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君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜  作者: 安剛
2期:残された心が、未来を選ぶとき
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EP17 同じ空、知らない再会

 昼休憩のチャイムが鳴ると、ラボの空気がいっせいに緩んだ。

 キーボードの音が止まり、椅子が軋み、

 各々、足が廊下へ流れていく。


 ジンは、端末を閉じた。

 画面が暗転するまでの一瞬、反射した自分の顔が視界に残る。

 その顔に、まだ表情はない。


(屋上に行けばいる。)


 確信にしては乱暴だ。

 だが、乱暴な確信ほど当たることがある。

 自分が積んできた時間の方が、今のこの世界よりも重い。


 理由は説明できない。

 説明しようとした瞬間に、整合性が崩れる気がした。

 言語化は、因果を削る。


 ただ、頭のどこかが「上だ」と決めている。

 このビルのこの高さ、この昼の光、この薄い風。

 条件が揃うと、人は“そこに立つ”。

 そういう因果を、ジンは何度も見てきた。


 階段へ向かう。

 エレベーターに乗れば早い。だが、今日は階段を選んだ。

 上る間に、頭の中の速度を現実に合わせる必要があった。


 足音が、踊り場の壁に短く跳ね返る。

 跳ね返る音が、きれいすぎた。


 壊れていない世界の音は、余計な歪みがない。

 そのぶん、自分の内側の“残響”だけが目立つ。


 踊り場。

 小さな窓から、春の光が差し込む。

 白い壁が少しだけ青く見える。


 その青は、なぜか胸の奥に刺さる。

 2035年の空に、似ている。

 似ているのに、ここは2030年だ。

 時間が違うのに色だけが同じ、という一致が、

 脳の奥に、微細なズレを残す。


 最後の扉を押す。


 屋上は、薄い風があった。

 風は同じなのに、ここにいるはずの時間だけが無い。

 その空白が、屋上をやけに広く見せた。


 フェンスの向こうに街がある。

 車の音。遠い警告音。どこかの工事。

 全部、背景に収まっている。


 そして——いた。


 パーカーの上に白衣。

 缶コーヒー。

 フェンスにもたれて、何かを考えているようで、

 たぶん何も考えていない背中。


 背中の角度が、記憶と一致しすぎていた。

 人は無意識に、同じ場所で、同じ姿勢を取る。

 それが“本人らしさ”であり、世界の癖だ。

 ジンはその癖を、観測として知っている。


 知っていることが、今日に限っては刃になる。

 過去形ではなく、現在形で刺さる。


 ジンは、足を止めないまま近づいた。


(……まだ、軽い。)


