よい子はマネしないように
誰が言ったかはさて置き、人間という生き物は意外と丈夫に出来ているようで、それは肉体的な意味では勿論、精神的な面で言ってもそうである。
何となく本を読んでいたりすると、人間が危機的状況の中に急に放り込まれた時、大分すると人間は二つのタイプに分かれるらしい。
一つは、自分の置かれた立場を直ぐには理解できずに混乱、錯乱、暴走してしまうタイプ。
もう一つは、自分の置かれた状況に比較的早く対応し、冷静に行動できるタイプ。
別の言い方をすれば、『オーバーヒートするタイプ』と『逆にクールダウンするタイプ』だ。
どうやら、春馬は後者に属するらしい。
「…まぁ、その…揚羽さんよ」
「はいはい何でしょう」
自分の家。見慣れたリビング。愛用のイス。
順番に目線を巡らせて、春馬は現在位置がしっかりと自分の自宅であることを確認する。
そして次に、器用に足の指で自分のふくらはぎらへんをつねってみる――――痛い。
どうやら夢ではないようだ。こういう展開の場合、夢である方が稀なのだが、確かめずにはいられない。
そして、諦めたように春馬は正面で拳銃を自分に向ける少女、宇佐見揚羽に向き直った。
「笑えない冗談はこの辺にして、そろそろ俺を解放してくれないか」
「ほほぅ。そうきましたか」
何故か関心したように、揚羽は顎に手をやった。
そしてそのままウ~ンと唸りながら思案する。
「まぁいきなり占領する。というのは些か抽象的すぎましたかね。確かに、占領すると言われたら変な方向に誤解を招く恐れがありますから、もう少し噛み砕いて言いましょう」
まるで、物分かりの悪い小学生に優しく教える先生のようだ。
しかし、その右手にはしっかりとベレッタM92Fが握られ、春馬を捉えている。
「『この家は今から私の物です』」
「悪化したッ!?」
とんだジャイアニズムだった。
春馬は、ジャイアンに笑顔で所有物を略奪されたのび太の気分を現在進行形で味わっている。
もしドラえもんがいるなら、春馬は今なら躊躇なく大声で助けを呼ぶ。
「まてまてまてまて。占領ってなんだ。『この家は私の物』ってお前、頭大丈夫か?」
「学年では上の下といった所です」
「成績を聞いてるんじゃありません」
そこそこ頭が良いことだけは判明した。
ジャラジャラと、手首に嵌められた手錠を鳴らしながら、春馬は詰め寄る。
実際には拘束されているので、詰め寄れてはいないのだが。
「理解できねぇ。いや、理解はできるけど認めたくないから、もっと簡潔に分かりやすく」
「困った人ですねぇ。まったく…先輩は下の下ですか?」
「成績で人を判断するんじゃねぇよ。それに、俺の成績は中の下だ」
「ゲゲゲ?」
「誰が鬼太郎だ!!」
「そう言えば現代版のアニメでは猫娘に萌え要素が追加されてるらしいですね」
「ああもう!! 話が進まねぇ!! ちなみに猫娘の萌え化には俺は反対だ!!」
しっかりと自分の意見を述べる春馬くんである。
「そうじゃなくて、占領って何だよ?って話だ。仮に占領したとして、お前の目的は何だ」
ぐったりと疲れたようにイスにもたれかかりながら、春馬は尋ねる。
グダグダとした展開になりつつあるが、話は進めなければならない。
玄関で両手を拘束された春馬は、なし崩し的にリビングまで侵入を許してしまったのだ。
そして、揚羽の『この家を占領しました宣言』である。
その後リビングのイスに座らされた春馬は、揚羽が外からキャリーバックを三つ運び込むのを黙って見てる他無かった。
揚羽が運び終わった現在は、春馬にようやく訪れた質疑応答の時間である。
フム。と、また顎に手を当てて、揚羽は応じた。
「まぁ『占領』とはそのまま土地の所有権を奪うことですから…」
「『この家は私の物です』か?」
「で、奪って何をするかと言われますと、それは勿論」
グッと、揚羽は親指をつきたてる。
それは俗に言う『ガッツポーズ』とやらで、一般的に勝者にこそ許されるポーズである。
「この家に住みます」
「………は?」
「お世話になります」
揚羽はペコリと頭を下げた。
◇◇◇◇
「フム…」
高杉隼人はため息をついた。
その目線は、机に置かれたシンプルな作りの携帯電話に注がれている。
普通なら、隼人は参考書片手に勉強をしている頃合いだが、今日は事情が違った。
「風呂にでも入っているのか…?」
春馬からのメールの返事がこない。
普通なら、返ってきても良さそうな頃なのだが、隼人の携帯は沈黙したままだ。
別段、いつもメールのやり取りをしているワケではないが、春馬はメールをしっかりと返す性格なので、無視していることはないだろうが。
しかし、大事な用の時に限って返信が遅いものである。
一人暮らしをしている春馬のことだから、携帯電話を見れない理由は多々あるだろうが、隼人に取っては珍しく心配な案件を抱えているのだ。
