冒頭に至るまで 其の三
謎の空間を発見したので入ってみれば、そこには女の子が居ました。
一見、何ともファンタジーチックな説明文ではあるが、残念ながら現実はそう巧くは出来ていないようで、入った空間に居たのが囚われのお姫様とか、眠れる美女とかではなく、古ぼけたソファに寝そべってポテトチップスを食べながら漫画を読んでいる少女だった。
何となく、断りも無く女の子の部屋に入って、女の子が完全に油断している姿を見てしまった感覚に近い。
「……………」
「く……やっと見つけた私だけの楽園が、こうもあっさりと見つかってしまうなんて」
春馬はその場に立ち尽くす。
何故か湧き上がってくる罪悪感と凄まじくしょうもなかったオチのダブルコンボで、春馬は今、かなりやる気を削がれている状況だ。
対する少女の方は、寝そべっていた体勢から瞬時に飛びあがり、読んでいた本を山の一番上に放り投げて、ついでに、袋の中にあるポテトチップスを一枚取り出して、口の中に放り込む。
そのままパリパリとチップスを咀嚼しながら、春馬に向き直った。
「…なぁ」
「な、なんでしょう?」
「お前、こんな所で何やってるんだ?」
呆れた調子で、春馬が訪ねる。
それに対する少女は、額に汗を浮かべながら、目を逸らす。
「み、見てわかりませんか?」
「いや、分からねぇな」
「ポテトチップス食べてます」
「いやそれは分かるけども!!」
お互いに三メートルほど離れた状態で、春馬は突っ込む。
「俺が聞きたいのはお前の食ってる物じゃなくて、この謎の空間とお前の存在だよ。……そんでもって、何でお前は堂々と図書室でポテトチップス食ってるんだよ。飲食禁止のはずだろうが」
「あ~……記憶にございませんねぇ…」
「白々しいにも程があるだろう」
「全て秘書が用意しましたので」
「お前秘書居るの!?」
最近の女子高生はまるで政治家のようらしい。
とりあえず春馬は、今自分が話している少女の属性がボケの方であることを理解する。
ちなみに、何故春馬が少女に対して普通に喋る事が出来ているのかと言いうと、少女の制服のリボンの色が、春馬より一つ下の学年の物であることを確認しているからだ。一年生なんだろう。
「私からも質問です」
「お前答えてねぇじゃねぇか」
「なんでこの場所の存在が分かったんですか?」
「あ? …そりゃ物音が聞こえたから…」
「アレ? 私、物音立てないように気をつけてたんですが」
「………まぁ、聞こえたんだよ」
不思議そうな顔をする少女。
適当に質問を受け流す春馬は改めて少女を観察する。
服装は、当たり前だがこの学校の女子の制服。リボンだけが春馬の見慣れた色ではない。
背丈はソファに座った状態なので正確には分からないが、そこまで高くは無いだろう。
成長段階の女の子よろしく、手足や腰の線が細い。髪型は、漆黒と言っていいほどの黒色の髪が真っ直ぐに伸びるストレートロング。
くっきりと大きく輝く印象的な瞳に、小さくコンパクトにまとまった顔立ちだ。
美少女といって差し支えない容姿の少女が、春馬の前でポテチを咀嚼している。
「まぁ見つかってしまったものは仕方ありません」
ハァと、ため息をつく少女は同時にポテチを嚥下して肩を落とす。
どうやら、この空間はこの少女が秘密にしていたようだ。
ポテトチップスや、山積みの漫画からすると、ココは昼休みにここでくつろぐための部屋らしい。
春馬が部屋の造りを見ると、広さは五畳ほどのスペースで広いワケではないが中々快適そうな印象だ。
端の方には漫画やら小説やらが転がっていてる。恐らく図書室の物だろう。
そして、真ん中あたりに古ぼけたソファが一つ置かれている。
「ですが、この部屋のことを知られたからにはタダで返すワケにはいきません」
「は?」
少女がソファから立ち上がる。
怪訝な表情を浮かべる春馬に対して、少女はニッコリ笑った。
「ですので、一度痛い目を見てもらいます」
――――その瞬間、春馬の頭部めがけて何かが飛来する。
「うおぉ!!」
突然の事に驚きながらも、春馬は飛来した何かを首をひねって回避する。
脊髄反射で回避した後、その物体が分厚いハードカバーの本であることを認識した。
寸分たがわず頭部を狙った本は、春馬の真後ろの本棚に当たって落ちてゆく。
しかし、それを悠長に見る暇もなく、少女は春馬に向かって突っ込んでくる。
身長が低い事を活かすかのように、体勢を低くして懐に入り込むような姿勢で、少女は春馬の懐に飛び込む。
「いきなりバトル展開かよッ!!」
悪態をつきながら、春馬は瞬時に少女の狙う部位を予測し、防御を試みる。
両腕をクロスさせるように組んで腹部の前にかざす。
丁度春馬が防御の体勢を取ったと同時に、少女が攻撃範囲に到達し、細い右腕を突撃の勢いのまま突き出した。
ゴッ!!という鈍い音と共に、春馬の腕に強い衝撃と鋭い痛みが駆け抜ける。
