廃バスの中のあの娘
僕が住むアパートからその林までは車で30分ほど走り、広い路肩スペースに車を停め、そこから獣道を歩いて20分。
拾った木の枝で蜘蛛の巣を掻き分けながら進むと開けた場所に出る。
泥に沈むように、時が止まったように林の中に薄青い路線バスが蹲っているのを、初めて見つけた時には背筋が凍る思いをしたものだ。
なぜこんなところにバスが捨てられているのかはさっぱりわからない。
僕は大学の夏休みをもて余し、運動をしようと適当に涼しい木々の中を歩いていてこれを知った。
何度も来ることになるとは思っていなかった。
今日はあの娘に会えるだろうか、そんなことを思いながら、ここへ来るのは今日で四回目だった。
木々を掻き分け歩いていくと、バスの後ろ姿が突然視界に現れる。
苔と汚れで曇硝子のようになった窓が並んでいる。
真ん中に扉はなく、一番前にひとつだけ、乗り降りするための穴が空いている。かつてはついていただろう扉は今はなく、黒い大きな穴となっているそこへ向かって歩いていくと、一番前の席の窓からその少女がこちらを見ている。
その娘はうつろな目をこちらに向けて、救助を求めるように、席に蹲っていた。窓が汚れているためはっきりとは見えないが、顔立ちの整った女の子だった。
最初に気づいた時、誰かいるのかと思い、僕は急いで穴を潜ってバスの中へ入った。
少女のいたところの席は撤去されていて、なかった。しかし彼女は確かにそこに座っていたのだった。
もう一度外に出て見ると、窓の中には何もなかった。
恐ろしくなり、僕は来た道を走って帰ってしまった。
最初に彼女を見たその帰り道、一人で車を運転しながら、後ろの席が気になって仕方がなかった。
何度もルームミラーを確認し、たまに振り返ってもみたが、そこには誰もいない後部座席があるだけだった。そのことがなぜか虚しくて、寂しさすら感じてしまって、気になってしまった。
あの少女は、ずっとあそこで救助を待っているのだろうか。
あのバスに何があって、どうしてあそこに捨てられているのかは知らない。なぜ、彼女があそこにいて、助けを求めるように僕を見ていたのかもわからない。
目はうつろだが、可愛い娘だった。高校生になったばかりぐらいだろうか。白い肌が印象に残った。
次の日もそこへ行った。
また会えるとは思っていなかった。
しかし彼女はそこにいて、じっとうつろな目で僕に助けを求めていた。
まだ少し恐ろしくはあった。しかしどうしても救い出してあげたくて、僕は小さくその窓を叩いた。
「助けてやるからな」
窓を開けようとしたが、外からではもちろん無理だ。
「寒くはないか?」
汚れた窓の向こうに、彼女のよく見えない青い唇が、何かを言うようにゆっくりと動くのが見てとれた。
扉の穴から中へ入ると、やはりそこに席はなく、彼女もいなかった。次に来た時のために窓を開けておいた。ギシギシと固い音を立てて、窓はなんとか開いた。雨が降っても濡れないよう、持って来ておいたビニール袋を外からブチルゴムで貼り、その日はそれでアパートに帰った。帰る時に見ると、窓の中の彼女はやっぱり消えていた。
三回目に行ってみた時はいなかった。
ビニール袋には木の葉や埃がついて少し中が見えにくくなっている。
余計なことをしただろうか? ガラス窓を開けてしまったから、彼女はもう姿を見せてくれないのだろうか? そう思いながらも今日、四回目に彼女を訪ねた。
木々を掻き分け歩いていくと、廃バスの後ろ姿が視界に現れる。
苔と汚れで曇硝子のようになった窓が並んでいる。
真ん中に扉はなく、一番前にひとつだけ、乗り降りするための穴が空いている。かつてはついていただろう扉は今はなく、黒い大きな穴となっているそこへ向かって歩いていくと、一番前の席の窓からその少女がこちらを見ていた。
窓に貼りつけてあるビニール袋は昨日よりさらに汚れていて、彼女の姿はぼんやりとしか見えなかった。いつものように、うつろな目をこちらに向けて、救助を求めるように、席に蹲っている。
僕は迷った。ビニール袋を取り払ってもいいものか、どうか。これを剥がした瞬間、彼女は消えてしまうのではないか。彼女が嫌がることになるのでないか、と。
それで振り返り、トクさんに聞いた。
「ビニール袋を取り払ってもいいでしょうか?」
「ならん」
トクさんは数珠を構えるように持ち、僕を厳しく睨んだ。
「その娘を解き放ってはならん。そやつは悪霊じゃ」
「悪霊?」
振り返り、彼女を見た。
「こんなに寂しそうなのに? こんなに……助けを求めてるのに?」
「あたしに依頼して正解じゃったぞ、おまえさん」
トクさんの数珠を握る手が痙攣のように震えだした。
「その娘は事故で死んだ。このバスは昔、会社の無理な運行で運転士が居眠りし、そこの扉から電柱に突っ込んだ。乗客はただ一人、その娘だけじゃった。運悪く一番扉に近い席に乗っておった。会社は事故の事実を隠蔽するために、このバスをこの林の中に捨てたのじゃ」
「ひどい……。それじゃこの娘は……」
「バスが無事目的地へ送り届けた後に行方不明になったことにされておるようじゃ。そのことを恨んで、その娘はずっとそこにおる。肉体はどこかへ隠匿されたようじゃがな」
「助けてあげたい! ……どうすれば?」
「成仏させるしかない。そこから解き放てば悪霊となって、町に降り注ぐぞい」
「そんな……!」
「事実を世間に公表するがよい」
トクさんは何かと戦うように力を込めながら、言った。
「それでその娘は成仏する。……まずはその怨念を鎮めねば……カアーッ!」
トクさんが印を結ぶと、窓の中の少女が苦しみはじめた。うつろだった目を見瞠き、喉を押さえるような動きで身を捩り、上へ、上へと昇っていこうとする。
「ハルナ!」
僕は勝手につけていた彼女の名前を叫んだ。
「ハルナ! 僕のハルナ! ……絶対、君の無念を晴らしてみせるから! 僕が頑張って、バス会社の非道を世に暴露してやるから!」
ハルナが白目を剝いた。その顔で、嬉しそうに笑ったように見えた。