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不法占領下の日々  作者:
第一章:占領開始
14/20

子の思い親知らず



「私は――――」




 揚羽は呟く。

 春馬の問いに、何かを返そうと思って思考を巡らせるが、言葉としては出てこない。

 言いたいことが無いワケではない。文吾の言葉に納得したわけでもない。自分の中には父親である文吾に対して言いたいことが沢山あって溢れ出る程だったのだが、それを言葉にしようとは何故か思わなかった。


 無駄に思えたのだ。

 今、父親に自分の意思を伝えようとも、例え父親がそれを聞いてくれても、納得して揚羽の思うようにしてくれるとは思えなかったのだ。

 文吾が嫌な父親なのではない。意地悪で揚羽の家出を止めるのではないことも大いに承知している。

 文吾が心の底から揚羽の事を心配して、幸せを願っているのは痛い程分かる。


 だがそれが、揚羽の意思を伝えることへの重しになっていた。

 父が揚羽を思うがゆえに、揚羽は意思を伝えることを諦めようとする。





「助けて、って言え」


「え?」



 不意に、隣に座る春馬が呟く。

 それが自分に向けられているものかどうか判断するのに迷って、揚羽はただオウム返しをするように問い返していた。

 顔を伏せる揚羽からは春馬の顔は見えないが、その声は揺らぐことのない一本の芯のようなものが通った力強く透き通った声だった。



「お前が助けてほしいなら、俺は助ける。協力する」


 小さな呟きだが、それはリビングに居る全員に聞こえているのだろう。

 静寂に包まれたリビングで、春馬の声だけが響く。

 文吾は怪訝な表情をし、回収作業を終えようとしていた黒服の男達は不思議な表情を浮かべる。

 それに対し、飛沫はパッと明るい表情を浮かべて春馬を見て、傍らに控える隼人は口元を薄く吊り上げた。



「でもその前に、自分の意思は伝えないとな。出来るだろ?」



 透き通った声が、揚羽の耳に心地よく響いた。

 心安らぐような不思議な声に、いつの間にか固くなっていた表情が和らぐのを感じる。

 そして揚羽は、顔を上げた。




 スルリと、言葉が解き放たれる。




「私は、家には戻りません」


 凛とした声が、まっすぐに文吾に向けられた。

 顔を上げた揚羽の表情はスッキリとしていて、何か憑き物がとれたような清々しい表情であった。

 向けられた言葉に驚愕し、返すことが出来ずにいる文吾を無視して揚羽は続ける。



「お父さんの気持ちはよく分かりました。私の事をどれだけ心配してくれているかも、私の身をどれだけ案じていてくれているのかも、しっかり伝わりましたし、すごく嬉しかったです」


 フゥと深呼吸するように、一息入れると揚羽は文吾に微笑む。

 親の贔屓目無しでも綺麗だと言えるような笑顔に、文吾はまた息をのむ。


「確かにいきなり家を飛び出したのは悪いと思ってます。親の立場から見れば、娘が突然居なくなって、しかも男の家に転がり込んでると分かったら、無理矢理にでも家に帰そうと思います。私がお父さんの気持ちをよく考えていませんでした」


 ごめんなさい。と、揚羽は深く頭を下げる。

 裏表の無い、真摯で気持ちのこもった言葉だということは、自然と伝わる。

 

「だから、今度は私の気持ちを聞いてください。我が儘だけど、聞いて欲しいことがあるんです」


 揚羽から文吾へ、まっすぐ射抜くような眼差し。

 真正面から向けられた瞳は、退くことを許さない。否、親ならば、この視線に答えてやらなければならない。


「……なんだい?」


 無理矢理優しい顔を作る文吾に、揚羽は力強く、言葉を紡ぐ。


「お父さんが、私が社会勉強したいって言ってから、私が住み込む家を探してくれていたのは知ってました。部下の方々からコッソリと教えてもらってたんです」


 文吾が、チラリと部下を見る。

 回収作業を終えて集まり始めていた黒服の男達は、苦笑いを浮かべて顔を逸らす。


「でもね、その時に、私とお父さんとで決定的な相違があるって分かったんです」


 相違。お互いに誤解していた。

 文吾は揚羽の事を思って行動していた。忙しいスケジュールの合間を縫って娘のためにより良い物件を探していた。娘を温かく迎えてくれて、そして娘に色々なことを教えてくれる。心優しい家庭を。


