がリゲルではないことを理解していながらも、リゲルの顔をよく知るマーテルには違和感が拭いきれなかった。


「何にせよ、見つかって良かったね」


 この瞬間、幸助の中である歯車同士がカチリと音を立てて噛み合った。だがこのつながった理屈をどう理解したものか、彼には分からなかった。


「ところでマチルドさん、どうしても訊きたいことがあるんです」と彼は真剣な面持ちで言った。


「何? 改まって」


「知らない、とは言わせません。『彼ら』はこの世界でどういう結末を迎えたんですか?」


 彼ら――もはやこれ以上の言葉は必要なかった。幸助は『彼ら』の結末を知ることで主犯たる魔女の目的を、そして自分と美奈の未来を知ることが出来ると考えたのだ。


 マチルドは答える。


「謎は多いけど、人知れず失踪した、というのが『彼ら』の最後ね。どこからともなくふらっと現れたんだから消えるのも突然……まあ筋は通っているような、いないような」


 そうではない。通る通らない以前の、もっと本質的な問題が浮上した。アークは訝しみつつ問う。


「突然? つまり何も言わずに消える?」


「そうね。人伝に聞いただけだけど、それを予感させることは何もなかったと、ある村の長老は言っていたわ。村の中に溶け込み始めてさえいたそうよ」


 アークとスピカ、いや幸助と美奈の胸中には希望と不安が半分ずつ生まれた。前触れなしに姿をくらませたという自分たちの前任者がどこに行ったのか分からないことが不安をかき立てる。


 もし、自分の場所に戻る手段が見つかったから、という言葉があれば二人に与えたのは希望だけだったろう。しかしそうではないこの事実は、帰れない可能性をも彼らに突きつけたのだ。


「アーク……私、最悪の結末を思いついちゃった」


 少女が沈んだ面持ちで呟いた。アークは自分も同じ考えだろうと言って促す。


「この世界のいろんな集落を転々とするんじゃないかな……記憶を消されて。最後には、この世界の住人になっちゃうんだ」


 するとマチルドは笑いながらそれはないわよ、と否定した。


「この話はそれほど頻繁に聞かれるものじゃないもの。一人が使い回されるなら各地で同じ特徴の少年が目撃されるし、もっと多くの土地で知られているはずよ」


 これを聞いたスピカは、アークに意見を求める視線を送った。


「特徴に関しては、それを否定出来る事実があります」と青年が語り始めた。


「俺達はここに来る前はこの姿じゃなかったんです、さすがに顔や声は変わっていませんが。とにかく例の魔女が人の外見を変化させられるとしたら、集落に応じた姿形で送り込むことも可能です……


しかし頻度の話が本当なら、俺達が別の集落に送り込まれる可能性はないでしょう。そもそも一人を再利用するなら二人同時に誘拐するのはおかしいです」


 つまり、帰れる保証はとりあえずあると考えて差し支えない、そういう結論にはどうにか至ることが出来たのだった。


「ただ気がかりは一切の前触れがない、つまりそれがいつになるかが分からない点でしょうか」


 これにスピカが言葉を続ける。


「でも、今までの状態に比べればずいぶんと気が楽になったよ。平穏無事に暮らしていさえすればそのうち迎えが来るって分かったんだから」


 アークはそうだな、と穏やかな顔で答えた。しかしこれに不満そうな顔をしているのが一人いた。マチルドだった。


「私はその先に何があるのかが知りたいのに……そうだ二人とも、ずっと行動を共にしても構わないかしら? 監視してさえいれば絶対に何かつかめると思うの」


「マチルド、好奇心も大概にしたらどうなんだ」


 マーテルの叱責も、今のマチルドには届かない。思わず男っぽく言ってしまったが、もはやこのマチルドには関係ないらしい。そもそも今までの話をまとめる限り、被害者達に今必要なのは平穏にこの村で生きて、帰る時を待つことのはず。


 マチルドは最初からそれを知っていたはずなのに、自分からそれを破壊しようとしている。二人の関係(マーテルが勝手に思い込んでいるだけだが)からいってもそれは避けるべき事態だった。


