冒頭に至るまで 其の一
I LOVE PEACE
冒頭から何を言うのかと問われれば、直江春馬は胸を張って堂々とこう答えよう。
「私は、平和を、愛してます」
「……突然何言ってんだ貴様」
隣からの冷たい一言にも怯まず、主人公直江春馬は外の景色を愛しむように眺める。
窓の外を飛んでゆく小鳥を遠い目で見送る春馬を、近くに居るもう一人の少年は残念な物を見る目で見ていた。
「和訳したんだよ」
「だから、何言ってんだ貴様」
隣の少年の眉間の皺が深まる。
隣の少年から見れば、外の風景を呆けて見ていた春馬が突然意味の分からない言葉を呟いたので、友人の精神状態を心配している。
そんなことは全く気にせず、春馬は頬杖をつきながら外を眺め続ける。
公立江里高校、二年一組の教室には、そんな奇妙な二人組が居た。
「いや、だから日本は平和だなぁ、と改めて思ったワケですよ。これはアレだな。この平和を噛み締めて過ごすことが俺たちの世代に課せられた義務だな、義務」
「あ~ハイハイ。そうだな」
どうやら薄っぺらい主張のようなので、友人は適当に切り挙げて、手元の参考書に目を落とす。
その冷たい対応には慣れているのか、春馬は気にせずにのんびりと話を続ける。
「ここまで平和だと、逆に何か行動を起こさなければ行けないような気もしてくる今日この頃だな。何かいい案は無いか隼人」
「とりあえずお前が黙ってくれれば俺は嬉しいな」
「そんなツレない事を言うなよ。さぁ一緒に歌おうぜ」
「歌ってろ」
あくまでも低テンションを崩さないのは、主人公の友人であり、世間一般的に言う幼馴染である高杉隼人である。
適当に春馬の言葉を弾きながら、目線を動かしている先は片手に持った数学の参考書だ。
そして、もう片一方の手には箸を持って、机に置かれた弁当のおかずを器用につまんで口に放り込んでいる。
場所は教室、より正確に言うのならば教室の中の窓際の席だ。
時間帯で言うとお昼を少し過ぎた辺り、丁度昼休みの時間である。
「というか、どうしたんだお前。えらくテンションが高いな。正直言って迷惑なんだが」
隼人が、いい加減めんどくさくなったのか、参考書から目線を上げて春馬に向き直る。
ここで隼人の容姿を描写しておくと、少し吊り上がった目元とシャープにまとまった顎のライン、女子でも羨むような透き通った肌や無造作ながらも何故か気品を感じさせる髪型など、挙げる数に困らない。
そして、全身に纏う気品や知性を感じさせるオーラ、今時珍しい少々古風な口調。
加えて、成績優秀、品行方正、スポーツ万能。
簡単な言葉で表すならば、イケメンである。それもレベルはかなりの上位だ。
そんな隼人に問われ、春馬は嬉しそうに答える。
「それが、最近は何も起きないんだよ」
「…何も起きない?」
怪訝な表情を浮かべる隼人。
その姿を遠巻きに眺めている数名の女子がいるのだが、この男に取っては関心のあることではないので放っておいている。
「最近は平和でさ。面倒事にも巻き込まれないし、バナナの皮も踏まないし、突然の大雨にも合わないし、久々の平穏なんだよ」
「あぁ…成程」
隼人が納得したように頷く。
この男、直江春馬はそういう男の子なのだ。
春馬という存在を知らずにこの会話を聞いたならば、何を言っているのかサッパリ理解できないだろうが、それは直江春馬は少し変わっているからだ。
といっても容姿は至って普通。比較的整った顔立ちに、短めの髪型、平均的身長。
運動はそれなりに得意だが、勉強はあまり得意とはいえない平均点やや下。
悪い意味ではないのだが、隼人と比べればあまり目立たない。
しかし、春馬の特徴は容姿ではない。
