EP03-3 壊れた世界で、まだ笑っている
夕方の街は、朝よりさらに静かに整っていた。
通勤ラッシュは AI が分散管理し、人の流れは“混まないように”最適化されている。
信号の切り替わりも、エレベーターの停止階も、公共交通機関の到着時刻も、全部が予定されたとおりに動く。
効率的すぎるほど整った日常。
それなのに――どこか、息苦しい。
ラボのモニターには、遠隔で接続された病院データが絶え間なく流れていた。
フェーズ値の推移。
症状件数の増減。
感情変動のグラフ。
そのひとつの波形が、リクの目に止まる。
「……ん?」
隣で別のデータを確認していたジンが、視線を寄越す。
「どうした。」
「この患者、見てください。フェーズ値が2.8から2.9へ上がってる。」
「誤差だ。」
「そうなんですけど。」
患者の簡易プロフィールが表示される。
年齢、性別、既往歴。
そして感情変動グラフ――そこには、ほとんど“生きている揺らぎ”が見えなかった。
リクは低く息を吐く。
「……“安定”って言われたらそうなんですけど。なんか……違和感ある。」
説明できない感覚。
でも、確かにそこにある。
ジンは黙ったまま、画面を見つめた。
その沈黙は否定でも肯定でもなく――ただ“受け止める間”だった。
天井スピーカーが機械音声を流す。
『対象患者ID:5732。フェーズ値2.9、安定。社会復帰可能と判定。
推奨:感情変動値のさらなる平滑化。』
リクは小さく眉を寄せた。
「……“平滑化”。」
「嫌いな言葉か。」
「好きじゃないです。」
「理由は。」
「……いつか言います。」
言葉にしてしまえば、どこかの“線”を越えてしまう気がした。
ジンはそれ以上、何も聞かない。
その時、ラボの照明が――ほんの一瞬だけ揺らいだ。
故障でも停電でもない。
ただ、気のせいだと言われればそれまでの、かすかな違和感。
誰も顔を上げない。
誰も騒がない。
けれど、確かに何かが“ひとつ削れた”。
そんな空気だけが残った。
◇
夜の高台に風が吹く。
街の光は遠く、輪郭は少し滲んでいる。
舗装が途切れた先、草を踏んだ細い道の奥。
そこに、リクとジンは立っていた。
「……ここ、合法に見えない。」
「だから“ギリ合法寄り”って言ってるじゃないですか。」
リクはコンビニ袋を提げて振り返る。
足取りに少し高揚が混じっている。
“誰かを紹介する前”のワンコみたいな落ち着かなさ。
「ここ、俺とサラの“秘密基地”だったんですよ。」
丘の頂上近く。
小さなスペースに、ひとつの石と手書きのプレートが括られている。
『Sara 2030/11/07』
横には小さな器。
その隣に、使い込まれた盃。
「……本当に作ってたんだな。」
「でしょ。」
リクは照れたように笑った。
「サラ、集合データベースの墓嫌だって言ってたんですよ。“そこにいる感じがしない”って。」
「……。」
「だから、怒られるの覚悟で作りました。」
「見つかったら。」
「ジンさんが“必要な実験でした”って言ってください。」
「墓を実験で呼ぶな。」
「比喩ですよ。」
リクは紙コップに少しビールを注ぎ、石の前に置く。
「サラ。俺の“今の相棒”連れてきた。」
「紹介の仕方に悪意がある。」
「愛情ですよ。」
2人はビールを飲みながら夜景を見下ろす。
風が髪を揺らす。
街の音は、遠く、薄い。
「ジンさん。」
「なんだ。」
「この世界……サラなら、なんて言うと思います?」
「“便利だね”。」
間を置いて、ジンは続ける。
「そのあとに“ちょっと寂しい”って。」
「……あー、言う。絶対に言う。」
ジンにとってサラは知らない人間だ。
自分が話してきたサラという人間を、
この人は、こんなにも的確に当ててくれる。
それが、なんだか嬉しくて、
リクは笑った。
沈黙。
その沈黙は、ふたりのあいだでは“居心地のいい空白”だった。
「ジンさん。」
「ん。」
「俺さ……“やり直せる世界”があるなら、って思うんですよ。」
ジンは夜景を見たまま言う。
「俺は“やり直せる”前提、あまり好きじゃない。」
「らしいですね。」
「今を雑に使いそうだから。」
「……それ、わかる気がします。」
リクは缶を見つめる。
「でもさ。本当にそんな世界があったなら……ジンさんに託すかも。」
「何を。」
「全部。」
ふざけた風で言うのに、その声だけは本気だった。
ジンはその視線をまっすぐ受け止める。
「……勝手に決めるな。」
「ひど。」
「俺は万能じゃない。」
「だから好きだって言ってるじゃないですか。」
リクは照れ隠しのように笑う。
ジンは石に刻まれた“サラ”の名前を見つめ、低く息を吐いた。
「……任された。」
その声は――風に消えるほど小さかった。




