春のつぼみは、四季をめぐりて大輪と咲く。
私の名前は春野つぼみ。18歳。
花の女子高生だ。
あと少しの間だけ、だけど。
緊張してきた。
胸に手を当てると、どくどくと心音の高鳴りを感じる。
卒業式後の学校、まだ寒々しい空の下。
私は”彼”を待っている。
まだ咲いていない。
見上げた敷地内の桜。
枝々の先端についたほのかにピンク色の蕾たちが、開花のときを今か今かとまちわびている。
大丈夫。きっと咲くから。
自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやく。
ぎゅっと目をつむり、これまでの日々に想いを巡らせる。
思い出の中の私の隣には、いつも彼……伊藤遥人が立っていた。
——この関係も卒業、かな
深く息を吐き、よし、と覚悟を決めた。
私は今日、彼に想いを伝える。
◆◇◇◇◇◇◇
彼との出会いは一年前。
3年生になり同じクラスになったのがきっかけだった。
「春野つぼみです。まだ咲いてないの? なんて言わないでくださいね」
始業式後、一発目のLHR。
もうお決まりとすら言える、私恒例の自己紹介。
自分の名前をいじるスタイルでささやかな笑いをとることに成功した。
つぼみという名前は両親がつけたものだ。
なんでひまわりじゃないの、とか。
なんで桜じゃないの、とか。
小さい頃はそんなわずかな不満を抱いていたが、今となっては感謝している。
この名前は誰かの印象に残るいい名前だ。
これでこのクラスでの立ち位置も安定でしょ。
自己紹介を終えて席に着き、心を落ち着かせていると。
隣の席からわずかにこそばゆい視線を感じた。
「……?」
見ればさわやかな風貌の男子生徒と視線がぶつかった。
少しだけくせのある黒い短髪。
どこか中性的な顔つきの、クールな印象の男の子だった。
にこり
私と目が合った彼は、柔らかく微笑んだ。
反応に困った私は、小さく「うっす」と運動部のような挨拶を返したのだった。
それから数十分後、LHRの終わりを告げるチャイムが鳴る。
さて、まずは顔見知りの友達とおしゃべりしようかな。
そんな考えから席を立とうとした瞬間。
低く穏やかな声が鼓膜を揺らした。
「素敵な名前だね」
声の主は隣の席の男子。
さきほどのクールな印象の男の子だった。
「あっ……ごめん、急に」
彼は少し慌てた様子で謝ってくる。
突然のことで反応に遅れた私を気遣ってのことだろう。
「ううん。私こそごめんね、すぐお返事できなくて」
せっかくなので、交流を図ってみる。
「伊藤くん、だっけ?」
「うん。伊藤遥人っていいます」
「へえ、はるひと」
私の苗字である『春野』に近しい名前の雰囲気に、なんとなく親近感を覚えた。
「どう書くの?」
「遥かなるの『遥』に人畜無害の『人』」
「ふうん」
前半はともかく、後半の四字熟語のチョイスよね。
内心でツッコミつつ、会話を続ける。
「かっこいい名前じゃん。遥人くんって呼んでもいいかな?」
「えっ」
おっといけない。
距離感を間違えたかな?
