桜雨
桜が咲き狂っていた。
それを青嵐が無情に散り舞わしていた。
春とは言え、まだ冷える晩もある。夜着の浴衣のみを着た真衣央は庭で両腕を掻き抱いていた。父の癇癪、母のニグレクトは今に始まったことではない。指先が痺れるように冷たく、かじかむ両手にはあ、と息を吹きかける。
中庭の桜は、真衣央の上からざんざと花雨を降らした。真衣央の頬には涙雨が降っている。細い手足には無数の痣が青く彩られている。裸足を擦り合わせて、空を仰ぐと、その罰ででもあるかのように降りしきる桜が視界を塞いだ。
真衣央の、この家で唯一の味方である白い犬だけが、温もりであり拠り所だった。左衛門と名付けた真衣央のセンスを、両親は嘲笑った。構わない。左衛門は、真衣央の痣を舐めている。生温い舌が、真衣央の冷え切った心と身体に暖を取らせた。
旧家であるこの家の、不祥事を知る人間は他にいない。真衣央の通う小学校の担任ですら、早瀬家の威光を恐れて親に口出しすることはない。早瀬の人間は絶対的存在だった。
真衣央は左衛門の首に腕を回し、ぎゅう、と抱き締める。
人も桜も、春の凍てつく風も容赦ない。
中学生になったら、と真衣央は思う。アルバイトを始めるのだ。
親は許さないだろうから、こっそりと秘密にして。朧の月は眼下に小さな決意を秘めた少女を見下ろし、何も言わない。
もう少ししたら、家政婦のすみさんが、こっそり家に入れてくれる。温かいお握りも、出してくれるだろう。だからそれまでの辛抱だ。
左衛門は全てを承知したように、真衣央にぴったり寄り添う。左衛門を飼う時、両親は雑種であることを嫌がったが、珍しく真衣央の意見が通った。保護されていた犬を引き取れば外聞が良いと思ったのだろう。そういう計算をする、両親だった。
真衣央は寒気とずっと戦っていた。すみはまだだろうか。この家において、左衛門の他に味方と言える存在。真衣央はまだ幼く認識能力に乏しい。
すみの自己保身も、彼女の知るところではない。すみはぎりぎりまで真衣央の両親が寝るのを待ってから、真衣央の元に向かう。
桜がざんざん降りしきる。無惨で残酷で、そして哀れだ。
鬱血した腕にも花びらは降った。
真衣央の意識が霞んで来る。寒さと眠気が彼女を襲う。
足音が聴こえる。すみだ。
やっと、と思ったところで、真衣央の意識は途切れた。