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君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜  作者: 安剛
2期:残された心が、未来を選ぶとき
53/57

EP20 同じ湯気、同じ笑い

 2031/01/21


 窓の外は、白かった。


 夜のあいだに降った雪が、都市の端っこを薄く塗り直している。

 道路の黒だけが筋になって残り、歩道の植え込みは丸く盛り上がり、空気そのものが冷えて固くなったみたいに見えた。


 リクは、玄関で靴紐を結びながら、何度も息を吐いた。


「白い……!白い!ジンさん見てください、息が白い!」


 自分の吐いた息に自分で喜んでいる。子どもみたいだ。


 ジンはコートの襟を少しだけ立てた。


「冬だからだ」


「冬、最高!」


「寒いのに?」


「寒いから最高なんですよ。今日、温泉じゃないですか」


 その言葉に、リクの背中が少しだけ跳ねる。嬉しさが身体に先に出るタイプだ。


 キッチン側から、サラがマフラーを手にして出てくる。

 髪はきちんとまとめられているのに、目尻だけが柔らかい。いつもの仕事の顔より、ほんの少しだけ生活側の温度だ。


「リク、鍵持った?」


「持った!あと、財布!あと、スマホ!あと、なんか……」


「最後のは要らない」


 サラは短く笑って、ジンのほうを見る。


「ジンさん、今日は付き合ってね」


 “誘い”は、いつもみたいに自然だった。

 特別に頼む声じゃない。日常の延長として、当然のように言う。


 ジンは頷く。


「分かった」


 その返事だけで、サラは安心したように息を吐いた。


 玄関を出ると、冷たい空気が一気に頬へ来た。

 リクは肩をすくめるが、顔はずっと明るい。


「いやー、これですよ。冬の入り口の一撃」


「入口っていうか、ど真ん中」


「そうでしたっけ?」


「今日の天気見て」


 サラが指差す。空は薄い青で、雲の輪郭がくっきりしている。雪が降ったあとの澄み方だ。


「……今日、いい匂いしそう」


 リクが言った。


「匂い?」


「うん。冬の匂いって、なんか……透明で、冷たくて、ちょっと金属っぽい」


 サラが一瞬だけ目を細める。


「その表現、意外と好き」


「え、やった。褒められた」


 ジンは横で黙って歩いている。

 黙っているのに、歩幅がきっちり揃う。言葉の代わりに、速度だけを合わせる。


 駅へ向かう道で、リクがふと、サラを見た。


「ねえ、サラ。今日、なんで温泉にしたの?」


「……寒いから」


「絶対それだけじゃない」


「寒いのは本当」


 サラはさらりと流し、改札へ向かう。

 その背中は、少しだけ先を歩く。引っ張るほどじゃない。置いていかない程度に、半歩だけ。


 その半歩が、今日の主導権を静かに示していた。



 電車を降りた瞬間、冷たい潮の匂いが鼻の奥まで入ってきた。


 冬の海は、夏より輪郭が強い。

 匂いも、音も、少しだけ刺さる。


「うわ……海、匂う」


 リクが言ったあと、すぐに続けた。


「前も、ここ来たよね」


 サラが頷く。


「うん。あの夜」


 たったそれだけで、空気が少しだけ柔らかくなる。

 言い切らない。説明しない。

 思い出の名前だけを置く。


 駅前のロータリーは、あの頃より静かだった。観光客はいるが、夏みたいに溢れていない。代わりに、吐く息が白い列になって流れていく。


 温泉街へ続く道。

 土産物屋のショーウィンドウは、同じように色あせたキーホルダーを並べているのに、今日はその前に“手袋”と“カイロ”が増えている。


「うわ、渋い。カイロがご当地扱い」


「冬は命綱だから」


 サラが言うと、リクは素直に頷いた。


「確かに。俺、今日、手袋持ってきたもん。えらい」


「それは普通」


「え、褒めてほしい」