「まぁ、杞憂だと良いんだが…」
何故か嫌な予感がする隼人である。
◇◇◇◇
「アハハハハハハハ……」
乾いた笑い声が、直江家のリビングに響く。
「ナイナイ。いくら俺がプチ不幸体質だからって、これはナイ。ナイナイナイナイ。もういいだろう揚羽。さっさと『ドッキリ大成功』のプラカードを出すんだ」
「アレ、まだ受け入れないんですか?」
頬の筋肉を引き攣らせて笑う春馬に、揚羽は困ったように首をかしげた。
そして、小さくため息をつく。
「仕方ありませんね。二,三発ブチ込めば覚醒するでしょうか?」
揚羽の、拳銃を握った腕がゆっくり動く。
銃口を春馬の眼球から、イスに座っている春馬のふとももへ。
スーっと流れるように移動し、焦らすようにまたゆっくりと引き金に指をかけた。
「ちょちょ、ちょっとストップッ!!!」
堪らず春馬は、明後日の方向へ飛びかけていた意識を帰還させる。
そして、ちょっと揺さぶってみようか? 程度の軽さで、引き金を引こうとした揚羽を、拘束させた両手をガシャガシャ鳴らしながら、必死で止める。
「まず占領ウンヌンの前に、お前のその持ってる銃は何だ!!」
「コレですか?」
「本来なら真っ先に突っ込むべき部分なんだが…その銃。まさか本物じゃないだろうな?」
恐る恐る、春馬は訪ねた。
万が一でも、女子高校生が本物のベレッタM92Fを持っている可能性はないだろうが。
しかし、無いと分かっていても実際に銃口を向けられることなど想定もしていなかった春馬にとっては是非とも確認しておかなければならない案件であり、この案件の結果次第で、春馬の巻き込まれた事件の大きさは変わってくる。
揚羽の犯した罪に、銃刀法違反が加わるかどうかである。
しかし、よく考えてみれば、揚羽は現在進行形で住居侵入・監禁・脅迫の罪を重ねている。
比喩でも誇張でもなく、春馬の目の前には犯罪を犯している女子高生が仁王立ちしているのであった。
「あぁ、コレはですね」
春馬の問いに、至極軽々と答える揚羽は。
そのまま、体の向きを変え、右手を伸ばし、銃口を隣の部屋のソファに向けた。
そして、予告もへったくれも無いまま、軽々と易々と楽々と―――――――引き金を引いた。
次の瞬間、シュカカカカカカカカカカカカカ!! という、布の擦れるような音が連続して響く。
同時に、揚羽の持った拳銃は連続でスライド部分が左右に運動し、銃口から恐るべき速度で何かが発射された。
そして、隣の部屋でパパパパパパパパ!!と不気味な音が鳴り響く。
その音はたっぷりと十秒ほど続き。
やがて、唐突に静寂を迎え入れる。
「難燃性の低圧ガスで、プラスチック製の弾丸、つまりBB弾を発射する遊戯銃。いわゆる『ガスガン』です」
隣の部屋から、コンコンコンコロコロコロとBB弾の転がる音が聞こえる。
揚羽は、素晴らしい笑顔。それはそれは、もう、見惚れるほどの満面の笑みだ。
子供が玩具を自慢する時のような無邪気な笑顔で、そしてそれが揚羽の整っている容姿と相乗効果を果たしている。
が、しかし、春馬が見ているのは、ただの美少女の笑顔ではなく。
フルオートでBB弾を打ち尽くしスライドが開いているベレッタM92Fのマガジンを、慣れた手つきで取り出し、懐から新しいマガジンを取り出して、ベレッタに押し込み。
そして、スライドを引いてBB弾を再装填し、新たに発砲出来る状態にまで自然な流れでやってのける、美少女の笑顔だ。
ただの美少女ではない。
銃器の扱いに慣れたご様子の美少女だった。
「流石にこの日本で本物の拳銃は携帯出来ませんからねぇ…まぁ幸いなことに、日本の『エアガン』というのは結構優秀な性能を誇ってますから、今のところはそれで我慢です」
「将来的には入手する予定なのか…」
「はい」
言い切った。
一瞬の逡巡も見せない即答であった。
「というワケで、あんまりアナタが理解するのが遅かったら、揚羽は先輩の眼球にBB弾をブチ込んじゃうゾ?」
「萌えねぇし笑えねぇッ!!」
恐ろしい事を可愛らしく言ってのける揚羽。
生命とまではいかなくとも、真剣に自分の眼球やふとももに危機が迫っていることを痛感する春馬である。
勿論、春馬は拘束されているので、揚羽がその気になれば、春馬がBB弾を回避することは難しい。でか無理である。
「お前のせいで、全世界のサバイバルゲーム愛好家の方々があらぬ誤解を受けてしまうぞ」
「よい子も悪い子もマネしないでね」
エアガンを人に向けて発砲するのは極めて危険なので絶対にしないように。
この場を借りて、しっかりと記しておく。
住居侵入・監禁・恐喝は犯罪です。
よい子も悪い子も、よい大人も悪い大人も真似しないように。
そして、エアガンは本来こんな遊び方をするものではないので、誤解なさらないように。