18話 動死体
俺は掴み掛って来ようとした男を間一髪で避けた。
避けられた男はそのまま直進して太い木に体当たりをしたと思えば、その木を薙ぎ倒してしまった。
ものすごい怪力だ。掴まれていたら体が砕けていただろう。
「安本さん、あんたやっぱり俺と同じく血を吸われて似たような存在になったのか……?」
しかしどうやら、俺と違って彼は若返ってなさそうだし、理性というモノが無さそうだ。
単なる破壊衝動に突き動かされているようで……薙ぎ倒した木を手で掴んでは千切ったり、叩いたり蹴ったりという事を繰り返している。
そして薙ぎ倒した木を完全に破壊したら、再び俺の方を向いて唸り出した。どうやら再び俺を獲物として認識したようである。
もしかして、これこそが吸血鬼に血を吸われた者の本当の姿なのだろうか……動死体という単語が頭の中に浮かび上がる。
せっかく見つかった同郷の者だ。どうせなら元の姿に戻したいという気持ちはあるが、その方法は全く知らないし、創作物において一度噛まれた者は元に戻らないという設定が多かった気がする。
……悪いが安本さん、あの世に行ってもらうぞ。
両手を広げ、大口を開けて襲ってきた男を再び躱しつつ、右の膝関節を蹴り砕く。そして取り出した収納式シャベルを展開して左手を肩から斬り飛ばした。
「嗚呼アァ、うぉ、ア嗚呼……!!」
どうやら痛覚はあるようで、彼は野太い悲鳴を上げた。そして、俺に片方の膝関節を砕かれたことで倒れた。
どうやら再生能力は無い様で立ち上がれないようだ。その場で足掻くように蠢いている。
創作物での動死体の倒し方は、頭か心臓を完全に破壊する事だったような気がする。頭は頭蓋骨が固くてシャベルでは仕損じる恐れがあるから、狙うとしたら心臓だな。
相手が人間ではなく動死体だった所為か、俺は驚くほど冷静に安本さんの胸にシャベルを突き立てた――が、まるでピンに刺した虫の如く蠢くのを止めない。
駄目か……ならば、炎ならどうだろうか。
俺は目隠しをずらすと、視線を確保し、安本さんの体全体を視覚に収めて『燃えろ!』と念じた。
すると――その躰の全ては真っ黒な灰となって崩れ落ちた。後に残ったのは首にかけていたペンダントと、なにやら深紅の丸い結晶だけだった。
燃えるのじゃなく、灰となって崩れ落ちるとは……一体全体、どうなっているんだ。
俺は多少混乱しながら、灰となった安本さんを改めて見遣る。
保険金を掛けられて奥さんに死ねと命じられた上、異世界に迷い込んで、化け物に成りおおせた挙句に殺される、か。なんとも数奇な運命を辿ったものだな、安本さん。
俺はしばらくの間、かの魂が安らぎを得られるよう黙祷を捧げた。
さて、遺留品についてはどうしたモノか……。
このペンダントは……正直、中身を見る勇気はない。もし家族の写真でも入っていたなら哀れにすぎるだろう。せめて安本さんが生きた証――墓標としてこの場に残しておこう。
他方、赤い結晶体であるが……拾い上げて月明りに照らしてみせると、なんとも美しい輝きを放っている。
これは一体何なんだろうな? 動死体としての核と考えるのが妥当か? しかし、こんなものを持っていてもしょうがないし、どうしたものか……。
手にした動死体の核?について、処分をどうしようか迷っていたら、いずこかに隠れていた黒猫が俺の肩に飛び乗って来た。
そして、手にしていた深紅の核を口にすると、ごくりと飲み込んだ。
「あ、おい、それは……飲んでも大丈夫なモノなのか?」
いや、猫に聞いてもまともな返答が返って来ないとは分かってはいるものの、思わず聞いてしまっていた。当然ながら言葉が返って来る筈もなく、しかし、件の黒猫は『にゃあ』と満足げに一声鳴いたのだった。
「腹を壊さなければいいんだけどな……もし壊したとしても俺は知らないぞ?」
そんな俺の小言には耳を貸さず、黒猫は俺の体から降りると、とっとと町の方へ歩いて行ってしまう。なんとも自由なヤツだと思いながら、俺もその後を追うのだった。
しかし……どういう事なんだろうな。
あの黒猫は、はなから安本さんを俺に倒させることを目的にここまで連れだしたのか? もっと言えば、あの赤い結晶を喰らうために、俺を連れ出した?
だとするならあの黒猫は一体……まさか、あの女吸血鬼の使い魔とか? いや、それだったら女吸血鬼はとうに俺の居場所を掴んで襲って来ているだろう。
……いかんな。下手な考え、休むに似たりだ。
情報が揃っていない状態で何を考えても無駄だ。
今日は、黒猫に散歩に誘われたら、その先で、動死体と化した依頼対象に出会い、それを倒した。もうそれだけでいいじゃないか。
中途半端になっていた依頼も失敗と言う形ではあるが片付いた。元の世界で残した憂いが一つ消えたと思えば悪いことじゃない……と思う事にしよう。
俺は無理やり自分の心を納得させると、黒猫の後を追って城塞都市の中に戻り、宿のベッドに入って眠りに就いたのだった。
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