第二話 犯罪者になりかけた先輩
「なあ、田中」
松芽先輩はいつものように、パソコンの画面から目をそらさずに僕へと話しかける。
一回、僕がコーヒーを注ぎに行ったら、「何回も呼んでしまっただろ」と本気で怒られたことがあった。理不尽にもほどがある。
「なんですか?」
「なあ、いじめはいじめる方が悪いよな」
「当たり前じゃないですか」
先輩はたまに当たり前のことを僕に訊いてくる。
そんなのは当たり前だ。いじめるほうが悪いに決まっている。
「なんで『いじめられる方も悪い』なんて言うんだろうな」
「子供だからじゃないですか?」
「そうか……よし、子供に訊いてこい」
「えっ!?」
そういうとスマホを手にして電話をかけ始めた。先輩の手は小さすぎてスマホがタブレットに見える。本人には言えないが。
そんな先輩は僕に見られてるのが恥ずかしいのか、視線を感じると背中を向けてしまった。
「よお、梨田。お前、学校の先生だったよな。今からうちの若いのをそっちに行かせるからアンケートを……切りやがった」
「そりゃ、そうですよ。公務員にいきなり部外者に協力しろとか無理ですよ」
「そうか……よし、所長だ」
そう言うと、すぐに所長へ電話をかける先輩。
そして―――――。
「ちくしょう!」
「なんですか!? 急に怒り出して」
「…………着拒されてる」
「いつも先輩が無茶ばかり言うからですよ」
本気で怒りだした先輩は目の前の机を右手でぶん殴る。すると「くっ」と小さな声をあげて、右拳を押さえて黙り込んだ。
よっぽど痛かったらしい。
「あっ、そうだ!」
「こ、今度はなんですか」
「ネットだ、ネット。ネットでアンケートをとればいいんだ」
「でも、それだと相手が小学生か分からなくないですか?」
「あっ、あれだ。自分の写真を撮らせよう」
「それは完全にアウトです。児童の写真を集めてるとか捕まりますよ」
その言葉に「捕まるのか……」と本気で悩みだす先輩。どうもそれがいけないことだとは、本気で知らなかったらしい。
「本当にもう、ニュースは毎日見たほうがいいですよ」
「わ、わかった。善処する」
こう答えてる先輩だが、たぶん見ないだろう。ニュースを見るくらいなら、本を読む人間である。
最近は女子力がどうのこうのという本を誰かに借りたらしいが、「こんなの無理に決まってるだろ」とすぐに飽きたらしい。
そういう本は苦手らしい。
「うーんと、あっ、ネットにそれっぽいデータがありますよ」
「それっぽいだけじゃ、役に立たないだろ」
「でも公式な機関が出しているデータですよ」
それはある大学が調査し、まとめたデータである。これならばある程度は信用できるだろう。
僕たちは早速その大学に連絡をとり、詳細を確認したのだった。
☆
「なるほどな」
研究所の椅子でそっくり返りながら、資料を読むまるめ……いや、松芽先輩。
この前、それで後ろにひっくり返ったのに懲りない人である。
「資料をもらったんだが。あっ、そうか、これは大人へのアンケートか……なに!?」
「だ、大丈夫ですか先輩」
驚いた瞬間に後ろに倒れそうになった先輩。だが、なんとか耐え忍ぶと得意満面な笑顔で僕に向かって親指を立てる。
うーん、子供か! いや、見た目は子供みたいだが。
「大人へのアンケート結果でも、いじめられるほうが悪いって結果が40%近くあるぞ」
「えっ!? 本当ですか?」
「本当だ」
ある民間企業のとったデータとして、参考程度にだが結果が出ていた。それによると「いじめられる側も悪いという意見に関してどう思いますか?」の質問に対して、「強く思う」と「思う」の割合が40%近い数字を示していた。
「なんだ、この社会は終わってるな」
先輩は立ち上がり、怒り出すと机の上を叩こうとして左手を止めた。この間、手を痛めたのがよほど堪えたのだろう。
「本当ですね。あっ、それでも次のページの子供へのアンケート結果よりかはマシですよ」
「そうか……何!? 90%近いじゃないか」
いじめられるほうにも問題がある、「強く思う」と「思う」が確かに90%近い。大人よりも圧倒的である。
「うーむ、このいじめられる子の特徴の女子と男子の結果。両方とも生意気とわがままが1位と2位だな」
「そうですね。男子の1位が生意気。女子の1位がわがままになってますね。先輩はいじめられたんじゃないですか?」
「なんだ、それは! 私はいじめられてなんかいないぞ……ただ一人が好きだっただけだ」
どうも先輩の話を聞いているとクラスの皆が先輩を無視していたみたいだが、むしろ話しかけてこないのを幸いにと読書していたようである。
可哀そうな人だ、今度から少し優しくしてやろう。
「先輩……大変だったんですね……」
「なんだその目は、生意気だ!」
「先輩それ、それが原因ですよ」
「あっ、そ、そ、そんな……私はいじめる側だったのか……ごめん」
後輩の指摘に本気で落ち込む先輩。実にわかりやすい人だ。
「大丈夫ですよ。先輩のそれはいじめになりませんよ」
「ほ、本当か……」
「ええ、その手じゃ叩かれても痛くないですし」
「そうか。じゃ、今度から思い切り殴ろう」
「えっ、それは勘弁してください」
それを許すと今度から机ではなくて、僕が叩かれる対象になりそうである。
先輩はそこまで話すともう一度席に戻り、パソコンで何やら調べ始めた。