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見えない翼  作者: 桑名 銀天
第一部 変異編
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ChapitreⅢ-B:機知と哀れみ

求めよ、さらば与えられん。

           マタイ伝


 翌朝、スピカは頭痛で目を覚ました。原因は言うまでもなく二日酔いである。


「おはよう。気分はどう?」


 上半身を起こしたスピカの目に飛び込んできたのは、光沢のない水色の長髪だった。後ろで髪を束ねていて昨日とは少し雰囲気が違っているので、最初それが誰なのか彼女には分からなかった。


「あんまり……私お酒強くないんですよ」


「だろうね。それに悪い夢でも見てたんでしょ。うなされてたよ。ちょっと待ってな、軽い食事と薬作ってくる」


 マーテルがどこかに行ってしまったので、スピカは再び横になった。悪夢について何かしら思い出してみようとする。しかし――昼前に車に乗ったこと、崖での出来事、幸助の失踪と謎の存在、それから市場や酒場でのやりとり――つまりは昨日体験したことばかりだった。


 ある意味、今ここでこうしていること自体が悪夢――美奈はそう呟いた。髪を一房すくって目の前に持ってくる。綺麗な白だった。


(純白、というよりむしろ透明? ああ、本当に魔法みたいな力で変わっちゃったんだな)


 彼女は改めて、自分が今ここにいる理由と目的を再確認した。自分の目の前で姿を消した幸助を捜すためである。


 しかしこれはいわば賭け、それも危険なギャンブルである。リスクの大きさは想像のしようもないが、この世界に来たのがそれほどの危険を冒すだけの価値があったのかと、彼女は自分に問いかけた。いくら好意を寄せている男のためとは言え、神隠しに遭った人間を救うために自分から神隠しに遭いに行くのはどう見ても自殺行為だった。


「私、なんて大胆なことをしたんだろう……」


「何の話?」


 思ったより長い時間考えていたのかマーテルの手際が良かったのか、美奈が思っていたよりも早く酒場の主人が戻ってきた。


「いくら友達を捜すためでも、知り合いのいない土地に飛び込むなんて、って。今こうして大人しく寝ていられるのが、不思議なくらいです」


「それは運が良かったからだよ、きっと」


 マーテルがお盆を置いたのと同時にスピカは再び起きあがった。口が広いカップにまず手を伸ばす。中には水が入っていた。薄暗い部屋の中水面に映った顔は、よく知る自分のそれだった。


 それから粥らしきものに口を付ける。不意にマーテルが鋭い言葉を投げた。


「ねえスピカちゃん、あなたは本当にどこにでもいるごく普通の亜人なのかしら?」


 口に含んだドロドロの何かを、思わず吹き出しそうになる。美奈は平静を装う。装おうとする。


「どうしてそんな質問をするんですか?」


「さっき悪夢でうなされていた時に、あなたは私の知らない言葉を呟いていたの。うめき声なんかじゃない、あれは間違いなく言葉だった」


「もしかしてつきっきりで看病を?」


 マーテルは首を振って答える。


「今朝、ベガにあなたが苦しそうにしてるから看病してくれって言われてね。ここで働いてるみんなは所用があって見てやれないからって。だから私が看病してたのは朝から今までだけ」


「朝から? じゃあ今は――」


「三割ってところね」


 その言葉の意味を尋ねると、日の出をゼロ、日没を十として分割した、この村での時間の表し方だと説明された。雨天や夜間では通用しないが殆ど困らないらしい。あらゆるものが昔の様式に近いみたい、と美奈は思った。


「それで、スピカちゃん、私の質問に答えて頂戴。あなたは本当に普通の亜人なの? 初めて会った時から何か違和感があって……例えるなら、あなたは鳥人じゃなくて、その姿をした何か別の存在なんじゃないかって感じ」


