EP09-3 揺らいだ返事の、その先で
公園には、日曜日らしい賑やかさがあった。
ブランコのきしむ音。
ボールを蹴る音。
遠くで泣いている子どもの声と、それをなだめる親の声。
「ママー、すべりだい!」
「はいはい、順番だよ」
リオは小さな足で階段を駆け上がっていく。
他の子どもたちと一緒に列に並び、順番が来ると、一気に滑り降りた。
「みてー!はやいよ!」
「うん、速かったね。風、気持ちよさそう」
ユアはベンチの近くに立って、その様子を見ていた。
見ている。ちゃんと目で追っている。
それでも、胸の内側のどこかが、薄いガラス越しに景色を眺めているようだった。
(前は、もっと一緒に笑ってた)
すべり台を滑り終わったリオが、満面の笑みで駆け寄ってくる。
その勢いに押されて、ユアの身体も少し揺れた。
「ママー、もう1回いっていい?」
「どうぞ。何回でもどうぞ」
「いっぱいね!」
リオはすぐにまた階段へと走っていく。
「……なんで、こんな冷たい感じになるの」
誰にも聞こえない声で、ユアは呟いた。
「嬉しいのに。かわいいって分かってるのに。
“あったかい感じ”を掴んだと思ったら、すぐ、手のひらからこぼれるみたいに消える」
胸のあたりを、そっと押さえる。
心臓の鼓動はある。鼓動だけは、ちゃんと“生きている”と主張している。
「ママー?」
階段の途中で、リオが振り返る。
不安そうな目。
それを見た瞬間だけ、感情が少しだけ近くなる。
「ごめんね。ママ、大丈夫」
今度は少しだけ、意識して笑った。
そのとき、公園の入口のほうから聞き慣れた声がした。
「……あれ?あの人達……」
振り向くと、サラとリクが並んで歩いてくるところだった。
リクはコンビニの袋をぶら下げている。
サラは、いつものように穏やかに周りを見ていた。
「あ!」
リクが先に気づいた。
「この前の!ジュースこぼれちゃった……!」
リクの顔がぱっと明るくなる。
ワンコみたいな笑顔で、手を振ってきた。
「こんにちは。この前はすみません、その節はお世話になりました」
ユアが頭を下げると、サラも軽く会釈した。
「いえいえ。あのとき、リオちゃん、服濡れなくてよかったですよね」
「うん!サメ、かいたの!」
リオが、いつの間にかユアの足元まで戻ってきていた。
サラの顔を見て、ぱっと表情を明るくする。
「サメ?」
「この前の、サメのかみ、まだおうちにあるの」
「大事にしてるんだね。サメ、よかったねぇ」
サラは本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔が、ユアには少し眩しく見える。
「リク、ちょっとだけ遊んでく?」
「いいんですか?」
「リオちゃんがよければ」
「やる!いっしょにすべりだいする!」
リオはリクの手を引っ張っていく。
リクは「うわー、ママさん、ちょっと行ってきますね!」と笑いながらついていった。
自然と、ベンチの近くにサラとユアの“親席”ができる。
「日曜日、公園、多いですよね、やっぱり」
「ですね……みんな考えること同じなんだなって思います」
他愛もない会話。
それなのに、言葉のひとつひとつが、ユアには少しだけ遠く感じる。
「育児、大変ですよね」
ふと、サラが真っ直ぐこちらを見た。
「……はい。大変、ですね」
返事をしながら、ユアは自分の声の“薄さ”に気づく。
気づいて、また自己嫌悪が膨らむ。
そんな表情の揺れを、サラは見逃さなかった。
「今は辛いかもしれませんが……大丈夫ですよ」
静かなトーンで、ゆっくりと言う。
「“今の感じ”がずっと続くわけじゃないですから。
ちゃんと、息できるタイミングが来ますから」
それが、ただの慰めではないことが、言葉の選び方だけで伝わってくる。
「……どうして、そう思えるんですか?」
気づいたら、ユアのほうからそう尋ねていた。
「なんとなく、ですけどね」
サラは少しだけ目線を落として笑う。
「“しんどい人の空気”って、なんか、伝わってくるんです。
わたし、仕事柄、そういう人たちたくさん見てきたので」
「……そう、なんですね」
胸の奥で、何かがきゅっと鳴った。
それが痛みなのか、安堵なのか、自分でも分からない。
「でも、ちゃんとお子さんのほう、見てるじゃないですか」
サラが、ブランコのほうを指さす。
リクとリオが、順番を交代しながら大笑いしている。
「“見ようとしてる”人は、まだ大丈夫です」
そう言われて、ユアは思わず目を伏せた。
「……わたし、ちゃんと見れてるのかな」
「見ようとしてますよ」
即答。
その確信の強さに、少しだけ救われる。
「よかったら、また今度、一緒に遊びませんか」
サラが、少しだけ遠慮がちな笑顔で続ける。
「リオちゃんも、リクも、楽しそうだし」
「……はい。ぜひ」
本心だった。
誰かとこうやって穏やかに話すのが、久しぶりだと気づく。
「じゃあ、連絡先、交換してもいいですか」
「もちろんです」
スマホを取り出して、お互いに画面を見せ合う。
トークアプリの、「友だち追加」の表示が出る。
「ありがとうございます。また、連絡しますね」
「こちらこそ……うれしいです」
リオの笑い声。
リクの「おっとっとー!」という情けない声。
それを眺めながら、ユアは胸のどこかで、ほっとする感覚を覚えた。
(ちゃんと、嬉しい)
その感覚が、今度は少し長く続いてくれることを願いながら。
夕方が近づくにつれて、公園の空気が少しずつ冷えてきた。
「そろそろ、戻ろっか」
サラがリクに声をかける。
「えー、もう1回だけ!」
「それさっきも聞いた」
「ですよねぇ。じゃあラスト1回!」
最後のすべり台を終えて、リクとリオが戻ってくる。
「今日はありがとうございました。また遊んでください」
「こちらこそ。……ね、リオ」
「またあそぶ!」
リオが両手を高く上げて答える。
その無邪気さに、全員が笑った。
サラとリクは、ラボのほうへ続く道へと歩いていく。
ユアとリオは、反対側の住宅街へ向かって、公園をあとにした。
空は、少しずつオレンジ色に傾き始めていた。




