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チビ  作者: チビ
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はじまりの歌

  第一話 優しい雨


じじいが言うとった、わしが村に降ってきよった日は冬にしては

優しい雨が降っとったと…。


じゃから今でも村に雨が降る日はいつも天を仰いで見てしまう。

ほんでもってわしには雨音が子守り歌の様にも聞こえる。

(風はゆらりゆらめいて、遠き空を渡る風

  風の思いを伝えよう、遠き想いを伝えよう

   風は渡り、雲は流れ、おもいをあふらす

     愛しい吾子流れゆけ、彼の地目指し流れゆけ

       雨は降る おもいをあふらす     )

雨粒が地面に染み込む様に、わしの心に染み渡る

何度も何度もその歌を聞いた。

誰なんじゃろう…?わしをこの地に降らせたお方は…?

まっことにおるんじゃろうか…?

わしにそんな想いを届けたいと思うお方が…?

この歌はただの思い違いなんやなかろうか?

わしにしか聞こえんこの歌は、わしのただの空耳やないんか?

とも思う…。

じゃけども、雨の度にこの歌を耳にする度、

信じてみたいとも、否定してみたいとも思う。

じゃけど、じゃけども、

そんなわしの命を救うて下さったお方がいる。

そのお方はわしに逢えて良かったと、そう言われる。

わしを引き取って育ててくれとる寺のじじい(和尚)も

わしは生まれてきて良かったんやと、そう言いおる。

わしを見つけてくれた命の恩人も、育て親のじじいからも

うそ偽りの偽りの想いは感じられん…。

真正面からわしは生とってもええんやと伝えてくれる。

じゃから…わしは、たとえ捨て子でも、

なんで捨てられたんか分からんでも、

生てええんやと思うことにした。

なんで、この村やったんか?

わしにはなんも分からん。

分からんが分からんなりに生てみたいとそう思うんや。


1973年1月16日、わしは滋賀県と三重県の県境にある政所という村に

捨てられておった。

そこは鈴鹿山系に連なる山伝いにある村で、

冬にしては暖かい日であったためか、その日は夕暮れから

雪ではなく雨が降っていた。

そんな村に普通なら迷い込みはずのない人物が、

何かに誘われるようにやって来た。

その人がわしを見つけてくれました命の恩人で、

今では兄さまとそう呼んでおるお方や。

名を瀬川菊之丞と呼ぶ。

わしを見つけて下さった当時兄さまは28歳で、

既に瀬川菊之丞の名跡を継ぎ一門を率いる女形の歌舞伎役者をしていた。

そんな兄さまはその時、次の舞台(羽衣)の成功祈願をする為に、

日本三大弁財天を祀るひとつである、滋賀県にある竹生島神社に参詣されていた。

今でも、その日のことを兄さまに聞くと兄さまは、

「あなたに逢えたのは、あの日の夕暮れに見た空に浮かぶ天の羽衣に

 導かれたように思います。たとえ誰に何と言われとうと、

 あなたにそれを信じてもらえなくとも、これは私の確信です。

 ですから、誰にも動かしようのない事実なのです」と

まっすぐな目でわしを見て、そう言われる…。

じゃからわしは「そうか…」と答えるしかなくなってしまう。

 

 



  第二話 天の羽衣


竹生島神社での祈願を終えた菊之丞は竹生島から出るフェリーに乗り込み、その湖上で天の羽衣の様にたなびきながら色を変えいく夕暮れの空に心を奪われながらも、舞台人の性に突き動かされる様に、

その手と指をゆらめく空色に合わせるかの様に動かしていた。

そんな菊之丞に背後から近づいて「若、そろそろ港に着きます」と声を掛けて来たのは東雲と呼ばれる人で、若くして瀬川菊之丞の名跡を担い一門を率いている菊之丞を内から支える筆頭であり、

菊之丞が子役として一門に入門した当時から菊之丞を教え導いて来た人で、菊之丞が一門でもっと信頼している人物である。

50を少し過ぎた頃合いの歳ではあるが、長年芸道に携わって来た人だけあって、何気ない所作ひとつをとっても品の良さが滲み出る様で、菊之丞と同じ丸に結い錦の紋のある黒の羽織りを着て、

