EP06-2 名前を持たない違和感
研究フロアの空気は、午後になると少しだけ乾く。
ジンはモニターを三台並べ、淡々と指を滑らせていた。
グラフはどれも“正常”を示しているはずだった。
だが――ひとつの折れ線が、微妙に揺れていた。
(……この角度、前年度と違う。)
生活ストレス指数。
子育て世帯、長時間労働層、都市部在住者を組み合わせたクラスタだけが、
“ごく弱く”右肩上がりになっている。
誤差と言えば誤差。
だが、データの“癖”を知っているジンからすると、どうにも落ち着かない曲線だった。
(計測器の更新タイミング……いや違うな。)
別のタブを開き、地域ごとのログを照らし合わせる。
似た傾向が、薄く、だが確かに重なっていた。
(……気のせいか。)
そう片づけようとしても、胸の中にだけノイズが残った。
その“ざらつき”に気づかないふりをしたまま、ジンはモニターを閉じた。
屋上へ向かったのは、ほとんど反射のようなものだった。
扉を開けると、すでにリクがいた。
手すりに腰を預け、ペットボトルの紅茶を揺らしている。
「ジンさん、お疲れさまです!」
「……ああ。」
リクは相変わらず、陽の光みたいな笑顔を向けてくる。
屋上で会うのがこの時間軸でも当たり前になってきた。
「いやー……今日、ちょっと変なこと言われてですね。」
「変なこと?」
「上から“最近のデータで気になる点はありますか”って聞かれたんですよ。
俺、ただの下っ端なのに。」
「……ふむ。」
「だから“なんか最近、怒ってる人減りました?”って適当に返したんですけど。」
「怒ってる人……?」
「いや、なんか……雰囲気。
みんな丸くなったというか、無気力になったというか……。
すみません、説明できないんですけど。」
リクは照れくさそうに頭をかいた。
(……肌感覚で同じことを言うのか。)
ジンの胸に、さっきのグラフが蘇る。
「ジンさんはどう思います?」
「……雰囲気の話は、判断が難しい。」
「ですよねー。でも俺、なんか変だと思うんですよ。
数字上は普通っぽいのに……説明できないけど。」
ジンの指先がわずかに止まった。
(数字は揺れている。気のせいで片づけたが……)
リクは続ける。
「まあ、気にしすぎかもしれませんけどね!
俺、疲れると“感覚の方が信用できる”って思っちゃうタイプなんで。」
ジンは静かに息を吸った。
「……感覚が先に動く時もある。」
「え、ジンさんがそんなこと言うんですね。」
「どういう意味だ。」
「いや、もっと……ガッチガチに数字派かと思ってました。」
リクが笑う。
その軽さに、ジンは返す言葉を見失い、視線を横へ逸らした。
(……数字も、感覚も、まだ正常の範囲。
だが――“ズレの兆し”は確かにある。)
風が二人の間を抜けていく。
どこかひんやりしていた。