と思ったけど。
「ごめん。嫌だったらべつに」
「嫌じゃないっ」
どうやら杞憂だったようで。
伊藤くんもとい、遥人くんは食い気味にさえぎってきた。
「嫌じゃないから。遥人って呼んで」
「分かった。じゃあ、遥人くんって呼ばせてもらうね」
「ありがとう。僕も春野さんのこと名前で呼んでいい?」
「もちろん」
「じゃあ、つぼみさん。これからよろしく」
名前を呼ばれた瞬間、きゅっと胸が熱くなった。
「えっと……やっぱまずかった?」
「う、ううん、全然」
さっと我に返り、動揺を笑顔で隠す。
「っていうか、素敵な名前って言ってくれてありがとう。嬉しかったよ」
これは本当のことだった。
あまり名前を褒められた経験が無い私には、新鮮だった。
「ちなみに聞くけどどこら辺が素敵だと思ったの?」
「そうだな。なんというか可能性を感じるとこかな」
「可能性?」
「そう。これからどんな花が咲くんだろう、みたいな」
「へえぇ」
嬉しい。
気づけば、そんな感情が芽生えていた。
豊かな感性を持つ人に出会えたことが。
その人に言葉を貰えたことが、たまらなく嬉しかった。
でも、たかが、名前を褒められたくらいで。
たかが、名前を呼ばれたくらいで。
こぼれてしまいそうになる感情を、理性は抑え込もうと必死だった。
それでも止められない何かで、私の心はどうしようもなくざわめき立つ。
まるで、枝の先端に小さく膨らみ始めた蕾のように。
押さえきれないなにかが私の中で脈を打ち始めた。
◇◆◇◇◇◇◇
新緑がみずみずしく生い茂るころ。
私たちは一緒にテスト勉強をするくらいには仲良くなっていた。
図書室で勉強中。前の席には遥人くん。
「ふわあ……だいぶ集中できた」
私は大きく伸びをして息を抜く。
「互いに苦手科目を補えるのはいいね」
「ほんと、それ!」
「つぼみさん、ほんと文系科目得意だよね」
「まあ、文芸部ですし? 文系が得意じゃなかったらうそでしょって感じ」
へへん、と胸を張る私。
「教えてもらえるのマジ助かってる。ありがとう」
「う、うん」
まっすぐに感謝を伝えられ、思わず顔が熱くなる。
「そういう遥人くんこそ、理系得意じゃん?」
「まあ、エンジニア目指してるからね」
「へえ……」
エンジニア。
どんな仕事かさえ分からなくて、つい黙る。
「私には想像すらできない仕事って感じ」
「そう?」
「うん。そんな感じで理系科目苦手だから、教えてもらって助かってるよ」
「そう言ってもらえると嬉しい」
遥人くんが視線をそらし、少しだけ頬を赤らめている。
仕返しを決めた私は内心でほくそ笑んだ。
「話は変わるけど、つぼみさんは大学どこ目指してるの?」
「K大の文学部目指してるよ」
「K大? 一緒だ。僕は工学部だけど」
「マジでっ!?」
思わず声のトーンが一段と上がってしまった。
しまった、と思いつつ周囲を見回す。
「えへへ。つい嬉しくなっちゃった」
「はは。文学部なのって何か理由がある?」
「うん。実は私、作家になりたいの」
周りに聞こえないように声をひそめる。
「K大文学部出身の作家さんって多いし、出版社とのパイプもあるって評判なんだ」
「へえ。それは知らなかった。……で、どうしてそんなに小さな声で話してるの?」
「それはね。大切な話だから、だよ」
「う、うん?」
小首をかしげる遥人くんが可愛い。
満足した私は椅子に座り直して姿勢を整える。
「さて、休憩おわりっ。文系科目の分からないところはどんどん聞いてね?」
「今まさに解けない問題に直面してるんだけど」
「それは自分で考えてみて」
困り顔の遥人くんを見てくすくすと笑う。
——大切な話は大切な人とだけ共有したい、なんてね
小さなつぼみの中にひそんだ、まだ言葉にできない想い。
私は少しのもどかしさを覚えながら、花開く未来への期待を膨らませていた。
◇◇◆◇◇◇◇
高校最後の夏休みを終え、秋風が山々を鮮やかに彩り始めた頃。
私の顔は憂鬱色に染まることが増えていた。
「はあ……」
読んでいた文庫本のページにレシートを栞代わりに挟んで閉じる。
青いため息を文芸部の部室内に吐き散らかし、机に突っ伏した。
「部誌、あんまり売れないなあ」
机に積み上げられた部誌の山。
今日は文化祭二日目。
私は文芸部室にて、展示並びに部誌の販売をおこなっている。
ここ、文芸部室は特別棟三階の隅。
正直お客さんが足を運びやすい場所とは言い難い。
「遥人くん、来てくれないかなあ」
「呼んだ?」
「わっ」
聞きなじみのある声に顔を上げると、クラスTシャツを着た彼の姿があった。
「遥人くん!」
「おつかれさま、つぼみさん」
遥人くんは遠慮気味な足取りで、私が座る長机の前までやってくる。
「調子はどう?」
「ぜんぜんだよ~」
「その割には明るい顔だね」
「そかなー?」
指摘されて気付く。
私、遥人くんが来てくれてめっちゃ浮かれてる。
「つぼみさん、何かいいことがあったの?」
「部誌がまあまあ売れてて嬉しいかなあ~って」
嘘だ。あんまり売れてない。
この山積みを見られたら分かると思うけど。
「部誌、ぜひ一冊どうかな? 私の作品も載ってるよ」
「言われなくても買うつもりだよ」
「……!」
遥人くんの言葉に嬉しさと、不安が込み上げる。
ともあれ読んで欲しくて部誌を渡す。
「はい、まいどあり」
「ありがとう。せっかくだからここで読んでいこうかな」
「それはだめっ」
気付けば机を叩いていた。
「家で読んで」
「わ、わかったよ」
彼はちょっとだけしょんぼりしていたけれど、仕方がない。
——あんなもの、目の前で読まれてたまるか!
