06 香港から帰国する留学生
梶原は、絢子の後に船室から船内食堂きた者がいるか否か、覚えていなかったものの、船内食堂を彷徨く九重中尉を見ていれば、中尉が彼女とすれ違いに三等船室に戻ったと裏付けた。
それに梶原は、それまで船内食堂にいた男が一人、いつの間にか姿を消したと証言しており、それが奥山なのか、彼を海に突き落とした犯人になのか、人物の特定を急ぎたいところである。
「次は、私の番ですね」
新聞を広げていた青年に近付くと、すっと立ち上がって右手を差し出すので、私は反射的に握り返した。
「君は、事情を聞かれると解っていたのか?」
「そうですね。関東軍の憲兵が騒動を調べていると察しがつけば、先ほど話していた男性と私は、現場近くのレストラントにいました」
船内食堂を英国式に読んだ彼の服装を見れば、ワイシャツにズボン吊り、肘に当て布がある狩猟コートを羽織っており、軍人に向かって唐突に握手を求める所作から、西洋かぶれの風情がある。
私が椅子に腰を下ろすと、彼はテーブルの上に広げていた新聞を畳んで相田友助と名乗った。
「お疲れの様子ですね」
向かい合わせに座った相田は、難しい顔の私に言うと、はにかんだ笑顔でティーポットから紅茶を注いで寄越す。
彼に気取ったところがなければ、一口だけ飲んで愁眉を開いた。
「相田さんは、熱心に新聞を読んでいますね。何か面白い記事でもありましたか」
相田は新聞を鞄に詰めると、テーブルの肘を付いて身を乗り出す。
「現内閣は、日華事変(日中戦争)の拡大を見据えて国家総動員法を帝国議会に提出するらしい。現内閣の対中講和は、先ず以て失敗したようです」
国家総動員法とは、国務機関である内閣が議会承認なしで、国内における物資や労働力を調達できるようなる、文字通り政府に国力を総動員できる権限を与える法である。
「新聞には、対中講和が失敗だと書かれているのか?」
黒羽少佐は、対中講和を後押するために働いているのだが、世間では手遅れとの論調なのだろうか。
「いいえ、私の見解です。しかし近衞文麿総理が国家総動員法の可決を急いだ背景には、臨戦体制を強化したい強硬派の意向が反映されたからでしょう。日華事変の戦線にいる関東軍が、駐華ドイツ大使を仲介役とした和平交渉から手を引くつもりなら、紛争を穏便に終わらせるつもりがありません」
「関東軍が、ドイツを仲介とした和平交渉を画策していた?」
「近ければ近いほど、見え難いこともあります」
相田の言葉を借りれば、統制派の東條閣下は対ソ戦を予見しながらも、反共運動に転じた国民党軍とも徹底抗戦する構えで、国家総動員法を可決させようとしている。
つまり統制派が蒋介石との手打ちを拒否しているのであれば、東條閣下が黒羽少佐に密使を託すはずがなく、管見の発言を思い出して赤面してしまう。
「相田さんは、どうしてそれを?」
「上海で耳にしました。あちらでは、関東軍将校が駐華ドイツ大使を通じて蒋介石に講和条約を提示したと、公然の秘密です」
ではベルリン駐在だった馬奈木敬信中佐が上海に足繁く通っていた訳合は、駐華ドイツ大使館に着任したオスカー・トラウトマン大使との会合が目的だったのか。
そうなると黒羽少佐に託された任務は、米国の思惑と対立するドイツを仲介役とした中華民国との和平交渉に、何かしら関係しているのだろう。
関東軍将校が伝書鳩とは、相田の見立てどおり対中講和が行き詰まっているらしい。
しかし私が上張りしか見えないのは、人に興味がないからだと、黒羽少佐に忠告されていれば、相田との会話で浅薄に気付かされるとは、人嫌いの性格を先ず以て恥じるところだ。
「政治にご興味が?」
「私の関心事は、母国の趨勢です……。そんなことより、他に聞きたいことがあるのでしょう?」
「そうでしたね」
相田は英国領香港に留学していた書生だったが、彼の支援者が、日英同盟が形骸化して以来、反日感情の高まる香港からの帰国を促したので、上海を経由して満洲まで、陸路を移動しながら見聞を広めたらしい。
相田の服装や所作は、留学生のそれだったと得心するとともに、勤勉の志と見識の深さに感服する。
「満洲に立寄った理由は?」
「私の支援者が満洲にいたので、彼と合流して内地に向かっています」
「では支援者も、この船に同乗しているのか」
「ええ、彼も同席させれば良かったのですが、今夜は就寝しています。彼のことで解ることは、私が変わりに答えましょう」
「どういう意味ですか?」
「彼も騒動前、ここにいました」
窪坂倉雄は、絢子と目が合って会釈した紳士であり、梶原が騒動前に姿を消した男と証言した相田の支援者だった。
相田に聞くところ窪坂は心臓を患っており、薬を服用して就寝すると、余程のことがない限り目を覚まさないとのことだ。
