呪いのシャーペン
真夏の街中。
殺人的なまでの日光が肌を襲う中、亮は苛立ちながら歩を進めていた。
本当なら待ちに待った夏休み。本来なら冷気の効いた部屋の中で、快適な時間を過ごしたかったが、彼の状況がそれを許しはしなかった。受験を控えていた彼は、口うるさい母に言われるがままに外に参考書やらなにやらを買いに行かされていたのだった。
顔から落ちた塩っぽい汗が地面に滴り落ちる。周りを見ると、灼熱の暑さから逃げるように群衆はクーラーの効いた建物の中に次々と逃げるように入っていった。
目的のショッピングモールまであと少し。亮も彼らに倣うように足を速めようとした、そのとき。
「――ん?」
視界の端に奇妙なものが映る。目に映ったのは築何十年と言われてもおかしくはない古びた木造建築で窓ガラスもひび割れている。窓から店の中を覗いてみるとずいぶんと怪しく光っており、毒薬を売っていてもおかしくはなさそうな雰囲気だ。
さらに驚くべきなのは――
「この見た目で文房具屋なのかよ」
古びた看板にはただ一言。『文房具屋』。店の名前すらない。それとも『文房具屋』が名前なのか?だとしたら手抜きにもほどがある。
亮はくだらないとでも言うように、すぐさま文房具屋から視線を外した。が、わずかばかりの興味も芽生えていたのも事実だった。
なによりうだるような日光から身を隠したかった。
(まあ、面白半分で見るのもありだな)
心の中で言い訳をするように、亮はギギギっと扉をきしませながら店内へと踏み入れた。
店の内は光が届かないほど暗く、薄気味悪い雰囲気が漂っていた。おまけにクーラーも効いておらず、亮の神経を逆なでした。
「誰もいないのか……?」
店内には人の気配もしない。探るように辺りを見渡すと、視界に膨大な量の文具が襲い来る。『文房具屋』と名乗るだけあり、品ぞろいはいいようだ。少しだけ心が弾み、眼につくものを次々に手に取っては触る。
そんなこんなでしばらく文具を物色していると、不意にやたらと眼を引く物が亮の眼に吸い込まれる。
「これは……シャーペン?」
目についたのは手のひらサイズのシャープペンシル。黒を基調としたデザインで、これといった特徴はない。にもかかわらず、やたらと眼がそのシャーペンから離れない。そのシャーペン自体に引力があるかのように、手が引き寄せられていく。
ついにシャーペンをつかもうとした、そのとき。
「それは買わない方がいい。そのシャーペンは呪われておる」
いつからいたのか亮の隣にはずいぶんと年の喰った老人がいた。腰は『く』の字に曲がっており、顔にかけたフードのせいで性別の判別もつかない。だが、そんなことはどうでもいいとでも言うように、亮は老人に聞き返す。
「呪われている……?」
「さよう。それで書いたものを生み出せるという禁断の代物じゃ。巨額の富も栄誉もそのペン一つでなんでも叶う」
老人のしわがれた声が耳に届く。老人はこう言っているのだ。そのシャーペンで書いた望みはなんでも叶うと。
ばかばかしい。普段ならそういうはずだ。そんなありふれた話、子供にも通じやしない、と。
けれど、この老人の話を亮は疑うことはなかった。根拠はないがなぜか納得してしまう。シャーペンが放つ異質さがそうさせているのかもしれない。
けれど、腑に落ちない点もあった。
「なんでも叶うんだったら呪われてるって言わないんじゃ?」
「逆じゃ。なんでも叶うからこそ呪われているんじゃ。全能は人の身にはあまりうる。ひとたびこれを使えば、歯車は二度とうまく回らん。ただ――」
老人は亮から視線を外しながら、続ける。
「店主としてお客様の意思を妨げることはせん。ただし、忠告はした。どんな災禍に会おうとも自己責任じゃ」
言うべきことは言ったとでも言うように老人はそのまま店の奥へと消えていった。
亮は再び視線をシャーペンに移し、眼を凝らす。老人のいうことに嘘はないのだろう。このシャーペンはヤバい。そのことは亮の本能が告げていた。
にも拘わらず、同時に恋い焦がれている自分もいた。人間はなぜ禁忌というものに惹かれるのだろうか。
亮の心はもう決まっていた。未来の自分はこれを買っている。確信していた。
――
深々とため息をつく。理由は明白。先ほど購入したシャーペンだ。
詐欺というのは得てして冷静さを見失ったときが一番危ういのだろう。机の上で古めかしい参考書をめくりながら、思う。
店にいたときこそ浮かれていたが、冷静に考えれば書けばなんでも叶う道具などあるはずもない。加えて、今考えれば値段もバカにならなかった。
一万円。
一介の高校生には重すぎる五桁だ。これを安いと思っていた購入前の自分を呪いたい。おかげでまともな参考書を買う金すらなく、母親にこっぴどく叱られる始末だ。
参考書を一枚、一枚とめくる。けれど、いつまで経っても参考書に集中がいかない。
「…………」
気がついたときには右手の中には例のシャーペンが握りしめられていた。
「ま、まあ、一万もしたんだし試すだけなら……」
誰かに言い訳するかのように自分に言い聞かせ、ノートを開く。店の老人曰く、このペンで書いたものは何でも生み出せるという。『書く』というのは『絵を描く』ということか?いや、自分にそんな技量などない。
消去法で亮は『文字を書く』という選択肢を取った。
「書くとしたら、まあ、まず最初は金か?」
一億円。
ノートのど真ん中に書く。それからしばらくして――
「いや、受験生がなにバカなことしてんだか」
亮は自嘲気味に笑うと、大人しく参考書へと眼を戻す。よくある詐欺だったということだ。バカな子供をだます手段。自分は格好の餌食だったというわけだ。
バカではあるが、無駄な経験ではなかったのだろう。少なくとも今後、馬鹿な話につられることはなさそうだ。