部誌に掲載してある私の作品。
それは、実体験を基にした青春小説だ。
ゆっくりと恋心が育っていく様を描写したような、そんな作品。
ヒロインのモチーフは私で、恋人役のモチーフは遥人くんである。
「今日帰ったらさっそく読むよ。感想も送るね」
「うん、ありがと」
部室を出ていく彼の背中を、名残惜しくなりながらも見送った。
その後、夜になり遥人くんから感想が届いた。
「僕もこんな恋愛がしたい、か」
私のこと、意識してくれてたりして。
そんな期待感と、作品を読んでもらえた嬉しさと。
そのほかいろんなものがないまぜになって。
蕾はだんだんと、その体積を膨らませていった。
◇◇◇◆◇◇◇
冷たい風が鮮やかな木々の色をさらっていき、凍えるような冬がやってきた。
ただ、私の心は温もりに満ちていた。
「ちょっと早いけど二学期お疲れ様」
「つぼみさんも。それじゃ、乾杯」
かちゃん。
グラス同士をかるくぶつける音が、心地良く狭い部屋に響く。
クリスマスイブのこと。
私と遥人くんはカラオケに来ていた。
ちょっとだけ、期待しちゃってたりする。
三年生の冬。大事な時期である。
それでも相手がこの人なら、色んな事を期待せずにはいられない。
「ストレス解消にはカラオケだよね」
「そう、だね」
そう。あくまでもストレス解消。
このカラオケにはそれ以上の意味はあまり無いのかもしれない。
どう考えてるのかな。
それでも気にせずにはいられない。
遥人くんの心をあばきたい。
彼の心を私が占める割合はどれくらい?
気を抜くとすぐにそんなことを考えてしまっている。
「はい、次、つぼみさんの番」
「ああ、うん」
マイクを手渡されて我に返る。
モニターに表示されたラブソングの曲名を見て、苦笑した。
無意識に糖度高めなヤツを入れていたらしい。
「次の桜は 君と見てるかな——」
思わず感情移入して歌ってしまった。
「……!」
間奏中、遥人くんと目があう。
不意にドキドキが高まってより一層歌に熱が入る。
「ふぅ、あっちぃ」
歌い終わった私は遥人くんの拍手を浴びながら、顔を手でぱたぱたとあおぎながらウーロン茶を喉に流し込む。
「すごくよかったよ。気持ちがこもってたね」
「そりゃあね」
グラスを机に置きながら何気なく返答。
それからほんの数秒後。
自分の失言に気付いて固まる。
そりゃあね、って……思わせぶり以外のなにものでもないじゃん!
「……」
遥人くんの顔にそっと視線を向ける。
特に顔色を変えることもなく、リモコンを操作している。
ちょっとは動揺してくれてもいいのでは?