 背負っているものが少ない。

 その軽さが、眩しいわけじゃない。


 軽い、というより——薄い。

 未来の重さが、まだこの背中に乗っていない。

 乗っていない背中を見てしまうと、

 乗せる側が自分であるという事実が浮かぶ。


 その事実を、ジンは今は触らない。

 触れた瞬間、判断が変わる。


 リクがこちらに気づいて振り返る。

 口元がほんの少しだけ左右非対称に動く前兆。

 笑う直前の癖。


 その癖を見た瞬間、胸の底の何かが、ごく小さく反応した。

 喜びでも悲しみでもない。

 ただの「一致」。


 一致は、安心ではなく危険を連れてくる。


「こんにちは!えっと……上の階の方ですよね?」


 初対面の距離感。

 でも、声はやけに近い。

 初対面のテンションなのに、人の懐に入る速度が早い。


 声の高さが、ほんの一瞬だけ未来と重なった。

 未来の声はもっと平らだった。

 熱がなく、意味だけが遅れる声。

 だが、型は同じだ。


 型だけが一致すると、未来が今へ滲む。

 ジンはその滲みを、まばたきで切った。


「そうだ」


 短く答える。

 短く答えた方が、余計なことが漏れない。


 今の自分は、言葉が危ない。

 言葉が少しでもズレると、関係がズレる。

 ズレは誤差で始まり、

 取り返しのつかない結果になる。


 ジンはその“誤差の怖さ”を、もう知っている。


「やっぱり!なんか、雰囲気でわかりました」


「雰囲気で?」


「はい。なんか……上の階の人って、もっと……こう……」


 リクは言いながら、自分でも何を言いたいのかわからなくなって笑った。


「すみません。ディスるつもりじゃないです」


「ディスってない。分類だろ」


「うわ、それ、かっこいい」


「かっこよくはない」


 ジンはフェンスの横に立ち、同じ方向に視線を置いた。

 街の輪郭が柔らかい。

 世界は壊れていない。


 壊れていない世界の中で、リクが「今」を生きている。

 その事実が、胸の奥を静かに圧迫する。


 圧迫は痛みではなく、重さだ。

 重さは感情ではなく、情報に近い。


 それが、自分の中の異常の始まりであることを、ジンは理解している。

 理解していることが、救いになるわけではない。


「俺、リクっていいます」


 リクは名札をそっと指差す。


「下のフロアで、メンタル系データの解析やってます。えっと……上の階って、ラインの——」


「基礎研究」


「それ!それです!」


 リクはなぜか嬉しそうに頷いた。


「ジンだ」


「ジンさん!全体ミーティングの資料で名前見たことあります」


「そんなことよりも、初対面の相手にそのテンションで声をかける胆力がすごいな」


「屋上って、なんかそういうの、ゆるくなりません?」


 リクは缶コーヒーを軽く持ち上げる。


「ここ、頭が静かになるんですよね。机の前だと、考えてるつもりで流される」


 流される、という言葉が軽いまま、きちんと刺さる。


 ジンは、言うべき線だけを引いた。

 今、必要なのは再会の感動じゃない。

 必然を、必然として置くこと。


 “必然”にするために、踏む順序がある。

 この人に近づきすぎない。

 この人を守りたいと思いすぎない。

 そのどちらも、未来の自分が何度もやりがちな誤りだった。


「近々、新しい開発チームを立ち上げる予定だ」


「そうなんですね!なんか、そういうのって、上の階で起きるんですね」


「下の階でも起きる。見えにくいだけだ」


「それ、なんか優しい言い方」


 優しくはない。

 ただ、事実だ。


 事実はときに、人を安心させる。

 安心させてしまうと、相手が寄る。

 寄らせすぎると、境界が崩れる。

 ジンはそこまでを、ロジックで知っている。


「君の名前は前から聞いていた」


 リクが一拍遅れて、「え」と言う。

 驚きが遅れて来る。処理してから反応するタイプだ。


「え、なんで……?」


「興味深いデータを出している」


「あ、それ、ちょっと嬉しいです。

 なんか悪い評価なのかなって一瞬ビビりました」


 少しだけ安堵した表情と“嬉しい”の言い方が素直だ。

 素直なまま、身を守るように声を軽くする。


 その軽さが、未来では削られていく。

 削られたあとの声を知っているから、今の軽さが怖い。

 怖いのに、止められない。

 止められないから、順序だけを守る。


「悪い評価になるようなことをしてるのか?」


「いえ、全然!検討もつかないです」


 リクはたまに屋上に来るサボりを隠すように、少し焦りながらも笑顔で答えた。


 ジンは、ここで距離を詰めすぎない。

 詰めすぎると、形が変わる。


 チャイムの余韻が消え、廊下のほうからまた人の流れの音がした。

 昼休みの終わりが近い。


 「今はここまで」が最適だ。

 この人は、ここで切れても不快にならない。


 むしろ、次に繋がる余白が残る。

 余白は未来を作る。

 今日の目的は“深くなること”ではなく、“続くこと”だ。


「ジンさん、屋上はよく来るんですか?」


「たまに」


「じゃあ、また会えたら嬉しいです!」


 言い切ってから、リクは少しだけ照れたように目を逸らした。


(……こういうところが、変わらない。)