そう思い、例のシャーペンをごみ箱に捨てようとした、そのとき。
「――え?」
山のように積み上げられた札束がそこにはあった。亮は目を疑うもおそるおそる札束に触る。
質感、感触、すべて本物だった。
その山になった札束を一枚一枚、丁寧に数える。そして、その数ちょうど一万枚。ぴったり一億円だった。
「ま、マジかよ……」
亮は札束を片手に震える声でつぶやいた。
――
その日から生活は一変した。
そのシャーペン一つで欲しいものはすべて手に入った。
金はもちろんのこと、一つ十数万するブランドものの服もミシュランに登録されたレストランの料理もシャーペン一つで生み出すことができる。こんな万能な道具があればまともに働くことなんか馬鹿らしくもなる。
指先一つで欲しいものが手に入るというのにまともに働く意味などない。これシャーペンさえあれば、どんな欲しい物でも手に入る。
が、問題がないわけではなかった。シャーペンでどんなものでも生み出せると言っても亮が受験生という事実は変わらない。シャーペンで生み出せるのはあくまで物質のみで『受験に合格したい』、『成績が良くなりたい』などといった願望などをかなえることはできない。そのことはここ数日間の実験で判明したことだ。
シャーペンに夢中なこともあり、勉強に熱を注ぐことなど一切なく、亮の成績は極端な右肩下がりだった。そのせいもあり耳にタコができるほど、母親から口ずっぱく叱られていたのだった。
そしてその日も母親からこっぴどく叱られたのだった。いい大学に入る理由などしょせん、就職のために他ならない。いい会社に入るのはいい生活を送るため。シャーペン一つでいい生活を送れるというのに、わざわざ勉学に励む必要性など見出せるはずもない。
だからといってこのままでは母親からまたこっぴどく叱られるだけである。
「けど、いまさら勉強をする気なんて起きねえんだよな~」
シャーペンを指先でくるくる回しながら、思案する。勉強はしたくない。かといって、このまま母親に叱られるのは避けたい。
熟考の末、亮が取った選択は――
「よしっ」
勢いよくノートを開き、すぐさまシャーペンをノート上に走らせる。
書いた内容は『どんな問題も解ける天才的な脳みそ』
(これなら望んなものも物質だし、大丈夫なはず)
亮は祈るように手を前で組む。この内容ならば、受験でどんな問題が出されても解けるようになるはずで、勉強も一切せずにすむ。
ただし、懸念点もあり、それは亮の脳みそというのはすでに存在しているということである。亮の脳みそがすでに存在しているのに、シャーペンでさらに脳みそを生み出そうとしているのである。
こうなると、亮の元々の脳みそはどうなるのか亮自身もわからないのである。
(いくらなんでもリスキーすぎたか……?)
予測のできない結果に亮は緊張を走らせる――
がいつまで経っても変化はなかった。
「…………もしかして、気づかないうちに変わったのか?」
試しに東大の赤本を解いてみる。普段なら箸にも棒にもかからない。しかし、問題を見た瞬間、ペンが次々に動く。気がついたときには、問題はすべて解き終わっていた。そして、もちろん――
「全問正解……!」
くくっ、と喉から洩れる。全身が全能感に包まれる。
「あは、あはははははははははははははははははははは!!すごい!すごすぎる!このシャーペンがあれば、神になったも同然じゃないか!」
それからねじが外れたかのように、亮はシャーペンを走らせた。少しでも欲しいと望んだものはすべて書き記した。
抱えきれないほどの巨万の富も創作物に出てくるような武器もなにもかも。
眼が零れ落ちるような美女も生み出せた。『どこでもドア』なんていうこの世には存在しないものも生み出せた。生み出した美女も何度もヤったら飽きたので、どこでもドアで宇宙に捨てた。
充足感を覚えながら、ベットに横たわる。受験も恋愛も人生もこのシャーペンがあれば、すべてが自分の思うまま。これからのことを思うと、笑みが止まらなかった。
感謝の念を示すようにシャーペンを優しくなでる。ふいに、シャーペンの蓋に指先が辺り、蓋が地面に落ちてしまう。
亮は重い腰を上げ、蓋を拾う。その時、亮の頭に一つの疑問が浮かぶ。
「そういえば、このシャーペンって芯はいらないのか?」
例の店でこのシャーペンを購入してから、今まで一度も亮はシャーペンに芯を補充したことはなかった。今、シャーペンの中身を見ても、芯が入っている様子もない。にもかかわらず、シャーペンをカチカチ押すと、先からシャーペンの先から芯は出てくる。
「まっ、いっか」
どうでもいいとでも言うように亮は再び、ベットに横になる。次にこのシャーペンでなにを生み出そうか考えながら。
――
暗がりの中、顔が覆われるほどのフードをかぶった老人はどこか、見えないものでも見ているかのように天井を見つめる。そこはかつて亮が例のシャーペンを手に入れた文房具屋だった。
「あの若造、残り一週間といったところかの」
神からの啓示のように老人はつぶやく。その眼には欲に走った少年に対しての侮蔑も同情もない。
亮が購入したシャーペン。書いたものは何でも生み出せるという代物。それだけ聞けば、神すら超越した存在とでもいえよう。だが、大きすぎる力には必ず代償がある。
「あのペンの芯は使用者の寿命を消費して作られる。今頃、あの若造はあのペンを乱用している頃合いじゃろう。寿命なんぞほとんど残ってはいまい。忠告はした。まあ、自己責任というやつじゃな」
老人はそう言い残すと立ち上がり、どこかへと消えていってしまった。
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