シルバーグレーの髪をオールバックにしていた。

背は菊之丞よりも少し低く、少し痩せ型ではあるが背筋のシャンと伸びた様は、それだけで芸道に携わる人であると見て取れた。

しかし、一門の名跡を担う菊之丞に仕えるのを自らの矜持としているため、決して出しゃばることなく、菊之丞の黒子に徹しているのも

菊之丞の背後からそっと近づくその所作や神社で祈祷してもらった衣装の布を薄紫の東雲柄の風呂敷に包み大事に抱える姿からもからも伝わってきた。

そんな東雲の方に首だけふっと振り返った菊之丞が「もう着くね」

と返事をすると、

フェリーの中では「当船はまもなく予定通り17時07分に長浜港に到着致します」とのアナウンスが響いていた。

そして長浜港の方へと菊之丞が視線を向けると、

そこには菊之丞を出迎えるように2人の男が立っていた。

ひとりは橋本と言って、東雲と変わらない年頃の男ながらも、がっちりとした体型で、人の良さそうな優しい目をした男で、黒いジャンパーにグレーのズボンを履いていて、一見して運転手と分かる風貌をしていた。

そしてその隣に立っている男は武田と言い、菊之丞よりも背高いスラリとした男で、見るからに仕立ての良いツイードのスーツに身を包んでいた。鼻筋が通ってキリリとした目つきのイケメンではあったが、どこか抜け目のなさも感じる男で、年頃は30を少し越えたばかりの男であった。そんな2人に出迎えられて、菊之丞が東雲と共にフェリーから降りると、橋本が空を見ながら、「こういう空の色がどんどん変わる時は雨が降る前触れかもしれませんので、お早く車にお乗り下さい」と、菊之丞達を近くに止めていた車のクラウンまで案内すると、後部座席に菊之丞と東雲が並んで乗り込み、助手席には菊之丞のマネージャーをしている武田が座った。


武田がフロントガラスに目をやると、ポツポツと雨が降り出すと

先程まで、まだ仄かに夕陽が出ていた空を急速に黒く染めていた。

そんな空を少し残念そうに黙って見つめる菊之丞に、隣の東雲が

「うつろうは世の常ですよ」と静かに声を掛けると、菊之丞は

「そうだね」と応えていた。そんな2人の会話に割って入る様に武田が「菊之丞さん、菊之丞さんがどうしてもって仰るから、こんな田舎まで、わざわざ時間を割いてやって来たんですよ。でもね…明日は午前中から次の舞台の打ち合わせや挨拶周りや、なんやかやでぎっちりスケジュールは詰まってますからね。雨が降ろうがヤリが降ろうがさっさと帰りますよ」と少々ウンザリした様子で話すと、菊之丞は

「はい」と静かに返事をして目を伏せると、そんな菊之丞の手にそっと手を重ねた東雲の温かい手の感触に一瞬顔を強張りそうな顔をふっと緩めて笑みを漏らしていた。

そんな菊之丞の様子をバックミラーで見ていた橋本が「では、大急ぎで東京帰りますよー」と明るい声を出して車内の空気を和ませていた。しかし、順調に進んでいたはずの車は、暗い上に雨で視界が悪く、普段通らない不案内な道の上に、当時はまだナビもない車しかなく、本来であれば、長浜港から8号線を出て、直ぐにでも名神高速に乗るはずが、名神高速の入り口の標識を見逃してしまった車は、いつしか8号線から307号線へと入っていき、どんどん街中から外れて街灯も少ない山道へと誘われる様に走っていくと、車内の空気もどんどんと悪くなって行った。

ロードマップを広げ、武田がイラつきながら「307号線って、どこだよ?!長浜も彦根のインターも超えたんじゃないのか?これだから車じゃなくて新幹線にしようって言ったんです!」声を張り上げると、

橋本が恐縮した様に何度も「すみません」と繰り返すと、東雲が

「過ぎことを言っても仕方ありませんよ、この先にだってインターチェンジはあるでしょうから、そこで高速にのればいいことです」

と柔らかな声で言うと、恐縮で強張っていた橋本が

「ありがとうございます」と運転しながら何度も頭を下げていた。

そんなやり取りに「はああ」と大きなため息をつきながら武田が

「八日市インターって言うのが、この道進んだらあるみたいだから、

 次は入り口標識見落とさないで下さいよ」と念押しする様に言った。その声に「はい」と頷きながら返事をして、再び出てきた道路標識に目を向けると八日市インターの標識が見え、車内の一同はほっと胸を撫で下ろした。そんな車中で菊之丞は他の何かに意識を向けている様な様子で終始黙っていた。







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― 新着の感想 ―
[良い点] しっかり文章ができていて、読みやすい。 頑張って書いてください。 [気になる点] 舞台が日本で都市的なのが すごく印象になります。 近未来ですね。または実話みたいな 感覚になります。 [一…
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