 変わらないのに、変わってしまう未来をジンは知っている。


「リクは、昼によく屋上にいるのか?」


「うーん、たまに…しょっちゅう…頻繁に?」


 笑みを浮かべながら答える。


 こんなリクらしい返答も、

 何だか心地よく、少し懐かしかった。


 心地よさに触れすぎると、足が止まる。

 足が止まると、判断が遅れる。

 判断が遅れた先で、世界は壊れる。


 ジンは未来を因果で繋いでしまう癖がある。

 その癖を、今だけは“使わない”と決める。


「そうか」


 それ以上は言わない。


 チャイムが鳴った。

 自然に切れるのが一番いい。


「じゃ、午後も頑張りましょう!」


 リクは軽く会釈して、扉へ向かった。

 去り際の速度が少しだけ速い。

 嬉しさを隠すときの動きだ。


 扉が閉まり、屋上に風だけが残る。


 ジンは、フェンス越しの街をもう一度だけ見てから、階段へ戻った。


(……追いすぎるな。)


 自分に言い聞かせる。

 追えば壊れるかもしれない。

 壊れたとき、自分は修正の仕方を間違える。


 修正は、正しさのようでいて、時に暴力になる。

 正しいほど、人は傷つく。

 その矛盾を、ジンはまだ解けない。



 夕方。


 フロアに残る人影が少しずつ減っていく時間帯。

 ジンはログを閉じ、端末の画面を落とした。


「お先に」


 同僚に声をかけて廊下へ出る。

 自動ドアが閉まる音が、機械の駆動音を遠ざけていく。


 エレベーター。

 扉が開くたび、違うフロアの空気が流れ込む。

 会議室フロア。管理フロア。

 最後にロビー。


 セキュリティゲートを抜けた瞬間、外気が胸の奥まで入り込んできた。


 夕方と夜の境目。

 街灯が順番に点き始め、歩道に帰宅する人の列ができる。

 空は濃い群青へ近づきつつある。

 ビルのガラス面が残光を拾って、かすかに光っていた。


 ジンはビルの前で足を止めた。

 出入口が見える位置に立ち、視線を少しだけ上へ置く。


 偶然に頼る気はなかった。

 だが、観察して、人の流れが落ち着くのを見届けてから動くなら、自然になる。


 自然は、最も強い偽装だ。

 偽装という言い方は悪い。

 だが、運命のように見せるには、偶然の顔を借りるのが一番確実だ。

 ジンはそれを、研究より先に学んでしまった気がしていた。


 ジンは柱にもたれて、出入口の上に視線を置いた。

 人の流れに紛れるには、それで十分だった。


 数分。


 時間は短い。

 短いのに、やけに長く感じた。

 長く感じるのは、待つ行為が未来を呼び寄せるからだ。


 未来が近づくと、現在が薄くなる。

 薄くなった現在の中で、ジンはただ立っている。


 自動ドアが開く。


「おつかれさまでーす」


 軽い声。

 若い男が出てくる。


 リクだった。


 屋上と同じパーカー。白衣は脱いでいる。

 缶コーヒーはない。

 代わりに、バッグの肩紐を指で直す癖が出る。


 その癖まで、同じだ。

 同じであるほど、未来を知る側だけが痛い。

 痛みを感情にしない。


 感情にした瞬間、動きが変わる。

 動きを変えたくない。

 今はまだ。


 リクが、こちらに気づいて立ち止まった。


「あっ」


 声が、ほんの少しだけ上がる。

 嬉しさを隠しきれていない上がり方。


 ジンは、ここで一手だけ置く。

 偶然に見える速度で歩み寄り、名前を呼ぶ。


「リク」


 リクの目が丸くなる。


「え、覚えてくれてるんですか!?」


 言った直後に、リクは自分でも照れたように笑った。


「いや、そりゃ覚えますよね。さっき屋上でいきなり話しかけたやつですし」


「話しかけたのはそっちだ」


「うわ、事実で殴るタイプ」


 リクは笑って受け答えをする。

 相変わらず、距離の詰め方が凄い。


 距離が詰まるほど、未来の輪郭が濃くなる。

 濃くなる輪郭の中に、墓前の冷たい風が混ざる。

 ジンはその混ざりを、顔に出さない。


 夕日の色が、ビルの影に落ちる。

 青の中に橙が混ざって、境目が曖昧になる。


 ビルの前で他愛ない会話が続く。

 仕事の話に寄りすぎないように、でも薄くならないように。


「ジンさんって、なんか……」


 リクが言いかけて、やめる。


「続けろ」


「いや、言うと変だから」


「変なら、変だと分かるだけで十分だ」


「うわ、またかっこいいこと言う」


 リクは笑って、少しだけ真面目に言った。


「なんか……落ち着く、っていうか」


 落ち着く。

 言葉に熱が少しだけある。


 ジンは頷かず、視線だけを返した。


 落ち着くという言葉が、危ない。

 寄りかかりが始まる言葉だからだ。

 寄りかかりは、支えになる。


 だが支えは、折れたときに相手を殺す。

 折れる未来を知っている者は、支えになってはいけない。


 それでも、リクは寄りかかる。

 寄りかかってしまう。

 その性質まで、変わらない。


「……なんか、不思議な感じだったんですよね。」


「不思議。」


「はい。初めて話したはずなのに、“前にもどこかで話したことがあるような”変な感覚で。」


 その言葉に、胸の奥が小さく動いた。


(今回も、そう思うのか。)