 ここまで追い詰められても、少女の思いは揺るがなかった。揺らいではいけなかった。


「何を言ってるんですか? 私は普通の女の子ですよ」


「そう。じゃあ普通の女の子がその身一つでどうやってこんな僻地まで歩いて来られたの? ここから一番近い集落でも山の麓なのに」


 ――答えられるわけがない。だから彼女は、運が良かっただけですよ、とごまかした。


 だがマーテルは疑いを解こうとはせず「話したくなったらいつでも言ってね?」と穏やかな顔で言った。


「私、昔から口は堅いの。かつて行商人をやっていたことがあるんだけど、旅人っていうのは基本的に深入りをしないし、訪れた村の事や重要な秘密はたとえ知っても誰にも話してはいけないっていう掟があるの。だから私に何か秘密を打ち明けても大丈夫。相談相手くらいにはなれるから」


「……はい」


 この優しさに果たして甘えても良いものか、美奈は迷っていた。確かに、本当のことを全て話せば信じてくれるかどうかはともかく味方になってくれはするだろう。しかし彼女を躊躇わせたのは、やはり正体不明の黒い女性の存在だった。


「ところでマーテルさん、さっき行商人をやっていたって言いましたよね? ということは、この村の出身じゃないんですか?」


「ええ、その証拠に背中に羽がないでしょう? 私はね、代々行商人を生業とする一族の出身なの。行商人は最終的に自分の村に戻るか、私のように別の村に定住するのが普通だね」


「どうしてこの村を選んだんですか?」


「それはまあ、いろいろあるんだよ。じゃあ私は戻るから。ちゃんと薬飲んで横になってなさい」


「ありがとうございました、マーテルさん」


 薬は、とても苦かった。


       *


 しばらくの間横になってもスピカは寝つけなかった。今は考えるべき事もない。薬が効いて酔いが醒めると、家の中を見て回ろうと起き上がった。


 まず彼女が寝ているこの部屋、壁や床は全て木の板である。数少ない光源である窓からは別の家が見える。その反対側に開け放されたドアがあったのでスピカはこれをくぐった。


 そこは玄関で、他に二つの道があった。一つは階段だったので、残る一つに入る。大小様々な台が並んでおり、暗がりに慣れた彼女の目はこれが調理場だと認識した。少し眺めて、戸棚には瓶詰めの粉や木の実、乾燥した植物が並んでいることが分かり、火を起こした形跡もあった。マーテルはここで薬や粥を作ったのだろう。


 玄関に戻ったその時、ベガが帰ってきた。


「あらスピカ、もう平気なの?」


「おかげさまで」


「それじゃあ、昨日言った通り学校に行きましょうか」


「学校?」


 昨日そんなこと言っただろうかという疑問よりも、この村に学校が存在するという驚きの方が大きかった。スピカに有無を言わせずにベガは彼女を連れ出す。彼女は学校で何をするのか尋ねた。


「あなたのその頭脳を試してみようと思うの。昨日のあれが偶然じゃないなら、私たちにとっての希望になれるわ」


 随分大げさなことを言っているように、スピカには見えた。しかしそれを言うベガの目は確かに本気で、とても冗談から言っているようには見えない。自分が役に立てるのなら、と従うことにした。それに、ベガは「私たちにとって」と言った。うまくいけば協力者を得られるかも知れない。


「ところでベガさん、さっきまで何をしていたんですか?」


「戦闘訓練。昨日言ったでしょ、向こうの山の集落と戦争をしてるって。いつ総力戦になってもいいように定期的に訓練してるの」


 逆に言えばそれは、民衆を総動員した戦争が始まる可能性を常に抱えているということでもある。しかし美奈にはその感覚が今ひとつ理解できず、戦争をしているというのが自分とは関係のないことのような気がしていた。


