3話
「あの~大丈夫ですか?」
やってしまった。
私の右ストレートを頬に食らったアシェランは、倒れたまま動かない。
でも、なぜかしら? 心が少しすっきりしているわ。
アシェランは起きそうもないし、このまま帰っても......。
「大丈夫なわけ......あるかぁ!!」
なんて考えていると、アシェランはすぐに起き上がった。
思いっきり、良いところに入ったと思ってたんだけど、流石はド変態王族。
「なぜ殴られたんだ、俺は!?」
「すみません......つい」
「ついとはなんだ! ついとは!」
まったく、話しかけてきた時の爽やかで、品のある雰囲気はどこに行ったのか。
「まあ、いい。庶民の愚行だ、1回くらい見逃してやる」
ふん、と偉そう鼻を鳴らすアシェラン。
「お前を婚約者にするのは、ついでだ。いちいちすり寄ってくる貴族の女どもを、あしらうのが面倒なだけだからにすぎん」
なるほど。貴族の求婚を避けるための体の良い壁役というわけね。ついでということは、本命の理由はもう一つの方にあるんだろう。
しかし、隠しているとはいえ私は平民。学園の一般生徒を騙すだけならまだしも、私に王族の婚約者など務まるんだろうか? そもそも、それってバレたら大変なことになるんじゃ。
「あの、なるかならないかは置いといて、私が婚約者っていうのは無理があると思うんですが」
「それは、問題ない。学園長を含め、知っている教員たちもお前がこの学園に残り続けるとなれば、下手に口外することはないだろう。もしものことがないように、こちらでも注意を払っておく」
「しかし......アシェラン様に求婚していた子女たちはどうするのですか?」
より高い地位を望む子女たちは、婚約者ができたぐらいで泣いて引き下がるような人達じゃない。
アシェランの婚約者になった私を、よく思うかしら? きっと私を陥れるために、何か粗を探すに違いないわ。
「その対応についても、こちらで手を考えている。庶民は無駄な心配などするな」
手を考えているって......本当に大丈夫なのかしら。
まあ、アシェランは王族だし、その手の人達には慣れているのかもしれない。
ただ、一番の問題は......。
「では、ご家族......ご兄弟の対策は?」
王族の政権争い。あまり詳しいことは知らないけど、王の子孫たちはこの国の次期国王になるために、水面下で争っていると聞いたことがある。
そんなものに巻き込まれるのはごめんだけど、いざ婚約するとなったら素性も分からない私のことを怪しんで、調べ上げるかもしれない。
そんなことをされたら、アシェランが策を講じてもバレるのは時間の問題だろうし、もしそれが付け入る弱みだと思われでもしたら......。
考えるだけでも、恐ろしいわ。
「......問題ない」
さっきまでの威勢は、どこへいったのか。
アシェランは、風に飛ばされそうなほど小さい声で呟いた。
「え?」
「問題ないと言ったんだ。兄様たちは、俺になど興味はないからな」
「そう......ですか」
その雰囲気はどこか、寂しそうな子供のように見えた。
爽やかで優しい人かと思ったら今度は偉そうで嫌味な男になったり、急に寂しそうな顔をしたり、どれが彼の本性でどこまで本気で言ってるのか、出会ったばかりの私には分からない。
それに、一番大きい問題に対してアシェランの言う大丈夫には、明確な根拠はなかった。けど、この言葉はなんとなく信じていいような気がする。
「一つ目の条件は、取り敢えず分かりました。どうするかを決める前に、二つ目の条件を教えていただいてもいいですか?」
「......ああ」
言いづらそうにしているアシェラン。
何かしら? 婚約者より言いづらいこと?
一つ目の条件は、ついでだと言っていたけれど、婚約者になることが霞むくらいの条件なんて正直、検討もつかない。
「なんなんですか?」
もし、また変な条件だったらもう一発食らわせるわ。
「お前に、聖女ファティマを退学に追い込んでほしいんだ」
「......え?」
アシェランの条件は、思いもよらないものだった。
どういうこと?