意図して揺さぶりをかけたわけでもないけれど、少し残念だ。
それからカラオケを出て、駅までたどり着く。
「今日はありがとう」
「こちらこそ」
恋人同士ならこの後があるのかもしれない。
次のクリスマスイブは。
あるいは、別の機会であれば。
そんなことを考えてしまうけれど、今はそういう時期ではない。
私たちはあくまでも受験生で。
あくまでも、仲の良い友だちだ。
同じ大学を目指して、今は勉強に集中しよう。
打ち合わせをしたわけでもないけれど。
私たちの中で、それが暗黙のルールになっていた、気がした。
それでも。
「遥人くん」「つぼみさん」
二人の声が重なる。
「えっと、私からいい?」
「うん」
私はやや強引に主導権を握ると、バッグの中から包みを取り出した。
「いつもありがとう。これ、よかったら」
「これは……おお、ホットアイマスクじゃん! それに『エビデンスマン』の新刊!!」
予想を超えて驚く遥人くん。
喜んでもらえて私も嬉しくなる。
「休憩中に使うといいよ。ご褒美として用意しておくと、勉強へのモチベーションが高まって効率が上がるらしいし」
「エビデンスマンみたいな知識をありがとう、つぼみさん!」
遥人くんは、まるでサンタさんからプレゼントをもらった子どもみたいだった。
「ありがとう、つぼみさん。これならもっと勉強頑張れそうだ。頑張って……絶対につぼみさんと同じ大学に行くよ」
ストレートな言葉にふふ、と口角が上がる。
「それでさ、僕からもいいかな?」
「あ、うん」
言葉だけもらって満足していたが、遥人くんもプレゼントを用意してくれていたらしい。
手渡されたそれを見て、目を見開く。
「こ、これ……栞!」
見れば、やや艶のある素材で作られた白い栞。
サイズ感も見た目も、私の趣味にぴったりと合う一品だった。
「つぼみさん、本をよく読んでるから。でも本だと被っちゃうとアレだなとか考えて、栞にしてみたんだ」
何を貰ってもきっと喜べるけれど。
その選択はベストチョイスだと思わざるを得なかった。
——私はきっと、この栞を見るたびに遥人くんを思い出す
栞を見るたびに、遥人くんが私を思ってくれたことを思い出せる。
それがたまらなく幸福なことのようなことに思えて。
気づけば、頬が濡れていた。
「つぼみさん!? 大丈夫!?」
「う、うん……ごめん、嬉しくて」
泣きながら、笑っていた。
「ありがとう、遥人くん。すっごく嬉しいよ」
「そっか。そう言ってもらえて、僕も嬉しい」
私たちは喜びを伝え合って、互いに微笑む。
「私もこれで、もっと頑張れる。絶対に、遥人くんと同じ大学に行く!」
寒さを乗り越えたその先で、大輪の花を咲かすべく。
私の中の蕾はまた少しだけ大きく、その実を膨らませていった。
◇◇◇◇◆◇◇
少しずつ春の兆しが見えてきた。
とはいえまだ寒さは厳しい、二月のとある日のこと。
「男子たち、みんな浮かれてたね」
「そりゃあそうさ」
私と遥人くんは、帰り道を歩きながら日中の教室を回想していた。
「バレンタインだよ? 浮かれない男子いる?」
いねえよなあ!? とでも言いたげな遥人くん。
「そういうきみは、浮かれてないの?」
「べつに」
ソッコーですん、っとした態度に変容。
まるで演技派俳優だ。
「浮かれてない男子いるじゃん」
「灯台下暗し、だな」
それは使い方として合ってるのか合ってないのか。
さておき、彼が実際のところどう思っていたのか。
それを今からあばくことになる。
「あ、あのさ、遥人くん」
私は勇気を振り絞る。
緊張を振り払って、遥人くんを見る。
「渡したいものがあるの」
「……!」
彼の目がきらりと光る。
悪くない反応、だと思う。
「はい、チョコレート」
「ま、マジか」
無理やり落ち着いているように見えるけど、ものすごく嬉しそうな遥人くん。
「嬉しい、ありがとう。これ、まさか手作り!?」
「うん」
あんまり料理とか作らないから苦労したけれど。
それでも、どうしても自分の手で作りたかった。
「そういうの、大丈夫だったよね?」
「もちろん」
念のため事前に確認していたけれど、あらためてほっとする。
手作りはいや! という人だっているから。
「僕、実は前もって言っておこうかとか思っててさ」
遥人くん、急になんの話だろう。
「受験前で忙しい時期だからさ、そういうのいいよって。気を使わなくてもいいよ、って。でも言っちゃうと、貰える前提みたいでなんか、ね」
たははー、と頭を掻く遥人くん。
言動も挙動も、なんか可愛い。
「逆に気を使ってるじゃん」
「いや、結局何もできなかったから気遣いの内に入らないでしょ」
「そういうこと考えてくれてるだけでも嬉しいかな。実際、大変だったし」
「あ、やっぱ大変だったんじゃん」
