EP05-3 再会ではない出会い
「そうだ。」
リクが、思い出したように顔を上げた。
「このあと、俺たちご飯行くんですけど。」
「リク。」
サラが小さく肘でつつく。
「“俺たち”って言い方。」
「あ、ごめん。夫婦水入らずのところに、って意味じゃなくて。」
リクは慌てて手を振る。
「もしよかったら、ジンさんもどうですか。会社の近くに、うまい定食屋があって。」
その言い方は、相手の予定をちゃんと気にしているけれど、断られても傷つかないように、少しだけ逃げ道を残した誘い方だった。
ワンコみたいな人懐こさと、年下なりの気遣いが混ざった声。
「いきなりすみません。」
サラも、横からぺこりと頭を下げる。
「リク、こう見えて人見知りなんで、同じ職場の人とご飯行く機会ほとんどなくて。」
「ちょっと。」
「でも、さっき話してるの見たら、なんか相性良さそうだったから。」
サラの言葉に、ジンは少しだけ目を細めた。
(相性、ね。)
未来の世界では、たしかにそうだった。
むしろ、相性が良すぎて、仕事も人生も巻き込まれていった。
ここで、その未来をなぞるべきか。
それとも、あえて違うルートを選ぶべきか。
答えは、まだ出せない。
「誘ってくれてありがとう。」
ジンは、できるだけ穏やかな声で言った。
「ただ、今日はやめておく。」
「予定あるんですか。」
「部屋が爆発寸前でな。」
リクが吹き出しかける。
「片づけを先延ばしにすると、あとで後悔するタイプだ。」
「それは、たしかに。」
サラも苦笑する。
「じゃあ、次の機会に。」
「またこのビルから出てくる時間が、たまたま合ったら。」
ジンがそう言うと、リクはうれしそうにうなずいた。
「約束ですからね。」
「約束は苦手なんだが。」
「がんばってください。」
軽い押し問答。
その空気が、妙に心地よかった。
「じゃあ、俺たちそろそろ行きますね。」
リクが、サラの方に体を向ける。
「今日は何定食にするの?」
「内緒。」
「なんで。」
「サプライズって言っとけば、なんでも許されるって聞いた。」
「誰情報。」
「職場の先輩。」
夫婦の会話は、そのまま横へ流れていく。
サラが、さりげなくジンの方に目を向ける。
「今日はお会いできてよかったです。」
「こちらこそ。」
「また、どこかで。」
その言い回しは、さっきリクが使った言葉と同じだった。
ジンは、小さくうなずく。
「そのときは、もう少しマシなタイミングで声をかける。」
「楽しみにしてます。」
サラはそう言って、リクの腕を軽くつついた。
「ほら、行くよ。」
「はいはい。」
2人は、ビルの前から離れていく。
歩幅はそんなに合っていないのに、不思議といっしょに見える歩き方。
その背中が、夕方の街に溶け込んでいった。
ジンは、その場から動かずに、しばらく2人の姿を目で追っていた。
(生きてる。)
当たり前の事実が、今はいちばん重い。
墓石の前で見た名前。
冷たい石。
あの光景が、喉の奥で引っかかったまま、飲み込めない。
(この世界でなら、まだ間に合うのか。)
そう問いかけても、世界は何も答えない。
代わりに、ビルのガラスに映る空が、少しだけ色を変えた。
⸻
その夜。
小さなマンションの、こぢんまりしたリビング。
テーブルの上には、少しのお菓子が並んでいた。
「で。」
サラが、チョコを頬張りながら言う。
「さっきの人。」
「ジンさん?」
「うん。」
リクは椅子に背中を預け、少し考える。
「なんか、不思議な人だった。」
「どこが。」
「最初、廊下で声かけられたとき、“久しぶり”って言われて。」
「それさっきも言ってた。」
「だよね。やっぱり変じゃない?」
「まあ、普通は“はじめまして”だよね。」
「でしょ。」
リクは、テーブルの上のコップをくるくる回しながら続ける。
「でも、変なんだけど、なんか怖くはなかったというか。
“久しぶり”って言葉に違和感がなかったというか。」
「ふむ。」
「なんて言うんだろ。前にもどこかで見た気がするんだけど、絶対会ったことないっていうか。」
「デジャブ。」
「そう。それ。」
サラは、笑いながら頷いた。
「リク、たまにあるって言ってたよね。」
「うん。」
「初対面の人に対して“あ、この人とは長く関わりそうだな”って急に思うやつ。」
「ある。」
「もしかして、ジンさん、そのタイプだったんじゃない。」
「……かも。」
リクは、少しだけ照れくさそうに笑う。
「なんか、まだ全然話してないのに、“ちゃんとしなきゃ”って思った。」
「いいじゃん。」
「なにが。」
「リクの“ちゃんとしなきゃ”ってスイッチ、なかなか入らないから。」
「……知らん人にスイッチ押されるって、俺どういう設定なんだろうな。」
サラは、テーブルに両肘をついた。
「でもさ。」
「ん。」
「今日のジンさん見てて、ちょっと思ったんだ。」
「なにを。」
「リク、ああいうタイプ好きそうだなって。」
「え、どのタイプ。」
「真面目そうで、ちょっとぶっきらぼうで、でも実はちゃんと人のこと見てる人。」
「そんなに情報あった?」
「あった。」
「どこで。」
「目。」
サラは、自分の目元を指で軽くさすった。
「人を見るときの、目の動き。」
「またそうやって、変なところ見てる。」
「職業病。」
サラは笑う。
その笑顔を見ていると、リクの胸の中にあったもやもやが、少しだけほどけていく。
「でも、あんまり無理に距離詰めなくていいからね。」
「なんで。」
「リク、たまにがんばりすぎて、燃え尽きるから。」
「それは否定できない。」
「だから、“ほどほどに仲良くなる”を目標に。」
「目標ちっちゃ。」
「現実的でしょ。」
そんな他愛ない会話をしながら、夜は静かに過ぎていく。
テレビの音。
外を走る車の音。
このときのリクは、まだ知らない。
今日、ビルの前で交わした短い会話が、これから先の数年を大きく変えていくことを。