「お父さんが用意してくれた物件は、確かに温かそうで、楽しそうでした。でも、全部、有名企業のご家族とか名家の家とか、お父さんの交友関係で、恵まれた家庭だった。社長令嬢の私に相応しい家ばっかりだった」


 当たり前だ。

 親だったら、わざわざ娘を貧乏な家や怪しい家庭に送ろうとは思わない。

 出来るだけ恵まれた、そして幸福に包まれた家庭で学んでほしい。自分のよく知った信頼のできる家庭で色々なことを学んでほしい。


「そうじゃないんです。私が体験したかったのは、そういうことじゃないんです」


 それが相違。

 

「私は、私の目で選びたかったんです。誰がどんな性格でどんな人柄なのか。有名企業とか名家とか関係なく、私は私が選んだ場所に住んでいる人の事を知りたかったんです。お父さんが選んだ場所じゃなくて、私が選んだ場所に」


 使い古された言葉を使うとしたら、親に敷かれたレールの上を歩くのが嫌になった。

 文吾が無理矢理敷いたレールではない。無理強いしたワケでもない。ただ揚羽のために用意したレール。

 ただ揚羽はそれが嫌だった。

 気遣いは有難い。それどころか、感謝してもしきれない。


 そう、これはただの我が儘。

 親の厚意を踏みにじる、娘の我が儘。



「行き当たりばったりの計画でした。今思えば、春馬さんの家じゃなかったらどうなっていたか分かりません。でも正直言うと、それでも良かったんです」


 世の中が善人ばかりでないことなど、知っている。

 体験したことは無いけど、世の中には一般的に悪人と呼ばれる人が居ることも知っている。

 社会とは、清濁織り交ざった複雑なシステムで回っていて、それで均衡が保たれている。

 しかし、揚羽はそれを知らない。父親の手厚い保護の下、揚羽が知っているのは世の中の限られた一部のみだった。

 

 知りたい。全てでなくとも、少しでも多く。

 恵まれた環境以外で、それを知ることが出来るなら、そこに行きたい。



「傲慢ですよね。恵まれた家庭に居ながら、自分からその場所を捨てて違う場所に行きたいだなんて」


 宇佐見家に居れば、それは様々な面からの保護を受けることが出来るということだ。

 金銭的な面でも、社会的な面でも、色々な特典が付く。

 勿論、身の安全も保障される。親ばかな文吾は、娘に身の危険が迫るとなれば、公私混同と言われようが、自分の持っている能力のすべてを使って揚羽を保護するだろう。それは財力的な意味でも、武力的な意味でもである。


 当然、それを手放すということは、その上で発生するリスクが自分の身に降りかかってくるということだ。

 自由の代償ということではない。

 元々、揚羽は文吾に縛られていたワケではないのだから、初めから自由なのだ。

 ただ保護の下を離れるというだけ。

 安全な柵で囲まれた牧場から、柵も何もない牧場の外に一匹の羊が飛び出すだけ。



「でも私はそうしたいんです。傲慢だろうが、我が儘だろうが。私は私で選んだ場所に行きます」



 高らかに揚羽は宣言する。一片の淀みもない。威厳すら感じる声で。

 自分のことを案じ、保護してくれる文吾に向かって、決別の一言を。



「パパ。私の自由にさせて」



「――――――ッ」


 

 真っ直ぐな言葉に、文吾は言葉を詰まらせる。

 心のどこかでは、何故か嬉しさに似た感情が芽生えていた。単純に、愛娘の真摯な言葉を聞けたことに対しての喜びや、成長して自分の意思を持った愛娘に対しての喜びである。

 だが、同時に文吾の理性的な部分では反対の意見ばかりが飛び出してくる。

 