平凡な春馬にとって、最大と言ってもよい特徴は『ちょっぴり不幸体質』にある。
もう少し付け加えるのならば『面倒事に巻き込まれやすい』のだ。
「自分でもビックリだぜ。ここ最近、急に平和な毎日が訪れてさ。おかげでようやく普通のスクールライフが送れる」
「なんだか切ない男だな、お前」
隼人は少なくない割合の同情を含んだ呟きを漏らす。
それに対して乾いた笑いで返す春馬は、手元にあったパンのビニールの封を破ってかぶりつく。
モシャモシャと咀嚼しながら、いつもどおりの調子で隼人と世間話をする。
隼人が参考書に目を落としているのはいつものことなので春馬は気にしない。
「でも何でだろうな。急に俺の不幸体質が治るなんて」
「別に治ったと決まったワケではないだろう」
「でも確実に減ってるんだぞ? 理由とか無いのかな」
「…フム」
参考書から目を離して、隼人は少し考える仕草をする。
「まぁ科学的な根拠はないが、宗教的な一説では、人間は人生の中の幸運の量というのはあらかじめ決まっているというからな」
「幸運の量が?」
「うむ。その限りある幸運を人生という長いスパンに振り分けるのだから、年齢によって幸運の濃薄の差が生まれることもあるんじゃないのか? 例えば、20代の頃は幸運なことが多かったが、30代になると急に不幸の割合が多くなってくる…とか。よく『人生山あり谷あり』とか言うじゃないか」
「成程。じゃあ俺は『幸運の割合が薄いゾーン』を抜け出して『幸運の割合が多いゾーン』に突入した可能性があるってことだな」
「まぁ、確証も糞もない理論だがな」
また参考書に目を落とす隼人と、静かにガッツポーズを繰り出す春馬。
「じゃあもしかしたら、これからも平凡な毎日が送れるってことか」
「…もう少し高望みしてもバチは当たらんと思うが」
最終目標が『平穏な日常』である春馬に、隼人は少し遠い目を送る。
散々面倒事に巻き込まれている友人は、どうやら感覚が麻痺しているようだが、隼人から見れば、春馬にはもう少し幸運なことがないと哀れでならない。
大方の日本人と同じように無宗教の隼人ではあるが、この幸薄い友人に良い事があるように小さく胸の中で祈りを送った。
と、その瞬間だった。
「ハ~~ル~~マッッ!!!」
「グエフッ!?!?」
突然、二個目のパンのビニール封を破ろうとしていた春馬に、物体が飛来する。
比較的大きなその物体は、狙い澄ましたかのように春馬の胴体部分に吸い込まれてゆき、そのまま突っ込む。
無防備且つ食事中だった春馬は完全に不意を突かれたため奇声をあげ、衝撃を全身で受け止めるハメになった。
そして、手に持っていた二つ目のパンは春馬の手を離れ、開け放たれていた教室の窓から飛び出す。
宙を舞い、空を飛ぶ春馬の昼ごはんは、そのまま下へと落ちていった。
「…どうやら不幸体質は治って無いようだな」
隼人が春馬のパンを見送りながら淡々と述べる。早速隼人の祈りは神様に無視されたようである。
ビクビクと痙攣したような動きをする春馬の腹部で、突っ込んだ物体がモゾモゾと動いた。
春馬から昼ごはんを奪った物体は、そのまま立ち上がる。人間である。
ちなみに、状況を簡単に要約するならば、『春馬がタックルを食らった』、である。
「ハルマ、もう飯食ったか?」
春馬に突っ込んだ張本人が、朗らかな声で話しかける。
罪悪感のような感情は一切なく、寧ろ爽やかさすら含んだ声だ。
腹部を押さえてプルプル震えている春馬は、切れ切れになりながら答える。
「グフ……過激な愛情表現も程々にしやがれ飛沫」
「ハルマ、もう飯食ったか?」
「その前に謝りなさい。人にタックルしたら謝るって先生に教えられなかったのか?」