拳の感触ではない。春馬が後方に重心を動かして衝撃を殺す瞬間に少女の右手を見ると、そこにも、分厚いハードカバーの本が握られていた。
春馬の腕に、分厚い本がめり込む。
「チッ! 本は大切にし、ろッ!!」
クロスしていた両腕を一気に振り上げ、分厚い本を弾き飛ばす。
勢いよく吹き飛ばした本が少女の手を離れて、春馬から見て前方へと吹き飛んでゆく。
右手も強かに衝撃を受けた少女は、しかし、全くと言っていいほど声を上げず感情も変化させないまま、接近した時の勢いを殺して、今度は春馬から一歩距離を取った。
丁度、ボクシングで殴りあうぐらいの間合いとなった距離で、少女は間髪入れずに腰をひねる。
そのまま全身の力を込めるように、少女は隠していた左手の方を春馬に向かって振るった。
左手にも何が持っている。
ゴッ!!という鈍い音が再度響く。
横薙ぎに振るわれた少女の左手が、春馬の咄嗟に構えた右腕にめり込んだ音だ。
春馬の手首辺りに衝撃が走る。これも拳の感触ではない。またも、分厚い本の打撃だ。
少女は両手に分厚い本を持って殴りかかってきたのだ。
「ムム。私の攻撃を受け止めるとは、中々出来ますねアナタ」
「…お前はドコの敵キャラだ。というより、何で俺が攻撃されなきゃならん」
「問答無用です」
春馬がわき腹を防御する形で右腕を構え、少女がその右腕に分厚い本を叩き付けた状態で、会話が成立していた。
突然始まったバトルパートが、突然終わって会話パートに入ったようだ。
お互いに姿勢はそのままなので、何とも奇妙な格好で会話が続く。
「て言うか、お前も容赦ないな。幾ら何でもいきなり武器で攻撃なんて、下手すりゃ本でだって人を殺せるんだぞ?」
「全部防御した人が何を言ってるんですか。それに、か弱い乙女が男相手に攻撃しようとするなら、武器を使うのが当たり前でしょうに。女の子は腕力が無いので知恵で勝負です」
「書籍で殴打するのは知恵のある奴の発想じゃねぇだろ。そもそも、か弱い乙女が攻撃しようって選択に至った時点でソイツはもうか弱い乙女じゃねぇ」
「ム。全て防いだからと言って調子に乗らないで下さい。私はまだウォーミングアップ程度の力しか出していません」
「だからお前はドコの中ボスだ」
「私の攻撃を防いだからと言って、私の必殺技を止められるとは限りませんから」
「最近の女子高生は必殺技持ってんのかッ!??」
重ねて記すが、お互いにまだ構えは解いておらず、本は春馬の腕にめり込んだままだ。
姿勢はそのままに、両者とも表情だけ豊かに変化させて会話している。
「ふふふ…幾らアナタでも、私の必殺技は防げません」
「必殺技持ってるお前はもう、か弱い乙女は名乗るな」
得意げな少女と、憐れみの視線の春馬だ。
「男子でさえも一撃で葬り去る技…その名も『アゲハエクスプローション2005』!!!」
「…………結構前に造った技なんだな」
技名から察するに、どうやら2005年に造られた技らしい。
その年に造られたからと言って「2000」やら「2009」やらを名前に付けたら来年以降は使いにくくなるんだなぁ、としみじみと春馬は実感する。
そして同時に、「2000年ミレニアムメガネとかあったなぁ…」と不意にどうでもいいことを思い出す。
ちなみに2000年ミレニアムメガネとは、そのまま2000という文字をメガネにしてしまった白物である。
真ん中の00の部分から目を出して掛ける。2001年からは掛ける人が消滅したのは言うまでもない。
「正直、最近改良したので、2005から2009に名前を変更しようかどうか迷っています」
「心の底からどうでもいい」
かなり話は脱線していた。
◇◇◇◇
場面転換。
なんだかんだあって、戦闘はそのまま終了しました。
色々あったのだが、もう面倒なので割愛する。
とりあえず話を進めるため、春馬は少女をソファに座らせる。
自身は適当に突っ立った状態ではあるが、他にイスはなさそうなので仕方が無い。
まずは少女の正体から解明することとする。
「申し遅れました。江里高校一年二組、宇佐見揚羽と申します。以後お見知り置きを」
「絶対忘れねぇ」
何故なら、お互い初対面の一分以内に戦闘行為に走った人間は春馬の人生では初めて経験する人間だからだ。
適当なスペースを見つけて、腕を組みながら春馬は尋問を始めた。
「ここはお前が造ったスペースか?」
「いえいえ。数週間前に偶然発見致しまして。それから、誰も使ってないようなので私用で使わせていただいています。敢えて言うのなら第一発見者、という奴でしょうか?」
「ふ~ん。じゃあ元からあったスペースなんだな」
そう言って、改めて周りの様子を確認する。
確に図書室の中に新たにスペースを作るのだとしたら、周りの壁を形成している本棚やらを移動させなければならないので、とてもじゃないが女の子一人では無理だろう。