 子供が何を言っているのか。

 社会を知らない餓鬼が。 

 誰が今まで育ててきたと思っている。

 親不孝者。

 恩を仇で返すのか。



 文吾の頭の中で、意見が飛び交い、混乱し、混沌する。

 愛する娘のために、自分はどうすればいいのか。

 揚羽の意思を尊重し、出来る限り見守ってやればいいのか。まだ早いと意思を潰し、今まで通りに保護の下に置けばいいのか。

 わからない。社会的に地位を築いた文吾であっても、どちらがより正しい答えなのか判断がつかない。



「……自分の言っていることが、分かっているのか」


 絞り出すような口調で、文吾は問う。

 いつの間にか、目線は下の方を向いていた。


「はい」


「親の保護から離れるということを、本当に理解しているのか」


「…それはまだわかりません」


「まだ稼ぎも出せないような人間が、親の保護を離れるということの重みを、お前は理解していないだろう」


 それは文吾にもわからない。

 文吾自身も、少年の頃は親の保護の下で暮らし、そのまま親の会社を引き継いだ。

 親の保護の無い状況など、文吾にとっては未知の世界であった。


「それも含めて、知りたいんです」


 だが、揚羽の声は力強い。


「当然、誰かに頼らなければいけないでしょう。誰の保護も無くなった、弱弱しい女子高生は誰かに頼らなければ生きていけませんから」


 揚羽は、自分の弱さを理解する。

 自分から文吾の保護という項目を引けば、後には殆ど何も残らない。

 誰かに縋り、情けを貰って暮らしていかなければ、今の揚羽には生活する能力すらない。





「ですから春馬さん」


 揚羽は体ごと方向を変え、横に座る春馬に向き直る。

 淀みのない声で、まっすぐに春馬の瞳を見つめる。両手は自分の太ももの上に置き、姿勢を正して、正々堂々と、真摯に。



「図書室でいきなり襲ってすいませんでした。いきなり家に押しかけて、手錠かけたり銃で脅したりして申し訳ありませんでした。親子喧嘩に巻き込んで、家を滅茶苦茶にしてごめんなさい」


「改めて聞くとヒドいな」


 スッと、揚羽の頭が深く下げられる。

 礼儀正しく、それでいて上品で美しい一礼は揚羽の育ちの良さを感じさせた。

 苦笑する春馬に、揚羽は頭を下げたまま続ける。


「ヒドいことをしておいて、こんなことを頼むのは非常識だって分かってます。私がこんなことを頼んだところで春馬さんには迷惑にしかならないことは分かってます。ですが、それでもお願いします」



 頭を下げたまま、揚羽は懇願する。

 ただ揚羽は春馬の情けに縋るだけだ。



「――――私を助けてください。―――――私を、この家に置いて下さい」



 静寂が、リビングを包む。

 シンッと無音となったリビングで、春馬は無表情のまま、頭を下げる揚羽を見ていた。

 数秒の沈黙が続いた後、春馬は口元をニヤリと吊り上げて、口を開く。



「…お前を家に置くとして、その時発生する俺の利益は?」


「ありません」


「お前を家に置くとして、その時発生する俺の不利益は?」


「食費が増えます。光熱費も。水道代も。あと学費とか衣服代とか。その他諸々」


「成程成程」


 春馬は、思考する。否、思考するような仕草を見せる。

 それがただのパフォーマンスであることは、春馬の姿を見ていた飛沫と隼人にはとっくの昔にバレていた。



「―――――分かった。俺の家に置いてやる」



 あっさりと。ともすれば軽薄に。春馬は了承した。

 その言葉を聞いた文吾以下宇佐見家関係者は、揃って驚き、顔を顰める。

 まるで簡単な頼みごとを受けたような、「ちょっと宿題手伝って」ぐらいの頼みに「いいよ」と返すぐらいの軽さで春馬は快諾していた。

 わざと軽薄を装うように、ニヤリと笑う。



「幸いなことに、俺は一人暮らしですしね。両親は海外に居て部屋も余ってるし、仕送りも一人暮らしには余るほど送られてるから、一人分ぐらい負担が増えた所で問題はありません。家を持て余している俺には丁度いい機会ですよ」


 軽い口調で説明するのは、文吾に向けてであった。

 揚羽は顔を上げて春馬の顔を覗き込む。その顔はどこか、接客をするセールスマンの営業用の顔に似ていた。

 

「ですから、僕は別に構いません」


「…………」


 文吾は苦虫を纏めて噛み潰したような表情を浮かべる。


「…迷惑ではなかったのか?」


「迷惑? まさか。可愛い女の子が家に泊めてと言ってきてるんですよ? 喜びこそすれ、迷惑だなんて思うはずがないでしょう」


「ッ」


 益々顔を顰める文吾に対して、春馬は笑う。

 それは、わざと文吾の怒りを誘うような表情である。



「…お前のようなどこの馬の骨とも知れん男の所に、娘をやれというのか」


「えぇ。そうです」


 怒気を孕んだ文吾の声に、春馬は真っ向から返す。

 挑発する笑みさえ浮かべて、春馬は文吾を見据えて身を乗り出す。



「それが娘さんの選んだ場所ですから。俺はただ揚羽の頼みを聞いただけです。どうするかはアナタの娘さんの勝手ですよ」


「この餓鬼が…!」


 文吾が敵意を向ける。それに伴って、周りの黒服の男達も春馬に鋭い視線を飛ばす。

 

