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君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜  作者: 安剛
1期:崩れゆく世界と、残された心
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EP11-2 静けさの向こう側へ

 昼休みを少し過ぎたころ、ラボの空気が微妙にぎくしゃくした。


「えっと……さっき話した件、聞いてました?」


 後輩のひとりが、上司の席のそばで困った顔をしている。


「話した?何を?」


「だから、さっきのミーティングの続きで……」


 上司は眉間に皺を寄せ、記憶を探るように天を見た。


「悪い。今、全然思い出せない」


「いえ、その……」


 後輩は笑ってごまかそうとするが、その笑い方もぎこちない。


 別の場所では、書類を持った同僚が、同じ場所をぐるぐると回っていた。


「……どこに提出するんだっけ」


 自分のデスクとコピー機の間を、何度も行ったり来たりしている。


 ほんの少し前なら、「疲れてるのかな」で済んだ光景だ。

 今も、表面上はそういう扱いになっている。


 だが、頻度が増えていた。


 誰かがコーヒーを淹れて、そのまま放置する。

 メモに書いた内容と、実際に取った行動がずれている。


 そういう“小さなズレ”が、じわじわとフロアのあちこちに染み込んでいた。


「……」


 リクは、自分の画面に並ぶログをぼんやりと眺めていた。


 そこにも、同じようなズレが現れていた。


《最近、同じ話を何度もしてしまう》

《何をしようとしていたか、すぐ忘れる》


 以前は数件だったそうした記述が、今は全体の中に紛れ込むように増えている。


(このまま行ったら、どうなるんだろう)


 そんな考えが、ふと浮かぶ。


 サラを失ってから、リクの中には常に薄い焦りがあった。

 その焦りは、自分の人生だけでなく、世界そのものに向かっているような感覚だった。


 自分の大切な人が、何の前触れもなくいなくなった。


 今度は、それが自分たちの“外側”にも広がり始めている。


「リク」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


 ジンが、ファイルを片手に立っていた。


「ちょっと、時間をくれ」


「あ、はい」


 立ち上がろうとしたリクを、ジンは手で制した。


「ここでいい。画面を見ながらで構わない」


 ジンはリクの隣の席に腰を下ろし、モニターを覗き込む。


「今、どのケースを見ていた」


「えっと、この辺りです」


 カルテ番号を指差す。

 ジンは視線を走らせ、数秒で全体を読み切った。


「……症状のプロファイルは、あのときの報告と似ているな」


「あのとき?」


「ニュースになっていた、大規模なストレス調査のやつだ。覚えているか」


「ああ……“最近、感情が遠いと感じる人が増えています”みたいな」


「そうだ」


 ジンの声は淡々としていた。


「こっちのデータでは、あれよりも頻度が高い。ラボの内部でも、似た傾向が出始めている」


 そう言って、周囲を一瞥する。

 さきほどの、記憶を取り違えていた上司の姿が視界の端に入った。


「ジンさんは、どう思ってるんですか」


「どう、とは」


「このまま行くと、世界がどうなるか」


 口に出してから、自分でもその言い方に驚いた。


 それでも、今はそれしか言葉が見つからなかった。


 ジンはしばらく黙っていた。

 モニターの光が、眼鏡のレンズに反射している。


「壊れるだろうな」


 あまりにもあっさりした声だった。


「……そんな簡単に言わないでくださいよ」


「簡単ではない。今のままなら、という仮定の話だ」


 そこで一度言葉を切り、データのグラフに指を当てる。


「だが、方向は変えられる」


「方向……」


「この数値の流れは、完全に制御不能なものではない。まだ揺らぎの範囲内だ」


 リクには、その判断の根拠は見えない。

 ただ、ジンの中には“確信”があるように見えた。


 その確信がどこから来るのか。

 普通の人間なら持ち得ない答えを、彼がなぜ知っているのか。


 そこには考えが及ばない。

 むしろ、及ばせないようにしていた。


「……ジンさんが、そう言うなら、そうなんだろうな」


「盲信はするな」


「盲信じゃないですよ。多少は、です」


 自嘲気味に笑うと、ジンはわずかに視線をそらした。


 その表情は、以前よりも硬かった。

 まるで、自分自身に枷をかけているように見える。


「仕事に戻るぞ」


「はい」


 リクは深く息を吸い、画面に向き直った。


 弱り切った精神のどこかで、「このままだと世界が壊れる」という焦燥が、静かに燃え続けている。


 だが、同時に。


(ジンさんがいるなら、まだ大丈夫なのかもしれない)


 そんな小さな考えが、灰の中の火種のように残っていた。

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