1話 プロローグ
現代の忍であること俺――工藤幻夜は疲れ切っていた。
来る日も来る日も(といっても仕事が入るのは十日に一回程度だが)浮気の調査、素行調査、行方不明者の探索など、陰気で代わり映えのしない仕事の日々……更には、仕事結果を持って帰っても、待っているのは依頼人とその相手による責任転嫁や罪の擦り付け合いだ。
ヒトの醜い面を見せつけあう、その手伝いをしているのかと思うと気が滅入って仕方がない。
いや、シノビとしてどれだけ術を磨いたところで近代兵器の前には無力であるし、電子化が進んだ昨今では書類の一枚も盗み出す事はできやしない。こういった探偵や興信所の真似事しかやれることは無いのは分かっているのだ。
しかし、であるならばあの十代、二十代の厳しい鍛錬の日々は何だったのか……。
忍術、体術、武器術、薬学、さらには医術まで学ばされ……一人前のシノビとして認可を得た時には齢二十八を超えてしまっていた。
俺にそれらを叩き込んだ師匠、兼、父親はそれに満足したかのようにぽっくり逝ってしまい、俺に残されたのは家業である何でも屋しかなかった。その時点で中卒までの学歴しかなく、遺産も生活費もなかった俺は受け継いだ家業に邁進するしかなかったのだ!(因みに母親は物心付いたときから居なかった)
そして気づけば十五年の時間が過ぎ去っていた。
今年で四十三歳。
人によっては嫁さんも居れば子供もいて、家庭を築いている年頃だ。定職に就いていればベテランと呼ばれる時期に差し掛かっており、上司からの注文や部下の指導で四苦八苦している頃だろう。それが幸せかどうかは人それぞれだと思うが……充実していることだけは確かだと思う。
ひるがえって俺はどうか?
面従腹背、いかに他人を追い落とそうと腐心する依頼人を相手に、こちらも腹に一物を抱えながら、やりがいなく心が荒む仕事をこなす日々……そこには学んだシノビの技術を十全に生かす機会はない。虚しさの潮風で心が錆びつきそうだ。
転職しようにもこの不景気の中でどこまでやれるか……今だってカツカツで一日一食も食えていないのに、更なる世間の荒波に漕ぎ出すには勇気も胆力も足りていない。
あの時、家業を継ぐ決心をしたのが運の尽きだったのだろう。しかし、それを嘆いていても仕方がない。今を生きる為にやれる事をやらなければ……。
それにしても『生きる』か……それって何を表す言葉なんだったっけ?
そんな自問自答をしていても腹は膨れない。やる気が無くても目の前の仕事を片付けなければ飢えて死ぬ事になる。飢餓に対する修練をしていたとはいえ何事にも限度はあるのだ。
俺は懐から依頼書を取り出すと、改めて内容を確認する。依頼内容は行方不明となった男の捜索だ。
依頼人はその男の奥さんで、保険金が掛けられた夫の死亡が確認されなければ生命保険がおりないということで駆り出された。しかもその保険金がおりなければ前金さえも払えないと言う、普通の探偵だったら門前払いをしているような依頼だ。
なんでそんな依頼を受けたかと言えば、世渡り下手でウチの何でも屋が困窮しているからに他ならない。この依頼を成功させなければ依頼者と揃って首を吊る事になるだろう。
それにしても旦那さん。アンタ、一体全体なんでそんなところへ向かおうと思ったのか……。
俺と同じく娑婆に嫌気が差して別世界でやり直そうとでも思ったのかい? まあ、長年連れ添った奥さんに多額の生命保険を掛けられて死ねと命じられたとあっちゃあ心中お察しするが、随分と面倒な場所へ入り込んでしまったものだ。
俺は書類から目を離し、鬱蒼と生い茂った森を見る。そこには『これより禁足地』という看板と共に注連縄が張られていた。
禁足地とは一般的に神社やお寺などの神域として定められている場所を指すが、入ると祟りがある、神隠しに遭うといった場所も含まれる。
目の前の森はどちらかと言うと後者の方で、ある筋の情報によれば有名な心霊スポット兼、自殺の名所なんだとか。面白半分に入り込んだ馬鹿な連中が帰って来なかったと言う例が何件もあるらしい。
保険金を掛けられて自殺するなら、もっと分かりやすい場所で死んだらいいのにと思う反面、これがこの人のせめてもの抵抗だったのかもしれないと思うと陰鬱な気分になる。そして、そんな保険金の一部で生き延びようとしている俺は何なんだと、泣きたくなるような感情に襲われた。
しかし、体は正直なもので、ここ数日、水しか飲んでいない俺の胃はぐーぐーと音を立てて抗議している。
……嘆くにしろ何にしろ、まずは自分が生き延びてからだな。
そう自分に言い聞かせ、俺は禁足地の注連縄を潜り、森へと入って行った。
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その日、日本から一人の中年男が居なくなったが、なにせ天涯孤独の身であったし、年間数万人が行方不明になる日本では珍しいことではない。
何の話題にも上がることなく、生まれる時代を違えたシノビはこの世界から消え去ったのだった。
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