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君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜  作者: 安剛
1期:崩れゆく世界と、残された心
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EP08-3 あの小さな集まりの夜

 約束の日の夜、駅前は、ほどよい賑やかさに包まれていた。


 大きな窓から見える店内には、仕事帰りの会社員や、買い物帰りの家族連れがちらほら座っている。

 テーブルの上には、ハンバーグやパスタ、子ども用プレートの旗が並んでいた。


「わー……やっぱり、おいしそうな匂いしますね。」


 先に着いていたリクが、メニューを抱えながら顔をほころばせる。

 対面の席にはジンが座り、水のグラスに軽く口をつけていた。


「今日は控えめにするんじゃなかったのか。」


「聞きました?サラさん。ジンさんが先にいじってきましたよ。」


 遅れて席に着いたサラは、笑いながらコートを椅子の背にかけた。


「月1なんだから、食べたいもの食べたらいいんだよ。」


「ですよねぇ。」


 軽口が自然に行き交う。

 メニューを開きながら、3人は今日何を頼むかで一通り盛り上がった。


「ジンさん、ハンバーグかステーキで迷ってます?」


「……何故分かる。」


「顔に“たんぱく質”って書いてます。」


 そんなくだらない会話にも、サラは肩を揺らして笑った。


 店内の奥のほう。

 少し離れたテーブル席には、小さな子ども用の椅子がすでに準備されている。


 視線をさりげなく滑らせると、そこには病院で見かけたあの時の親子の姿があった。


 リオは、テーブルの上の紙ナプキンで何かを折ろうとしている。

 ユアは、メニューを見ながらも、時折その手元を気にするように目を向けていた。


 サラは、こちら側のテーブルに意識を戻す。

 あくまで患者さん、変に話しかけるのも違う。


「そういえばリク、最近どう?ラボのほう。」


「どうって言われると、だいたいジンさんにしごかれてます、としか。」


「事実。」


「即答しないでくださいよ。」


 リクの嘆きに、サラは「でも、前より顔が明るいよ」と笑った。


「今のほうが、リク“生きてる顔”してる。」


「うわ、なんか名言っぽい。」


 そんな他愛もない会話が、一度、テーブルを一周する。


 やがて料理が運ばれてきて、湯気と一緒に温かい匂いが立ち上った。


「いただきます。」


「いただきます。」


 3人の声が重なった、その少しあと。


「すみませーん。」


 サラは、グラスの水を飲み干したタイミングで席を立った。


「ちょっと追加で頼んでくるね。あと、ついでにお手洗い。」


「行ってらっしゃいです。」


 リクが軽く手を振る。

 ジンはフォークを口に運びながら、何気なく店内のテーブルの配置を眺めた。


 カウンター席。

 2人掛けのテーブル。

 ソファ席が並ぶ奥のスペース。


 その中で、子ども用の椅子がある席は、ひとつだけだった。


 サラはレジ横のドリンクバーの前を通り、お手洗いの方向へ歩いていく。


 子どもの笑い声がした。

 次の瞬間、小さな手が、テーブルの端に置かれていたジュースのグラスに触れる。


 カラン。


 氷の音と一緒に、グラスが傾いた。

 飲み物がテーブルの上にこぼれ、紙ナプキンが一瞬で濡れていく。


「あっ、ごめんなさい!」


 サラが、咄嗟に声を上げた。


 リオの手と、グラスの位置。

 通路の幅と、自分の歩幅。

 それらを知っていたわけではない。


 ユアが慌てて立ち上がる。


「いえ……こちらこそ、すみません……!」

「あれ、看護師さん?」


「あ、こんにちは、奇遇ですね…ってこんな状況になってしまって、ごめんなさい。」


「いえいえ…ユアが手をぶつけちゃったのかな、すみません……!」


 ユアは目を丸くして、こぼれたジュースを見つめていた。


「大丈夫、大丈夫。コースター濡れただけだからね。」


 サラはすぐにペーパーナプキンを掴み、テーブルの上を拭き始める。

 リオの服や、ユアの膝には、ほとんどかかっていない。


「リク!」


 サラの声に、リクがびくっと顔を上げた。


「はいっ!?」


「ごめん、ちょっとティッシュ持ってきてくれる?」


「了解です!!」


 リクは自分たちのテーブルから予備の紙ナプキンを数枚掴み、素早く駆け寄った。


「これ、使ってください!」


「ありがとうございます…。」


 ユアが頭を下げる。

 その動きは礼儀正しく、言葉も丁寧だ。


 でも、サラには分かる。


 “驚いている”のに、表情の一部だけが少し遅れている。


「ごめんね。びっくりしたよね。」


 サラは、リオの目線までしゃがんだ。


 リオはしばらくジュースの跡を見ていたが、やがてサメのイラストが描かれた紙ナプキンに気づいた。


「……これ、サメ?」


「うん。サメ。」

「こないだね、すいぞくかんでね、サメのぬいぐるみかったの。」


「そうなんだ。いいなぁ。」


 小さな声は、ちゃんと温度を持っていた。

 4歳らしい、まっすぐな「嬉しい」だった。


 サラは、女の子の横顔を一瞬だけ見つめてから、立ち上がる。


「すみません。店員さんにも拭いてもらいますね。」


「いえ、本当に大丈夫ですから……。」


 ユアは繰り返し頭を下げた。

 その横で、リオはサメを描いたナプキンを大事そうに握っている。


 少し離れたところで見ていたジンは、ふと眉を寄せた。


 親子の周りだけ、空気の密度がわずかに変わる。


 騒がしい店内のざわめき。

 皿が重なる音。

 グラスの触れ合う音。


 それらすべてが、ほんの一瞬だけ、遠くから聞こえるように感じられた。


(……また、だ。)


 あの夜の街角。

 コンビニの光の下で見た親子。


 そのとき、視界の端で“輪郭”が線として浮かび上がった感覚。


 今は、そこまで強くはない。

 でも、耳の奥に、薄い膜を一枚挟んだみたいな違和感だけが残る。


「ジンさん?」


 リクが戻ってきて、向かいの席に腰を下ろした。


「大丈夫ですか?」


「……問題ない。」


 短く答えて、グラスの水を一口飲む。

 冷たい液体が喉を通る感覚だけが、確かな今の証拠のように思えた。


 サラは最後にもう一度「本当にすみません」と頭を下げ、ユアとリオのテーブルを離れる。


 何もなかったかのように、自分たちの席へ戻ってきた。


「ごめんね。お待たせ。」


「いえいえ、サラが謝ることじゃないって。」


「たまにあるよねー、こういうの。子どもいると。」


 サラはそう言いながら、グラスに新しい水を注いだ。


 リオの笑顔。

 母親の、少しだけ揺らいだ返事。

 さっきの、それほど大きくはないハプニング。


 どれも、日常に紛れてしまえば、それで終わりの出来事だ。


 それでも、その瞬間のすべてが、3人のテーブルの空気に、薄く透明な色を足していた。

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