「ハルマ、もう飯食ったか?」
「お前まさかこのまま会話進める気か!?」
一応の謝罪を期待した春馬を無視する形で、話は進む。
「飯食い終わったんなら、ちょっと付き合ってくれないか?」
春馬の腹部を攻撃した人物、片桐飛沫は朗らかにほほ笑む。
重ねて記しておくが、罪悪感の類は一切無さそうな朗らかな笑みだ。
この状態ではもう何を言っても無駄なことは、付き合いの長さから心得ている春馬はとりあえず謝罪はあきらめる。
「あ~ちょっと待ってくれ、もう一個残ってるから、それ食うまで待ってくれ」
「お前の昼飯ならたった今、窓からダイブしていったぞ?」
「え、えぇぇ!??」
淡々と、参考書をよみながら告げる隼人。
思わず窓の外に身を乗り出して外を見る春馬だが、もうそこにはパンの姿はない。
「俺の昼飯が……」
「よし、じゃあ付き合ってくれ」
後に残るのは、飛沫の屈託のない笑みだけだった。
◇◇◇◇
「図書室に連れて行け?」
「うん」
生き別れた昼飯に別れを告げ、春馬は目の前の、もう一人の幼馴染である飛沫の話を聞いていた。
隣では、弁当を食べ終わった隼人が、相変わらず数学の参考書に目を落としている。
とはいっても、隼人は数学の参考書を読みながらも飛沫の話も聞くという芸当が出来るのは知っているので、飛沫も春馬もそのまま話を続ける。
「別に暇だからいいけど…お前が図書室なんて珍しいな」
「ふふふ…よくぞ聞いてくれました」
ニヤリ、と飛沫の口元が吊り上がる。
ここで飛沫の容姿を記しておくと、全体的な雰囲気が隼人と正反対という印象をうけるだろう。
丸く大きくて若干目尻が下がり気味な目元と、滑らかで美しい曲線を描く輪郭。笑うと良く見える笑窪、凛々しく伸びた眉毛、今風のナチュラルウェーブのかかった髪の毛等々。
こちらも挙げる数に困らないが、隼人とはまた方向性の違った造形の良さがうかがえる。オーラというか、見た目の印象は良い意味でくだけていて、朗らかで人当たりがよさそうだ。
性格も見た目に違わず、のんびりとしていて、マイペースで、多少我儘で、少し幼い。
これまた簡単な言葉で表すとしたら、イケメンであろう。それもかなりの上位だ。
「実は、ハルマに協力してほしいことがあるんだよ」
キラリン、と飛沫の眼光が輝く。
ちなみに、余談ではあるが、ココに居る三名のうち二名が学校を代表する美男子ということもあって、周囲からはそれなりに注目を集めている状況なのだが、当の本人達は全く気に留めていない。
近くにファンが居ることに慣れている美男子二人と、その友人の状況に慣れてしまった一人の男子生徒の図である。
どちらかと言えば、アイドルとマネージャーの関係に似ている。
「協力してほしいこと?」
「うん。…俺はとある情報を手に入れたんだ」
フフフ…、と不敵に笑う飛沫。
「図書室には、代々先輩方から受け継がれ、秘伝され、備蓄されていった『財宝』が隠されている…と」
「財宝…ですか」
「ふふふ…そうだ」
得意げに笑う飛沫に、怪訝な表情の春馬、無関心な隼人である。
「…その財宝の名前は?」
「財宝」
「その読み方はヤメぃ」
なんとも情けないオチだった。
要約すれば、図書館にかくされたエロ本を一緒にさがしてくれ、と言われたことになる。
是が非でも断りたい春馬だったが、しかし、春馬が何か言う前に飛沫は行動を起こす。
「というわけで!! 第一回・図書室エロ本発掘大作戦。決行だ!!」
宣言した。当然女子生徒も存在する教室のド真ん中で。
『今からエロ本探してきます』と。
女子生徒の生暖かい視線が集中する。江里高校の昼下がり。