 ここで肯定すれば、関係は一気に近づく。

 近づけば、次に起きる“必然”も早まる。

 早まる必然は、必然ではなく事故になる。


 事故は救えない。

 救えない事故は、今の自分に最も似合わない。


 だから、答えは曖昧でいい。


「そう感じたなら、きっとそうなんだろう。」


「なんですか、その適当なまとめ方。」


「解析担当の直感は軽視しない」


「お、それはうれしい。」


 リクが笑った、そのときだった。


「リクー」


 少し高めの、よく通る声が、ビルの前の広場に響いた。


 ジンは、この光景を懐かしくも感じた。

 そして、昨日言われた言葉を思い出す。


「知らないふりで」


 “知らないふり”は、優しさではない。

 条件だ。

 条件が満たされなければ、次の順序が崩れる。


 その条件を、ジンは守る。



「サラ!」


 リクの声の温度が変わる。

 職場の声じゃない。生活の声。


 生活の声。

 その言い方が、胸の奥を押す。

 生活は、失うと戻らない。

 戻らないものを、ジンはすでに一度見てしまっている。


 サラは小さく笑って近づいてくる。


「お疲れさま、待った?」


「さっき出てきたところ」


「今日、早く終わりそうだったから、こっち寄ってみた。」


「レアだね」


「レアとか言うな」


 ふたりの会話は、普通だ。

 普通すぎて、胸の奥が痛む。

 痛みは感情として出ない。ただ、重さとして沈む。


 リクが思い出したようにジンを見る。


「あ、サラ。今日、屋上で会ったジンさん」


 紹介の仕方が、軽い。

 軽いまま、丁寧だ。

 相手が居づらくならないように笑いを混ぜる癖。


 その癖も、未来で削られていく。

 削られたあとに残るのは、意味だけだ。

 意味だけが残る世界が、フェーズの終点だ。


 ジンは、今の癖を守りたいとは思わない。

 思わないのに、守らなければならないと知っている。

 その矛盾が、胸の底に沈む。


 サラがジンに向き直る。


「初めまして」


 会釈。

 礼儀正しい角度。

 初対面の距離。


「リクの妻のサラです」


 その言葉が、さらりと置かれる。

 置かれた瞬間、時間の層が重なる。

 墓前の名前が、今は声になっている。


 声になっているのに、重さは同じだ。

 違うのは、温度だ。


 未来では冷たかった。

 今はあたたかい。

 その差が、ジンにとっては暴力になる。


 ジンは余計な間を作らずに返す。


「ジンだ。同じビルの上のフロアで働いている」


 サラは頷いた。


「いつもリクがお世話になってます」


 その言い方が、あまりにも自然で、あまりにも礼儀正しかった。


 サラはジンの顔を見て、ほんの短い沈黙を置いた。


 信号の電子音と、街のざわめきの間。

 その狭い隙間に、何かが滑り込む気がする。

 だが、それを言葉にするには早い。


 滑り込むのは、感情ではない。

 “境界”だ。

 世界が薄く震えるときの、あの微量の揺れ。

 ジンはそれを、見ないふりはできても、気づかないふりはできない。


 サラが、リクに自然に問いかける。


「リク」


「なに?」


「リクとジンさん、なんか相性良さそう」


