第一話 まるめ先輩
(注意)この小説では、作中に登場するデータやアンケート結果は”すべてフィクションであり、筆者が創作したものです。実在するデータとは一切関係ありません”。物語としてお楽しみください。
「まるめ先輩、どうしました?」
「私は”まるめ”ではない、松芽だ」
とある研究所で働いている、松芽勇気は僕の先輩だ。彼女は小柄な体格で、研究所の一番小さな制服でも余り気味である。特注も考えたようだが、製造先に「子供サイズの服は無理」と断られた伝説をもつ。
「すみません」
「もう、何度言わせるのだ」
松芽先輩は小さく椅子を引くと、そこに滑り込むように体を潜りこませた。後ろで束ねた黒髪も一緒に挟まれるが、彼女はそれも気にしない。
そのため、首を回すと時々、「痛っ」と小さく声を上げることがあった。
彼女の机の上にはパソコンがあり、その周りには資料が山になっている。
「これ、崩れそうですよ」
「そうか?」
「あああああああ!」
言ってるそばから資料の山が盛大に崩れ始めた。
データはサーバーに保存されているので、それを見ればいいのだが彼女は一見関係ない書籍なども資料として持っているのでこうなってしまう。
「元に戻しておけ」
「えええええっ!?」
「明日までな」
理不尽な一言。そう言うとパソコンと睨めっこしながら、カタカタと何かを調べ出した。
ちなみにその大きな丸い目でみんなから「まるめ先輩」と呼ばれ、本人はそれでも返事をする。なので、本名をしらない研究員もいるくらいだ。
なのに、僕にだけは「松芽だ」と訂正を要求する。不思議だ。
「うーん、この依頼はなんだろな」
「どんな依頼ですか?」
僕も依頼内容を確認すべく、彼女のパソコンを覗き込む。自分の席のパソコンで見てもいいのだが、こんな目の前にあるのに見ないのも変だろう。
彼女の顔の横から僕が覗き込もうとすると、びくっと驚き顔を遠ざけた。
「び、びっくりさせるな!」
「いいじゃないですか」
「い、い、い、いいの……か?」
「何がですか?」
「な、なんでもない!」
顔を真っ赤にして怒る彼女。何をそんなに怒っているのかと思うが、「失礼します」と改めて画面を覗き込む。
「私のクラスの男子がある女子をいじめています。いじめられる方が悪いと言っている子もいます。でも、私にはいじめている子のほうが悪いと思います。しらべてください……子供の悪戯じゃないですか?」
「でも、メールアドレスは研究所の職員のものだぞ」
確かにメールアドレスは職員の飯田さんのものである。この研究所のアドレスは一般公開されていないので、当たり前といえば当たり前だ。
「しかし……」
「よし、田中行くぞ」
彼女は立ち上がると、その言葉を言い終わらないうちに扉から出て行く。
僕は慌てて、彼女の後を追いかけたのだった。
☆
「みらい~」
研究所の一階、建物の入り口すぐのところに事務室はある。外来客などの応対や一般の事務作業、研究に必要な備品などの調達・管理など、いわゆる何でも屋みたいな部署だ。
そこに事務職でメールアドレスの持ち主、飯田未来さんがいる。
「なあに勇ちゃん、ペアルックで?」
「ペ、ペアルック!? 違う、こ、こ、こ、これは制服だ」
飯田さんの冗談に、松芽先輩は真っ赤な顔をしながら全力で否定する。彼女は先輩の唯一の同期であり、親友であった。
先輩はからかいがいがあるのだろう。彼女はいわゆる眼鏡美人であり、その微笑んでいる姿は目の保養になる。
「なあ、田中からも何か言ってくれ」
「ん? このペアルックですか?」
「だから! 制服だ、せ・い・ふ・く!」
やばい、本気で怒り出した。冗談だと分かるだろうに、本当に素直な人なんだなと
思う。
「そんなに言われると、意識してしまうだろ」
ぼそっとそんな事を言う先輩。そりゃ、好きでもない後輩とペアルックとか彼女も嫌に違いない。
「すみません、先輩。調子に乗りすぎました」
「ふあ、ままま、まあな。ははははは」
急に大きな声で笑い出した。なんだかよく分からない人である。
「建二ちゃん、勇ちゃんはどうかしら?」
急に飯田さんに訊かれた。実に悪戯っぽい顔で、だ。
その言い方に少しドキマキしながらも、僕は思ったままを返事する。
「どうって、先輩ですけど?」
僕がそう返事をした瞬間、パチンと大きな音が後頭部に響く。先輩が思い切り僕の頭を叩いた音であった。
と、言っても先輩の力では全然痛くないのだが、痛いふりはしておく。
「痛いじゃないですか!」
「お、お、お前!」
なぜか目が怖い先輩。
「な、なんですか……そうだ、メールの件はどうしました?」
「あっ、そうだ!」
いつの間にプリントアウトしたのか。先輩はポケットから取り出したA4の紙を、左手でひらひらさせながら飯田さんに近づいていく。
そして机の上に勢いよく置くと、メールアドレスのところを指差した。
「このメールアドレス。お前の娘からの依頼じゃないのか?」
「えっ!?」
その紙をじっと見た彼女は、文面から娘が書いた文章だと気がついたようである。
メールアドレスも彼女のもので間違いないようだ。
「あの子。あの部屋に入るなって、いつも言っているのに」
いつも優しい飯田さんでも、こんな怖い顔をするんだ。そう思い、僕は黙っていることにした。
「じゃ、この依頼受けるからな」
「待って。依頼料とか」
相手の返事も聞かずに急ぎ研究室に戻ろうとする先輩。それを必死に止める飯田さん。
当然だ、研究所に依頼するとちょっとした案件でも数万~数十万円の依頼料がかかってしまう。
一介の事務員である彼女には相当痛い出費だ。
「この内容、お前の娘がいじめられている可能性はないのか?」
「な、ないと思うけど……」
「じゃ、それも含めて私が調べてやる。何、任せておけ」
松芽先輩は元気よくそう言うと、飯田さんの肩をポンと叩いて去っていく。
「こらっ、田中行くぞ」
「は、はい」
僕の返事を聞くと先輩は立ち止まり、飯田さんのほうへと振り返った。
「未来、私が所長に言ってだな」
「えっ!? 無料にしてくれるの」
「少しまけておくように言っとく」
「もう」
彼女はそんなふくれっ面の飯田さんを見て笑い出す。
そして、颯爽と研究室へと向かって出て行くのだった。