「じゃあ、えらい」


「よし」


 即座に満足する。

 そういうところが、リクらしい。


 旅館の暖簾が見えた。

 海の少し手前に建つ、小さな宿。外壁の色も、入口の灯りも、記憶とほとんど同じ。


 ロビーへ入った瞬間、畳と出汁の匂いがふわりと広がった。


「……この匂い」


 リクが立ち止まる。


「全部そろってる。温泉旅館の匂い」


 サラが小さく笑った。


「前も言ってた、それ」


「言ってたっけ?」


「言ってた」


 リクは首を傾げながらも、なぜか嬉しそうだ。


 仲居さんが、日帰りの休憩利用の案内をしてくれる。

 “和室で休める”という言葉に、リクの目が光った。


「和室……!え、ちょっと旅気分、日帰りでも利用出来るんだ!」


「リサーチ済です」


 サラが得意げに言う。声は淡いのに、言い方はきっぱりしていた。


 廊下を歩くと、遠くで波の音が一定のリズムで響いている。

 あの夜と同じ音。

 でも今日は、外の空気が違う。冷たくて、澄んでいる。


 案内された和室は、必要なものだけが揃ったシンプルな部屋だった。

 低いちゃぶ台と、窓際の椅子。

 窓を少し開けると、冷気と一緒に海の匂いが入り込む。


「……いいじゃん、ここ」


 リクが素直に言う。


「この部屋、好き。なんか、ちゃんと休めそう」


「休むために来たんでしょ」


「そうなんだけど、“ちゃんと休む”って、意外と難しいじゃないですか」


 サラが頷く。


「分かる。休むのに、勇気いる」


 その会話に、ジンは何も挟まない。

 挟まないが、窓際の椅子に自然に座る。そこが一番、部屋全体を見渡せる場所だ。


 サラがスマホを取り出し、部屋の隅に置かれた鏡台の前にそっと置いた。

 レンズを上に向ける。


 パシャ。


「今の撮った?」


 リクが訊く。


「撮った」


「なんで?」


「今日ここに来たって、あとで思い出せるから」


 あの夜と同じ言い方。

 でも今日は、声の温度が少しだけ柔らかい。


 リクが笑った。


「サラ、ほんとログ好きだね」


「好き。残しておくと、安心する」


 サラはもう1枚、窓の外の海を切り取るように撮る。

 冬の海は色が薄い。灰色に近い青。波が白い線になる。


「……じゃあ、行こっか」


 サラが言う。


「先に、温まろう」



 脱衣所の暖気が、肌にふわりと触れた。


 男湯の入口の前で、リクが妙に真面目な顔になる。


「ジンさん」


「なんだ」


「俺、今日、絶対にのぼせません」


「宣言することか」


「宣言したら達成しやすいんです。俺、そういうタイプ」


 ジンは短く息を吐く。


「倒れそうになったら言え」


「倒れそうになったら、倒れてます」


「じゃあ、倒れる前に言え」


「むずい」


 リクは笑いながら暖簾をくぐった。


 大浴場は、湯気が薄く漂っている。

 冬の空気を吸い込んだ身体に、温度がじわりと沁みる匂いがした。


「……あったけぇ……」


 リクは、湯船の縁に手を置いたまま、しばらく動かなかった。


「ジンさん、これ、やばいです。身体が溶ける」


「溶けるな。形を保て」


「無理。今、俺、液体」


「液体は喋らない」


「喋ってます」


 リクは先に湯へ沈み、肩まで浸かる。

 その瞬間、声が変わる。芯が抜けて、素直になる。


「……はぁ……」


 吐息が、湯気に混ざって消える。


 ジンも静かに湯へ入った。

 熱い。だが熱さは痛みじゃない。身体の奥にある冷えがほどけていく。


 窓の外には雪の残る庭。

 枯れ木の枝が細く伸び、湯気越しに白くぼやける。

 その景色が、妙に穏やかだった。


「ジンさん」


「ん」


「外、雪っすよ。すごいっすね。こんな日に温泉来れるって」


 リクは湯船の端に顎を乗せる。子どもみたいな姿勢だ。


「……幸せだなぁ」


 その言葉は、深くない。重くない。

