EP09-4 揺らいだ返事の、その先で
帰り道の空は、すっかり夕焼け色に染まっていた。
長く伸びる影。
電線にとまったカラスの鳴き声。
遠くで、誰かが自転車のブレーキをきゅっと鳴らす音。
「ママー、きょう、たのしかったね」
「うん、楽しかったね」
リオの手を握って歩く。
その手は小さくて、あたたかくて、確かに“ここにいる”。
それでも、さっき公園で感じた“温度”が、少しずつ薄れていく。
(……どうして、保てないんだろう)
嬉しかった。
誰かと話せて、少し軽くなった気がした。
その事実は覚えているのに、そのとき胸にあったはずの感情だけが、輪郭を失っていく。
「ママー?」
「ん?」
「また、きょうのひとたちと、あそべる?」
「サラお姉さんと、リクお兄さん?」
「うん」
「……きっと、また会えるよ」
そう言いながら、少しだけ声が掠れた。
「また、あそべるように、ママ、がんばるから」
「がんばる?」
「うん、“がんばる”」
自分で言いながら、その言葉の重さが、ほんの少しだけ遠くに感じられる。
マンションの近くの、大きな交差点が見えてきた。
夕方は車が多い時間帯。
トラックやバスも通る、いつもの道。
信号は赤。
横断歩道の前で、何人かが立ち止まっている。
「ママ、あか」
「うん、赤だね」
リオの声が聞こえる。
それを聞いているはずなのに、耳の中で音が少し遅れて反響する。
周りの音が、すこしずつ遠くへ引いていくような感覚。
トラックのエンジン音も、人の話し声も、全部、厚いカーテンの向こうから聞こえてくるみたいになる。
(……また、だ)
さっきの交差点でも感じた、あの“遠のき”。
今度はもっと強く、長く続く。
視界の色が、少しだけ白んでいく。
赤信号。
止まる色。
その意味が、ふっと抜け落ちた。
(どっちだったっけ……)
一瞬だけ、本当に分からなくなる。
隣で、リオの手がぎゅっと強くなる。
「ママ、あかだよ?」
その声が届くまでに、いつもよりも長い時間がかかった気がした。
「……うん」
返事をしながら、足が半歩だけ前に出る。
気づけばリオの手を離していた。
体が、意識より先に動いた。
ほんの少し、歩道からはみ出した足先。
アスファルトのざらつきが、靴越しに伝わる。
その瞬間、右側からヘッドライトの光が迫ってきた。
トラックのエンジン音が、急に近くなる。
タイヤが路面を擦る音。
誰かの「危ない!」という叫び声。
「ママ!!」
リオの声が、世界のすべてを突き抜けた。
強く引っ張られる感覚。
身体がよろめく。
視界が、一瞬、真っ白に飛んだ。
金属と金属が擦れる音。
ブレーキの悲鳴。
何かが地面に叩きつけられるような鈍い音。
風が巻き上がり、砂埃が舞う。
リオの膝がアスファルトに当たり、痛みが走る。
「……ママ?」
目の前が滲む。
膝が震えて、うまく立ち上がれない。
さっきまで隣にいたはずの影が、視界から消えている。
「ママ?」
声が掠れる。
もう一度、呼ぶ。
「ママ?……ママぁぁぁああああ!!」
夕焼けの空に、リオの叫び声が響いた。
交差点の信号は、何事もなかったかのように、
淡々と青へと変わった。