「ところでスピカはどんな能力持ってるの?」突然、ベガがそんなことを尋ねてきた。だがスピカにはその意味が分からない。「やっぱり変わったものなのかしら?」


「えっと、何の……?」


「何って、一人一人が独自に持ってる……ああそうか、まだ自分じゃ気付いてないのね」


「はあ……?」


       *


 『彼女』は、聞き覚えのある声を聞いた気がして振り返った。見れば、白い少女が手を引かれてどこかに連れられていく。その二人に声をかけることもなく、ただじっと見つめる。


「――マーテル、どうかした?」


 マーテルは市場に酒を買いに来ているところだった。取引交渉が成立したまさにその時にベガの声が聞こえたのである。先程の台詞は、現物をマーテルの足下に置いた店主が発したものだった。


「いいえ、何でもない」


「祭に何するかとか考えてた?」


「まあ、そんなところ」


「今じゃすっかり『ゾディアーク』の住民になっちゃったね」


「そうね……この変わった村の名前にはまだ違和感があるけど」


「来てからもうどれくらいになるかね?」


「これで十三か十四回目の霊鳥祭だと思う」


「もうそんなになるの……」


「古い諺に『一度住めれば、そこは楽園となる』っていうのがあるけれど、相変わらずこの村は気に入らないわ」


「出て行きたいって思う?」


「出来るもんなら、ね。私には旅の方が性に合ってるの。でも嘆いてもしょうがないわ。今度また飲みに来なさい。じゃあね」


「ええ、またね」


 足元の酒樽を軽く抱え上げ、マーテルはそこを去った。歩きながらある少女のことを思う。


 スピカである。


 マーテルは彼女を、昔の友人から聞いた話と重ね合わせていた。


『それぞれの村にはそれぞれの伝承があるものだけど、不思議なことに共通する話題も見られるの。それがね、誰かが迷子を見つけてくるっていう話。それも若い男の子を。ねえ、妙でしょ?


 しかもその話は決まって少年が突然失踪して終わる。女の子と仲良くなっていることも少なくなかったし、結婚がほぼ決まっていてもいなくなるそうなの。一体どういう事なのかしらね?』


 友人は、これほど共通しているのは偶然ではないだろうとも言っていた。つまり、複数の村で同じ事件が実際に起こったという推測。もしそうならスピカもその一端を担う一人であるのかも知れないと、マーテルは疑っているのだった。


 しかし友人の話とはただ一点で大きく異なる。スピカが少女である点だ。世の中には見た目と実際の性別が食い違う者もいると聞くが、わざわざそれを確かめる必要もない。とにかく、あの少女から目を離すわけにはいかなかった。


       *


 部屋の中央に置かれた台の上に、テーブルクロスのように一枚の大きな布が敷かれている。その布には幅広のL字型の帯が描かれていた。


「この灰色に塗られた部分は水たまりです。良いですか、細長い水たまりですよ」と女性は言った。「そしてここに、水たまりの幅と同じ長さの長方形の木の板が二枚あります」


 テーブルの周りには、子ども達が十人ばかり集まっていた。先程の女性の話を熱心に聞き入っている。


「これを使って、濡れずに渡るための橋を作って下さい」


 スピカはそれを子ども達と一緒になって見ていた。彼女は今学校にいる。しかし大きさは民家とさして変わらず、勉強のための部屋が一つあるきりだ。なお、ベガは彼女をここまで導いた後「一眠りしてくる。あとはリーラに任せるわ」と言い残して去って行ってしまった。


 リーラというのは、先程出題していたここの教師の名だ。年の頃はベガと同じくらいの、聡明そうな女性だった。艶のある褐色の長髪を後ろでまとめ、綺麗な黒い目をしている。そして夕焼けのようなオレンジ色の外套を羽織っていた。


 リーラはスピカに近づいて言った。「どうでしょう、手がかりなしで分かりますか?」


 スピカははい、と即答した。指を使い回答を示しながら「こう組めば良いんですよね」と言うと、リーラを驚かせた。


「素晴らしい、最初から答えを知ってたとしか思えません」


(いや、ほとんど知ってたようなものだけど)