「理由を伺っても?」
「理由は言えない」
ただでさえ意味が分からないのに、理由すら教えてもらえないなんて。
平民が聖女様になったのが気に食わないのかしら? それとも、これも政権争い?
なんにしても、第三王子であるアシェランが聖女を退学させようとするなんてただ事じゃないわね。
「理由は言えない......が、いずれ話すつもりだ。だから、頼む」
「頼むって言われましても......」
いくら自分のためとはいえ見ず知らずの聖女様を退学させるのは、人道に反するわ。
かといって、退学がかかっている以上このまま無理ですとも言えないし。何とか、条件を変えるまではいかなくても、緩和できないだろうか。
「理由はひとまず置いておきますが、なにも退学までさせなくてもいいんじゃ」
「いや、退学させる。この条件は譲れない」
アシェランの物言いからは、絶対に折れないという意思があった。
「いやでも、いくら何でも退学は流石に......私も手伝ってあげますから一緒に謝りましょう?」
「そうだな、お前の言い分は......って、おい! なんで俺が何かした前提なんだ!」
あれ? てっきりアシェランが何かしたとばかり思っていたけれどそうじゃないのかしら。
「取り敢えず、話は分かりました。少し時間をください」
「ふん、良いだろう。庶民は決断が遅いからな」
調子を取り戻したのか、偉そうに腕を組んで私を見下ろした。
なんにせよ、今日中に決めるのは難しいわ。情報が多すぎるから一度、家に持って帰ろう。
❖
気が付くと、もう陽が落ち始めていた。
私はアシェランと別れて、家に帰宅した。
国の中央。貴族たちが暮らす都心部にある学園を離れて、少し歩いた先の平民街をさらに抜けた所にある貧民街に入ると、そこはいつものように暗くじめじめとしていた。
親のいない子供たちや職のないごろつき、何か訳アリな人達が多く住む街。
私は、そんな街に住んでいる。
十歳になった頃、親に捨てられた。
理由は何だったか、よく覚えてはいないけど捨てられた時の肌寒さと、自分が空っぽになった感覚は今でも覚えている。
そこから、当てもなく歩き回って明日の食べ物の保証もない中、暮らしていた私は奴隷商に見つかって捕まりそうになっていたところを、とある外国人に助けてもらったのだ。
今はその人が親代わりになってくれて、ボロくて小さい木造の一軒家に血は繋がっていないけれど、一人の親と五人の弟妹と暮らしている。
まずいわ、すっかり遅くなっちゃった。みんなもう待ってる頃かな。
「遅くなってごめんね! 今ご飯作るから」
「あ! エウレカ姉ちゃん、おかえりなさい!」
「ただいまぁ~、いい子にしてた?」
「うん!」
ドアを開けると、私に気づいたアキがギューッと抱き着いてきたので、優しく頭を撫でる。
するとアキは、少しくすぐったそうに笑って、私の足に顔を擦り付けてきた。
アキは、こないだ五歳の誕生日を迎えたばかりで愛嬌があって、元気いっぱいの可愛い弟だ。
「ねぇちゃ、ねぇちゃ......!」
そんな弟の後ろを、ハイハイしながらとことこついてきたのは、我が家のアイドルにして末っ子の妹のリン。
ハイハイしている姿を見るだけで可愛いんだけど、なんと最近、話し出したのだ。
私が帰ってくる度に、舌足らずな声で「ねぇちゃ」と呼んでくるのがまた可愛い!
「おう! 帰ってきたか!」
リンを抱き上げると、ドアの方向からドスの効いた声が聞こえてきた。
「ロム爺、ただいま」
「よし! 飯にしよう!」
ロム爺は、ガハハと豪快に笑って私の肩を叩いた。
い、痛いよロム爺......。
ロム爺は、私を拾ってくれた外国人。ドワーフだ。
ちょっとがさつな所はあるけど、優しくてよく笑う私達のお父さん。
「ロム爺、他の弟妹は?」
「ああ、畑で野菜を取ってるぞ」
ロム爺は、長い白髭をわさわさして調理場へ向かった。
「ああ、そうだエウレカ」
「なに? ロム爺」
「いや、大したことじゃないんじゃが。今日はいつもより遅かったな?」