はじまりの歌
第六話 四つ辻の地蔵さま
駐在が集会所に電話をかけると婆さまが出ていた。
婆さま「なんやと⁈赤子がおるやと!!」
駐在「そうなんです…わしもどうしたらええかわからんで…。」
元は東京出身の駐在ではあるが、政所村に馴染んだ今では、
婆さまをはじめ村の者と話す際には、すっかり村の言葉で話す様になっており、困惑した様子で婆さまに事情を打ち開けていた。
婆さま「それでも、ようここに電話してくれた」と駐在を労う様に話すと、
駐在「それはここにツンがおってくれとったからですよ!」
婆さま「なんやと!そこにツンがおるんか!」と、
これはシメたと言う調子で応えると、
駐在「はい、ツンが今日の集合の紙見ながら、電話受話器を外すしてくれたもんやで、わしも漸くピーンと来て」
と、そのことを少し誇るように話すと、
婆さま「実のところ爺さまも親方(山猟師)も、すっかり酔いが回ってしもうて、くたばっておるんよ(眠りこけてしまっている)
じゃが、和尚さんだけはなぁ、四つ辻にある地蔵さまにも、
今日のお供え物はせにゃぁならんなぁちゅうて、さっき、村役場のまりちゃんの車に乗せてもらうて、そっちの方へと行きおったんや。時間的に言うたら、もうとっくについとってもええ頃合いや。ツンがそこにおるんやったら、ツンを電話の近くに呼んでくれ!和尚さんが寺の方に帰る前に、ツンにこのこと聞かせて、呼んでもらおう!ツンなら必ずわしの意を汲んで、動いてくれるはずじゃで!
ほんで和尚さんがそこへ来たら、詳しい事情を皆から聞いてもらえ」と、婆さまが言い終わる前から、ツンは電話の内容に耳を澄ませている様子で、すぐに婆さまの意図を汲むように、その場から和尚さまにメッセージを送る様に
遠吠えを始めた。
婆さまが言う四つ辻の地蔵さまとは、村の中心部にあり、
お地蔵さまが置かれている地蔵堂を中心として、道が十字に分かれていて、その道により東西南北に仕切られていた。
駐在所がある場所はそこから西南にある村の外れで、和尚さまが普段住まいしている永源寺は駐在所からは正反対にある北東の村外れにあった。
その為、和尚が中心の地蔵堂から寺に帰ってしまうと、またまた時間がかかってしまうと婆さまは心配していたのである。
その時、地蔵堂には既に人影はなくなっていて、
村役場のまりちゃんの車も見えないでいた。
そんな中でも婆さまの心配は続いていて、
婆さま「赤子を見つけたと言うが、さっきから耳を凝らして聞いておっても赤子の鳴き声が聞こえてこんが、まっことに
赤子がおるんやろなあ?
おるんやとして、その赤子は達者なんか?
その子を見つけた頃合いのことを聞けば、雨がえらい降っとった頃合いじゃろう?濡れて震えおるんやないのか?
赤子にとって、体温が下がることは命とりにもなりかねん
大事なんやぞ!」と、そう言うと、
その電話のやり取りに耳を傾けていた菊之丞が、電話近くにまで走り寄ってきて、
菊之丞「あの!ずっと私の懐に入れて温めてはいるんですが、
どんどん鳴き声が小さくなっていて…。
あの…あの…私はどうしたらいいのか?」と、
赤子の衰弱している様子を肌身で感じている菊之丞が婆さまに
懇願する様に問いかけた。
婆さま「駐在!そこは暖かい場所なんじゃろうなあ?
駐在所のストーブはガンガンにたいておるんか?
たいておるんやったら、その上に大きい金盥でも乗せて湯も沸かせ、ほんで、赤子を懐で暖めてくれとるお方にはなぁ、
赤子に身体を擦って、赤子の体温を上げる様ににと伝えてくれ!わしが今からそこに駆けつけるやで、なんとしても
それまでは赤子の命を繋いでおくんやぞ!」と婆さまがそう言うと、電話を切った。
婆さまが電話を切り終わる前から既に、婆さまの話しを聞きながら、まだついていなかったストーブに火を入れて、全開にすると、駐在所の中に立てかけられていた、金盥をめざとく見つけて、駐在所の入り口にある手洗い場から金盥いっぱいに水を汲むと、運転手の橋本と共に運んで赤々と燃えるストーブの上に置いた。もちろん菊之丞もまた、懐にいる赤子を着物の上から祈る様な思いで摩っていた。
そんな様子を見た
駐在は「今電話をしていた人はここの村の世話役をされている
婆さまですが、若い時分には産婆をされていた方なので、
その方がこちらへ駆けつけてくだされば百人力です。
ストーブをつけることさえ気がつけん、わしとは大違いですから」とそう言うと、
気が回らないことで赤子の命を危険に晒したかもしれない罪悪感から「本当にすみません」と菊之丞達に頭を下げていた。
そんな駐在に皆が会釈を返しながらも、一向に泣き声をあげない赤ん坊に菊之丞の顔色はどんどんと青ざめていき、不安により身体も震わせていた。
そんな菊之丞の背を東雲が摩りながら「大丈夫ですよ。大丈夫ですとも」と小声ながらもしっかりとした口調で繰り返していた。
そんな様子を駐在所の中に戻ったツンが「クンクン」と心配そうに鼻を鳴らしながら見つめていたが、皆を怖がらせない様に
ゆっくり慎重にではあるが赤ん坊を抱いている菊之丞の方に近づこうとすると、普段は極めて温厚な運転手の橋本が、
橋本「ていー!」とツンを手で大きく追い払うと、ツンの行手を阻む様に立ち塞がった。
すると武田が、そんな橋本の胸ぐらをいきなり強く掴んで、
壁にドンと押し付けると、鬼の様な形相で
武田「甲斐は山国だ!山猟師の犬がどれほど優秀か、
人の為に如何に尽くす存在か、私は骨身に染みて知っている。
彼は明らかに赤ん坊を心配して近づいていった。
それをお前は!!!」と詰め寄ると、
橋本「だからですよ!優秀であれば、あるほど、
人への忠誠心があつければ篤い程、犬は時として
その忠誠心故に脅威にもなるんだ!」と叫ぶと、
駐在所の中は一瞬にして凍りついた雰囲気に包まれ、
ツンもそのやり取りにより、部屋の隅へと引き下がり、
困惑した表情でその様子を見回していると、
和尚「誰かわしのこと呼んだ?」と
和尚がひょっこりと、駐在所の入り口から顔を覗かせた。