少なくとも数人の男子生徒か男性教諭かを動員して、それでもかなり時間が掛ると予測される。
ここで、ふと春馬の脳裏に元々のこのスペースの利用目的がよぎった。
「…なぁ、宇佐見とやらよ」
「なんでしょうか」
「つかぬこと聞くが、お前がこのスペースを発見した時、ココには何があった?」
「………あぁ…」
その瞬間、目の前の少女改め、宇佐見揚羽は顔をしかめる。
見るからに不愉快というか、不快感を露わにしてため息をつく。
そしてたっぷり間を取って口を開いた。
「その口ぶりなら、アナタも大体見当は付いてるようですね」
「あぁ…全くもって不本意だが」
「えぇ、まぁその予想通りだと思いますよ。――――エロ本です」
「ず、随分あっぴろげに言うんだね」
「言い繕っても仕方が無いでしょう」
表情は不快感を露わにしているが、口調だけはやたらとハッキリ言い放つ。
普通ならもう少しオブラートに包むというか、遠まわしに言うものだと春馬は勝手に予想していたのだが、宇佐見揚羽という少女は、全く動揺した様子を見せずに寧ろ堂々としている。
逆に春馬が何となく居心地の悪い思いをしているのは不思議だ。
「****とか++++とか########みたいなのもありましたね」
「伏字を使うような言葉をあっさりと使うな!!」
何故か春馬がダメージを受けていた。
「何ですか? もしかして、アレはアナタの所有物でしたか?」
「断じて否だ。俺は伏字になるような特殊な性癖は持ってない」
「では何故こんな事を聞くんですか?」
「………………」
春馬の額から汗が流れおちる。
これでは疾しいことがあると言っているようなものなのに、自然と目が宙を泳ぐ。
「成程、噂を聞きつけて探しに来たクチですか」
「ち、違う。いや、違わないけど違う。簡単に説明するならそうなっちゃうんだけど、そう結論付けられると俺という存在が社会的に死んじゃうから真っ向から否定するぞ」
しどろもどろになりながら、春馬は必死に弁解を図る。
どんどん泥沼に嵌っていること山の如しなのだが、ココで『友人の手伝いで』という項目を追加したところで全く効果をなさないことぐらい春馬にだって理解できた。
それも「学園のアイドルである飛沫からの頼みだ」と言って信じる女子生徒がこの学校に居るかどうかも謎だ。
ジト目で春馬を見る宇佐見から精神的ダメージを受けながら、春馬は話を続ける。
「そ、それで…その本はどこへやったんだ?」
「それはですね変態さん」
「その仮名だけは勘弁してくださいッ!!」
土下座せんばかりの勢いで、春馬は乞い願った。
しかし、それはあっさりと無視されて話は続く。
「まぁ結果から言っちゃえば、捨てました」
「なに!?」
「邪魔だったんで、ビニール紐でまとめて縛って、ゴミ倉庫の方へ」
「………さいですか」
歴代の先輩方が、わざわざ図書室の中に秘密の空間を作り、カーテンで偽装工作をし、コツコツと努力を重ねて集めて行った財宝は、どうやら一人の女子生徒の手によって綺麗に掃除されてしまったようだ。
その存在を直接見たことはない春馬だったが、財宝と呼ばれるレベルまで備蓄され、かなり優秀な設備と共にあった歴代の男子先輩、まさしくOB(この場合もBは馬鹿のBでも可)の夢は見事に潰え、今は女子生徒のプライベートルームと化していた。
切ないというか、同じ男子から同情を誘う状況だった。
「とりあえず、飛沫の目的の物はココには既に無いんだな」
今頃、冒険家気分で図書室を探し回っているだろう親友の姿を想像してまた切ない気持になる春馬である。
「まぁ、無いものは仕方が無いか」
「やっぱり欲しかったんですね」
「……もうこの際否定しない」
春馬も健全な男の子である。
相手もオープンな性格のようなので、春馬も開き直る。
「ところで、だ」
丁度、話を区切る良い地点なので、少し強引だが春馬は話のベクトルを変える。
「初対面で、会話が始まって数十秒で襲ってきたのは何でだ」
「……………」
今度は宇佐見の方が額から汗を流す。
女の子が俯いて視線を逸らす姿を見ると、何だかイケナイ事をしている気がするのだが、実際には春馬は被害者であり、春馬が行った行為も正当防衛の範囲内だ。
寧ろ、分厚い本を振りまわしてきた宇佐見の方が異常なのだが、絵的には春馬の方が加害者側に見えてしまうのはある種仕方が無い。
宇佐見は外見だけ見るなら美少女なのだ。
「えぇとですね…」
エロ本の時とは打って変わって、口の重たい宇佐見を春馬は根気強く待つ。
「突然の事で気が動転しまして…とりあえず、殴って気絶させた後下半身をひっぺ剥がして写真に収め、それを弱味に今回の事を黙っていてもらおうと計画していました」
「思いの外、悪逆非道な事考えてたなお前ッ!!?」
宇佐見の発言を想像した春馬の全身が総毛立つ。
そして同時に心の底から正当防衛しておいてよかったと、過去の自分に感謝の念を送った。