IntervalleⅡ:余所者
「知る」という言葉には「支配する」という意味がある。
S.K.
「ねえマスター」
祭が行われる日の朝の酒場。反乱軍の兵とスピカが去り、二人きりになったところでマチルドは切り出した。
「マーテルという名前に心当たりはないかしら?」
問われた側は、不審そうな目をしてから答えた。
「心当たりも何も、それは私の名前だよ」
「そう。じゃあマチルドという名前には?」
「昔、そんな名前の友人がいたけれど……まさか、あんたがマチルド?」
「そのまさか」
数秒の沈黙。先に口を開いたのはマーテルだ。
「最後に会った時と姿が変わってるから気付かなかったよ」
「ま、無理もないでしょ。そっちはあんま変わってないね。随分早く行商人を辞めたみたいだけど、旅が嫌になったの?」
酒場の主人は溜め息を吐いてから、
「ここの磁場がかなり特殊らしくて、私がここを離れようとしても体に不調を来して動けなくなるんだよ。それで仕方なく」
「あはは、そりゃ残念!」
「笑い事じゃないよ。それよりそっちはどう?」
「商売は上々。魔女伝承の情報収集も、ね」
「まだ諦めてなかったのか……それで、何かしら進展はあったんだろうね?」
「もちろんよ」とマチルドは得意げに答えた。「例の迷子の話、やっぱりあちこちで聞いたわ。大きい集落だと三回くらいあったみたい。そして面白いことに、迷子の多くは私たちの知らない言葉や文化を持っていたそうなの」
マチルドは一呼吸置いて酒を口に含む。
「それで私はこう思うの。私たちの世界とは別に、もう一つ世界が存在するんじゃないかって。そして、世界を行き来する為の道は普通の方法じゃ見つけ出せない。迷い込んで来る子も、たまに聞く失踪する村人も、多分その道を見つけてしまったからだと思うの。そしてそれは――」
「魔女の作ったものだ、と言いたいの?」
「作られたのか、元々あったのかは分からないけど、私は後者だと思ってる。それで、もし魔女の一族が滅ぼされる前にそのもう一つの世界を見つけていて、その異世界には私たちの世界に有益な何かがあると分かったら、まず彼らは何をすると思う?」
「その利益を独占する……というのが商人的な考え方かね。万人の為に使うつもりだったかも知れないが今となっちゃ藪の中か」
「そこで私は思ったの。人々が魔法使い達を攻撃するきっかけとなった怪しい術って何だったんだろう。
もしかしたら、彼らがその異世界による利益を独占して悪用するのを人々が恐れたからじゃないかって。そしてその攻撃に怒り、滅亡を感じ取った魔法使い達は、異世界を利用して『呪い』をかけることを企てた――こんな所じゃないかしら」
マチルドの突拍子もない理論に対し、その旧友は呆れたように溜め息を吐いた。
「自信たっぷりに語る割には根拠に乏しく、推測の域を出ていないようだけどね。そもそも、異世界の利用法って一体何なのさ?」
「だからそれを含めて色々調べてるんじゃない」
「それに魔女の目的は? 復讐には呪いを使う以外に手段はなかったのか?」
そこまで言ってマーテルは矢継ぎ早に質問を浴びせる自分にブレーキを掛けた。そこで、思考の矛先をさっきから気になっていたものへと向ける。
「そういえば迷い込んできたという意味では、スピカちゃんもその異世界と何か関係があるんだろうか?」
僅かにマチルドが、その表情を変える。
「確かにあの子もそんな感じだったわね。でもスピカちゃんの場合は、何か事情が違うみたいなのが引っかかるの。理由や目的があるなら、本人に聞かないと分からないだろうけど」
「マチルド、そこまで推測がついてるんなら彼女と話したんだろうね?」
「そうはしたいんだけど、生憎二人でゆっくり話せる機会がなくてね。まあ異世界から来たっていう別の男の子に会ったことはあるんだけど」
その言葉に、マーテルは驚きと呆れが半分混ざった表情で行商人を見据えた。
「それを先に言いなさい。で?」
「よく分からないままこの世界に連れて来られた、と言ってたわ」
「何だそれ? 何も分からないじゃない」
二人は、無表情で酒を呷った。
「ところがそうでもないの」とマチルド。「この世界にはある人に連れてこられた、とも言ったの。詳しい素性は分からないけれど、それは全身黒い服を着た女の子だったそうよ」
「女の子……それが魔女だと?」
「魔法使いなら、とりあえず説明はつくのよね」
「しかし、今の時代に生き残りがいるというなら、おそらくは何世代かを経た子孫が呪いを操っているということにはなる。ひっそりと生きてその数を増やしてきたなら、もう復讐を果たすだけの力を蓄えていそうなものだけど」
「さすがにこれ以上は本人に会わないとね」
この言葉を聞いてマーテルは眉をひそめた。そして声を低くして忠告するように言う。
「魔女に会うつもりか? 好奇心も大概にしないと、自分の身を滅ぼすぞ」
「大丈夫よ。私だって腕に自信はあるし、そもそも魔法使いは戦闘の苦手な一族で、襲われた時はあっという間に滅ぼされたそうよ」
「なるほど、攻撃出来るなら最初からそうしている、と」
「そういうこと。だからその魔女に接触するために、私はしばらくここに居座るわ」
それはどういう意味だ、と言いたげな目で酒場の主人は正面の友人を見つめた。マチルドは酒を一息に飲み干してから言う。
「この集落は今までにないくらい特殊だからね。魔女に連れてこられた若者が二人、しかも片方は女の子。絶対に何かあると、私は踏んでいるわ」
マーテルはその言葉の意味を腕を組んで考えた。二人の来訪者、その一人の女の子がスピカであることは疑いようがない。では、もう一人とは誰なのか。
スピカは、この村に来ているという友達を探しに来たという。そしてつい先日その友人にそっくりな男を見つけたと彼女は言った。
「……まさか、あのリゲルがそうだって言うのか」
「本物が死んだところに、そっくりな彼が魔女の手によって送り込まれた。そういう話ね」
マーテルは、それが推測でない理由を理解した。スピカにもリゲルにも接触できる人物とは、
「行商人って、本当に便利な職業だ」