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君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜  作者: 安剛
1期:崩れゆく世界と、残された心
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EP10-3 どこかで途切れた、静かな夜

 居酒屋の中は、平日の夜にしてはほどよい賑やかさだった。


 焼き鳥の煙と、揚げ物の匂い。

 隣のテーブルからは、仕事の愚痴と笑い声が混ざって聞こえてくる。


「とりあえずビールでいいですか?」


「ああ」


「生ふたつお願いしまーす。それと、唐揚げとポテトと……枝豆と……」


「脂と糖の塊だな」


「美味しいわけですね」


 そんなやり取りをしながら、メニューをテーブルに置く。


 店の隅の壁掛けテレビには、ニュース番組が流れていた。

 音は小さめで、店内のざわめきに紛れている。


 しばらくすると、ビールジョッキが運ばれてきた。


「お疲れさまです」


「お疲れ」


 ジョッキが軽く触れ合う。


 一口飲んだ瞬間、喉を通る冷たさに、今日一日の重さが少しだけ剥がれ落ちる気がした。


「……ふー」


「効果は出ているようだな。統計の」


「統計、侮れないっすね」


 冗談めかして言ってから、リクはジョッキをテーブルに置いた。


 唐揚げが山盛りの皿でやってくる。

 ポテトフライ、枝豆。

 テーブルの上が、いつもの“安い幸せ”で埋まっていく。


「そういえば」


 ポテトをつまみながら、リクがぽつりと口を開いた。


「この前の、親子、覚えてます?」


「親子?」


 ジンが少し考えるように視線を宙にやる。


「お店で、飲み物こぼしちゃった……」


「ああ」


 短い相槌。

 その一音の中に、映像が一気によみがえったような気配があった。


「……あの、お母さんが」


 言葉が喉に引っかかる。


「事故に遭って、亡くなったそうで」


 テレビの音が、一瞬だけ遠くなる。

 さっきまで気づかなかったニュースキャスターの声が、急に耳に残り始める。


「そうか」


 ジンは、それ以上何も言わない。

 否定も、安易な慰めも挟まない。


「そんなに……知り合い、ってほどでもなかったんすけどね」


 リクは、自分の指先を見つめた。


「でも、公園で会って、一緒に笑って、連絡先も交換して。

 次、また遊びましょうねって……」


 そこで一度、言葉が途切れた。


「“今度”って、便利な言葉ですよね」


 苦笑を混ぜる。


「“今度”が来ないことなんて、いくらでもあるのに。

 なんか、“また今度”って言っとけば、

 全部大丈夫みたいな顔して……」


 ユアの笑顔。

 リオの「またあそぶ!」という声。


 それらが、ビールの泡と一緒に喉の奥へ沈んでいく。


「そこまで親しくもないのに、こんなにざわつくの、おかしいですよね」


「おかしくはない」


 ジンが、少しだけ低い声で言った。


「人は、関係の長さと感情の強さを、必ずしも一致させない」


「……ジンさんらしい」


「らしいか?」


「論理っぽくて、でも、ちゃんと人の話を聞いてる感じです」


 自分で言ってから、ジョッキをもう一度持ち上げた。


 壁のテレビが映像を切り替える。

 スポーツニュースの直前、一瞬だけテロップが画面を横切った。


 《原因不明の感情障害》《軽度認知異常》《AI診断では問題なし》


 白地に黒い文字。

 括弧に囲まれた、「専門家は関連を否定しています」の一文。


 誰かがチャンネルを変えたのか、すぐに野球のハイライトへ切り替わる。


「……」


 リクは一瞬だけそちらへ目を向けたが、すぐにジョッキへ視線を戻した。


「最近、変なニュース多いですよね」


「どれのことを言っている」


「なんか、“よく分からないけどみんなイライラしてます”みたいなやつです」


「曖昧なまとめ方だな」


「まとめただけマシってことで」


 ジンの返事が、半拍遅れて笑いに変わる。


 そのズレが、なぜか少しだけ安心材料になった。


「ジンさん、飲むと顔に出ないタイプですよね」


「出ないほうだと思う」


「そのわりに、グラス減るの早いんですよね」


「……統計上、アルコールは速度で飲むものではない」


「それ、どういう統計ですか」


 くだらない会話。

 でも、そのくだらなさに救われる夜もある。


 唐揚げの油が、少し冷えてきたころ。

 テーブルの上の皿が、だいぶ片付いてきた。


「もうそろそろ解散するぞ」


 ジンが時計をちらりと見て言う。


「ですね。あんまり飲みすぎると、明日怒られそうですし」


「怒るのは誰だ」


「ジンさんか、システムか、上司か。

 たぶん、全方位から順番に」


「それは困るな」


 お会計を済ませて店を出る。

 外の空気は、アルコールで少し熱を持った体に、気持ちよく冷たかった。


 ビルの間を通る風。

 ネオンの光。

 信号機の赤と青。


 そのすべてが、ほんの一瞬だけ“止まって”見えた。


(……酔ってんな)


 瞬きをしたら、すぐに元通りになる。

 人の話し声、車の走る音が、いつもの夜を形作っていた。


「ジンさん」


「なんだ」


「今日は、ありがとうございました」


「礼を言われるようなことはしていない」


「でも、なんか……助かりました」


 うまく言葉にできない。

 できたところで、説明になるだけな気がした。


「こういう日って、一人で帰ると、“何か”考えちゃうんで」


「何か、か」


「はい。名前がつけられないやつです」


「……そういうものは、すぐに名前をつけないほうがいい」


「それ、今日の名言にしておきます」


 駅前のロータリーが見えてくる。

 ここで、ふたりの帰る方向は分かれる。


「じゃあ、また明日お願いします」


「明日も仕事はある」


「はい。ちゃんと行きます」


「当然だ」


 ジンは、いつも通りの短い返事だけを残して、反対側の道へと歩き出した。


 リクは、その背中がビルの角に隠れるまで見送ってから、ホームへ続く階段とは逆方向へ足を向けた。


「……帰りますか、愛する妻の元に」


 小さく呟く。

 誰に聞かせるでもない、酔いに混ざった独り言だった。


 夜空には、薄い雲の隙間から、

 ぼんやりと月が見えていた。

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