 ただ、今の温度をそのまま口に出しただけ。


 ジンは返事をしない。

 返事をしない代わりに、湯の中で少しだけ姿勢を整えた。

 背中を預ける角度を、リクが安心できる距離に合わせる。


「ジンさんって、のぼせないんですか」


「のぼせる」


「え、意外。無敵そうなのに」


「無敵じゃない」


「じゃあ、弱点あります?」


「寒さ」


「今日、最弱の日じゃないですか」


「だから来た」


 リクが目を丸くする。


「え、ジンさん、温泉来る理由、ちゃんとしてる」


「理由は要るだろ」


「俺、理由なくても来れます」


「それは羨ましい」


 ジンがそう言うと、リクは一瞬、言葉を失ってから笑った。


「……ずるい。今の、なんか嬉しい」


 湯気の向こうで、リクの顔が柔らかく見える。

 未来の輪郭は、ここにはない。

 仕事も、因果も、名前も、今は沈めておける。


 この湯の中では、ただ温度だけが正しい。


「ジンさん、肩、揉みます?」


「要らない」


「えー、サービスですよ」


「サービスはサラにやれ」


「サラには、俺、怒られる」


「怒られる理由があるんだろ」


「あります」


 即答して、リクは笑う。

 笑うと、湯が小さく揺れた。


 その揺れが、妙に安心だった。



 湯から上がると、身体の内側がまだ熱い。

 廊下へ出た瞬間、冬の空気が頬を撫でて、火照りが気持ちよく冷える。


 休憩の和室に戻ると、自然に男2人の居場所が出来ていた。


 リクは畳に転がる。


「……畳、最高……」


「転がるな。旅館を自宅にするな」


「旅館って、自宅の上位互換じゃないですか?」


「理屈が雑だ」


 ジンは縁側の椅子に座る。窓の外の海は、冬の午後の光を鈍く返している。


 部屋の空気は、湯気の名残で少し湿っている。

 その湿り気が、冬の硬さをほどく。


 襖が、カラリと開いた。


 サラが入ってくる。


 髪は高くまとめられていて、浴衣の襟足がすっきり見えた。

 柄は派手じゃない。淡い色味なのに、部屋の光が少し変わる。


「ただいま」


 サラが言う。


「おかえり!」


 リクは起き上がる前に声だけ跳ねさせた。


「サラ!浴衣!やばい!似合う!」


「うるさい」


 そう言いながら、サラは口元を少しだけ緩める。


「リク、湯船で騒いだでしょ」


「え、なんで分かるの?」


「顔」


「顔!?」


「顔が“楽しかった”って言ってる」


 リクは両手で頬を押さえてから、照れ隠しみたいに笑った。


「……俺、顔、正直だな」


「今さら」


 サラはちゃぶ台の前に座り、持ってきた飲み物を置く。

 紙コップの湯気が、小さく立ち上る。


 その仕草が、家みたいだった。


 ジンは、サラとリクを縁側から見ている。

 2人の間にある温度が、落ち着いている。


 家族、という言葉は、まだ違う。

 でも、家族みたいな距離。

 説明しなくても、ここにいる理由が揃っている距離。


「写真、撮ろ」


 サラが言った。


 スマホを取り出し、迷いなくカメラを起動する。


「セルフタイマー、なしでね」


「分かってる」


 リクが即答する。


 サラは自撮りの角度を探し、ジンのほうへ手招きした。


「ジンさん、こっち」


 ジンは一瞬だけ止まるが、すぐに立ち上がる。

 動きは静かだ。だが、拒まない。


 畳に座るリクとサラの間に、ジンが入る。

 距離は近いが、無理がない。ちょうどいい空白が残っている。


「はい、いくよ」


 サラが言う。


「リク、変な顔しない」


「え、俺、いつも変な顔!?」


「そういう意味じゃない」


「そういう意味に聞こえた!」


「静かに」


 サラが言って、でも笑っている。


 リクも笑う。

 ジンは笑わないが、目線が少しだけ柔らかい。


 パシャ。


 シャッター音が、部屋の中に小さく残った。


「……よし」


