乱暴横行
巫女装束を着た真衣央は、朔と満から神楽舞いを習っていた。ゆったりとした動きに見えるのに、かなり体力を消耗する。足運びから手先まで、神経を集中させている内に時間は過ぎる。一時間ほどもしたら、真衣央は息が上がった。見計らったように満が言う。
「今日はこのあたりまでにしておきましょう」
ほっとすると同時に、どっと疲れが押し寄せる。朔が、水の入った竹筒を差し出してくれた。一口飲む積もりが、どんどん飲んでしまい、仕舞いにはほとんどを飲み切ってしまった。神楽殿の周りには、いつしか鳥や猫、犬が集っている。
「え、え、これ、どうして」
「真衣央様の舞いの神気に誘われたのでしょう」
「私、何もしてないよ」
「ここで過ごす内に、神の眷属に近くなります。空様から、ご説明は受けたかと」
「ああ……」
真衣央は階を降りると、群れ集う動物たちを撫でた。皆、人懐こく、真衣央の手に触れられるがままになっている。今日は突き抜けたような青空が気持ちの良い晴天で、桜も楠もより、色鮮やかに見える。
稽古を終えて、早めに沸かされた風呂に入ると、疲れが湯に溶け出すようだ。紺瑠璃の小袖に着替えて、部屋に戻る。左衛門は、真衣央の舞いの稽古中から傍でじっと見守っていた。今も、濡れ縁に座る真衣央の横に寝そべっている。
「いつも守ってくれるね」
真衣央は言って、左衛門の頭を撫でた。ずっと一緒にいる内に、真衣央には左衛門が、自分の分身のような気持ちにさえなっていた。その左衛門の耳がぴく、と動き、低い唸り声が聴こえる。どうしたのかとその視線の先を見ると、枝垂桜の下に、暁が立っていた。
「まだのうのうと居座っているのか」
険しい声、冷ややかな双眸。真衣央は唇を引き結んだ。左衛門の頭に置いたままの手から、温もりを分けてもらうように、暁と対峙する。
瞬きもしない内に、目の前に暁がいてぎょっとする。腹をしたたかに蹴られて部屋の奥まで吹っ飛ぶ。左衛門が吠え立てた。暁に飛び掛かり、狩衣に噛みつくが、暁はあっさりこれを一振りして払いのける。
「殺すと言った筈だぞ」
暁はどかどかと部屋に土足で踏み込み、更に真衣央を足蹴にする。真衣央は衝撃で声が出ない。胃液が少しだけ飛び散る。左衛門が尚も暁に襲い掛かるが、やはりこともなく退けられる。このままでは本当に死んでしまう、と思った時だった。
「暁様! お止めなさいませ」
朔と満が転がり出た。真衣央を背の後ろに庇う。
「朔、満。お前たちがついていながら、なぜこんな下賤の女を入れた」
「空様が望まれました」
「主君が誤れば諫めるのが忠臣だろう」
「空様は間違っておられません。真衣央様は、厚遇に値する方でございます」
「は!」
暁は嘲笑したが、朔と満の防御までを突破しようとはしなかった。忌々しそうに真衣央を睨んでいる。
「空様もお気づきです。こちらにお出でになられる前に、どうぞお引き取りくださいませ」
「たかが神使が」
言葉は威勢が良かったが、暁は明らかに、朔の発言に怯んでいた。身を翻すと、空気に溶けるように消える。
朔と満が、真衣央を助け起こした。
「ご無事ですか。参るのが遅れ、申し訳ございません」
真衣央は何か、気の利いたことを言って彼らを安心させたかったが、まだ息をするのも苦しく、答えることができない。目尻には生理的な涙が滲んでいる。空たちに心配させてしまうと思うと、自分の身に起きた惨事より、そちらのほうが気鬱で真衣央は俯いた。左衛門がそんな真衣央の頬を盛んに舐めている。