すれ違い
吉彦は、宮近くまできちんと真衣央を送り届けてくれた。赤いフェラーリが去るのを見て、快い疲れの溜息を吐き、真衣央は宮に帰った。朔と満、空に左衛門の出迎えを受ける。空の表情は穏やかながら、何か違う意を含んでいるようにも見えたので、真衣央は不思議に思った。
「楽しんだかい?」
「うん。吉彦さんが、私のこと、空の傍にいて良いって言ってくれたの」
「良かった。風呂が沸いているから、入っておいで」
「はあい」
自分の部屋に向かう真衣央を、左衛門が尻尾を振りながら追う。湯に入り、汚れや疲れを清めてから、部屋の濡れ縁に左衛門を隣に座っていた。落日が悠然と地平線を金に染め上げて、その上は藍だ。枝垂桜がざわざわと揺れている。薄暮の空気を帯びた桜は妖しい美しさだ。
空の態度が気になっていた。いつもと変わりないようで、どこか違う。真衣央は育った環境から、相手の心情に敏感だ。何か、気づかない内に彼の気に入らないことをしてしまっただろうか。左衛門の首筋に顔を埋めながら考えるが、心当たりがない。左衛門のぱったぱったと揺れる尻尾がリズミカルに空気を掻き混ぜている。真衣央は立ち上がり、今は夕食の支度をしているであろう朔と満のいる場所まで行くことにした。彼らはこの時間、厨、つまり台所にいる。向かう道すがら、良い匂いが流れて来て、吉彦とあんなに甘味を食べたのに、と我ながら呆れてしまう。育ち盛りだから、と心の中で言い訳しながら、台所を覗いた。
先に気づいたのは、春の山菜を揚げようとしている朔だった。丁度、蓬の葉を持っていた。真衣央を見て、いつもの笑顔を浮かべてくれたので、真衣央はほっとする。満は、食器を戸棚から出していた。こちらも真衣央に気づくと笑みを浮かべた。
「真衣央様。何かご用でしたか?」
「あ、うん。少し気になっただけなんだけど」
「何でしょう」
満が受け答えして、朔も揚げ物をしながら耳を傾けている。
「空の態度がいつもと違うの。二人は、気づかなかった?」
朔と満が目を合わせる。金色の目はゆっくり瞬きして、何かを察知している風情だ。
「我々からは何とも……」
気づいているのに言えない。二人の態度からそれを察した真衣央は、不満だった。朔と満は空を主として仕えている。余計なことを言わないのは、きっとそのせいなのだろうが。
「真衣央様は、ご自身の変化にお気づきでしょうか」
逆に満に尋ねられて、はて、と首を傾げる。満が微苦笑した。
「……お綺麗になられておいでです。舞いの練習を始めてから、本番で舞われるまで、蝶が羽化するように、鮮やかな変化でした。いつでも真衣央様を気にかけられる空様が、見逃される筈はありません。また、吉彦様も然りです」
「つまり?」
「これ以上は空様ご自身からお聴きください」
真衣央の変化に驚いているのは、朔と満も同様だった。貧相で気弱だった少女が、少しずつ生気を帯び、蝶が羽化するように、花が綻ぶように本来の美しさを表した。空はきっと、それに吉彦が気づき、誘ったことが面白くないのだろう。要は嫉妬だ。気に掛けている少女に横から手出しされたようで些少な不快を感じていることが、朔や満には判る。彼らとしては、空と真衣央には円満であって欲しいところで、空が度量の大きさをここで見せ、真衣央とより一層、深い絆を結ぶことを期待するのだった。