崩れる
よく晴れた土曜日の午後。
日の光が降り注ぎ、宮周辺を祝福するように照らしている。楠の根本には何羽もの鳩がたむろしていた。真衣央は空の許可を得て、鳩たちに餌をやっていた。パン屑に、鳩は群がり、中には真衣央の肩に留まったり、手から直接啄む鳩もいた。それは傍から見たらとても心和む光景だ。そこに鋭い声が響く。
「真衣央!」
ばささささ、と鳩が飛び立つ。真衣央が恐る恐る振り向くと、鬼の形相をした両親が立っている。
「こんなところで何をしている」
「そうよ、散々、心配をかけさせておいて」
嘘だ。心配など少しもしていなかった癖に。真衣央の反抗的な目に、泰平たちは憤った。
「何だ、その目は」
真衣央は木綿のゆったりしたワンピースを着ている。顔色も以前より良く、痩せすぎだった身体に程好い肉がついたようだ。彼女の暮しの安定性が判る。それはとりもなおさず、泰平たちと暮らしていた頃の真衣央が、如何に劣悪な環境にいたかを物語っていた。
「戻るぞ」
真衣央の細い手首を泰平が乱暴に掴み、引っ張る。
「いや、空、空、朔、満!」
しかし、宮は依然として静まり返り、誰かが出て来る気配はない。泰平は、娘を黙らせる為に頬をぶった。ずるずると、真衣央は連れて行かれる。
「いや、いやだ」
「大人しくしなさい」
人気が少なくて良かった、と留美子は思う。これでは自分たちが誘拐犯のようだ。真衣央の心は絶望していた。
空たちは真衣央を助けてはくれなかった。途中からは抵抗をやめ、呆然として父親に引っ張られるままに力なく歩いた。
四畳半の部屋で、真衣央は力なく座っていた。着ていたワンピースは留美子に取り上げられ、もっとくすんだ着古した感のあるシャツとズボンが渡される。空たちが真衣央を助けてくれなかったという事実が、最も真衣央を打ちのめしていた。身体が怠くて熱い。部屋にある体温計で測ると熱があった。布団を敷いて寝る。そうすると涙が込み上げる。空の白髪や金色の目が恋しい。朔や満には、学校に行けば会えるのだろうか。北向きの真衣央の部屋には陽光が余り入らず、じっとりした空気がある。清涼な宮の空気とは比べるべくもない。真衣央は嗚咽を漏らした。
〝くれぐれも忘れないで。僕が無力な神だということを。今は高揚感で、いっぱいだろうと思うけれど、その内、君は僕に失望するかもしれない〟
最初から、空はそう言っていたではないか。裏切られたような気持ちになるのは間違っている。けれど、いつまでもいれば良いという空の言葉に期待していたのも事実だった。掛け布団を頭の上まで引っ張り上げる。かりかりと部屋の襖を掻く音に、起き上がると、左衛門が尻尾を振って立っていた。当然のように真衣央の部屋の中に入り、真衣央が寝ていた布団の横に寝そべる。そのつぶらな瞳は、さっきは守れなくて申し訳ない、と言っているようだ。真衣央には左衛門を責める思いは少しもなかった。
「宮の中で空たちのお仕事を手伝っていたんでしょう?」
物柔らかに真衣央が語り掛けると、くうん、と鳴く。真衣央は布団に入り、左衛門を招き入れた。この犬が、普通の犬とどこか違うということは、以前から知っていた。左衛門は、空たちに近い存在なのかもしれない。左衛門が真衣央の頬を舐める。塩辛いだろうと思う。空たちがいなくても、まだ左衛門がいる。
「一緒にいて……」
か細い声で懇願すると、左衛門は身体を強く真衣央に擦りつけて来た。その毛並みの柔らかさと温もりに癒される。空たちを思い、きりきりと痛む胸が若干、穏やかになる。熱に任せて今は眠ろう。真衣央は今、心に受けた痛手を修復しなければならないのだ。左衛門のふかふかした毛を頬に感じながら、真衣央は目を閉じた。