 ちなみに正解は『直角に折れる部分でT字型に橋を組む』というものである。子どもたちがうんうん唸ってしばらくした頃に、スピカが正解を実演した。


 そしてリーラは彼女の為にとっておきの問題を二つ用意しましょう、と言った。


「では一つ目。あるところに、自分は何でも知っているんだと言う人がいました。どんな質問にも答えられると言い張りましたが、ある頭のいい人が出した問いかけには答えられませんでした。では、その問いかけとは一体何でしょう?」


 すると教師は次の問題の準備があるからと部屋を出て行った。


(そんな人がいるはずないけど、まあ知恵試しだものね。さて、何でも知っている人、か……)


 スピカは子ども達といっしょになって頭をひねった。壁にもたれかかったり窓の外を見たりと、一見したら落ち着かない様子だが、これが彼女の思考法である。


「ああそうか、逆に言えばこの人は知らないことがないって……」


 やがて、リーラが一つの箱を手に戻ってきた。解けましたかと言うと、分からない、難しいといった声が方々から飛ぶ。そしてスピカへと目を向けると、


「答えは『あなたが知らないことは何ですか?』です。答えられたら矛盾してしまいますからね」


「お見事。まさにその通りです」


 子ども達から拍手が上がり、スピカは照れくさそうに笑った。


「さて、次の問題です」とリーラは教卓に置かれた箱を示した。上面に片手が入る程の穴がある。


「この中には一種類の木の実がいくつか入っています。そして一人一回だけ、私にどんな要求もすることが出来ます。それで箱の中身を見ずに木の実の名前を当てられた人は、木の実を食べられます。ただし、名前を尋ねるのと箱から出せというのは禁止します。さあ、どうやれば食べることが出来るでしょう?」


 つまり、出題者に何かを尋ねて木の実の種類を当てれば良い、ということだ。さすがにこれは太刀打ちできないとスピカは思った。何せ自分の知識がこの世界では通用しないことを前日の市場や酒場で実感しているからだ。


「答えて良いのは、一人一回までですよ」


 誰も口を開かないので、リーラはそう言った。子ども達は戸惑って手が出せないでいるように見えた。何を訊けば良いか迷っているのか、それとも後出しをするほど有利だと分かっていて牽制しているのかは分からない。


「色、堅さ、大きさ、重さ、味……訊かれれば何でも答えますよ」


 分かるはずないと分かっていながらもスピカは悩んでいた。そもそもこの問題は、どれほどの知識があっても一つきりの質問で当てられるのだろうか。仮に箱の中身がかなり特徴的な果実で、一つの質問で特定できてしまうようなものだとしたら。いや、たとえそうだとしても結局勘で当てに行くことには変わりない。


 ちょっと前までの記憶を巻き戻してみる。この問題はそもそも、名前を訊く、箱から出す以外の一つの要求だけをして箱の中身を当てれば食べられるという至極単純なもの。そのどこかに何か鍵があるはず……と、スピカは思考を巡らせた。


「先生、箱を振って音を聞かせて下さい」


 ある子どもがそう言った。リーラが箱を振るとごろごろとくぐもった音がした。固い殻で覆われた実でないことは分かったが、それだけでは情報不足で、その子は正解できなかった。


 と、その時少女の脳裏にある考えが閃いた。しかしあまりに大胆なその発想に、自分を疑ってかかってしまう。それが条件を満たしているのかと検証する。人差し指を唇の橋に当てていると、誰かがマフラーをくいくいと引っ張った。見れば、前髪の長い女の子が見上げている。