 サラは画面を確認して、満足そうに頷く。


「今日の1枚、取れた」


「今日の1枚って言い方、好き」


 リクが言う。


「今日って、今日しかないもんね」


 サラは返事をせず、スマホを胸のあたりで軽く握った。

 その仕草が、少しだけ大事そうだった。


 ジンは、2人の会話を聞きながら、窓の外の海を見る。

 冬の海は静かだ。波はあるのに、音が遠い。

 世界が、落ち着いている。


 ここで、何かを言葉にする必要はない。


 幸せは、言葉にした瞬間、説明に変わる。

 説明は、余計な意味を連れてくる。


 今は、ただ、温度だけでいい。


「……ねえねえ」


 リクが急に身を乗り出した。


「ジンさん、夜、花火やりません?」


「冬に?」


「冬に!いや、冬こそ!」


「売ってないだろ」


「そこなんですよ」


 リクは得意げにバッグを探り、スマホを取り出した。


「俺、やるつもりでネットで買っといたんです!」


「計画性の方向が変」


「褒めてます?」


「分類だ」


「うわ、出た。かっこいいやつ」


「かっこよくはない」


 サラが小さく笑う。


「リク、ほんと好きだね」


「好きです!冬の海で花火、絶対いい!」


「寒いよ」


「厚着すればいい!俺、サラに厚着させます!」


「私の意思は」


「尊重します!」


「……尊重するなら、私が寒いって言ったらやめる?」


「それは……」


「今、尊重が揺れた」


 サラが言うと、リクは慌てて背筋を伸ばした。


「やめます!やめます!寒かったらやめます!」


「よし」


 サラは頷いた。


 ジンは、そのやり取りを縁側の椅子から見ている。

 目の前の光景は、ただの会話なのに、妙にあたたかい。


 湯上がりの頬。

 畳の匂い。

 紙コップの湯気。

 笑い声。


 この時間は、確かに“今”だ。


「じゃあ、夜になったら行こっか」


 サラが言った。


「海、見に行くついでに」


 “ついで”という言い方が、ちょうどいい。

 大きなイベントじゃない。特別な儀式でもない。

 ただの夜の散歩に、花火が混ざるだけ。


 リクは嬉しそうに拳を握る。


「やった。俺、今日は運がいい日!」


「毎回言ってる」


「毎回いい日だから!」


 サラが笑う。


 ジンは、窓の外の冬の海をもう1度だけ見て、静かに息を吐いた。


 白い息が、部屋の中では出ない。

 温度が保たれている証拠だ。


 このまま、夜まで。

 ただ、同じ温度のまま進めばいい。


 それだけでいい。



 旅館を出ると、夜の空気が一気に肺へ流れ込んできた。

 昼間よりもずっと冷たい。けれど、刺すような寒さではない。

 吐く息が白くなり、闇の中でふっと形を持って、すぐに消える。


「寒っ」


 リクが肩をすくめる。


「だから言ったでしょ」


 サラはそう言いながら、リクのマフラーを少しだけ引き上げた。

 手つきは慣れていて、迷いがない。


「夜の海は、油断すると一気にくるんだから」


「看護師さんの説得力が強い」


 サラは小さく笑い、今度はジンのほうを見る。


「ジンさんも、大丈夫ですか?」


「問題ない」


 短い返答。

 けれど、サラはそれで終わらせず、ジンのコートの前を一度だけ確かめる。


「……ならいいです」


 それだけで会話は終わる。

 特別な意味はない。


 旅館から少し歩くと、街灯の数が減り、足元の舗装が途切れる。

 波の音が、はっきりと耳に届き始めた。


 夜の海は黒い。

 月明かりをわずかに反射しながら、静かに、同じリズムで呼吸している。


「……やっぱ、いいね」


 リクが言う。


「冬の海、音が少ない」


「夏より、余計なものが削ぎ落とされてる感じがする」


 サラの言葉に、ジンは何も足さず、ただ波打ち際へ視線を向けた。


 砂は昼よりも冷えている。

 靴底越しに、その冷たさがじんわりと伝わる。


