兄弟
真衣央を脅してから、暁が自ら創り出した神域に入ると、待ち人がいた。真っ青な髪に金色の双眸。白い狩衣装束。赤い空間で尚、映える神御産巣日神だ。
「余計なことをして。兄者のご不興を買うよ」
「宵。お前は黙っていろ」
頑なな暁に、宵はふう、と嘆息する。美麗なかんばせに艶が増す。
「俺が黙っていても、お前があの子を除こうとする限り、いずれは兄者に知れるだろう」
「知られないようにやるさ」
「殺傷は神格に響くよ」
「煩い」
やれやれ、と宵は内心で肩を竦める。
そもそも、滅多なことで人に興味を持たない空が、真衣央には非常に固執していること自体が稀ではあった。宵は自分の鮮やかに青い髪の毛を一房、取ってくるくる指に巻き付けて弄る。宵の目から見れば、真衣央は貧相な小娘に過ぎない。きっと暁から見てもそうで、だから尚のこと業腹なのだろう。暁は異常なほど、空に心酔している。
「桜の花でも見てごらん。気持ちが落ち着くから」
「生憎、お前ほど呑気じゃないんでな」
宵が両目を細くする。
別段、真衣央がどう傷つこうが、宵の知ったことではない。だが、つまらないことで暁の神格に影響が及ぶのは避けたいと思った。真衣央がさっさと姿を消せば済む話だが、さてあの娘はどう出るかなと思う。
自分が創り出した青い神域に帰り、宵は咲き乱れる花園を眺めた。神域にはその神の性質が如実に出る。宵は美しく静かなものが好きだった。だから、自ずと神域もそのようになる。艶やかな花弁に触れると、光がほろほろと零れる。ゆったりその場に座して、目を瞑り花の香を堪能する。空は真衣央のどこに惹かれたのだろう。宵には皆目、見当がつかない。暁の立腹も無理からぬことと思えた。金色の目を開けると、花を一輪、手折る。真衣央も、いずれは手折らねばならないのかもしれない。当分は経過観察、そして暁が暴走しないように注意していようと宵は考えた。
何かあったのか、と空に尋ねられた真衣央は、何でもないと言って誤魔化した。解っている。暁に言われなくても、自分が空の傍にいるのに相応しくないことくらい。真衣央は自分の部屋で左衛門の首に腕を回して、その体温に癒されていた。結局、ここも安息の地ではないということか。けれど、真衣央には他に行き場がない。殺すと脅されても、家に戻るくらいなら、暁の手に掛かるほうがマシとさえ思えるのだ。濡れ縁に出て、枝垂桜を眺める。微風に揺られ花弁が雪のように散る。濡れ縁から降りてその樹の近くまで行き、花々に手を伸べた。
明日から、朔や満に花鎮めの祭りの為の舞いを教わることになっている。自分にそんな大役が務まるだろうか。険しい暁の形相を思い出す。祭りで失敗すれば、彼はそら見たことかと真衣央をより侮蔑し、排除しようとするだろう。考えれば気分が滅入る。傍らでは左衛門が心配そうに真衣央を見上げている。その頭を撫でて、桜に惹かれた古人に思いを馳せた。
西行法師は、殊更、桜を愛したことで有名だ。元は将来有望な武士であったのが、何を思ったか妻子を捨てて出家し、吉野に隠棲した。幾つもの和歌をそこで詠んでいる。桜の花が咲く頃に死にたいと詠んだ彼は、事実、その通りに亡くなった。真衣央も、どうせ死ぬのであれば桜が盛りの頃が良いと思う。彼女の心には昏い影が根を生やし、冥界へといざなっている。厭世的な気持ちはどうしようもなく振り切れず、真衣央は桜の幹にこつりと額を当てた。