「わかる?そうなんだよね、今日が初対面なのに」


「リク、たまにあるって言ってたよね。」


「うん。」


「初対面の人に対して“あ、この人とは長く関わりそうだな”って急に思うやつ。」


「ある。」


「ジンさん、そのタイプなんだね。」


 その言葉を言ったあと、ジンの方を向いて満面な笑みを浮かべるサラ。

 その笑顔は少しいたずらっぽく見えた。


 いたずらっぽい笑顔。

 その分類が頭に浮かぶ時点で、ジンはすでに“知ってしまっている”。

 知ってしまっているから、ここで揺れない。

 揺れないことが、正しい。

 正しいことが、いつか間違いになる。


「……初対面だ」


「……そうなんですよね」


 リクは、少しだけ照れくさそうに笑う。


「なんか、まだ全然話してないのに、“ちゃんとしなきゃ”って思った。」


「いいじゃん。」


「なにが。」


「リクの“ちゃんとしなきゃ”ってスイッチ、なかなか入らないから。」


「……初対面の人にスイッチ押されるって、俺どういう設定なんだろうな。」


 リクは笑って答える。


「俺はリクのスイッチ係じゃない」


 リクは吹き出した。

 サラも小さく笑った。


 その笑いが、生活の音だ。

 生活の音は、記録しなくても残る。


 残るはずの音が、未来で消える。

 だから今の音は、未来を知る者にだけ刺さる。


「リク、よかったらジンさんも誘って、食事行こ。…どうですか、ジンさん」


 誘い方が自然だ。

 自然すぎて、ここが運命の分岐点になる。

 運命に見える分岐は、最も危険だ。


 ジンは、短く受ける。


「……そうしよう」


「急に誘っちゃって、すいません!でも、嬉しいです!」


 変わらないリクの距離感。


 ジンの脳裏に、昨日の言葉が短くよぎる。

——「知っているだけ」。


 こちら側にいるサラ。

 懐かしいようで違う。そんな知らない再会。

 この事実をジンは受け入れる。


 受け入れるのは、感情ではない。

 条件としてだ。

 条件として受け入れた瞬間、次の手が自動で並ぶ。

 並ぶのが、ジンの強さであり弱さだ。



 3人が歩き出す。

 歩幅は揃っていない。

 揃っていないのに、ひとつに見える。


 夕焼けが濃くなる。

 ビルの影が伸びて、三つの影が少しずつ重なった。


 影は重なる。

 だが、重なり方は一定ではない。

 歩幅が違うから、重なった影はすぐに離れる。

 離れるのに、また重なる。

 重なるのに、揃わない。


 揃わないことが、今は正しい。

 揃えてしまうと、未来の衝撃が増幅する。


 ジンは衝撃の増幅を避ける。

 避けることで守れるものがあると、まだ信じている。


 同じ道順なのに、胸の重さだけが違った。

 同じ言葉が、別の重さで沈んでいく。

 ジンは、その違いを言葉にはしない。


 言葉にしないまま、胸の底に沈める。

 沈めたものは、いつか浮く。

 浮いたときに、自分は耐えられるのか。


 その問いは、今は立てない。


 ジンは呼吸を一つだけ整えた。


 それ以上、考えない。

 ただ、明日の順序だけを頭に置いた。

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