 しかしアークは「まあ良い情報を貰いましたし、代価としてそのくらい大したことではありません」と返した。「何しろ、俺にはこの村での未来がもうないんですから……」


 それはあまりにも悲痛な現実だった。この青年は村長の息子にして後継者、リゲルの名を騙っていた男なのだ。言い換えればこの村全体を欺いたということで、彼が外から来たという視点を加えれば、村を乗っ取ろうとした悪人と見なされても何らおかしくはない。


 たとえ貴重な男だろうと、たとえ彼の意志で騙したのでなかろうと、彼を快く受け入れる寛容さを一体誰が持ち合わせているだろうか。


 もちろん幸助とて、こういう展開を予期出来ないほど愚かではない。偽者だったことを村中に知らしめて地位と拘束を失うことで、市街地にいるだろう美奈を捜すことが彼の計画だったからだ。


 その時は目的だけ告げて説得し美奈を見つけたらすぐにこの村を飛び出す、というのがこの先の算段だった。彼女を捜す過程が省略された今、彼にはもうここに留まるだけの理由と時間は存在しないのだ。


(お見合いした女の子が言ってたんだ、村の外は危険だと。でも、そこに行かざるを得ない状況になれば、きっとあいつが出てくる)


 この考えは賭けのようにも思えるが、彼なりの思考を巡らせた結論でもある。魔女の命令は『この村で』『生き延びること』だ。大事なのが前者か後者か、あるいは両者なのかは定かではないが、それが脅かされる状況になったことを察知した魔女は何らかの形で彼らに接触を図るに違いない。自ら危険に飛び込むことが、逆に自分達を救う可能性を持っているのだ。


「偽者とばれた以上、ここを出なければならなくなりますから、旅に慣れているマチルドさんが同行してくれれば安心ですよね。交換条件にそれを提案しますが、どうですか?」


 するとマチルドは考える時間もなしに二つ返事で承諾した。マーテルはその決断の早さに待ったをかけようとしたが、躊躇った。


 行商人の常識で考えれば、足手まといと穀潰しにしかならない二人を引き連れて旅をするこの取引は損でしかない。しかし慎重さも交渉も欠いた成立は、マチルドという一人の商人にとって二人がいかに価値のあるものかということを物語っていた。


「じゃあこれから二人は私の商品ってことね。そうすれば誰も手出しは出来ないもの」と言いながらマチルドはアークに手を差し出した。どうやら契約の証らしい。二人に握手をしてから行商人は「じゃあ出発は明日の朝にするから」と告げた。


 すると青年は、自分には命の危機が迫っているから今すぐにでもここを出たいと訴えた。


「何か勘違いをしていないかしらね。この契約は私がついて行くんじゃなくて、あなた達が私の商品として同行するに過ぎないの。何かあった時に守らなければならない義務は発生するけど、それは自分の持ち物を守るため。


手放せない持ち物だから監視することにはなるけど、そんなものは結局契約の副産物よ。第一、旅の間の食糧を提供するのは私なんだからそういう文句は――」


「マチルド、もうそこら辺にしておきな。本音は夜の宴会で酒を飲みたいだけなんだろ」


「何でそれを言っちゃうかな。それじゃ私がただの酒好きみたいじゃない」


「違うのか?」


「いいえ。そもそもそれが目的でわざわざ戻ってきたんだもの。この機会を逃すわけにはいかないじゃない」


 この言葉に三人が複雑な表情をしたのは言うまでもない。しかしマチルドは何事もなかったかのように続けた。


「ところで二人とも、屋敷からここに来るまでに尾行はあった?」


「いえ……」


「何度か後ろ確認しましたけど、誰も。かなり上手い尾行がいたなら話は別ですが」


 アークが歩きながら何度も振り返ったのは、追っ手や尾行を警戒するためというよりも、シオンやシリウスなど、リゲルに深く関わった者が追いかけて来るのではないかと思ってのことだった。