「お姉ちゃん、分かった?」


 スピカはしゃがんで視線の高さを合わせた。


「うん、でも自信ないから代わりに答えてくれる?」


「いいよ」


 スピカが耳打ちすると、女の子は言った。


「先生、味見をさせて下さい」


 この場にいる一同が騒然となった。女の子はリーラの所まで行くと両手を伸ばした。教師が箱から出した一つをそこに乗せると、女の子はかじり付いた。


 そう、これが正解である。


「よく分かりましたね」


「お姉ちゃんが教えてくれたの」


 教師はやっぱり、と言いたげな視線で『お姉ちゃん』を見た。やがてその色は期待へと変わる。


「お見事です」


「一つしか質問できないなら、特徴を尋ねて正解に辿り着くのはまず不可能です。となれば、問題にある穴を探すことになりますね。目的が木の実の種類を当てて食べることで、やっていけないのは名前を尋ねることと箱から出すよう頼むこと。


 質問ではなく要求と言ったのですし、味見をしてはいけないとは言ってません。結果的に箱から出しますし、味から判断するのもそうですが、かじった時点で目的は果たした事になります。それとやや強引ですが……『食べさせて下さい』も正解だったんじゃないですか?」


 リーラは、スピカを見て唖然とした。


「素晴らしいわ!」ぱたぱたとくぐもった拍手をしながら彼女は言った。「正解、いやそれ以上ですね。手がかりもなしにそこまで推測出来るなんて、ベガが言ってた通りあなた天才です! きっと私たちの戦力になれると思います。協力してくれませんか?」


 彼女は目を輝かせてスピカの両手を握った。その勢いに思わず彼女はたじろいでしまう。


「えっと、私は何をすれば良いんですか?」


「呑んでくれるのですね? それじゃあ今日の授業はここまでにしておきましょうか」


 すると子ども達は手を挙げて喜んだ。


(……学校の勉強が嫌なのはどこも同じなのかな)


 そう思う美奈だった。


       *


 太陽が最も高くなる時間帯でありながら、この村は決して暖かくはなかった。日向にいれば多少の熱は感じるものの気温を決めるのは太陽よりも大気だ。


「もうすぐ雪が降り始めてもっと寒くなります。みんな冬支度に追われてるんですよ」


「それでみんな忙しそうに」


 今度はリーラに連れられて町中を歩いていた。しかし心なしか、静かな通りに入り込んでいるような気がしていた。治安の悪そうな区画である。


「さあ、ここですよ」


 教師が示したのは、赤煉瓦の大きな建物だった。この区画には似つかわしくない幻想的な雰囲気を醸し出す、周囲の家よりも一回り大きな家だ。リーラはそこの戸を叩き、耳をそこに押し当てた。何事か呟くのが聞こえてから、戸が開けられた。


「セラトナさん、いる?」


「ああ、奥にいるよ」と中にいた人物が言う。


「スピカちゃん、おいで」


 リーラに手招きされ、彼女もおずおずと足を踏み入れる。薄暗い玄関広間を通る時、好奇の視線を感じた。そこを抜けた先にある一つの扉の前で再び立ち止まり、先程のと同じ所作をしてから二人は部屋に入った。


 天井にある窓から光が差し込んではいるが、やはり薄暗い部屋だった。中央には燭台が置かれた木製のテーブルがあり、茶髪の女性が座っていた。


「リーラ、その娘は――ああ、ベガが言っていた天才少女だね」


「はい。彼女の聡明ぶりは私が保証します」


 スピカは照れくさくなってマフラーの中に口元を埋めた。


「はじめまして、お嬢さん。私はセラトナ。お名前は?」


「スピカです」


「スピカか。良い名前だね」


「ありがとうございます。それで、私をここに連れてきたのはどうしてですか?」


「なんだ、まだ言ってなかったのか?」セラトナはそう言うと腕を組んだ。「まあ、座りなよ」


 その声や容姿から女性であることは紛れもないのだが、口調や態度がどこか男性じみている、不思議な人だ。スピカはこんな人をどこかで見たことがあるような気がした。


「リーラ、お茶を持ってきな」


「はい」


 リーラが出て行ったので、セラトナと二人きりになった。スピカは相手が女性だと分かっていながらも、緊張を抑えられずにいる。この女性の雰囲気ではなく、この屋敷の空気そのものがそうさせているのかも知れない。


