EP08-4 あの小さな集まりの夜
食事を終えて店を出ると、夜の空気は少しだけ冷たくなっていた。
駅前の通りには、まだ人の流れがある。
ネオンの光が、濡れたようなアスファルトに反射して揺れていた。
「いやー……今日も食べましたね……。」
リクがお腹をさすりながら、満足そうに息を吐く。
「明日から本気出す。」
「それ、先月も聞いた。」
「ジンさん、そうやって事実だけを静かに突き刺すのやめません?」
サラが笑いながら、コートの襟を立てた。
「でも、リクがいっぱい笑ってると、私も元気出る。」
「それは……うれしい。」
頬をかきながら、リクは少しだけ視線を落とす。
3人が並んで歩いていく先で、さっきの親子が駅とは反対方向へ歩いていくのが見えた。
女の子は、サメのぬいぐるみを両手で抱えている。
母親は、その横で歩幅を合わせるように歩いていた。
信号が赤に変わり、親子は横断歩道の前で立ち止まった。
その瞬間、店の看板のライトが、ふっと一瞬だけ明るさを変えた。
消えたわけではない。
壊れたわけでもない。
ほんの一瞬、映像を再生しているモニターが、わずかに乱れたような揺れ。
リクはそれに気づかず、今日のラボの出来事をサラに話している。
「それでですね、ジンさんが急に“ここの係数おかしくない?”って言うんですよ。いや、こっちはずっと気づかなくて……」
「それ、気づくジンさんがおかしいやつだ。」
「そうなんですよ!」
サラは笑いながら相槌を打つ。
その視線の端で、親子の後ろ姿を見送っていた。
女の子が、ぬいぐるみの背中をとん、と軽く叩く。
母親が、それに気づいて顔を向ける。
その動きが、ごくわずかにゆっくりに見えた。
ユアの足取り。
視線の動き。
言葉を発する前の、胸の上下。
細かいものひとつひとつが、サラの中で“映像”として重なっていく。
「サラ?」
ジンの声が横から届いた。
「ん?」
「さっきの親子。」
「うん。」
「以前も……見た気がする。」
サラは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。
すぐに、いつもの柔らかい表情に戻す。
「うちの患者さん。何回か、見かけたことある。」
「そうか。」
それ以上は、誰も言葉を足さない。
親子が青になった信号を渡っていく。
小さな背中が、商店街のほうへと消えていく。
ジンの視界の端で、母親の足元だけが、ほんの一瞬だけ“フレーム”を落としたようにずれた。
踏み出した足と、影の位置。
腕の振りと、髪の揺れ。
それらが完璧に一致していないように見えたのは、一瞬だけだった。
(……。)
眉を寄せかけて、ジンはそれをそのまま胸の奥へ沈める。
説明できないものを、今ここでテーブルに並べても意味はない。
自分が何かを見落としているだけかもしれない。
でも、“何か”があることだけは、確かに残る。
「さ、帰ろっか。」
サラが、少し明るい声で言った。
「次の月1ご飯まで、またがんばろう。」
「はい!」
リクが手を挙げる。
ジンは短く頷いた。
3人は駅のほうへ向かって歩き出す。
街灯の光が、それぞれの影を少し長く伸ばした。
誰も知らないところで、さっきまで一緒にいた親子の影も、別の方向へと伸びている。
まだ、何も壊れてはいない。
何も、はっきりとは始まっていない。
それでも、戻れない未来へ向けて、静かに足音だけが重なっていった。