「うん。たしかに、大変だった。でもね、遥人くん」
これだけは伝えておこうと思う。
「ちょっと無理してでも、きみのために作りたかったの」
これは念押しだ。
もうきっと、伝わっているとは思うけど。
「だから、その」
「つぼみさん」
「!?」
突然両肩に手を添えられて驚く。
彼の真剣な瞳に、私の顔が映り込んでいた。
「必ず、答えるから」
「……うん」
あたたかな春まできっとあと少し。
開花準備を整えた蕾たちが、春一番を待ち望んでいた。
◇◇◇◇◇◆◇
季節は巡り、3月のこの日。
ずいぶんと寒さは和らいで、温かな風が頬をくすぐるようになったけれど。
蕾たちはいまだ、春の合図を待っているようだった。
「つぼみさん」
そしてその待ちわびたときがついにやってきた。
今、私の目の前には想いを伝えたい相手の姿がある。
「遥人くん。卒業式、おつかれさま」
「つぼみさんもね」
普段の私たちとは少し違う空気。
交わす言葉のトーンこそ柔らかいけれど、ほんのわずかにぎこちない気がする。
「つぼみさん、なんか緊張してる」
「それは遥人くんこそじゃない」
互いに気を紛らわせようと軽口。
ふふっ、と笑い合ってなんとも言えない違和感がただよう。
いつもの空気に逃げたくなるけれど。
でも、ここで言うって決めたから。
私はやっぱり、ちゃんと言葉にもしたい。
「ねえ、遥人くん」
一度決めたら後戻りはしない。
私は想いを伝えるべく切り出した。
「さっきまでこの一年間を思い出してたの。遥人くんとの」
始業式の日、声をかけてもらえたあの日から。
今日ここに至るまで。
「すてきな名前って言ってくれたこと、一緒に目標に向けて勉強してくれたこと、作品を読んでもらったこと、プレゼントをくれたこと」
彼からたくさんのものをもらってきた。
目に見えるよりも、はるかに多くの恩恵を。
「たくさんの思い出を作ってくれて、ありがとう」
私は彼に向かっておじぎをする。
心からの感謝を込めて。
「でも。これからも、私はあなたと一緒にいたい」
しっかりと彼の目を見つめる。
遥人くんがはっとしたように目を見開いた。
「つぼみさん」
遥人くんは私の名を呼んだ。
いつもは白いその頬の肌が、赤く染まっている。
「こちらこそ、僕と一緒に過ごしてくれてありがとう」
彼もまた、私と同じようにおじぎをした。
「君のおかげでこの一年間は、とても充実した一年間になった。どの思い出の瞬間にも、隣に君がいてくれた気がする」
遥人くんが穏やかに微笑みかける。
彼も私と同じように、これまでのことを思い出してくれたのだろうか。
「バレンタインデーのお返しはまた改めてするつもりだけれど。今日は僕も、君に伝えたいことがある」
その言葉に私の心臓が一段と大きく跳ねる。
今この時が、待ち望んだその時なのだ。
「つぼみさん」
「遥人くん」
二人の声が重なる。
「僕は、きみのことが、」「私は、あなたのことが、」
「「好きです」」
その時、春一番のような力強い風が私たちを吹き抜けた。
風が吹き抜けたその後、世界の空気が変わったような、気がした。
◇◇◇◇◇◇◆
数日後。
遥人くんに呼び出されて待ち合わせ場所の公園へと向かう。
「つぼみさん」
遠くで手を振る男性の姿。
待っていたのは、私服姿の遥人くんだった。
「お待たせ、遥人くん。待たせちゃった?」
「今来たところだよ」
彼はそう言って偽りのほほえみを浮かべた。
が、私は見ていた。
待ち合わせの数十分前からここに立っていた彼の姿を。
それを知っている私も、身なりを気にするあまり今の今まで彼の前に出て来られなかったのだけれど。
「さておき。合格おめでとう、つぼみさん」
「遥人くんも、おめでとう」
どちらからともなく手を差し出して、固い握手を交わす。
大学受験の結果。
ふたりの努力が実り、晴れて同じ大学に行けることになった。
いろんなことが一段落したので、今日は二人でお祝いである。
「予定通りで良いかな」
「うん」
——バレンタインのお返しも兼ねて、おすすめのカフェに行こう
今日のこのお祝い。
誘ってくれたのは彼だった。
二人でちゃんと会うのは卒業式以来。
つまり、告白のあの日以来ということになる。
「じゃあ、行こうか」
私の目の前に、再び手が差し出される。
先ほどの握手とは違う意味合いの。
「うん」
私はそっと優しくその手をとり、ぎゅうっと握った。
風が吹いて桜の花びらが舞い踊る。
舞い踊る桜吹雪の中、満開の桜並木の中を二人で手をつないで歩いた。
私は春野つぼみ。
18歳、花の高校生。
もう少しで花の大学生だ。
<了>
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