「我々に協力して欲しいことというのは」もったいぶるように、言葉を呑んだ。「村長への反逆だ」


 スピカの中を、悪い予感が突き抜けた。


「我々は村長の一家を殲滅し、新たな集落を作ることを目的としている。私がその頭領だ」


「新しい集落……ここから出て行くという意味ですか?」


「いいや、そうではなく。この集落を新しく生まれ変わらせるという意味だよ、スピカさん」


 先程から感じていた妙に緊張した空気の正体を、彼女はその瞬間に悟った。


「それではつまり、ここは……クーデターを起こそうという人々のアジトなんですね」


「クーデ……何だそれは?」


「えっと、つまり、王様を倒して権力を奪うことです。革命と言えば良いんでしょうか」


「君がいたところでは、そのように言うのか?」


 セラトナは、見知らぬその言葉に興味津々の様子だった。そもそも来訪者が極端に少ない土地である、目の前の人物が外から来たからこそ、スピカへの好奇心はより一層刺激されるのである。


「はい。でも身近にある言葉ではありませんが」


「そうか。それでそのクー……」


「クーデターですか」


「それだ、うん、私は気に入ったよ、その『クーデター』という言葉の響きが」


 その時、スピカの背後にあった扉が叩かれた。セラトナが促すとリーラがお盆を持って入り、二人の前にお茶とクッキーのようなものを置いた。


「ありがとうございます、いただきます」


 スピカはそう言ってから口を付けた。甘い花の香りが強い、魅惑的な感じのする飲み物だ。


「それで、話の方はうまくいきました?」


「いや、これからだよ。それよりリーラ、我々の軍団にも名前が必要だと思ったことはないか?」


「いいえ」


 熱弁するセラトナと冷静なリーラの対比が、少し滑稽に見えた。そしてまた頭領は熱く語りだす。


「組織が組織として成功するためにはな、優れた指揮官と、確固たる目的と、所属たらしめる名前の三つが欠かせないんだよ。組織に名前を持たせることで、メンバーの所属意識が高まり、自然と組織としての行動が取りやすくなるものなんだ」


「それで?」


「『クーデター』という名前にしようと思う」


「どういう意味ですか?」


「スピカの村では、我々がやろうとしていることをこのように呼ぶらしい。良い響きだろう?」


「はあ。分かりましたから交渉を続けて下さい」


「交渉って、何のですか?」


 スピカが傍らのリーラを見上げて言うと、女教師は僅かに眉をひそめた。そのまま視線を彼女の上司へと投げかける。


「さて本題に入ろうか。ベガから君の有能ぶりは聞いているよ。リーラもそれを保証してくれた。そこで君の頭脳を見込んで頼みがある。是非とも、我々の組織の参謀になって欲しい。いや、望むならリーダーの座を譲っても構わない。どうだろう、スピカ君! 協力してくれないか?」


 初めは、セラトナが何を言っているのか理解できなかった。いや、本当は全て理解していたのだろう。しかし、受諾を拒む心が理解を阻害したのだ。驚きと喜びと困惑が心中でごっちゃになる。


「そんな! 突然、困ります……私まだこの村に来てから二日も経ってません! そんな私に村長を倒す手伝いをしろだなんて……私はただ、友達を捜しにここに来ただけなんです!」


「ならば取引しよう。我々は兵隊に見つからないように隠れている組織ではあるが、規模自体はかなり大きいんだ。この村にいるのなら、人海戦術で探し出して見せる。どうだ、悪い話ではないはずだろう?」


 途端に、美奈の心が揺れた。ベガに「私たちにとっての希望になれる」と言われた時に感じた希望が再びわき上がってくる。もし彼女らの言葉が本当ならば、味方が得られるのは逃せないチャンスだ。躊躇わせているのは反乱軍に手を貸すという罪悪感と、期待に応えられるかという不安だった。


出題参考:多湖輝『頭の体操 第6集』光文社


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