「なら少なくとも今は偽者の存在はどうでも良いってことね。民衆の蜂起と村長の死去が重なってそれどころじゃないんでしょ」


「そういえば往来に誰もいなかったのは何故なんでしょうか?」とスピカが尋ねた。


「一番の理由は雪が降ってるからだろうね」と四人の中で唯一のゾディアークの住人が答えた。「あるいはセラトナがそう指示したからかも。この地区にはとりわけて反乱軍所属が多いから。いや、スピカちゃん、君は参謀に抜擢されたはずじゃ?」


 二人の商人はクーデターの一行が屋敷に向かうのも、スピカがそれを追いかけるのも目の前で見ていた。なおかつ村長の殺害が成功したとなれば、二人で今後の方針を話し合ったとしてもおかしくはない。が、そんなことはもちろんなかった。


「私は、セラトナさんに会いに行ったんじゃありませんから」


「な、そのセラって一体誰だ?」


「反乱軍のリーダーだよ。茶髪で男勝りな人で……あの場にもいたんだよ」


「……っていうと、ああ、テルと話してたあの人か。意外とその人が次の村長になったりしてな。まあその行く末を見ることは出来ないんだけど」


「そうね……私もそれはちょっと残念」とマチルド。「変化に乏しいこの世界で、こんな大規模な革命的事件は珍しいわ。後学のためにも是非見ておきたいけど」


 すると、行商人をたしなめるように少女が真剣な表情で言う。


「……それで、自分が背中を押したんだって、さも武勇伝のように語るんですか?」


「スピカ、それってどういう意味……?」とアーク。


「ああそっか、君は知らないんだよね」


 そして少女の口から、この行商人が反乱軍と村長軍との間で情報を互いにリークし、村長の殺害が必ず成功するように仕向けた事実が語られた。しかし青年はふむと考え込んだ後、


「そうか……テルが朝早くに反乱軍と予め話を付けていたところまでは分かってたけど、確かにセルパンテールの壁を難なく越えられるマチルドさんなら、別に難しいことではありませんね」


「セル……何それ? 屋敷周りの壁のことを言ってるのは何となく分かるけど」


 同じ境遇のはずなのにこの集落に関する知識の差に、スピカは少し戸惑いを感じていた。


「この村は大通りで仕切られた十二の市街区と、内壁で囲われた中央の計十三の地区に分かれているんだ。で、その中央、壁の内側にはセルパンテールって名前があるんだと」


 これに不思議そうな反応をしたのがマーテルだ。


「スピカと同じで君はここに来てからそんなに日数も経っていないんだろう? 十何年も住んでる私も知らないことを……一体どうやって?」


「この村を治めるための基礎知識だ、って教え込まれたものです。殆ど忘れましたけど」


「なるほど……確かにそれは、一部の支配者層だけが知っていればいいことだからね。実際、十二の地区の名前と場所を全部覚えているのなんて、ほんの一握りだし」


「私の知らないところでそんなことが」とスピカ。「とんだ災難だったよね」


「全くだ。村長になるつもりなんかないから覚えたくないのに、覚えなかったらそれはそれでまずいことになるからどうしたもんかと思ってたけど、何とかなって良かったよ」


 アークはお茶を一口飲んでから続けた。


「それにしても、この世界に来てからこれほど心が落ち着いたこともなかったかも知れませんね。今晩は枕を高くして眠れそうです」


 するとマチルドがその慣用表現について尋ね、


「安心して眠れるって意味です。あるべき空の下で目覚められればもっと良いんですが」と返した。


「ほら、言ったでしょマーテル。『彼ら』は概して私たちの知らない言葉や文化を持っているって」


「なるほど、こういうことか」


 こんな言葉の端々からも、二人は自分達が全容の知れない機械の一部、消耗品の歯車として存在しているに過ぎないことを感じてしまうのだった。『彼ら』はマチルド達の知らないことを知っている。これに『概して』という普遍性を示す単語が付くことにより、この地に異世界人が何度も現れていることを意味していたからだ。


 今回もやや特殊な状況ではあるが、前任者の足跡をそのまま辿るだけなのだろう。


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