「アナタは揚羽に、相違こそあれ家を出る許可を出した。そして揚羽は、真摯に自分の意思を示した。親であるアナタへ真っ向から気持ちをぶつけて、アナタに許可を願っています。俺は揚羽の頼みに答えました。アナタはどうしますか?」


 敵意をサラリと受け流す春馬。

 怒気を露わにギリギリと奥歯を噛む文吾は、どちらかと言うと拒否の方向へと気持ちを傾けていた。

 得体のしれない少年が、ついに本性を現したかのように思えたからだ。

 

 その時、揚羽は立ち上がる。

 手には春馬を拉致するときに用いた、ベレッタM92F。

 その銃口を、春馬に向ける。


「お父さんは、心配しておられるようですが、私だって自分の身の安全ぐらい自分で守ります。ただ情けに縋って弱弱しく住まわせて貰うだけで終わるつもりはありません。春馬さんがもし自分を襲うようなことがあれば、私は全力で抵抗します」


 ジャキン!!と、ベレッタM92Fのスライドを引いて弾丸を装填する揚羽。

 有無を言わせぬその口調は、言外に、このまま了承しなければこの銃口を文吾に向けると言っているようであった。

 苦笑する春馬をよそに、揚羽は続ける。



「お父さんが私を心配してくれていることも分かってます。自分の方が間違っていることも、お父さんの気持ちを踏みにじっていることも承知してます。自分がリスクを冒していることも。覚悟の上です」



「でも、だからこそもう一度言わせてください」





姿勢を正して、深く頭を下げる。





「パパ。私の自由にさせてください」









 



◇◇◇◇







 勝手にしろ。




 そう、文吾はふて腐れたように言うと、部下に撤収を支持した。

 心配そうな表情をする部下達を引き連れて、ゾロゾロと移動を始める。

 


「……え? いいの?」


 暫くの間、茫然と立って文吾の言葉を脳内反響させていた揚羽は、我に返って間抜けな声を上げた。

 既にテーブルから立って、玄関の方へと歩いてゆく宇佐見家関係者を見送りながら、再度自分の状況を確認する。

 周りには、自分以外にテーブルに座る飛沫と立ったままの隼人の二人だ。


「いいらしいよ~」


 ほんわかと軽い調子で返すのは、どこか嬉しそうな飛沫だ。

 ニッコリと口元を綻ばせる飛沫は、「おめでとう」と揚羽に拍手する。

 まだ現実味のない揚羽は、困惑したように隼人を見た。


「勝手にしろ。と言うことは、勝手にしていいんだろう。了承と解釈しても構わんと俺は思うが」


 いつも通り無表情のまま、そして若干投げやりに、隼人は答える。

 隼人が答えたことでようやく揚羽は、あの親ばかな文吾が自分にどこの誰とも知れない男である春馬の家に泊まらせる許可をだした。という事実を脳内で理解し始めた。


「ま、まさか本当に許可をくれるとは…」


 実際には、自分でもあまり期待はしていなかったのだ。

 自分の意思を文吾に伝えただけでも、今回は大きな成果だと思っていた。

 今回は駄目だと言われようと、揚羽が再度頼み込めば文吾は揚羽の要望に会った物件を用意してくれるかもしれない、と頭の端っこで文吾の意識改革を期待していた揚羽であった。


 結果は揚羽の予想外の、許可通達である。


「まぁ見捨てた、という解釈もあるだろうが、叔父に限ってそんなこともあるまい」


 隼人が冷静に、淡々と告げる。

 無表情で何を考えているのか揚羽にはよく分からないが、怒っているという風ではなさそうだ。


「俺は叔父達を見送りに行くが、お前はどうする?」


「え?」


「父親に礼の一つでも言わなくていいのか? と言ってるんだ」


 キョトンとする揚羽を放っておいて、隼人は玄関の方へ歩き出す。車で帰る宇佐見家関係者を見送るためだろう。

 咄嗟に、まだ父親に礼を言ってないこと思い出して慌てて立ち上がる。


「わ、私も行きます!」


「じゃあ俺はここで待ってるな~」


 ヒラヒラと手を振る飛沫は、リビングにあるテレビをつけて見始める。勝手知ったる他人の家という風だ。

 ふと、揚羽は一人この場に居なければならないはずの人間がいないことに気が付く。



「あれ? 春馬さんはどこです?」



「あのオッサンの所だよ~」



と、とりあえずもう少しです。


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