「じゃ、始めよっか」


 サラが言った。


「うん」


 リクはそれだけ答えて、リュックを下ろす。

 動作に迷いはない。


 ファスナーが開き、小さな箱が取り出される。


「風、こっち向きだね」


「じゃあ、少し下がろう」


 火をつける準備も、手順も、もう共有されている。

 確認する必要はない。


 3人で並び、波から少し離れた場所に立つ。

 リクがしゃがみ込み、花火に火をつける。


 シュッ、と小さな音。

 次の瞬間、白い火花が弾けた。


「おお……!」


 リクが、子どもみたいに声を上げる。


「ジンさん、あったかい!」


「それは、火だからな」


「理屈じゃなくて、感想!」


 サラが笑い、次の花火に火を移す。

 ぱちぱちと音を立てて、光が夜を切り取る。


 3人の影が、砂浜に揺れる。


 誰も、急がない。

 誰も、先を考えない。


 ただ、今ここで起きていることを、そのまま受け取っている。


「……ねえ」


 サラが、ふいに言った。


「ジンさん」


「どうした」


 サラは一度、リクを見る。

 リクは気づいたように、少しだけ姿勢を正した。


 花火の音が、ひとつ途切れる。


「今日、ここに来た理由なんですけど」


 サラの声は、落ち着いていた。

 緊張も、ためらいもない。


「実は……」


 リクが、少し照れたように頭をかく。


「俺たちから、ジンさんに報告したいことがあって」


 ジンは、視線を2人に向けた。

 促さない。遮らない。


 待つ、という選択をする。


 サラが、ゆっくり息を吸う。


「……私、今、赤ちゃんがいます」


 一瞬、波の音だけが残った。


 冬の夜気が、少しだけ濃くなる。


「まだ初期ですけど」


 リクが続ける。


「ちゃんと確認して、落ち着いたから……今日、言おうって決めました」


 サラは、ジンの目をまっすぐ見た。


「ジンさんに、一番最初に伝えたくて」


 その言葉は、重くない。

 でも、軽くもなかった。


 ジンは、すぐには返事をしなかった。


 胸の奥で、何かが静かに形を変える。


 喜びとも、安堵とも、責任とも違う。

 ただ、“今ここにある事実”が、ゆっくりと沈んでいく感覚。


「……そうか」


 それだけ言って、ジンは一度、視線を海へ向けた。


 波は、相変わらず同じリズムで寄せては返す。


「おめでとう」


 短い言葉だった。

 だが、その響きは揺れなかった。


 サラの肩から、ふっと力が抜ける。


「ありがとうございます」


 リクは、思いきり息を吐いた。


「いやー……言えた……」


「そんなに緊張してたの?」


「してた。めちゃくちゃ」


 サラが、リクの腕を軽く叩く。


「さっきまで花火ではしゃいでた人が」


「それはそれ!」



 3人の間に、また花火の音が戻る。


 線香花火に火がつく。

 小さな光が、指先で揺れる。


 パチ……パチ……


 火の玉が、少しずつ形を変えていく。


 サラは、その光を見つめながら、ほんの一瞬だけ遠くを見る。


 海の向こう。

 夜の奥。


 そこに意味はない。

 ただ、視線がそう流れただけだ。


 次の瞬間、線香花火は静かに消えた。


「あ」


 リクが声を上げる。


「終わっちゃった」


「きれいだったね」


 サラはそう言って、笑った。


 ジンは、その横顔を目に焼きつけた。


 今、この瞬間。

 この世界は、確かに救われている。


 何も壊れていない。

 何も失われていない。


 3人は並んで、もう一度海を見る。


 白い息が、夜に溶ける。


 波の音が、変わらず続く。


 誰も、未来の話はしない。


 それでいい。

 それが、救いだった。


 世界は、ちゃんと優しかった。

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