相田が書生であれば、部屋で熟睡している支援者を叩き起こすのは忍びなく、船員が乗船客を点呼したときも、彼が事情を説明して所在を証言したらしい。
「相田さんが同席していたのであれば、窪坂の聴取は明日にします」
「ご配慮に感謝します」
船内食堂にいた三人目の男が、奥山ではなかったのは当てが外れたものの、相田から奥山や犯人の目撃情報を得られれば、調査が大きく前進するはずだった。
「私は記事に目を通していたので、誰がいたのか、はっきりとしたことを言えませんが、騒動のあった方から船内に戻る人がいても、出ていく者はいませんでした」
「夜の海には、見るものがありませんからね」
相田は、船内食堂の左舷側にある出入り口の向正面に座っており、新聞を広げていても人の出入りが目端に入る。
彼が船室から船内食堂にきたのは十九時三十分頃なので、奥山と犯人は、それより前に展望通路で落ち合っているのだろうか。
有り得ない話ではないが、九重中尉が探している人物が奥山だとしたら、なぜ見つけられなかったのか納得できない。
「窪坂氏はいつ頃、船室に戻られたのですか」
「酒を呑んでいた男は、女性が展望デッキに出た後、レストラントから中座しています。窪坂氏が船室に戻ったのは、彼が席を立ったときでしょう」
「梶原さんが中座した?」
「ええ、ボトルを手に戻ってきたので、どこからか酒を持ち込んだと思います」
梶原が席を立ったと証言していなければ、そこに不都合な事実があるのだろうか、それとも酒に酔って忘れているだけなのか。
梶原が飲んだくれで騒動と無関係であれば、些細な食い違いを追求する必要はないが、彼に空白の時間があったことは気に留めておこう。
しかし犯人どころか、奥山まで船内食堂で目撃されていないのであれば、犯人と被害者は、回廊構造となっている展望通路を人目を避けて隠れていたのだろうか。
犯人が身を隠して近付いたのなら理解もできるが、被害者の奥山までそうしているなら、彼らは顔見知り、それも行動を共にしている仲間だったとも考えられる。
ならば仲間割れか。
いいや、奥山が何かしら脅迫されて従っている可能性があれば、九重中尉の言動を思い出せば、奥山は中尉の仲間であり、犯人と仲間である可能性は低い。
「ここを通らなければ、展望デッキに出られないのでしょうか。私は記憶しているのですが、下のラウンジにもデッキがあったと思います」
「展望通路が張り出しているので、下から登るのは難しいですね」
船内食堂より下の階層には乗船口と待合室があり、相田の言うとおり、船員が作業する船首と船尾甲板に出られる。
ただ下の甲板から張り出した展望通路に登るのは厳しく、もしも犯人が人目を忍んで犯行に及ぶなら、そこから奥山を海に突き落とせば済むことで、わざわざ展望通路までよじ登る訳合がない。
「いいや、犯人が逃走するなら使えるのか」
騒動を聞き付けて集まる船員は、危険を犯して船外の壁を登ってこなければ、姿を消した犯人は犯行後、船尾や船首甲板に飛び移ったとも考えられる。
「私には、些か腑に落ちないことがあります」
相田は拳を顎に当てると、椅子に深く座り直した。
「私が騒動に気付いたとき、展望デッキには上級乗組員の制服を着た男性と、ここで見掛けた女性がいて、そこに船室からスーツを着た男性が駆け付けました。その様子は、酒を呑んでいた男も見ていたと思いますが、彼は、人目を避けるようにレストラントを出ていったのです」
「梶原さんが?」
「騒動があれば、興味をそそられるものでしょう。それを逃げ出すなんて、物見高い私には考えられない」
相田は片脚を組むと、私の顔色を伺うように首を傾けた。
彼の話を信じるならば、騒ぎに集まる野次馬に加わらず、どこかに逃げた梶原には、確かに後ろ暗いところがある。
梶原は中座した事実を誤魔化していれば、騒動に駆け付けたと偽証しているのだから、引き返して彼を追求したいところだ。
しかし手札が揃うまでは、こちらの手の内を見せるのは得策ではない。
私は相田に頭を下げて席を立つと、黒羽少佐が待っている一等船室に戻ることにした。
【補足】
トラウトマン工作は昭和12年11月から同13年1月、広田弘毅外相が駐日ドイツ大使に共同防衛などの対中和平条件を示して、駐華ドイツ大使トラウトマンに蒋介石との交渉の仲介を極秘に依頼した和平工作。ただし近衛内閣は昭和13年1月、既に中国国民政府との交渉打切りを発表(近衛声明)していれば、主人公が耳にした時点で失敗に終わっている。
国家総動員法は昭和13年4月1日、国民党軍との徹底抗戦、対ソ戦を見据えた陸軍の圧力により、近衛内閣によって帝国議会に提出されて公布・制定された法律。
【登場人物の動向】
相田友助:梶原が騒動後に船内食堂から姿を消したと証言した書生。
窪坂倉雄:騒動前に一等船室に戻った相田の支援者(パトロン)。